師に倣う 高橋英雄著

なら
師に微う
高橋英雄著
白光真宏会出版局
五井先生(昭和42年8月)
ぜ磐手如爺9
嚢器期君桑塑ξ 董う凡
日本警識考9屠よえ
雛郵韓霧鱒.
ぐ穫砂磁考奮乞、ざ毫つ
脅6り翻

よき師にめぐり会うことほど、幸せなことはない。
よき師とは、全身全霊をささげて、全くの悔いのないお人のことである。
五井先生はそういうお方だった。私は五井先生に心身ともに救われた。その喜びは安心感と
なり、祈りとなり、思慕の情となって、今も尽きることはない。
わが生命の親たる五井先生に、少しでも近づきたい、という切実なる願いから私は筆をすす
めたのであるが、いつの間にか、五井先生像を描き出す結果になったようだ。
昭和六十一年五月
高橋英雄
2
目次
序1
はじめに… … 7
一、真攣なる愛… … 9
二、無邪気な明るさ… … 12
三、運命を信ずる楽天:
四、全託… …27
五、実直さ… … 39


y葦酉ミ三≡ 〇九八セ六
用心深さ… … 43
生あるものを愛せよ… … 47
笑顔… … 5
信念… … 59
感謝… … 63
ひたすら… …66
素直さと常識… … 71
身近かな者への思いやり… … 7
人の良さ… … 8
お客のお見送り… … 96
電話… … 9 3

一七、大馬鹿者… … 鵬
一八、ご自分のテー.フに耳を傾ける… … 斯
一九、相手をまたせない… … m
二〇、自分の通って来た道をそのまま弟子や後から来る者に強制しない… … 堰
二一、生きている言葉… … ㎎
二二、最大の味方… … 枷
二三、ハイスピリットは上機嫌… … 麗
二四、私が一番信仰が薄いんじゃないか… … 餅
二五、世界中で一番弱いのは私だ… … 田
二六、こういう人間になってほしい… … 唖
二七、〃仁” でゆく… … 配
4
二八、こうなってほしいこと… :.鰯
二九、試みに会わせず悪より救い出し給え… ・:醜
三〇、母への感謝… … 鵬
三一、捨身の愛… … m
三二、誰かの代りに… … 踊
装画・有沢星由
目次
5
… ㎝ … 川… … … … 傭… … …躍… 訓 て

、、襲ミーミ§ 疇葛ミ里ミ亀ミミ聾ミミ毫ミミ電ミミ電ミミ曜ミミ聰ミミ職ミミ覧ミミ聴、ミーミ題聰ミミ融ミミ匿ミミ警§ 適ミξ


人間と真実の生き方
わけみたまごうしようしゆこれいしゆごじん
人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって
守られているものである。
かニせ
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、
その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのである
という強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなか
ゆるゆるまニとゆる
にあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をな
しつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の
祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。

ー、i ヤ、ミーーミーミーー、ミーーミーミミーミミーーミーミミーミミ! ミミーーi ーミーーーーーーi 、、、ミーーこーーi ミミー、ミーミi 卿
“”‘岬””ぞ」F”’”」■r〃”,-r””‘」一’””♂ 騨”‘”網「”‘4網曜—1!」騨4’擢’」9π π 個町”8
はじめに
はじめに
なら
微うということは、真似ることであり、学ぶことである。そしてのっとるということである9
師に微うということは、だから師を真似ることであり、師の教えを学ぶことであり、師のみ心
にのっとる、ということである。
五井先生の弟子であり、家族である私たちは、五井先生のいわれる通り真似てゆけば、間違
いなく人生を生きてゆける。み教えを学んで、み心にのっとった行動をしてゆけば、道をはず
れることはない。自他共に安心した生活を送っていける。
さてそこで、具体的に五井先生の何を徴うことから始めてゆくべぎか。そういうテーマを出
してみると、たくさんあって、あれを先にすべきか、これを先にすべきか迷うが、三つのこと7
に要約されると思う。
しんし
第一は、真摯なる愛の心。
第二は、無邪気な明るさ。
第三は、運命を信ずる楽天。
である。
この三つの姿がまた五井先生の特長であるといえる。
心だ、と五井先生は書かれている。
そしてこの三つの心が神さまに通ずる
8
しんし
一、真摯なる愛
真蟄なる愛
真摯なる愛、つまり至純なる愛は無我であり、無心である。小我が愛によって自然と昇華拡
くうかん
大して大我になる。ひたすら相手のことを思うということは、想念停止であり、空観である。
知らぬ間に空の境地をそこに現出させる。
先生は少年の頃から、何か人のためにつくしたい、社会人類のために働きたい、とひたすら
こう
思われて来た。頭の中で理論をこねくりまわして、何も実行しない哲学少年ではなく、佐藤紅
ろく
緑の少年小説の主人公の生き方に共鳴し、よいと思ったことはすぐ実行に移していった。
しようばう
数え五歳の時、近所の飲食店の人々に、昌坊、昌坊と可愛がられ、昌坊はテーブルの上に乗
って、おどけて踊ってみせた。大人たちがよろこぶのを見て、自分も嬉しくて、何回も踊った9
という。人を喜ぽせるのが無性に嬉しかったのである。
青年になり、日立製作所亀有工場に勤務された。少年少女の工員に接し、自らの立場も忘れ
ナさ
て、彼らをかばい、荒みがちな心に、つねに愛情をふりそそいで、生きる勇気と希望を与えて
来た。
なけなしの給料をはたいては、少年たちに腹一杯たべさせ、それを喜びとした。少女たちに
歌唱指導や文学指導を通して、将情性を失わさせず、人生相談にも親身になってのってあげた9
そんな五井先生を少年少女たちは、兄とも想い、恋人とも慕っていた。
今でも、その当時の少年少女がリーフレットの詩を読んで、亀有工場にいた五井先生ですか、
なつかしいわ、という声をきかせてくれる。また守衛さんだった人、上司の課長だった人も
「あの五井さんのいうことなら真実だ」といってこられたり、人を紹介されて来たりした。
人を愛し、国を愛し、人類を愛し、神を愛した先生は、ついに己れ自身のすべてを神さまに
ささげつくしてしまった。
19 、
言葉にいうのは簡単だが、これはなかなか大変なことなのである。このことについてはまた
ふれよう。捧げつくす愛、これこそ至純の愛、真摯なる愛の行いである。
神我一体になられてから、五井先生は神さまにきかれた。
「何故、神さまは私のような者をお使いになったのですか」
「君の思いやりの深さと素直さが、われわれの心に叶ったからだ」
と神さまは答えられたという。
真摯なる愛は、素直という徳の心もまた現わしてくれるのである。
真摯なる愛
1
霧9
二、無邪気な明るさ

〃青空のひびきに合わせよ

と五井先生がおっしゃったことがある。
青空には太陽だけが光り輝いている。雲一つなく澄んでいて、底ぬけに明るいのである。青
空のひびきとは、底ぬけの明るさ、清澄さ、ひろびうとした大きさ、高さである。それに合わ
せなさい、とおっしゃるのである。無限の高さ、広さと一つになること、澄み清まったひびき、
徹底した明るさ、そういうものと一体になれ、とおっし陶、るのである。
どうやって合わせれぽいいのだろうか。結論を先にいえば、五井先生をひたすら想うことで
無邪気な明るさ
ある。神さまだけをひたすら想うことである。
自分の目の前を去来する想念の雲、それがどんなに厚い雲であっても、今、目の前を通りす
ぎてゆくところなのだ、消えてゆくところなのだ、と思って、更に五井先生を想い、神さまを
想いつづけることなのである。有難うございます、と思うことが波長を合わせることなのであ
る。
五井先生は、ただ”神さま有難うございます” と想いつづけ、神さまだけを呼びつづけた。
そして、

“ひたすらに神を想ひて合はす掌のそれさえ消えてただに青空

と歌われたように、青空になりきってしまわれた。神さま有難うございました、に成りきっ
てしまわれた。成りきってしまわれたお人を想うということは、青空を想うことと、神さまを
想うことと同じである。
それは明るさとか、清澄さとか、無限の広さとか、わかったようでわかりにくい象微的な表
13
現を想うより、ずっと思いやすい。艦がしぼりやすい。それで私どもは五井先生をひたすら呼
ぶのである。
呼ぶことによって安心し、平和になり、ホッとする。ちょうど子供がお母さんを呼び、その
姿を見つけてニコッと笑い、そのふところに飛びこんでゆく。その心情と同じなのである。
明るさもそこに見せかけがあってはいけない。作為的な明るさでなく、無邪気な幼児のよう

な明るさがいいのだ。見せかけのものは、すぐ化けの皮がはがれる。自分をごまかしてはいけ
ない。
明るくない部分を少しでも発見したら、私たちは「これは私たち自身ではない、ニセモノ
だ」と宣言して、消えてゆく姿という言葉にのせて、ピソと外へはじきとばさなけれぽいけな
い。そして世界平和の祈りをし、守護霊、守護神に感謝して、光明をたくさんたくさん頂くこ
とである。
感謝すれば光が注がれる。世界平和の祈りをすれば大光明が注がれる。光の雨を浴びつづけ
14
無邪気な関るさ
ていれば、どんなに干からびた土地も、じっとりと潤ってくる。大光明をつねに頂いて、業想
・念を浄めていただくのである。
 
いま、五井先生は肉体的に見れば、大変な苦しみの真只中にある。昼夜の別なく、しきりに
湧いてくる疾で、気道もせまく、呼吸するのも大儀そうに見える。長くは横になっていられな
い。従って一時間と眠れない。つねに睡眠不足の状態にありながら、頭脳明晰、心気さわやか、
いつも自分のことより他人のことが先、そして明朗なのである。気息えんえんという状態の時
もあるが、一つも参らないのである。実に強い。まさしく超人である。
瀕死の重病人といったら大げさかもしれないが、もし私がその状態におかれたら、一日と生
きていられないだろう。
こういう有様であっても、先生の口からは冗談がとび出してくる。そんな先生のそばにいる
と、不思議と私の心は平安であるし、ここだけが世の中で一番安全という感じになるのである。
そんな五井先生を拝見して、言葉以前の教えそのものを感受し、改めて五井先生を鑛仰する
15
のである。そして、少しでも先生に傲いたい、と切望するのである。

想いには重さがある。明るい想い、愛の想い、暖い心など、およそ良い想いは軽い。逆に暗
い想い、冷たい心、苦悩など、およそよくない想いは重い。よく私たちが、今日は心が重いと
か、心が軽いわ、という通りなのである。
空気や水の実験で、暖い空気や水は軽く、上に昇り、冷たい空気、水は重く、下におりる。
そこに空気、水の対流が起こるわけだが、想いもそれと同じである。
明るい想いは軽いから、どんどん天に昇り、暗い想いは地の底に沈む。天は常に明るい。だ
から”つねに天を仰げ” と先生がおっしゃるわけである。
明るい心は軽快である。決して重々しい明るさなどというのはない。光の重さを感じたこと
はあるが、それは権威の強さであろう。そういう時には明るさとは表現しない。光明とでもい
おうか。しかしそれはその人の内面の問題であって、人に相対する時は、明るさのほうが救い
16
無邪気な明るさ
になる。
五井先生の場合は、それが実にたくみに配分されている。何も頭で考えてなさっているので
はない。それこそ「み心のまま」自然法爾になさっているわけである。
私たちに対して、先生は”明るさ” をもって、相対して下さる。それも春の風のような、鳥
の歌のような、実に軽やかなお心で対して下さる。それぱ暖く、柔かく、和やかで、楽しいか
ら、知らず知らずの内に、私たちは重く閉ざしていた心を開き、光を受け入れているのである。

明るさは愚霊作用を取りはらう一番の武器である。愚霊作用で苦しんでいる若い娘さんに、
五井先生は思いがけない冗談をおっしゃる。娘さんが思わず吹き出したらしめたもの、パッと
光が入って、ふっきれてゆくのである。
私はしぼしばその状態を拝見して、全く感心したものである。笑う門には光来たる、と思っ
たものだ。
17
柏手や気合や口笛ばかりがお浄めではない。とんちのきいた言葉、振舞いもお浄めなのだ。
明るさは病気を治す妙薬である。
少しでも面白いことがあったら、笑うことであり、少しでも楽しいことがあったら、子供の
ように楽しむことである。明るく振舞えばまわりが楽しくなり、自分も楽しくなる。出来事を
明るく明るく解釈してゆくことである。
教えを研究し、勉強することもいいが、ユーモアを解するセンス、冗談(皮肉ではない) を
解する気持を持つことも大切である。だから五井先生は、落語をきいたり、漫才をきいたりし
たらいいよ、とおっしゃる。江戸時代から庶民の間にはやった「川柳」を研究してみるのもい
いことだ。
嫁の屍は五臓六脇をかけめぐり
居候三杯目にはそっと出し
居候出てゆく時は五杯食い18
無邪気な明るさ
などという面白く、そしてうがったものがある。

明るさは運命を転換させるエネルギーの元である。
どんな逆境におちいっても、明るさを失わなければ、必ずその人は立ち直れる。挫折しても
くじけない強さが湧いてくる。
人間は誰も彼も、本来はみな明るいのである。ただ想い方の癖で”自分は暗い” “自分はさ
びしい性質だ” と思っているにすぎない。暗いとかさびしいとか想っている、その一枚下に、
明るさがあるのである。それを引き出してくれるのが祈りである。
世界平和の祈りは光がみちみちているから、どんな想いが出てこようと、それらを世界平和
の祈りにきりかえてゆくことだ。現われて来た想いはすべて消えてゆく姿である、という想い
方をポイントにして、想いのエネルギーを祈りにかえてしまうのである。この練習をすること
だ。
19
そうすると、祈りの光明が暗さを洗い流してくれる。汚れを拭い去ってくれる。これは私が
体験したことだし、現に体験していることだから、真実である。
*… … この文章を書いたのは五井先生ご在世中であった。水戸支部報「白水」に掲載されたも
の。
20
三、運命を信ずる楽天
運命を信ずる楽天

五井先生は元来、楽天的な性格でいらっしゃった。それが神さまにすべてをおまかせしてか
ら、ますます磨かれていって、神のみ心そのままの輝きとなっていったのである。
人にはそれぞれよい性格がある。たとえば明るさ、素直さ、柔和さ、優しさ、さわやかさ、
強さ、のん気さ… … しかし、それらが生まれたままのもので放っておいては、真の価値を発揮
し得ないと思うのである。いわゆる善因縁だけで終ってしまうことになるからである。
善因縁だけでは、長所のうらは欠点、と俗にいわれるように、つねに裏表がつきまとうこと
になるのである。裏表から解脱出来ないことになる。それでは不充分なのだ。そこで、善因縁
`L1
を更に昇華せしめなけれぽいけない。
善因縁は善因縁で感謝して、一度、世界平和の祈りの中に入れることが必要だ。世界平和の
祈りの大光明によって、善因縁は洗い浄められ、更に香り高いものに磨きあげられて、ついに、
神のみ心そのものになってゆくわけである。ウラも表もない、どこから見ても神のみ心そのも
のになってゆくのである。
運命を信ずるということは、自己を信ずるということである。自己を信ずるということは神
を信ずるということである。神の救いを信ずることにより、自己の内なる神を見出してゆくの
である。
神を信ずるということは、何もかも神さまにまかせるということである。食べることも、ね
ゆだ
ることも、着ることも、生きること死ぬこと、一切合財を神さまに委ねるということである。
ゆだねると、そこに肉体の頭では思いもかけぬような、力がいのちが吹き出してくるのであ
る。
22
運命を信ずる楽天
五井先生は修業中、何たびも窮地に立たされたことがあったと、自叙伝の中でお書きになっ
ている。
「狂人の一歩手前、悶死の一歩手前に追いつめられたことが幾度びもあったが、結局その境
界から私を救ったのは、私の自己を信ずる力であり、神の愛を信ずる力であり、神の愛を信ず
る確信であった」
自己を信ずる力とは、五井先生の場合、自分の心の中には、人を愛し、国を愛し、人類の大
調和を願う想いよりなかった、という大信念であった。大確信であった。傭仰天地に恥じるこ
とがないと、誰はばかることなく言えるということが、そもそも自己を信頼していることなの
である。
「こんな純粋な想いで生きて来た私を、神さまが邪道におとすことは絶対にあるまい」
という神への信頼、神の大愛を信ずる確信、五井先生の行動の源動力は、すべてここから生
まれていたのである。
23

神への絶対なる信が、自己を信ずる確信となり、二つの信の相乗作用によって、五井先生の
中に、いわゆる天命を信ずる大楽天、いかなる困難の中にあっても崩れない、底ぬけの楽天性
となっていったのである。
五井先生だからそう出来たのであって、私には到底不可能、という人があるかもしれない。
そうではない。五井先生はちゃんと、誰にでも自分の運命に自信を持てる方法を示して下さっ
ている。勿論、一朝一夕でなれるわけではないが、ともかくやっていれば成れる方法なのであ
る。
それは数多く守護霊、守護神を呼ぶことである。心の中で、いつもいつも守護霊守護神のこ
とを思っていることなのである。そして自分の運命を悲観するような暗い想い、否定するよう
な厭な想いを、過去世において神さまからはなれていた想いの消えてゆく姿である、業の消え
てゆく姿である、と思い、世界平和の祈りをすることなのである。
24
運命を信ずる楽天
これを繰り返しつづけることだ。あきらめてはいけない。弱気になってもいいから、ダメだ
なアと思ってもいいから、ほそぼそでもいいからつづけることだ。
水のことを思って頂きたい。小さな水滴も、したたりつづけていれぽ、固い石に穴をあける
ことが出来るのである。
私は世界平和の祈りと共に実行して来た。何事も中途半端な私であったが、ともかく出来る
範囲でやった。そうしている内に、知らない間に、自分の運命に対する確信が生じて来た。私
の運命は絶対に悪くなりっこない、という自信、たとえば自分の乗っている乗物は、自動車で
あろうと、列車であろうと、飛行機であろうと、事故に会わない、と自然に思えるようになっ
ていたのである。
それは己れの天命を信ずる力であり、私をしてこの世に存在せしめ、生かして下さっている
大生命への絶対信である。これは五井先生を一生懸命よびつづけることによって、生まれて来
たものなのである。
25
私も知らないうちに楽天的になっていた。私に出来ることであれば、誰にでも出来ることで
ある。私はそう思っている。だからあなたも自分の運命を信ずることによって、取越苦労、心
とも
配性を一掃し、神と倶に生きる大楽天家になって頂きたい、と切に望む次第である。
26
四、全託


ω
白光の教えは借り物ではない。お釈迦さまとかキリストとか、他の宗祖の言葉や悟りを寄せ
集めてきたものとは違う。
かくとく
白光の教えは、五井先生が己れの身心のすべてを投げ出し、捧げつくして覚得されたもので
じか
ある。いうなれば神さまとの頑取引きである。中間業者を介さず、産地の製品をそのまま我々
に与えてくれるものである。だから新鮮で生きがよいのである。だから、我々の命は生き生き
とし、魂はよみがえり、本心が目覚めるのである。
五井先生の中で神さまが生きている、神さまの中で五井先生が息づいている。そのお言葉や
a7
ペンでしるされた文字が、光となり、命となって、我々に入ってくるのは当然だ。自然、我々
の信仰も生きているし、我々の中に生きた神さまを見出せるようになるのである。
このようになれるのは、勿論、五井先生の道開きがム
` oったからだ。それは命をかけての大事
業であったことを、我々は忘れてはならない。
五井先生はどのようにして道をきり開かれたのか。よく先生は「私は全託の名人だよ」とお
っしゃるが、神への全託ということによって、先生は成しとげられたのである。
五井先生著「純朴の心」に”聖者方の話” が収められている。これが白光誌に発表された時
のことだ。埋事全員が朝のご挨拶に伺ったら、先生のほうからお話が出た。
「今月のこ法話いいでしょ」
「面白いですねエ」
感にたえぬように瀬木理事長がお答えした。
「そうでし.”う。うちのおばちゃん(奥さまのこと) も一気に読んでしまった、といってま23
全託
したよ」
えんのぎようじや
「役行老も洗礼のヨハネも、すごい意志力の持ち主なんですねエ。先生はそうした意志力
をお持ちですねエ」
理事長の感想に先生はこう答えられた。
「そうねエ、私のは意志力が強いというのかなア… … 私の特長はネ、全託ということです。
全部まかせてあるから、意志力が必要な時には意志力が出、愛が必要な時には愛がスッと出て
くるんですよ」
なるほどな、無限供給というか、泉のように必要なものが湧き出てくる全託の心境というも
のは、すごいものだな、と私は改めて感じ入って聞いた。

「宗教問答」で、どうしたら全託の心になれるか、という質問に、五井先生は三力条の信を
あげて答えていらっしゃる。
29
の神は愛であること。
⇔ すぺて神さまによって生かされている命であること。
⇔ 誰も彼も神が必要とされている存在で、みな天命、神より与えられた使命をもって生ま
れてきていること。
この三つの原理を信じて、現在その人の置かれている立場で、一心に神を想いながら、その
仕事を励んでいけぽよい、とおっしゃっている。
宇宙の中心は愛であるから、まず神は愛であることを信じなさい、とおっしゃる。人闘は神
の分れであり、神の子である。神は人間の親であり、個々の人間の統合体である。生命の源で
ある。
人間の親であっても、子供のことを思わない親などというものはない。ましてや生命の源で
ある神が、子たる人間一人一人の平安、喜び、調和を思わないわけがない。人間の親以上に神
さまは思っているのである。
30


子を持って知る親の恩、という言葉があるけれど、子供を持ってみて、はじめて真実に親の
愛情の有難さがわかる。親がどうして子供のことを悪く考えるだろうか。子供の欠点や悪事は
かば
自分の身にかえて庇おうとするものだ。まして神さまにおいてをや。
これが信じられなければ人間は永久に救われまい。安心立命は出来ないことになる。
そこで五井先生が「宗教とは、神と人聞との関係を説き、明らかにする道である」とおっし
ゃるわけである。神さま観が間違ったり、ずれたりしていると、神さまに全託も出来ないし、
一体ともなり得ないのである。
もしあなたの意識の中に、神が愛であること、親であることを認めたくない、否定する想い
があったならば、それは過去世において、神さまを間違って考えた宗教信仰のカスであり、想
いの癖であるから、ああこれこそ消えてゆくのだ、自分では取りのぞくことが出来ませんので、
どうか守護霊さん守護神さんよろしくお願いします、といって、世界平和の祈りをすることで
ある。31
世界平和の祈りに働く大光明が、そのカスをきれいに洗い浄めて下さる。だから、私たちは
何回も何回も祈ることだ。
神を敬うことはよいが、人間の悪を審くエンマ大王のように、神さまを恐れることは間違い
だ。親しみをこめて神さまを呼び、助けを求めて祈ればよいのである。
恐怖の想い、不安の想い、罪意識はすべて神と人間との関係を、間違って考えたことから起
っている。私たちはこの過去世のカス、癖を徹底的に洗い流してゆこう。日々瞬々刻々の祈り
で洗い浄めて頂こう。

殆んどの人間が、生きていながら”生命” ということを、あまり思っていない。生かされて
いながら、生かされていることを自覚していない。ぼんやりと生き、暮している人が多い。そ
れでいつの間にか年をとり、他界へ移行してしまうということは、まことに残念である。
母親の胎内にいる時は、血液の循環で生きていたのが、胎外に出たとたんに肺呼吸に変わる。
32


実にみごとに、パッとすべての仕組が変化するのである。感嘆の外はない。呼吸というのは、
生命保持というのは、自分などという意識以前にすでにあったのである。食べること、消化す
ること、摂取し排せつする、すべてそうである。
意識以前にすでに生き、生かされていた己れの生命の働き、それを認める度合が深くなれぽ
なるほど、生命の不可思議さに打たれ、その生命エネルギーへの信頼感、信託感がましてくる。
内からは生命エネルギーが生かそう生かそうと働きかけ、外からも空気や水や食物や人が、
生かそう生かそうと支えて下さっている。その上に、守護霊、守護神の絶えざるお導きがある。
こう認識することは、そのまま感謝の気持になり、全託の心になってゆく。
五井先生はひたすらにひたすらに、神さまを想いつづけ、呼びかけつづけた。
〃どうか神さま、私のいのちを社会人類のためにお使い下さい。日本の平和のためにお使い
下さい” と。
そしてある時、天の一角より声が降った。
33
“汝のいのちはもらった、覚悟はよいか/
” 五井先生は即座に、なんのためらいもなくクハ
イどうぞ” と答えた。一瞬、先生の体はすくみ、硬直したという。
五井昌久という個人の生命はその時、天に召し上げられてしまったのである。天にもらわれ
てしまって、小我の五井昌久はその時以来、なくなってしまったのである。
咄嵯に、サッと投げ出せたということ。これが素晴しかったのである。
大凡そは、いや私には妻子がいます、とか、やり残した仕事があります、とか、二の足を踏
んでしまうもので山` oる。
全託というのは無条件なのである。神さまへの全面降伏なのである。条件をつけてしまった
ら、自分の都合を出してしまったら、それは完全なる全託にはならない。
いつか五井先生は「食べることもまかせた」とおっしゃったことがあった。すべて神さまま
かせになるのだから、そうなるとは思うのだが、その時、その何気ない五井先生のお言葉に、
何故か、私は背筋が寒くなるような凄まじさを感じたのである。
JY


人間は、腹がすけば物を食べるし、喉がかわけば水をのむ。自分自らがそうしなければ自分
は死ぬし、肉体は生きてゆかれない。食べることもまかせた、ということは、建康で、思うが
ままに動ける身体と、思考の自由さを持ちながら、それを捨てる、ということでみ`oる。肉体を
捨てるということ、つまり生命を捨てるということなのだ、と思わされたわけである。
全託というものを、甘ちょろく考えていた私の頭を、ガーンと一発打ちのめしたような鉄槌
のお言葉だった。

私たちは五井先生の捨身の行為、全託があったからこそ、今日こうして安心して生きておら
れるのであるし、先生の敷いて下さったレールの上を、なんの不安もなく前進してゆけるので
ある。余計なことを考えず、感謝してその道にのっていればよいのだ。
“さあ苦しかったら、辛かったら私を想いなさい。私がすべて取ってあげよう。遠慮なく私
を呼びなさい”
35
よく五井先生はおっしゃっていた。今も、神界からそう呼びかけて下さっている。そして闇
を光と交換し、悲しみの代りに喜びを、不安の代りに平安を、苦しみの代りに光を与えて下さ
るのである。だから、私たちは究極的には、五井先生がいらっしゃるから大丈夫、五井先生!
とすがって、足らざるところをカバーして頂き、助けて頂いているわけである。
しかし考えてみると、これは実に容易ならざることで、人はたった一人の人の想いを受けて
も、懸想されても、病気になったり、精神が参ってしまったりして、果ては死んでしまうこと
がしばしばある。そうしたことを百も承知で、なおかつ、サァ、とおっしゃることは、余程の
慈愛と自信がなければ出来ることではない。
五井先生にはいわゆる自信などというものはない。それこそすべてを神さまに捧げつくされ
じねんほうに
てしまった。アッケラカンとした自然さがあるだけである。だから五井先生は”自然法爾” と
いう言葉がお好きだった。よく色紙に揮毫なさったものである。
自然法爾ということは、神仏のみ心のそのまま、ひとりで、無為にしてなす、という状態で36


ある。神のみ心そのままということは、自己というものが神さまのみ心の中に全部投入されて
いることであり、神さまと自己とが離れて存在している、別のものだ、というものが全くなく
なっている姿である。自己というものが、神さまのみ心の一つの現れとして、ハッキリ存在す
るということになるのである。それがとりもなおさず、全託の姿であるのだ。
あまりにも先生のお姿が自然で、無雑作であるため、なさっている内容のすごさがわからな
いことが多い。多いという表現では正確ではない。ほとんどわからない、という表現のほうが
正しい。
たとえぽの話、家や土地のお浄めを頼まれると、先生は気軽に出かけていって、簡単にポン
ポンと柏手を打っておしまい。いざ自分が頼まれた場合、形は真似られても、その内容は真似
られるべくもない。冷汗を流し、懸命に先生の助けを呼び求めながら、柏手を打ち、祈る始末
である。
自ら道を開いた先駆者の、生命をかけた生き方の壮烈さは、開かれた道をそのまま素直に信
37
じて、歩んでゆけばいい人々にはわからない部分が多いものである。しかしわからなくてもよ
いのだと思う。無珊にわかろうとする必要もないと思う。ただ素直に、いわれた通りに進んで
ゆけば、そのうちにわかってくるものはわかってくるのだから。
道を開いて下さった五井先生の足跡を、私たちはただ踏んでゆけばいいのだ。
五井先生を思うと.吠が出る。胸がキュッとなって涙が出る。涙をぬぐい、なお先生をお呼び
していると、一つの世界に入るようだ。頭の中がシンシンと鳴って、澄明な世界に入る。けれ
どやはり涙が濫れて止説ゼ俳ない。
その時、五井先生のお言葉が心の中に甦えって来た。
「ともかく、一番いいことは、神さまに全託し切ってしまうことよ。天命がある以上は生き
るのだし、天命がなくなったら肉体界を去るのだ。それだけだ。だからそう思いこむことよ一

五、実直さ
実直さ
実直という心の在り方は、五井先生の特長であった。実直とは忠実で、正直なことである9
では一体、何に忠実であったかというと、自己の本心に対して忠実であった、ということであ
る。そして何に正直であったかというと、自己の本心に対して正直であったのである。
本心に忠実とは、本心から少しもはなれることなく、本心のあるところ自己もある、という
ことである。外界がいかに動揺していようと、自己の本心に忠実なる人の心は、常に平安であ
り、波,紋一つたてない。不動心である。
本心に正直とは、本心を自己の想いで覆いかくさないということ。神さまの前にいつも裸で、
それでいてなんのやましさがない、ということである。そうなると、もし本心に少しでもはず
§9
れることがあれば、すみません、間違っていました、と直ちに木心に立ちかえる復元力がある。
しかしわれわれの心はのびきったゴムひもの如く、弾力性がなくなり、なかなか元に戻って
くれない。本心につねに忠実でありたい、正直でありたい、と熱望していながら、自己保存の
本能によって、肉体の自分と、そこから生まれてくる想いによって、なんとかごまかそうとす
るし、忠実であることを窮屈に感じてくるのである。
自分の心(想いも含めた) を正直にみつめれば見つめるほど、自分が神さま、本心に忠実で
ないことが、いやというほどハッキリしてくる。その結果、自己嫌悪に陥り、自己を責め裁く
タノわべ
か、或いは自分をごまかして上辺をとりつくろい、ますます神さまから遠ざかってしまう。
そうした想いの動きを五井先生はよくご存知で、これでは人間は救われない、と”消えてゆ
く姿” という教えを私たちに教えて下さったのである。
人悶の真実の姿と、現実の状態、そのどちらもいつわらずごらんになって、現実の感情の在
り方を無理にねじ曲げることなく、そのまま神のみ心、真実の姿の中に入れる真理の言葉、方
44
実直さ
法をお示し下さったわけなのである。それが消えてゆく姿という教えなのである。これは大き
な大きな愛と赦しの言葉である。
教えとしてこのように現われたわけであるが、先生の日常の生活の中では、それがどう現わ
れていたか、その一つを挙げてみよう。
宇宙子科学の研究会が毎週一回開かれるようになってから、二十数年たつ。ある時から、メ
ソバーは英語を勉強し、英語でもって研究会の時間内は話すように、と命じられた。五井先生は
みすま
そうしなくてよかったのだが、次回から先生は襖をあけて研究会に出ていらっしゃる時Ωoo”
¢〈oコぼσq噂o<Φ蔓ぴoα団●寓o≦ 霞① 鴇o⊆囎グッド・イブニング。エブリ.ボディハウ.アー9
ユウと挨拶された。その次の会もその次も。
ほこ
メンバーは英語のみ、という命令がいつの間にか反古になって、メン。バーが英語を話すこと
を止めても、先生のグッド・イブニング・エブリボディハゥ・アー・ユーはつづけられたの
である。お体の工合が悪くて出席出来なくなる時まで、この英語のご挨拶を欠かされなかった。
41
ああ先生はやるなア、と思ったものである。
神さまがこうやりなさい、といわれたことは、
が万事、先生はそうであった。,
些細なことも忠実になさったのである。一事
43
六、用心深さ
用心深さ
「用心するにこしたことはない一ということを五井先生から教えられた。
たとえば、飲みおきの茶碗がテーブルの端にあると、手を動かす時に、万が一ふれてお茶を
こぼすといけないから、と先生は茶碗をテーブルの真中に必ずおかれた。
匁物がむき出しでおいてあれば、ちゃんとサヤにおさめ、危険でないところにおかれる。
雨が降りそうなお天気だと、必ずゴム長をはき、傘をお持ちになった。
「傘を持ち、ゴム長をはいて出ていれば、雨が降った時、家の人がよけいな心配をしなくて
すむだろう。〉、れにぬれなくていいものね」
と説明して下さったことがある。43
家を留守にする時は、私たちに「ガスを消してある`2・電気は? 鍵はちゃんとかけたか?
忘れていない? 」とたしかめるように注意なさる。
神さまに守られているのだから、鍵などかけなくても大丈夫、という人には「あなた個人は
それでいいかもしれないが、一緒に住んでいる人のことを考えなさい。全託というのは、人事
を尽して、人間智の及ぼない時に、はじめて神さまにおまかせするのです。人間が努力も何も
しないで、神さまが守ってくれるから… … と安易に考えるのは、本当の信仰ではありません。
それでは進歩はありません」とおっしゃったことがある。
なんの努力もはらわないで、神さまがうまくやって下さいますよ、という人を五井先生は大
変きらわれた。
また、たとえば「事故に会う因縁を持っている人は事故に会うのだ」とすましている人がい
ると「細心の注意を怠らずにはらっていれば、人間的努力で事故に会わなくたってすむのだ」
とおっしゃり、特に子供たちへの注意を払うように親たちに喚起していらっしゃった。子供を
44
用心深さ
親の不注意で怪我をさせようなものなら、先生はすごい雷をおとされたものである。
因縁という言葉を使って、自分の怠惰、不注意をカバーする自己弁解を先生は大変きらわれ
た。
こんなことがあった。夏のこと、私は地方へ出講することになり、上着を着て出かけた。座
談会も終り、汗もかいたので上着を手にもって帰路についた。ふっと気がついたら、内ポケッ
トに入れておいた財布がない。アッしまった! ボタンをかけ忘れたので財布が落ちてしまっ
たのだ、と気づいても後の祭。さがしてもらっても財布は出て来なかった。
馬鹿なことに、私はこれを二回もやってしまったのだ。二回目の時、五井先生がポケット
にお財布をしまわれると、必ずボタンをかけていらっしゃったことを思い出した。ああ私はう
かつだった、これこそ見習わねば、とそれから内ポケットにお財布を入れる時は、必ずボタン
をかけることにした。
こんな些細な注意によって、お金をなくすという因縁の現れを、それ以来、私は防いでもら
45
つている。
交差点を渡る時にも、先生は信号が青から黄色に変わりかける時、あわてて渡るということ
はなさらなかった。そういう時には、次の青信号までゆっくりと待ち、左右を見て、そして渡
つてゆかれたものである。
「小さなことは肉体人間にまかされているのだから、うるさいほど細かく心を配り、大事は
すでに決められているのだから、騒がず、ゆうゆうとしているのだ」ということを先生がおっ
しゃったことを思い出す。
46
七、生あるものを愛せよ
生あるものを愛せよ

せつしよう
五井先生は殺生を大変きらわれた。魚釣りや猟(鉄砲、網、わな等) というものを、生活の
糧にしている以外の人が、遊びですることなど、もってのほかとおっしゃっていた。
ありか
夏になると、蟻や蚊が出てくる。先生は地面の上を元りまわっている蟻を踏まないように、
実に注意して歩かれていた。万が一、靴の下敷になってしまった時には「あっごめんなさい、
ナムアミダブツ」とおっしゃっていた。
蚊でも叩くのではなく、ふわりと追い払うようになさっていた。
フランスの詩人、フランシス.ジ画、ムは”ろば” を主人公にした詩を数篇発表している。五
47
井先生にそれを教えられて、私ははじめてその詩にふれることが出来た。やさしい詩人のここ
ろがろぽの眼に反映されているようだった。五井先生は”ろば” の詩が好きだ、とおっしゃっ
ていた。
わたしはろ馬を愛します
何故というに
彼等は静かに頭を下げ
人の慈愛にすがるように
おとなしく
小さな両足を組み合せるからです
こんなことがあった。
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生あるものを愛せよ
ある時、先生のおうちの天井に、ねずみが巣をつくり、子供を生んだ。夜になるとチュウチ
ユウガタガタ天井を走りまわるのであった。すると飼犬のリリーがそのあとを追いかけて、ワ
ソワン吠える。天井と畳の上と両方で騒がれるので、先生は困ってしまった。
そこでねずみに頼んだそうな。
「ねずみさんく、お前さんたちがあまり騒ぐと、お前さんたちを殺さなくてはならなくな
るよ。お前さんたちを殺したくはないから、お前さんたちの一番いい、そして人の迷惑になら
ない処へいっておくれ」
するとその晩から、音が全くしなくなった。どこかへ行ってしまったのであろう。やれやれ
と思ったのも束の間、今度は納戸でチュウチュウはじめた。そこで先生はまたネズ、、・たちと話
し合った。ネズミはその晩からピタリと騒がなくなった。納戸にいってみると、糞まできれい
に片づけてあって、一つも見られなかった。
「ネズミさん、有難うよ」これで先生は静かな夜を過されることが出来たのだが、数日する
49
と、便所の天井で、ガサコソ、チュウチュウする。ここならそんなに迷惑しないだろうと、ネ
ズミ頭で考えて、納戸から便所に移住したのであろう。
「ヤレヤレ、便所まで来たのだから、ここもいけないと追いはらうわけにはいかないよ、か
わいそうで」と先生はおっしゃって、ネズミたちがそこに住むことをお認めになった。
「何もいたずらや、悪さをしようと思って、ネズミはガリガリかじるわけじゃない、歯のた
めだし、あんなかわいい目をしているのに、人に憎まれ、いやがられるなんて、ネズミも損な
役回りだネ」
先生はそうおっしゃり、私をみて、ニコリとされた。

本部聖ケ丘道場の庭を下駄をはいて、散歩なさっておられた頃、五井先生は正面玄関わきの
池によられ、鯉に餌を与えられたものである。
さまざまに色どられた鯉たちが、口を一せいにあけて、サーッと集ってくると、先生は餌を50
生あるものを愛せよ
投げ与えながら、”かわいいねエ、かわいいねエ” とおっしゃり、手をかざしておられた。光
を送っていらっしゃるのである。”鯉がよろこんでいるよ” とニコニコされていたが、先生の
ほうがもっと嬉しそうだった。
花に手をかざせば、花の精がよろこんで挨拶をかえすとおっしゃる。松が枯れそうだ、とお
聞きになると、急いでそこに歩を運ばれ、お浄めして下さる。それで松が息を吹きかえしたこ
とがある。
おんじゆく
千葉県御宿町にいらっしゃった時のこと、草深い道をわけて進んでゆくと、一匹の蛇が現わ
れた。お供についていった女性たちがそれを見て、キ諏、! キャー騒いだ。案内していた池沢賢
五氏が気をきかして、棒で蛇を道のはじっこに押しやった。
すると先生が、たしなめられた。
「そんなことをしち知、だめだよ。蛇が行きたいように行かせてあげなさい」
池沢氏は全く恐縮してしまった。生き物の自由を尊重された先生のお心に、今更ながら頭が
51
下がり、いつまでも印象深く心に残っていると、池沢氏は語ってくれた。
毛虫という生物を好きだ、という人はあまりいない。毛が生えた奇怪な体が嫌がられて”毛
虫のような嫌な奴” とか”毛虫のように嫌われる” という表現にもなる。別に毛虫が悪いわけ
ではない。ただ人間側が勝手にそう思っているだけだ。毛虫にとっては迷惑というものである。
ある日、先生のお宅の松の木に、この毛虫がびっしりとついて、危うく松が枯れそうになっ
た。お宅のお世話をしている非戸保彦氏が、これでは松が可哀そうだ、と毛虫を片っ端からつ
まんで地に捨て、足でふんづけて殺していた。
ご帰宅になった先生が、井戸氏に小言をいわれた。つまり「君はどんな気持で毛虫をふみつ
ぶしていたのか?」ということである。憎らしい、こん畜生、と思って彼はふんづけていたの
だろう。そんな場合でも「毛虫さん、ごめんなさい。あなたの天命が完うされますように、と
祈ってしなさい。何も毛虫が悪いわけではないのだから」というわけである。
井戸氏は全く恐れ入って、それ以後、万やむを得ず虫を殺す場合には、お祈りを忘れない。
52
生あるものを愛せよ
そうした五井先生の日頃のお言葉をきいている私たちは、雑草をぬくときも「雑草さんごめ
んなさい、あなたの天命が完うされますように」と祈る。また木をきったり、枝をはらったり、
移動させる時も、「ごめんね、あなたの天命が完うされますように」とよくお祈りしてからし
ている。そうしないと、木の生命にも、草の生命にも申訳けないと思うのである。
生あるものはみな生かされている。自然、大生命は、人問に嫌われているものも、好かれる
ものも平等に生かしておられる。人間のご都合主義で殺したり、傷つけたりしたら、生命の親
である大生命への反逆になる。しかし現実は、肉体人間は他の生命の犠牲なくしては生きてい
かれない。この矛盾のようなものをどう解決したらよいか。
先生は「失望のない人生」の中に、次のように書いておられる。
「毛虫には毛虫の生かさるべき天命があるに違いない。毛虫ばかりではない。蟻でも蚊でも、
人類にとって不都合なすべての生物や事件事柄も、すべて神のみ心が真直ぐにこの地球界に現
われて、この世が神の世となるための、「つの現れであるのだ。だから、すべてを神のみ心を
a3
離れていた人類の過去世から誤った想念行為の消えてゆく姿として、消えてゆくに従って、す
べてが真実調和した世界になってゆくのだ、と私は説いているのである。
そこで私たちは、すべての生物の天命の完うされることを祈り、すべての不調和、不合理が一
日も早く消え去り、真実の神の世が実現するように、と祈りつづけることが必要なのである」
祈りの生活以外に、この世の矛盾を解決する方法はあり得ない、と信じ、私たちは日頃実行
しているのである。
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八、笑顔


私がはじめて五井先生にお会いしたのは、十八才の初夏の頃であった。
横関実さんに連れられて、市川市内の春日さんのお宅に伺った。
「五井先生という素晴しい先生がいらっしゃるから、いってみませんか」
というのが誘いの言葉だった。
素晴しい、といってどんなことが素晴しいのか、尋ねてもみようと思わなかったし、教えて
もくれなかった。会えばわかる、と横関さんは思われたのであろう。
春日さん宅の階段をトントンと昇ると、横関さんが「高橋さんといいます」といって、紹介
して下さった。
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五井先生は、丸ぶちの目鏡をかけ、鼻の下に黒々としたひげを生やしておられた。
「あ玉よく来ましたねエ」
とニッコリ笑われた。その笑顔がなんともいえず、私はそれだけで五井先生が好きになって
しまった。
先生は何も説教めいたことをおっしゃらなかった。ポンポソポソとお浄めして下さり、横関
うま
さんは病気を治すのが上手いから、よくやってもらいなさい、といわれ、帰りぎわに
「君の守護霊さんは六十才ぐらいでなくなったお婆さん」とおっしゃったのみだった。
守護霊などというのは初めて耳にする言葉であった。たごポカンとして聞いていた。が印象
には深く残っていた。けれどそんなことはどうでもよかったのである。
ニッコリと笑われたその笑顔が、私の人生を変えてしまったのだから。
常滑市の船井夫人は、二十年前にはじめて先生にお会いした。国電市川駅の改札口を出たと
たんであった。その時の模様をお手紙の中でこう書いていらっしゃる。
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「改札口を出たとたん、そこに五井先生がニコニコの、あの魅力そのもののこ慈愛の目で
“お早よう
” とおっしゃって”よくいらっしゃいました” と勿体ないお言葉をおかけ下さり、
もうなんといって現わしていいやら、余りの嬉しさに、ドギマギしておりました。百万ドルの
笑顔を、今も目の前に思い出し、昨日のように懐しくく… … 」
夫人もやはり、先生の笑顔の印象が強く意識に焼きついて、消えていない。
仏教には昔から「無財の七施」という教えがある。
七施とは何かというと、p
わげんせ
和顔施(常にニコニコ笑顔で対する)
げんせ
眼施(慈しみの目で人を見る)
げんじ
言辞施(優しい明るい言葉をかける)
しんせ
身施(体でする)
しんせ
心施(心づかい気づかい思いやり)
57
しようざ
躰座施(席を人にゆずること)
ぽうしや
房舎施(旅人や巡礼に家を提供して宿泊させること)
の七つである。
五井先生は、まず私たちにこの和顔施と眼施をして下さったのである。その布施行によって、
私たちの心は喜び、魂はふるえたのであった。
願わくぼ、私たちも五井先生のように、こぼれるような、素晴しい笑顔を咲かすことが出来
ますように1 和顔施の出来る人間になれますようにー
58
九、信
.o.
‘己・
あの五井先生が、しばしば狂人の一歩手前、悶死の一歩手前まで追いつめられたという、き
びしい霊修行に耐え、ついに神我一体になり得た原動力として、安心感と信念との二つをあげ
られている。
安心感とは、霊修行の最初に、自分の背後に弟さんと親友が霊人として、ハッキリいるとい
あか
う証しを得ていたということである。
信念とは、一つはギリギリいっぽいに追いつめられて、自分の心の中には、人を愛し、国を

愛し、人類の大調和を願う想いよりなかった、という自己を信じるこころである。
むげ
信 二つは、神さまにささげつくしてしまった命を神さまが無下にされるはずはない、という神59
の愛を信ずる確信である。
もし自己の中に、自我欲望で霊力、神秘力を欲する想いがあったら、霊覚者にはなり得なか
っただろうーと五井先生は述懐されている。そして自我欲望の放棄いかんが、その霊魂の位
いの高低を決定するからだ、とおっしゃっている。
自分を偉くみせたい、人に優越してみたい、つまり威張りたい、崇められたい、立てられた
いという欲望、地位を持ちたいとか、金を儲けたいとかいう欲望で、霊能を得る修行をしたと
するならぽ、それと同じような欲望をもった、幽界の生物たちと波長が合って、愚依されてし
まうからである。自我欲望という低い想念をつけたままでは、神霊界には昇り得ない。何故な
らば波長がまるで違うから、合わないのである。
五井先生が霊修行の最中、よくこういう霊側からの囁きがあったという。
「あなたは地上唯一の菩薩だ。釈迦もキリストもなし得なかったことをする大菩薩である」
それに対して先生は、
60


「小菩薩であろうと、大菩薩であろうと、私にはどっちでもよいことで、関係ありません。
ただ私は神のみ心を実行するのみです」
と答えて、霊の言葉にはのらなかったのである。
低級になる霊ほどよく”われは○ ○ ○ の神であるぞ” とかクわれは○ ○ 如来なり” と名乗っ
て出てくるものなのだそうだ。そして実にまことしやかなことを宣託するそうである。
それにのってあxオレは、なんて思ったら、忽ち低級霊魂のいい餌食にされ、おもちゃにさ
れて、あげくの果に、精神も体もめちゃくちゃにされ、使い古された草履のようにポイッと捨
てられてかえりみられない。よくいう行者の野垂れ死、という目に会ってしまうのである。
己れの本心を常に見つめ、本心を曇らせるものがあったら、どんな些細なものでも、世界平
和の祈りの大光明の中に投げ入れて、浄め尽して頂くことが大事である。
そうしていると、信念がついてくる。
自己の運命を信ずる力が強くなってくる。61
信念とは神を信ずる力である。
自己の本体の力、神の分霊としての力、
この力を是非傲いたいものである。
分生命としての力を信ずることである。
62
一〇、感謝


五井先生の修行は、何も思ってはいけない、というものだった。けれど”神さま有難うござ
います” だけは許されたという。
生長の家にいる時も、先生の祈りは”神さま、神さま、有難うございます” だけであった。
長々しい神想観の言葉があるが、神想観の間中も、ただ”神さま有難うございます” だけだっ
た。
この感謝の言葉がいっぱい先生の中につまってしまったのである。ラッシュアワーで大混雑
の電車にやっと乗った瞬間、カツソと足を蹴とばされた。それもあろうに腫れ物が出来たその
所を蹴られたのだ。63
しかしその途端、口をついて出たのは”有難うございます” という言葉であった。
おかげで足の痛いのは、それっきりで直ってしまったそうである。
咄嵯に出る想い、咄嵯に出る言葉には、その人の日頃の想い、人柄が嘘いつわりもなく出る
ものである。
五井先生の場合、正真正銘、神への感謝であったのである。この想いは終生変わることはな
かった。ご帰神された年の正月「何か私たちにお言葉を下さい」と申上げると、先生は「たy
感謝あるのみ」と私たち理事に合掌していらっしゃった。
五井先生は道を歩きながらも、た父ボヤッと歩いていたことはない。大地を一歩一歩ふみし
あながら、有難うございます、と思っておられた。大地がなければ人間立っていられないでし
ょ、とおっしゃっていた。
風が吹けば風に感謝し、空をみれば晴れていても、曇っていても、雨が降っていても、有難
いな、と感謝されていた。太陽に、水に、空気に、天地に感謝しておられた。それも人にわか
64


らないようにしておられた。
「私は朝から晩まで、有難いな、有難いなという感謝一念で生きているんだよ」
とおっしゃっていた。
「聖ケ丘道場に入って来るでしょ、花に祈って入ってくるんですよ。花さん有難う、草さん
有難う、あxなんてみんな美しいんだろう、私を慰めてくれて有難う、と感謝して入ってくる。
お庭の手入れをして下さる方にも感謝して入ってくるんですよ」とおっしゃっていた。
雨降らぽ雨の心になりぬべし風吹かば風にとけて生くぺし
つねに〃有難うございます” という言葉と想いで、天地万物と交流されていたのが先生であ
り、天地一切に融けこまれていたのが先生である。
常日頃、朝の目覚めから、夜ねるまで、夢の中まで、感謝していられれば、どんなに素晴ら
しいことだろう。そうありたいものと願っている。
それはどんな百万言の理屈よりも尊い尊いものだ。65
66
一一、ひたすら
ひたすらに神を想ひて合はす掌のそれさへ消えてただに青空
「神と人間」序文に発表されている五井先生の短歌である。昭和二十一年秋の作品である。
昭和二十年夏、太平洋戦争敗戦を機に、先生の人生はガラリと変った。というより、はっき
りとしなかった人間愛、祖国愛、人類愛のエネルギーが、表面の形に現われ、ひたすらなる求
道生活へと先生を押し出したのである。
神さま神さまと心に唱え言のようにして神さまを呼びつづけ、病める人には手をかざす日々
をすごしていた。
「どうぞ私のいのちを神さまのご用にお使い下さい」
ひたすら
「どうぞ一日も早く私の天命をはっきりと現わしめ給え」
と祈りつづけた。
他のことは何も思わなかったという。
生活は日々貧しくなりながらも、いつも天を仰ぎ、青空を讃美し、神さまをひたすらに思い
つづけた。
いつこウ
浄土真宗では、一向専念南無阿弥陀仏、という。
しかんだざ
禅宗(曹洞系) では、只管打坐という。
卿轍ということも、一向ということも、同じ意味でひたすらということである。
ただそればかり、他のことは思わず、いちずに神さまを慕う、神さまを呼ぶ、それが若き日
の五井先生の日常であった。
その一点に、いのちを燃されたのである。
祈り一念、といえよう。祈り以外になんの想念もない、他のものがまざることなく、神をよ
67
ぶ祈りに、すべてのエネルギーを集中された。
歩いていても、坐っていても、立っていても、寝ていても、毎日毎時毎分、瞬々刻々に、神
さまどうぞわが天命を完うせしめ給え、と祈りつづけた。
そうしていると、合掌している手、体、自分というものが消えて、そこに澄みきった青空だ
けが現われて来るのだった。
その青空の中に、また飛びこんでいった。
キリスト教聖書に、次のように記されている。
「汝、心を尽し、精神を尽し、力を尽し、思いを尽して、主たる汝の神を愛すべし」
尽すというひびきの中には、すでに自己はない。
尽きるようにすることが尽すことである。尽きるとは使い果すということである。己れの持
てるもの、お金も物も体も、目に見えない想いも、精神も心も、己れすべてを使い果してしま
う、捧げてしまう。あとに自我などというカスが残るわけがない。
68
ひたすら
この真理の言葉通り、五井先生は、力を尽し、想いを尽し、精神を尽して神さまを愛したの
であった。
だから或る時「お前のいのちは神がもらった、覚悟はよいか」という雷の如き天声をきくや、
一瞬の躊躇もなく「ハイ」と答えられたのである。それ以来、個我の五井昌久はなくなってし
まった、と意識したのである。
しかしこれで終ったわけではない。これがまず第一歩だった。磨きをかけようとする神の御
手は、プログラムのままあちらこちらと先生を引き廻わされるのである。
きわ
引き廻わされ、いのちギリギリの際にいたっても、想うことは神さまばかり、只管祈りであ
り、一向専念神さまだった。
五井先生の一生は、一言でいえばひたすらに尽きると思う。ひたすらに神を愛し、ひたすら
に人々を愛し、地球を愛しつづけられて、この世の生涯を終られた。
そのひびきはなおわれわれの内に、なりひびき鳴りひびき、消えることはない。いや時とと囎
もにますく鮮烈にそして強さを増している。
?9
= 一、素直さと常識
素直さと常識
素直さ、という心の在り方は、信仰する者にとって、大変大事な要素の一つです。素直さが
なければ、己れの信仰を完成させることはむずかしいでありましょう。
五井先生も「老子講義」の中で次のようにおっしゃっています。
「相手が道に秀でた人であれば、その人の説を素直に聴聞する気になって、その説を聴聞し
ていれば、老子のいう、道を同じうすることになるわけであります。徳を同じうする、という
ことでも、その人の徳の高さを慕い敬う気持でその人に接していれば、その人はその気持を喜
んでくれて、その人を愛してくれるものなのです。
まじめ
私たちでも、真面目に話を聞いてくれる人をみると、自分と全く一つの道の人として、その
7↓
人を愛し、その人の存在することを喜びとするのです。…・-素直という心は、道を極めるため
には、得難い、大事な心なのであります。神様は素直な心の人を一番喜んで下さるものです」
五井先生の前に出ると、不思議と素直な心になれるのでした。先生からはお説教という型で

なく、先生の行ないから、神さまへの素直さ、ということをいろいろ教えていただきました。
その一つに「天と地をつなぐ者」にもお書きになっていることですが、まだ修行中のエピン
ードがあります。
「あなたも金がなくて困るだろうから、金を与える。これから浜松町駅で降りてその降りた
右側に四十ぐらいの女性が、宝くじを売っているから、その人から× × × ×番のくじを買いな
さい」
と背後の霊がいうので、浜松町駅にゆき、いわれた通りに歩を運ぶと、いわれた通りの年恰
好の女性がいて、宝くじを売っていた、そこでいわれた通りの番号のくじを買い求めた、とい
うことであります。

素直さと常識
その当時、五井先生のふところには、電車賃以外のお金は全くありませんでした。勤めを止
めて、病人の治療をしたり、お浄めしたりしていても、報酬としてお金は一銭も受けとらなか
ったからです。
いわれた通りの場所に、いわれた通りの人がいて、その番号のくじまであったのですから、
霊言が買えというからにはそのくじは必ず当るだろう、ぐらいはふつう思うところです。とζ
うが五井先生は、霊言のいう通りに動いたけれど、その手にはのらなかったというのです。た
くうくゑフ
だ”空・空” と熱心にとなえながら、浜松町にゆき、いわれた通りに素直に買ったのだ、とい
うのです。
一言の疑いもはさまなかったけれど、買ったことの結果をどうこう思わなかったわけです。
ただいわれた通り、すべて行ずるだけでよい、というこの素直さ、これは神さまの御心に合格
したのでした。
しかし、素直さというのは、全く無批判なのかというと、そうではありません。知性、判断73
力がちゃんと伴っているものなのです。
何が真理で、何が道からはずれているか、それを判断する力がなくなってしまいますと、狐
狸のたぐいにたやすくだまされてしまい、なんでも神と崇め、仏と見間違って、全く臭い、尊
大ぶった態度をとるようになり、心ある人を真実の宗教から遠ざけてしまう、という重大な過
ちを犯すことになります。
つねに天の心に照らしてみることだ、とよく先生はおっしゃいました。私たちの判断という
ものも、天の心を鏡の如くうつし出すものでなければなりません。

これも先生の修行中のことです。
まうくら
ある心霊研究の交霊会に出席された時のことです。交霊界というのは大がい真暗の中で行う
ことになっています。また例の霊言が、
「となりに坐っている女性は、お前の妻になる人だ。だから手を握ってもよい、手を握れ、
74
紫直さと常識
手を握れ」
というではありませんか。そればかりでなく、手をじりくと動かし始めたのでした。妻に
なる人かどうかわからない、見知らぬ女性の手を握るなどということは道に反する、と判断し、
霊言を斥け、執拗な霊側の誘いを自分の意志力でふりきり、手を元に戻したのでした。
実はこれは、霊側のテストでした。
結局、常識をはずれた、道に反した行い、言葉というのは、真実、神の言葉ではなく行いで
はない、と学んだ、と五井先生はおっしゃっています。
ということから、人に迷惑をかけ、人を傷つけ、人を恐怖させ不安がらせ、人を卑しめ、自
分を卑しめる行い、言葉であれば、それは天の心に反すると、判断してよいと私は知ったので
す。これは何も特別なことでなく、常識の範囲内のことかもしれません。常識を豊かに持つと
いうことも大切なことです。
或る時は知性も常識もかなぐり捨て、まっしぐらに突入していかなければならない、或る時
7疹
は洞察力をもって、冷静に判断しなけれぽならない。このかねあいというものは、常軌を逸し
やすい霊的訓練も含めて、修行のむずかしいところでありましょう。
が、最後にものをいうのは、その人の霊性の高さ、志の高さ、大きさ、清らかさ、愛の心の
深さにある、と私は思っています。
それと常識人であるということです。
私たちは世界平和の祈りの中にすべてを投げ入れて、神さまの大光明で一度すべてを洗い流
していただき、それを改めて頂き直す、という五井先生のお言葉の通りに実践していれぽ、澄▼
みとおった知性と素直さをあわせ持って、正しく道に則って生きてゆかれると私は信じていま
す。
76
=二、身近かな者への思いやり
身近かな者への思いやり
ω
新田道場の頃には、よくお宅までお迎えにゆき、ある時は電車にのり、ある時は線路ぎわの
道を歩いて、先生とご一緒に道場に通ったものである。
道場につくまで、いろいろと先生はお話し下さった。如是我聞はそうした時にお聞きしたお
言葉である。
いつの頃からか、私は生意気にも、先生の肉体をかばう気持がわいて来た。歩道を歩く時は、
私は車側に立って歩くことにした。線路ぎわの道の場合は、電車側に自分の身をおくように意
識した。
77
先生の左側に立って歩く道がしぽらくつづき、踏切りを横断すると、今度は右側に私は入れ
かわった。
すると、スイと先生が私の右側に移られる。しばらく歩いている内に、私が先生の右側に立
つと、すぐ先生はその位置を私の右側になさる。
あれ? どうしてかなと思った。
「うちのおぽちゃん(奥さまのこと)は左の耳が悪いんだよ、だから、いつの間にか、おば
ちゃんの右側を歩くことになれてしまったのでね、その逆に私の右側を歩かれると、ついおか
しくなってね… … 」
と先生がおっしゃった。ああそうか、とはじめて、そこで先生が私の右側でいつもお歩きに
なるわけがわかった。
何気ない奥さまへの思いやりが、習慣化してしまっていたのだった。
それからは、私はどこでも先生の左側に立って歩くことにした。
78
身近かな者への思いやり

豊修庵から一歩も出られなくなって、五井先生の朝と晩の電話の定期便が、奥さまにとって
は大きな慰めであった。また愛情の交流でもあった。
先生がご帰神なさる前日の八月十六日の晩も、ちゃんと先生は奥さまにお電話をおかけにな
っていた。十七日の朝も、そろそろお電話の時間ですよ、とそぼの者が申上げると、ハイよと
おっしゐ、ったという。
奥さまは定期便がかかるのを十七日朝も心まちにしていらっしゃったに違いない。しかし一
向にかかって来ないので、どうしたのかしら、と思っていたら、先生が急に亡くなられたとい
う電話。びっくりされて、うそでしょう、と思ってかけつけられたのだった。
奥さまに”お早よう〃も”ありがとう” もおっしゃらず、ご帰神なさってしまったのである。
先生はどこかご用でお出かけになり、呈修庵に帰ってくると、必ず、まず奥さまにお電話さ
れていた。今、〃帰ったところだよ、これからご飯をたべて帰るからね” というようなことを
79
おっしゃっている。
それが出かけて帰って来る度毎だから、ハッキリと印象に残っているのである。大正生れの
先生が、よくテレもせず、みんなの前で、と昭和生れの私が思ったものである。
先生の細かいお心づかいの現れである。これをたまたま見た明治生れの紳士が
“あれは真似ることが出来ない、素晴しいことだ

と何べんも感嘆して、私に話してくれたものである。
私も心がけようとしているが、なかなか出来ない。しかし最近は、若干見習って来て、出張
した時などは、用がなくても、必ず家内に電話をかけることにしている。それだけで家内は安
心するのである。

天気予報で、今日は雨が降ります、といったり、雨が降るかな、と思われるような天気の時、
先生は必ず、長靴をはき、傘をもって朝お出かけになった。
80
身近かな者への思いやり
その時、太陽が顔を出していても、そうなさった。
「いやね、こうしてレインコートをもち、長靴をはいて、傘を持って出れぽ、家のものも心
配しないですむでしょう。もし途中で雨になったら、長靴をはいてなかったら、ぬれやしない
かな、レイソコートをもっていかなけれぽ、洋服がぬれやしないかな、と心配するでしょう。
余計な心配をかけるから、私はこうした恰好をしてくるのさ」
というようなご説明をきいたことがある。それに影響されて、雨が降りそうな時は私も長靴、
傘を持って出かけることにした。
しわくちゃのレインコートを着て、長靴をはき、傘を持った姿で、五井先生とお宅の門の前
でとった写真が手許にある。
夕方、晴れ上った青空のもと、長靴をはき傘をもった、一人は背の低い、一人は背の高い二
人の紳士が歩いている図を、一寸想像してみて下さい。
ゆ81
夏だった。白っぽい着物を着て、お浄めをなさっていた。ヒ・イと立ちあがられた先生は、
足袋、それもタビックスのようなものをはいておられた。
「先生、そんなものをはいて、暑くありませんか」
「いや、暑くないよ。それより、座りつづけると、汗をかくでしょう。そうするとお尻のあ
たりが汚れるのよ。それでこんなものをはいているんだよ」
とおっしゃった。
たとえ、毎日、夏物の着物を洗うにしろ、洗ってくれる人に、少しでも負担がかからないよ
うに、というご配慮からだった。
タビのようなものをはいて、無恰好だから、よく暑いのにそんなもの、というようなお気持
は、サラサラなかったのである。
「私は人のことぽっかり思っている」
という如是我聞のお言葉をそのまま、自然に先生は行なっていらっしゃった。
82
身近かな者への思いやり

市川真間の川外から、新田の松雲閣に五井先生ご夫妻がお移りになって、松雲閣の横関さん
が先生方のお食事のご面倒をみることになった。
横関さんの奥さんが(私たちはメ! メー。ハア。ハアといっていた。眼鏡をかけたバアバアとい
う子供コトバである)
「先生、おかずは何が好きですか」とお尋ねすると、先生がおっし沿、った。
「メダマ焼きがいいですね」
正直なメーメーバァパァは、それから毎食毎食、メダマやきを出した。
「先生って、本当にメダマやきが好きなんですねエ」
と感心する人がいた。すると先生は頭をかきながら、
「いやネ、メダマ焼きがそんなに好きだというんじゃないんですよ。メダマ焼きならば簡単
だし、食器を洗うんでも、後片づけが簡単にすむだろう、と思ったからなんですよ。たまには
83
別のものが食べたいねエ」
とおっしゃったことぽが、人伝てにメーメーバア。ハアの耳に入った。
「先生、早くいって下さればいいのに。先生はメダマ焼き以外は召し上らないのかと思って、
他のものはこしらえちゃいけないんだと思ってました。ああそんなら助かった」
おぽあちゃんもホッとして、それからおばちゃんが毎食毎食、得意の腕をふるうことが出来
たし、先生もおいしい食事を食べられることになった。
これは思いやりがウラ目に出てしまった唯一の実例である。

ある日こんなことを先生は話して下さった。
「今日ね、もらい物ですけれどソーメンをお食べ下さいって、持って来た人がいたのね。そ
の人はもし私に、それは困るとか、それは嫌いだとかいわれやしまいかと思って、オズオズと
出したのですよ。
84
身近かな者への思、いやり
私にはその想いが手に取るようにわかっていたので”ありがとう、ソーメソは私の大好物で
すよクとすぐいってあげたら、その人はとても喜んでいたよ。
今日またね、ぶどう酒を持ってきてくれた人がいたけれど”有難うございます” と私は受け
取りましたよ。もし”私は飲みませんから、こんなものいりません、困ります” って私がいっ
たら、その人はがっかりするだろうし、断わられたことを気にやんで、心を痛めるだろうと思
うのだよ。だから私は有難くお受けしましたよ。
タバコをもって来る人があっても、私は有難うございます、といただくでしょう。私はタバ
コやお酒は嫌いだけれども。
私はね、慕って来る人にはその人の思う通りのことをしてあげようと思うのですよ。私はい
つも人のことぼかり考えているのね」
最後の独り言のようなお言葉に、私はハッとした。
「愛せよ、愛深くありなさい、といわれても、どうやったらいいのか、ち.nっと見当がつか
s5
ないだろうけれど、思いやり、といえばよくわかるでしょう。愛行の一番やさしい方法は『思
いやり』ということですよ。
それはネ、自分が疲れていようが、自分に工合が悪かろうが、相手の心を痛めたり、おびや
かしたりするようなことをしては、思いやり、つまり神さまの愛にもとるのだよ。自分が疲れ
ているとか、具合や都合が悪いということは、相手とはなんの関係がないものね。
愛というのは、自分がどうあろうと、人のことばかりを思いやってしまうことなのですよ。
たとえ、自分に悪をなそう、自分を傷つけ殺そうとする人の心さえも、傷つけ痛めたりしない
のだ。自分も他人も一体なのだからね」
何気なくお話をつづけられたそのお言葉に私は強く感動した。
けれど、私にそれが出来るだろうか。そのような思いやりが出来ない人をも、出来ないこと
は仕方がない、それは因縁の消えてゆく姿、と先生はごらんになり、
「その想いをそのまま世界平和の祈りの中に入れてしまいなさい。そうしているうちにあな
86
たは自ずから偽善的でない、真に愛深い人になれますよ。何故かといえば、世界平和の祈りは
神さまの大愛の心だからですよ」
と教えて下さる。
掛値なしの、てらいのない、思いやりのある人間でありたい、と私は強く願っている。
身近かな者への思いやり
87
b8
一四、人の良さ

五井先生と同じ町に住んでいたことから、毎朝、お宅にお出迎えにゆき、ご一緒に道場へ出
かけることにしていた。
お宅を出て、駅に近くなったところで、先生がふと気づいたようにおっしゃった。
「あN、本にのせる写真、今日いるんだったね。いつでも持ってゆけるように用意してある
んだ。取ってこよう」
「いえ、いいです明日でも」
といおうと思ったが、アッという間にきびすをかえし、先生は駆けだされた。だんだん足を早
人の良さ
められ、百メートル競走のように、体をこごめるようにして、猛スピードで駈けてゆかれた。
私はそのあとについて、同じように駈けながら、
「ひとこと、明日にしよう、とおっしゃればそれでもういいのに。あ工先生は人がいいなア、
全く無類だ」
としみじみ思った。
これも朝の出がけのこと、私がお迎えの呼鈴を押すと「おーい、すぐゆくよ」と家の中から
大声で、先生がお答えになる。そのお声を聞いて、何故だか、私はついニコニコとしてしまっ
たものである。
大きなお声で「オーソレミーオー」なんて歌われる時もあった。パタンと洋服ダンスの扉の
あく音がし、閉まる音がする。奥さまのお声も聞える。今、先生はネクタイを出してしめてい
らっしゃるな、と思いながら、門のところでお待ちしているのである。
時には「オーイ入っておいでよ」とおっしゃるので、庭を通って、日当りのいい縁側に坐り、
89
ご夫妻の何気ない朝の会話を聞きながら、お仕度の出来るまで待つこともあった。
黒のベレー帽をななめにかぶった先生の格好は、ピタリときまり、なかなかダンディだった。
私はよれくのコートを着て、五井先生と並んで歩く。
先生は五尺二寸(約一・六メートル)、私は五尺七寸(約一・七メートル)。この凸凹コソビ
の朝の出かけを、奥さまの眼が暖く送って下さったものである。
冬ともなれば午前八時半頃はまだ寒い。きびしさは手をきるようである。
道場につくと、毎朝、きまった人が二、三人お出迎えに出ていた。
「お早ようございます」
「お早ようございます。すぐに出かけますか? ではこの玄関でお浄めしてあげましょう」
とおっしゃって、先生は冷たい板の問に立ち、オーバーをぬぐ間もなく、お浄めがはじまる。
冷たい空気を細かくふるわせて、柏手が強く高くひびく。先生の掌や指はあかぎれのように
きれている。伴そうこうを貼っていらっしゃったのを見て、だから、いい音が出るんですね、
90
人の良さ
なんてヘンなところで感心している人がいたが、先生は嫌な顔を一つもされず、時間外だから
だめだ、というような冷たい態度もなさらない。一人一人を丁寧にお浄めされる。
「サアいってらっしゃい」
「有難うございました、ではいってまいります」
とかわす親しい挨拶をきき、見ていると、先生、信者の間柄ではなく、一家族の親と子同士
のようである。冬の寒さなど、その暖い雰囲気に、どこかへ吹きとんでしまうのだった。

五井先生から霊覚をとりのぞき、神さま事をぬきにして、ふつうわれわれと同じような人と
みても、先生は無類に人がよい。
この人のよさは生れつきのものであった。
大正十二年九月一日、東京はマグニチュード七・五という大地震に見舞われた。ちょうど昼
食時でもあったので、あちこちから火の手があがり、東京の下町は家がつぶされた上、あっと
91
いう間に大火事になった。そして多くの人が亡くなった大災害になったのである。五井先生は
小学校一年生だった。一家も焼け出され、上野の山に難を逃がれた。
学校では全国各地からの罹災者への見舞品が配給された。衣類が最も貴重な品であったが、
生徒全員に配給されるほどの量はなかった。そこで先生が「今着ているものの他に、着る衣類
のない者は手をあげよ」といった。ほとんど全貝が手をあげたが、昌久少年は手をあげなかっ
た。その時着ていたシャツの他に、田舎からもらった着物が一枚あるからというのが、その理
由だった。
自叙伝「天と地をつなぐ老」の中で、こうお書きになっている。
『その日は各学校で配給があったらしく、兄達は皆、衣類をもらって来ていた。
母は私が手ぶらで帰ったのを見て「お前のところでは着物の配給はなかったの」と聞く。
「あったけれども、僕の家には一枚あるからもらって来なかった」と配給の様子を話すと、
母は「あきれたねエこの子は、折角もらえたものを、惜しいことを、本当に馬鹿だね」と本当
92
人の良さ
にあきれ顔をして私をみつめた… … 』
このことは子供心にも、強烈なる印象となって残っていたらしく、先生は、ご法話にも引用
されていたし、よくお話し下さったほどである。
バカといわれるぐらいの、人のよさというものは、自分が不利益になっても、正直を通す、
自分をごまかすことが出来ない、という性質のものだと思う。自分のことは、あと廻わしとい
うことになるのであろう。

或る青年がはじめて月給をもらった。
「先生、これは私の感謝の気持です。どうぞ受取って下さい」
と千円を包んで、先生に恥ずかしそうに差し出した。今の千円と違って、昭和三十三年頃の
千円である。
「えっ、とんでもない。君からもらうなんて… … 」93
「いえ先生、どうぞ受取って下さい。それでないと、私の心がすみませんから」
青年は赤くした顔を、今にも泣き出しそうにしながら、逃げるようにお浄めの部屋から出て
ゆく。あわてて先生があとを追いかけ、
「じゃこうしよう、これは有難く頂くよ、そして改めてこれを君の就職祝いに差上げよう。
ね、いいだろう」
いそいで青年の上衣のポケットにお金包みを押しこまれた。
「よかった、よかった」とおっしゃりながら、青年と同じように顔を赤らめて、そんなに暑
くもないのに、パタパタとうちわをあおがれていた。

青年の頃である。
背広を一着、新調された。終戦後就職が決まった時かどうかはわからない。
ある日、上衣なしで帰宅された先生を見て、お母さんがどうしたのと聞かれても、忘れた、
94
人の良さ
とかなんとかいってハッキリ先生は答えない。
二日たっても、三日たっても新調の背広の上衣を着ないで、古い上衣を着て出てゆく先生を、
黙ってお母さんは見送っていた。
しかし、或る日、お母さんにさんざん問いつめられて、ついにわかってしまったことは次の
ようなことだった。
友人の家に寄った所、明日の米もない、ということがわかった。小さい子供もいるし、もう
みるにみかねて、よしこの新調の背広の上衣でお金を作って来なさいーということで、上衣
を渡した。その上衣はそのまま質屋へ直行。何がしかのお金に変り、友人の危機を救った、と
いうわけだった。
お母さんは訳がわかると、質札をもらって、質流れにならない前に、上衣を質屋さんから無
事受け出されたという。
95
96
一五、お客のお見送り
お宅へご用があって、門のインターホーソを押すと、「ハーイ、どなた?」というきれいな
奥さまの声がかえってくる。
「高橋です」と答えると、玄関の戸をあけ下駄の音がして、カチャカチャと鍵をあける音が
し、門がガラガラとあくと、そこに五井先生がいらっしゃった。
夏には、ゆかた姿の時もあった。ステテコ姿の時もあった。冬は羽織を召して、背を丸めて
出ていらっしゃる。
「寒かったろ、サアこたつに入りなさい」と招じ入れて下さる部屋には、掘ごたつがあり、
テレビがおいてある。ここで先生はご飯も召上るし、原稿もお書きになる。お隣りの部屋に机
お客のお見送り
もちゃんとあるのに、ここがいい、とおっしゃって、いつも原稿をひろげていらっしゃった、
とは奥さまのお話である。
なつかしき冬の座敷となりにけり客をこたつに招じ入れつつ
という先生のお歌を、そういう時は思い出す。
用がすんで門を出ると、すぐあとから先生はついて来られて「ご苦労さん」とおっしゃる。
おじぎをして露地を歩いて、ひょっとうしろをふりかえると、門をあけて、まだ先生が立っ
ていらっしゃった。あわてておじぎをして、足早やにそこを去ると、門のしめる音がかすかに
した。
客が門を出ていったからといって、すぐ門をしめ、鍵をチャラチャラとおかけにならなかっ
た。
空を見上るようなふりをされながら、私のうしろ姿を見送って下さった。
門を出て、すぐ戸をしめ、鍵をかけたら、お客さんはどう思うだろう。お前の長尻はごめん
9?
だ、やっと帰ってくれて、助かった、というように感じさせるだろう。
そうは感じさせないまでも、帰ったすぐあとで、まだ門の前に姿が見えるのに、戸をしめ、
鍵をかけられては、客人としてもよい気持がしない。
姿が見えなくなるまで見送るのも、ご馳走のうち、といわれたような気がする。
お客さんに気持よく帰ってもらい、こちらも気持よく送り出す。そうしたことを五井先生は
いつも心がけておられたようだ。
私のような身近かな者には「悪いけど、すぐ鍵をかけるよ」といちいち断って、鍵をかけて
いらっしゃった。
受話器のおき方と、門のしめ方、どちらも共通するものがある。
五井先生に傲って、私たち家族もそうしている。
帰ってゆくお客の背に、訪ねて来て下さった感謝と、その方の健康と無事平安を祈ってお見
送りすることにしている。
98
= ハ、電話
或る夜のこと、呈修庵に電話がかかってきた。
五井先生はすでにおやすみになっていたけれど、ベルの音に耳ざとく目をさまされた。
受話器をとると、一方的に、自分の悩みを話し出し、お浄めを求めたのだった。
苦しい息の下から、先生はジッと聞いておられたが、お浄めをされて「大丈夫だよ、応援し
てあげるよ」とお答えなさった。
相手は自分の用事がすむと、御礼のことばもそこそこに、電話を切った。

ガチャン、という音。
電思わず先生は、耳から受話器をはなした。99
そして、そっと受話器をおろされた。m
夜中に電話をかけてくるのも非常識なら、自分からかけて来て、自分から先に受話器をおろ
してしまうのも非常識。
そっとおろすのならまだしも、ガチャン、と音をたてておろす、その無神経さ。感謝の心も
あればこそである。
きっと病人だったのだろう。緊急事態と、自分で一方的に思いこんでいたのだろう。だから
仕方がないといえば仕方がないけれど、そのあくる朝、その電話のてんまつをそばの人に聞か
されて、私は自分自身、多いに反省させられた。と同時に、電話をかける際、電話を受けとる
際の、五井先生のご注意を思い出した。
「相手の顔が見えないのだから、ふだんよりも、もっとやさしく、明るく、丁寧に電話はか
けなさい」
「さようなら、とお話が終っても、相手が受話器をおろしたな、と確認するぐらいの余裕を


もって、受話器をおきなさい」
「受話器はやさしく、静かにおくんだよ。ガチャンと放り出すような、叩きつけるようなお
き方をしちゃいけないよ。相手は何かと思うよ。それまでの優しい慰めの言葉も、その音で帳
消しになってしまうからね」
「断りの電話をかける時は、受話器の向うの人に頭をさげるつもりで、特に語気はやわらか
く、突っけんどんに、冷たくならないように。相手の気持を充分考えてあげてね」
ねころがったり、自堕落な恰好をして、電話をかけたり、電話を受けたりは、自然出来ない9
目の前に、相手がいるつもりで、話かけ、話をきくようになる。
よく電話の前で、米つきバッタのように頭をさげている人をみるが、わらうべきことではな
い。それは自然なる気持の発露であろう。
相手によって、急に言葉が丁寧になったり、声の調子がぐっと冷たくなる人があるが、先生
のお電話の声は、いつも変らず明るかった。日によって、時によって、相手によって、声の調191
子が変っているということはなかった。
Q2

お電話をいただいたあとは、いつもさわやかさがあった。なつかしさがあった。嬉しさがあ
った。五井先生、という余韻が自分の心の中にただよっていたのである。
そんな電話をかけたり、受けたり出来たらいいなア、と思っている。
一七、大馬鹿者
大馬鹿者
「私は大馬鹿ものよ」
先生はこんな風におっしゃったことがある。
良寛さんが譲良寛といったり・法然さんが舞の法然房といったり、羅さんが舞親鸞
といったこととは、ちょっと違う感じである。
肉体人間というものは、どうにもならないもの、凡愚である、ということは、つねつね先生
より説き聞かされていた。その愚とはまた違った意味である。
この世の中のことは、つねに計算の上に成り立っている。自分が損をするとわかっているも
Q3
のには、全く手をつけない。いや手をつけられない。1
先生はあえて、損をする側をとったのである。04
1
「私を想いなさい、先生! と想いなさい」とおっしゃった。
利口な宗教家は、自分のことを想いなさい、などとはいわない。まず世間からのそしりを蒙
らないため。次に、想わせることによって、頼らせることによって、想念エネルギーがのべつ
幕なしに自身を襲ってくることを避けるため、自分が痛み苦しまないためである。
先生は想いの作用をよーくご存知だった。生きている者の想い、死んでいる者の想い、がそ
れぞれ人体の波動圏に及ぼす影響の大きさをつねに体験されていたからである。
一人あるいは二人の愚念作用だけでも、人は健康をおかされ病気になってしまう。「私を想
いなさい」と宣言をすれば、救い求めて寄ってくる者は無量になる。
よほどの実力と自信と菩薩心がなければ、出来るものではない。
また立派な宗教家といわれる人は、自分を想いなさい、などとはいわないと先生ご自身
がお話されたことがある。
大馬鹿者
自分を想わせず、イエスを想わせたり、観音様やお不動様を想わせたり、天照皇大神などを
想わせるものだ、とおっしゃっている。
しかし先生はそうはされなかった。責任を全部背負われたのである。つまり観音様やお不動
さんや、キリストやマリヤ様、はた又神々に責任をおしつけなかった。
ひどい宗教家になると、祈って効果がなければ、それは祈願した信徒本人のせいだと、信徒
に責任を押しつける。”お前の信仰が足りないから” “お前の祈り方が足りないからだ” そう
いって責任逃れをしている、と先生がおっしゃったことがある。
先生はすべて自分の責任と思われ、逃げなかった。自信つまりご自分に働く神の大愛と光明
とを全く信じきって一つになっていたからである。
私たちは”私を想いなさい” という言葉を頼りにして、五井先生を何があっても、何がなく
ても想った。そして救われていったのである。
分別ある者から見れば・全く・劣奪り方を敢てとったのは・大慈大悲の故である・姦仰塒
せずにはいられない。
↓Q6
一八、ご自分のテープに耳を傾ける
ご自分のテープに耳を傾ける
五井先生のお話は欠かさず録音し、保存出来るようになったのは、昭和三十七年ぐらいにな
ってからである。
録音状態が良好なテープは昭和三十九年以降になる。それまでは家庭用のテープコーダーと、
マイクロフォンを使っていたので、現在、聴きくらべると、大きな差があることはいなめない9
早口であるが、ハッキリとした歯切れのよい言葉、音質は明るいハイバリトソ。声楽家であ
った賜物からだろうか、息つぎが長い。だから一時間のお話でも、原稿に書き起してみると、
ふつうの人の二倍以上の内容があった。
いつの頃からか、統一会の翌日になると五井先生はご自分のお話をおききになるようになっ即
た。
椅子に座って、熱心に聴いていらっしゃる。鼻下のひげをこすったり、右手で鼻をクチュク
チュとさせたり、いろいろなしぐさをしながら聴いておられた。
たまたま同席していると、
「ああ、いいお話ですねエ、いいお話ですねエ」とおっしゃっているのが耳に入る。
「この消えてゆく姿、という教えを説いた人は、本当に頭がいい人だねエ」
お話しているのが、ご自分ではなく、他人のように聴いておられるようだった。
黙って聞いていると、思わず吹き出してしまうような、セリフをおっしゃることもあった。
「どこのどなたかは存じませんが、今、ここでお話なさっている方は素晴しいですね、いい
お話を聴かせて頂いて、有難うございます」
「この人は(お話している人はという意味) 肉体人間の想いも、神さまのみ心も、両方共に
よーく、まるっきりわかっている人だね」
↓93

ご自分のテープ6に耳を傾ける
先生は総入歯であった。口蓋が深く大きかった。だから、胸がぺちゃ、んこの割合いに、声が
よく出たんだ、と先生はご自身でおっしゃっていたが、晩年はこの入歯もガタガタになって来
た。お話最中も、入歯が落ちてこないように用心しているので、しゃべりづらくてしょうがな
い、と先生がもらされていたもので山6 0る。
そのため、早口も随分スピードが落ちて来た。
或る時、申上げたことがある。
「先生、地方のご老人が、先生のお話は早くてわからない。なんていって来てますが」
「へーエ、そう。じゃ今度はゆっくりしゃべろうね」
とおっしゃり、ゆっくりとしゃべる真似をされる。ところが壇上に起たれると、最初のうち
こそゆっくりとお話されておられるけれど、そのうちに以前のスピードに復活し、聴衆はそれ
にみなひきこまれてしまって、泣いたり、笑ったり; 魂はいつの間にか高い世界に昇らされ
ていた・鵬
私たちもよく、自分の話の録音テープを聴く。正直いって、自分の声にいやになってみたり、
息づかいが気になってみたり、話の内容の貧弱さに赤くなったりしている。「てにをは」の使
い方の目茶苦茶さ加減、起承転結がない、など反省するばっかりである。
早く五井先生のように、第三者の立場になっても「ああ有難うございました」と御礼が出来
るようなお話をしたいものである。
110
一九、相手をまたせない
相手をまたせない
五井先生の、いわゆる性格の一つに「律義さ」がある。これはお母さんよりゆずり受けたも
のだ、という。
約束は必ず守る。決った時間には絶対遅れない。
当り前といえば当り前かもしれない。しかし、これはなかく守れないものである。
五井会という財界の方々が、五井先生を囲んで懇談する月一回の会があった。そこで五井先
生のお話をきいたり、出席者の方々が先生を前にして、好き勝手にしゃべったりした会であっ
た。
市川の本部道場から、東京のその会場にお出かけになるわけだが、会揚には必ず十分前ぐら
111
いにお着きになるようにされていた。早い時は三十分前に到着することもあった。
勿論、五井先生が会場に一番のり、やがて次々と入って来られる方々に、にこやかにご挨拶
されていた。
一度も遅刻されたことはなかった。
これは根守むめ先生の談話であるが1
根守先生ご夫妻が昔、よく五井先生を音楽会におさそいしたことがある。電車で、本八幡か
ら有楽町へ出かけられたりしたのだが、本八幡駅に、何時何分の待合せ、ということになる。
先に駅に着いて、ご夫妻を待っておられるのは五井先生だった。そこでご夫妻は大変恐縮し
て、この次は先生より早く着いて、先生をお待ちしよう、と出かけるのだが、五井先生のほう
が駅頭で待っていらっしゃる。
ちょっと天気があやしいな、という時は、ゴム長靴をはき、手に傘を持ったお姿で、駅頭に
ニコニコ笑って立っていらっしゃるのが今でも忘れられない。
112
ーということであった。
人を待たしてはいけない、待たせるより待つようにいつも相手のことを考えておられたので
ある。
時間より早くつけば、自分もイライラしたり、間に合うかな間に合うかなと、不安がらなく
てすむ、心に余裕が持てるではないか、というお心だった。
相手をまたせない
113
114
二〇、自分の通って来た道をそのまま弟子や後から来る者に強制しない
弟子は師の指し示した道を、忠実に歩みたいと願うし、師は己れの踏んで来た道を、己れを
慕い寄って来る者に踏ませたいと願う。
しかし、五井先生はちょっと違った。
ご自分が通って来た、言語に絶する苦しい霊修行の道を弟子たちに”真似てはいけない”と
禁じられた。精神病者になるか、死んでしまうという理由からだった。
何も想ってはいけない、想念停止の修行を通して、五井先生は素晴しい空観を観じきり、ご
けわ
自分の本体と一体となられた。しかしそれは実に瞼しい、きびしい道だった。剛毅なる魂だっ
た先生だからこそ、またそうした尊い偉大な使命を持っていた魂だからこそ、修行を完成出来
自分の通って来た道
たのである。

生半かの精進と、心がまえで出来ることではない。一歩もあとに退けない、絶体絶命のまさ
に、いのちがけの修業だったのである。
苦しみは私一人でたくさんだ、と深く思われた先生は、ご自分自身を天にかける梯子、彼岸
にわたす橋として、われわれの前に投げ出されたわけである。
肉体を持つ人聞の弱さ、業想念の強さそして、人間の迷いの想いの深さを、よーくご存知だ
った先生は、誰でも一律に、同じ教え方を強要したことはなかった。
真理を何段階にも落して、その人に合うように説かれ、導かれたのである。
「純粋に神にすがれる心境になっている宗教者は、どうしても、自己に照らして求道者をみ
つめるので、弟子たちのやっていることが、なかく自分の心にかなわない。自分と求道者と
の間の大きなへだたりをつい忘れがちになって、己れのしている生活状態、信仰の在り方を、
弟子たちに強いようとする。そこで指導方法が苛酷になってくる。恥
自分にはなんでもなく出来ることが、人にはなかく出来にくいことがある、ということを、
116
人々は知らなければならない」
と著書「霊性の開発」の中で述べておられる。
五井先生は、その人の機根、因縁ということをよくご存知だった。
いかに真理であっても、それが肉体人間にとって実行出来ないことがある。すると、五井先
生は、ジーッと待って下さるのである。その人の心境が上達するように導きつつ、真理が実行
出来るようになるまで、忍耐をもって育てて下さるのである。別の言葉でいえば時機を待って
いて下さるのである。
「愛は忍耐なり」という五非先生のお言葉は、そうした実体験から生れている。私もそうし
て育てられて来た。今思うと、よくぞ五井先生は見捨てず、つきあって下さった、と感謝の心
で一杯である。
実行出来ることそれを教えて下さったわけである。
自分の通って来た道
自分が天の高いところにいたままで、地べたにはいつくばっている者たちに向い、早く天に
あがって来い、とはいわれなかったのである。つねに、天から降りて来て、われわれと同じレ
ベルに立って、つまり、肉体人間は罪悪深重の凡夫、みな五十歩百歩、と安心させ、自分にす
がらせて、天に昇ってゆくことを、繰り返えしやって下さった。
ダニでもノ、・・でも、天をかけめぐるキリンに吸いついていれば、同じように天に舞い上るこ
とが出来るのである。
五井先生は、ご自分のことに関しては、気が早かったが、人のこと、道のことに関しては、
実に気長く、うまず、たゆまず指導して下さった。
あまり高い境地を強いると、強いられた人は、自分はとても実践出来ない、だめな人間だ、
と劣等感や自己卑下を起し、気を腐らすだけであって、なんの効果もない。
後から来る者に、五井先生が自己の通って来た道を強要しなかったのにはもう一つわけがあ
る・即
「自己に照らして求道者をみつめ」がちな師匠には、まだ自己があるのである。自分では解
118
脱したつもりかもしれないが、自分の修行、自分の通って来た道があるのである。
しかし五井先生においては、それが無い。「自己」「自分」がすでに無い。だから人と相対
する時、その人になりきってしまわれる。相手の迷いの想いに調子を合わせるようにして、サ
ッと神の光を流しこんで下さるのだ。
そこでその人は、気づかぬうちに光明化され、自分が光明の道を歩いていることに気づくの
である。
自然法爾とか、無為というのは、そういう在り方なのであろうと思っている。
「道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべぎは常の名に非ず」
指導的立場にある人々は気をつけるべきことだと思う。
一= 、生きている言葉
生きている言葉
コトパコトパコトバ
はじめに言あり、言は神とともにあり、言は神なりきーヨハネ伝冒頭の有名な言葉であるQ
私たちは言葉なくしては、自分の意とするところを伝えることは出来ない。テレパシー能力
が発達し、声帯をふるわせて発せられる言葉を介さずとも、お互いの意を自由に交流出来れば、
誤解とか疑いとか不信とかは生じないだろう。
しかしそうしたことがまだ出来ない現在、言葉を使って、私たちは自分の意志を伝え、考え
をわからせなければならない。
この言葉の使い方というのが、案外むずかしい。意とするところが一〇〇%相手に通ずれぽ、
19
まことに申分ないけれど、全く伝わらないということもあれば、逆の意味にとられてしまうこー
ともある。珈
相手の心に、スーッとなんの障害もなく、しみこんでゆく言葉を使うことが出来たらこんな
に素晴しいことはない。

アメリカの詩人ロングフエローは”歌と矢” という詩で、言葉の力がいかに人の心に影響を
うた
及ぼすか、詩っている。
人の心にグサッとつきささるような言葉は、たとえ冗談めかしていったとしても、形に現わ
せば矢尻や槍の穂先のように、鋭く尖っているのである。
人の心をなごませ、暖く明るくさせる言葉は、感触のよい、まんまるなゴムまりの形に表現
出来るであろう。
矢はつきささって、いつまでも心の中に残り、傷を深めてゆくが、まんまるなマリは、軽く
はずんではずんで、楽しさ明るさを倍加してゆく。
五井先生は言葉の使い方が素晴しかった。言葉そのものが光だった。電信柱が赤いのも郵便
生きている言葉
ポストが高いのも… … とたとえぽ聞違って使ったとしても、言葉の根源たるコトバが光明体だ
ったから、受取る側にはなんのさわりにもならなかった。
五井先生の言葉の絶品を、ここで二、三ご紹介してみよう。

昭和43年8月、宇都宮支部長の宇賀神友次さんは、長男を茨城県阿字ガ浦海岸沖で亡くしたQ
溺れた友を助けようと飛びこみ、自らも深みにはまって、水死したのであった。
昭和45年、十五才の次男が石油ストーブのガス中毒で亡くなった。
つづけて息子さんを亡くした宇賀神さんご夫妻の悲しみはいかばかりであったことか。気が
狂うこともなく、信を失うことなく、平常心を保つことが出来たのは、日頃の祈りのおかげで
あった。
しかし、宇賀神さんにとって心配だったのは、自分の業の故に、長男につづいて次男もなく
してしまった、このことにより、宇都宮支部の人たちの信仰がぐらつき、教えからはな2/てし121
まうのではないか、ということだった。
次男坊の初七日に五井先生にご挨拶に伺った。
「申訳けございません」と宇賀神さんがいうと、五井先生がすかさずおっしゃった言葉が素
晴しかった。
「宇賀神さん、宇都宮のみんながはなれてもかまわない。あなた一人がついてくればいいん
だよ」
自分は先生に信頼されているこの信頼感ほど、人の心、人のいのちを生かし、人をふる
いたたせるものはない。
そんなことで会をはなれる宇都宮支部の人々も、いなかった。

昭和4年のことである。大垣の滝沢龍慶さんは、初めて錬成会に参加した。その頃の錬成会
は、最後に五井先生のお浄めがあり、五井先生のお言葉が書かれた錬成手帳が頂けた。
122
生ぎている言葉
滝沢さんは僧侶として修行を重ね、真実の安心立命と、自分と他人との救済を心から願い、
身命を賭して求道生活をすごして来た。人には語っても理解してもらえない、霊的苦しみがあ
った。迷える魂たち、幽界の生物の波状攻撃なども受けたりしていた。そんなことから神通力
を求めたりもしたが、真実は大聖者にめぐり会い、身心共なる大浄化をして頂き、秋風の如く
さわやかな悟道に達することが主願だった。
そうした願望が実現して、五井先生にめぐり会えたのである。
錬成会の最後の五井先生のお浄めを受け終った時だった。五井先生が滝沢さんにおっしゃっ
た。
「おめでとう。今迄、大変苦労して来たネ、求め求めて来たね。もう大丈夫! あなたは今
生だけでなく、ずっと過去世から求めつづけて来たんだよ、ぼくもそうだったのだよ」
このお言葉が滝沢さんの全身をふわーっと包んだ。暖かいしみ通るようなお言葉だった。今
迄の苦労がこのお言葉によって報われた・すべてを認めて下さり・すべてを赦して下さったの鵬
だ。怨
1
滝沢さんの頬には、感激の涙がとめどもなく流れつづけた。
言葉を超えた、光の交流が師弟の間に一瞬のうちになされたのだった。

昭和53年の秋、私は一人でアメリカに二週間ほど出講したことがあった。
出発前、ご挨拶に伺うと、先生は
「途中でいやになったら、帰っておいで、がまんしないで」
とおっしゃった。意外な感じがしたけれど、有難くお受けして出発した。
一週間たち、そして帰国の日まであと二、三日という日を迎えた。疲れてホテルに帰ると、
そのままベッドに、倒れこむようにねてしまった。地の底に吸いこまれるような疲労感だったQ
ハッと目を覚ますと、もう夕方だった。
ペッドの上に起き上ると、フラッとして、目まいがした。じーっとベッドの上に坐って、時
生きている言葉
の経過をまった。しかし全身の感じの異様さは去らない。そこで会場責任老に電話をし、その
晩の講演会をとりやめ、翌日の行事も中止して、帰ることに決めた。
私はアメリカに何しに来たのか? 伝道のためである。伝道のために、たとえ生命を失うと
も、惜しくはないのではないか。本望ではないか。
しかし、私はそこで頑張らなかった。そして使命を完うせず、途中、帰国した自分も責めな
かった。
建前論をふりかざすもう一人の自分と、疲労困ぱいしている肉体の自分と、共に正直に見つ
めて、気負うこともなく決断が下せたのは、五井先生のお言葉のおかげだった。
「途中でいやになったら、帰っておいで、がまんしないで」
ひろ
五井先生は見通されていたのであろう。いや私がここでいいたいのは、五井先生の寛い柔軟
なるお心、つねに神の世界に住んでおられながら、肉の身の世界のすみずみまで、暖く心くば
りをされていたということである。塒
“光に住して光に把われず
真理を行じて真理に縛ばられていない”
そんな五井先生を感じられるのである。
12G
一= 一、最大の味方
最大のn一方
ω
味方ということは、理解者ということである。
親にも、夫にも、妻にも、自分というものを理解してもらえない人が、どれだけこの世の中
にいるだろう。
少しでも理解の態度を示してくれれば、人はその人にしばしば会いたくなるだろう。言葉を
ききたくなるだろう。そして心を自然に開いてくるに違いない。
〃人は愛されたがっている
27
人は愛を求めているのだ” 1
と五井先生はおっしゃっておられた。
218
五井先生は相対される人を愛された。
けっして叱りつけたり、説教したり、ああやれ、こうやれ、と命令はされなかった。
まず全面的に相手を受け入れられた。何故かという、五井先生には、その魂の来し方が一目
瞭然にしてわかったからである。

清水市に住む鈴木みやさんは、昭和四十五年頃、はじめて五井先生にお会いした。
「あなたはずい分と苦労して来たね、大変だったね」
開口一番、鈴木さんの顔をジーッとみておっしゃった。
鈴木さんは思わず、先生の両の手を押しいただき、自分の額にあててしまった。嬉しさと有
難さで声も出なかったという。
長いこと苦難つづきのうちに、夫と死別。そして一人息子の自殺にあった。むずかしい商売
最大の昧方
をつづけながら、心の安らぎをしきりに求めて来た人生だったのである。
今までの苦労が、五井先生のお言葉で吹きとんでしまったようだった。それから二年して、
運命はごく自然のうちに変ったのだった。

或るお嫁さんは、五井先生の前で、思わずたまりにたまっていた姑さんへの愚痴をこぼして
しまった。
その姑はきつく、強情だった。ある時、パタリと倒れた。そこでお嫁さんは「ヤレヤレ」と
ホッとしたが、あくる日、姑はまた元気になった。
五井先生の前で、お嫁さんは正直に
「先生、実は姑が元気になって、ガッカリしてしまったのです」
といってしまった。
すると「ガッカリしたろうね」と先生はおっしゃった。
129
お嫁さんは正直に訴えはしたものの、いけないことをいってしまった、だから先生から何か
一言いわれるかもしれない、とかしこまっていたのだが、全く反対に、先生から心底同情され
てしまったのである。
同情されて、何かハッと悟ることがお嫁さんにあったらしく、それから姑に対する言葉、態
度が自然と変化したということである。

滝沢竜慶さんは真言宗のお坊さんである。同氏が五井先生に初めてお目にかかったのは昭和
三十四年であった。それから十年たっ売日の体験を「五井先生の思い出」と題して、次のよう
に書き綴っておられる。(前にもご紹介してダブッているところもある)
「昭和四十四年六月、初めて錬成会に妻と共に参加した。統一を重ねる毎に、身心共に名状
し難い変化が起きているのに、愕然としていた。最後に五井先生の直接のお浄めとご指導があ
った。
130
最大の味方
『おめでとう、今迄大変苦労して来たね。求め、求めて来たね。もう大丈夫! 今生だけで
なく、ずっと過去世から求めつづけて来たんだよ。ぼくもそうだったのだよ』
五井先生の本当に温かいお言葉であった。感激の涙が流れつづけていた…… 。道に把われ、
修行の形に執し、霊能に魅せられて来た私だったのに私のすべてを赦し、大きな愛情で包みこ
んでしまわれた先生の慈愛が、身にしみ透るのを覚えた。あΣ漸く、良き師に出会うことが出
来たのだ。感無量!」
この滝沢師の”感無量”という気持が私にはよくわかるような気がする。すべてを理解し、
すべてをゆるし、そして見守り、導きつづけてきて下さった、大きな暖かい存在者に、十年た
って、はじめて肌にじかにふれて感じられ、認識し、深く知ることが出来たーその喜びはま
さに感無量、はかることの出来ないものだったのである。
それは五井先生を知った人の共通の感覚である。
131
132
二三、ハイスピリットは上機嫌
東京の中心地、飯田橋に、月例のお浄めと統一会があった頃のこと。
朝、国電で市川駅から飯田橋駅までゆく途中、さまざまな会話を、五井先生とかわしたもの
である。
「先生、この間、英語の辞書を何気なくめくっていましたら、こんな言葉がありました。ぎ
ぼσqゲ。且鼻というのは〃上機嫌” というんだそうです」
「そう面白いね、ハイスピリット(高級神霊) はいつも上機嫌だからね、その通りだ」
こんな会話を重ねながら、電車にゆられていた。
その日のこ講話で、この英語を引用されて五井先生は
ハイスピリットは上機・嫌
〃高級神霊というものは、つねに明るく、朗らかで、不機嫌なところは一つもない。想いを
つねに神界におくようにして、人間すべからく、ハイスピリット高級霊にならなけれぽいけ
ない” というお話をなさった。
それから暫くの間「ハイスピリットは上機嫌」という言葉が、私の心の中にひびいていたも
のだ。
自分の感情の好悪、自分の体調の好悪、自分の立場の優劣によって、ふつう、人間は上機嫌
になったり、不機嫌になったりする。
「私は、自分の体の調子が悪いからといって、不機嫌になったりしたことはないね、君はど
うだい? 」
と五井先生にきかれて、全く困ったことがある。いまだにその域を抜けきれず、そのたびに、
呪文のように「ハイスピリットは上機嫌」と私は唱えている。
・う3 
人間は大小高低の差こそあれ、誰でも感情想念の波動を波うたせている。それが昂じてくる←
と、躁うつ病という神経症の一種になるようだ。
3←4
躁の時はもうとてつもなく浮きうきとし、大言壮語してはばからない。かと思うと、うつに
なると途端に、枯れ花の如くショボンとして、何もかも憂うつになり、頭も体も重くなって、
何もしたくなくなり、ジーッと坐ったままとなる。この状熊を繰り返している人が、最近、サ
ラリーマンにも増えて来ているという。
作家の北杜夫は、それを公言してはばからないが、どちらかというと、躁うつ病を売物にし
ているようにみえる。
同じ作家の海音寺潮五郎も、躁うつがあったという。
躁の時は青い帽子をかぶり、うつの時は赤い帽子をかぶったという。家人は赤い帽子をかぶ
った海音寺潮五郎には近づかず、腫れ物にさわるように扱ったそうだ。
もっともそうハッキリ区別してもらえば、ああ今日は赤信号だ、近づくのはよそう、あッ青
になった、もう大丈夫だろう、と判断出来て便利だったろう。ご本人も気を使わなくてすんだ
ハイスピリットは上機嫌
のではなかろうか。
この逸話を何かの本でお読みになった先生奥さまが、先生にお尋ねになった。
「あなたには青い帽子や赤い帽子がおいりよう9」
「いや、私はいつも変らない。上機嫌で帽子なんていらないね」
このお話を直接奥さまからお聞きして”ハイスピリットは上機嫌” をまた想い出した。
五井先生は本当にハイスピリットだった。
どんなにお体の工合が悪くても、今日はご機嫌ななめ、赤信号、なんてそばの者に思わせる
ことも、いわせることもなかった。
どんなに立場が悪くなっても、それを他人のせい、弟子のせいだといって、不機嫌になるこ
ともなかった。
カソにさわるとか、気にさわるとか、そんなカソも気もなかったのである。
禅宗の言葉に「八風吹けど動かず天辺の月」という・解脱の心境を表現したものがある・燭
けなす言葉、くさす言葉(それも面とむかっていわれるものと、他人を通して聞えてくるも
36
1
の) をいわれても心が動かない。
また面とむかってほめられたり、人づてにほめられたり、面とむかって称えられたり、人づ
てに称えられたりしても、ちょっとした風にもザワザワと揺れる葉のようではなく、天の月の
ように一つも揺れ動くことなく、光り輝いている。
そうした解脱した状態に、先生はまさしく常にいらっしゃったのである。
二四、私が幽番信仰が薄いんじゃないか
私が一番信仰が薄いんしゃないか
「私が一番信仰が薄いんじゃないかね」
とは、ちょくちょくもらされたお言葉である。それは反対言葉でもあって、会員の皆さんの
信の深さ、固さを讃嘆されての言葉なのである。
昔、聖ヶ丘道場に自家用車、タクシーで乗りつける、などということは出来なかった。はる
か遠くの森の端で降り、みな歩いて林の間の、雨が降ればぬかるんでしまうような道を通って
来たものである。
その当時、今アスレチックのある松林のそばの道で、よく足をとられて滑る人がいた。それ
でもひ争に・やはりその道を通って・雨が降っても・雪が降っても・台風になっても・聖ケ熾
丘道場めざして歩を運ぼれたのであった。
ニろ
五井先生は、お年寄が、ぬかるみ道に足をとられて転びはしないか、坂道ですべりはしない
か、とハラハラされていた。
そんな先生の心配を吹きとばすように、ご老人方は遠くから来られたのである。そういう姿
をみて、先生が
「みんな偉いねエ、信仰が深いねエ、私が一番信仰がうすいんじゃないかねエ」
と嘆息なさったのである。
時ならぬ時に雪が降ったこともある。道場に着くと、一面の雪野原。純白の世界であったQ
すると先生は「みんな道が悪くなっているけれど来られるかな」「雪が降ったから、あそこの
坂は滑って危ないけど、大丈夫かな」「無理をすることはないんだけど… … 」と心配なさるQ
統一会の始まる時刻まで、時々、伸びあがっては、窓から外を見ていらっしゃる。
それで「お早ようございます」と元気な声が、玄関できこえると
138
私が一番信仰が薄いんじゃないか
「やあ、よく来ましたねエ」
と笑顔でみんなを迎えて下さるのである。
或る時は大雨になったこともある。トタン板の屋根を打つ雨音がはげしい中、雨でびしょ織
れになりながら飛びこんで来る会員さんをみると、先生は、みんな信仰が深いねエ、と感心な
さる。
会が終ったら終ったで、あのおばあちゃん大丈夫かな、あの人無事、駅まで着いたかな、と
やきもきされる。
はたでみていると、これが悟った人の態度かしら、と思うほど心配されている。守護霊、守
護神に守られているんだから大丈夫、五井先生が守っていて下さるから安全、と信じこんでい
るのは会員さん。信じこまれている五井先生が、傘を持っていたかな、長靴はいていたかな、
と心配されている。
そうしては・私などをふりかえられて・囎
二番信仰のうすいのは、私じゃないかねエ」とおっしゃる。40

統一会に集った老若男女は、みんなこんな五井先生のお心に包まれて、目を輝かしてこ講話
をおききし、統一に身も心もおまかせしたものである。
「うちの人たちは… … 」と、会員さんを身内同然に扱われていた(今も変りないが) 先生と
会員一人一人との絆は、他の何人といえど断ちきることが出来ない、強さとなっている。
二五、世界中で一番弱いのは私だ
世界中で一番弱いのは私だ
親はなんでこんなに子供に弱いのだろう、とつくづく思う時がある。
今も昔も、それは変らないのではなかろうか。
たとえば、受験戦争という例をとってみても、受験受験で子供が可哀そうだというけれど、
そのかげになって、もっと身も心もけずっているのが親なのである。
中学、高校と進学する際も、親は子供に知れぬように、体を使い、気を使い、そしてお金を
使って奔走する。
子供はそんな親の苦労など、なんとも思っていない。
親が子を想うほど、子は親を想わないものだ。141
母親は、どんなに子供がわがままをいっても、お前出ていけ、勘当だ、なんていうことは、42
1
なかくいえない。いったら最後だと思うからいわない。何か文句をいわれても、なんとかか
んとか、なだめたり、すかしたり、お金をやったり、恨まれながらも何かしてやっている。
親は全く弱いものだ。
それと同じように、救いの立場に立つものは弱いものだ。
五井先生はよく「私は世界で一香弱いよ」とおっしゃっていた。
病気の人が来て「先生、世界平和の祈りをやっていれば直るっていいましたでしょう、まだ
直りません。いつ直るんですか。いつ直してくれるんですか」と先生に文句をいう時もあった。
先生はそんな言葉にも怒らず、また突き放しもされず、優しくおっしゃる。
「もうじきだよ、世界平和の祈りをやってなさい。私も応援して上げるから」
「先生、応援して下さるくって、まだ直りゃしないじゃないですか」
かさにかかって文句をいう。文句をいう方もいう方だ。もっとも五井先生なら何をいっても
世界中で一番弱いのは私だ
大丈夫、と親に甘えるようなつもりなのだろう。だからはたできいていて、無礼な! と思う
こともしばくだった。
「私は弱いよ、どんなに文句をいわれようと、お前なんかもう来るな、なんていえないもの
ね。いったらその人はもうおしまいでしょ。そういったって、私は少しも損はしないよ。かえ
って気が楽になるくらいだ。
けれど、それをいったんじゃ私の役目が成り立たない。救わなけれぽならないんだからね。
救う立場は辛いですよ」
と先生はおっしゃっていた。
あああなたはもうなんの役にも立たない人間だ、とか十年たたなければ救われない、などと
いわれたら(たとえそれが本当のことであっても) いわれた人は全くだめになってしまうだろ
う。あなたの病気はもう治らない、といったら、死んでしまうかもしれない。
43
先生に、もうちょっと待ちなさい、もうちょっと、大丈夫くといわれてるうちに、いつのー
間にか十年たって、救われた人がたくさんいる。古い会員の人は殆んどそうだろう。
414
恨まれようが、名誉をき損されるようなことをいわれようと、大丈夫、大丈夫、と親の如く
全責任を背負いつつ、黙って祈って、暗闇でつまっていたその人の心のトンネルを、先生は掘
って掘って下さったのである。
或る時パッと開いて、光がさしこんで来て、今まで、さんぐ悪口をいったのもζ リと忘
れて、ああ先生有難うございます、というのである。
悪口をいわれること、恨まれること、叩かれることーそんなことは、救いの立場に立つも
のにとっては、なんでもないことなのだが、それにしても大変なことだ。
]=ハ、こういう人間になってほしい
こういう人間になってほしい
ω
五井先生が、私たちに、こういう人間になってほしいなア、という独り言は”如是我聞” の
あちこちに見ることが出来る。
五井先生がこの世を去って、今年で五年目であるが、私たちは、五井先生ののぞまれていた
ような人間になっているか、深く反省させられる。
「暖かい心、思いやりのある人がいい。冷たい人はいくら才能があっても、立派にはなれな
いし、仕事もうまくいかないことになる」(続如是我聞81)
会社で仕事が出来ても、人間性に暖かみ、情愛というのがないと、部下からは心から信頼さ145
れない。部下から信頼を寄せられていなければ、心の面でそっぽをむかれることになる。心の46
1
世界の様相はやがて現象の世界に現われてくる。仕事は自分一人で出来るわけではないのだか
ら、結局、部下からの心からの協力を得られなくなってくる。それは多くのマイナスの想いの
エネルギーの結果である。
頭がさほどきれる上司とは思えないのに、その課の業績が上っているとすれば、上司をもり
たてようとする部下の気持と、部下を生かそうという上司の気持が一つになって、素晴しいプ
ラスのエネルギーになっている証左である。
「何もいわなくていい、ふわーっとして暖かい、そしてあああの人はなんて懐しい人なんだ
ろうという人になることです」(2`ρnU 倒膨10)
「会の皆さんは、教えをうまくしゃべれなくともいい。その人がいるだけで暖かく、心安ら
かになる、明るくなる、という人になってほしい」(続獅)
かみがた
上方落語界の人気者、桂枝雀が、テレビでこんなことをいっていた。
こういう人間になってほしい
「なんにもしゃべらなくとも、この高座に出て来ただけで、黙って座っているだけで、それ
はなしか
でお客さまを喜ばせ、笑わせることの出来るような、咄家になりたい」
咄家は落語を話すことが生命なのに、この人はこういっている。咄家の目ざす達人、名人の
域というのは、そんな世界なのかもしれない。
五井先生の教えでも、ハッキリと正しく人々にお伝え出来れば、これに越したことはない。
うまくしゃべるーということは、わかりやすくお話しするということだと思う。立板に水
の、弁説さわやか、口がよくまわるだけのことではあるまい。
真実性のある、魂をぶつけてのお話ならば、話し方の上手、下手に関係なく、相手の.魂に伝
わり、相手の魂をゆさぶるものである。
その人がそこに存在しているだけで、まわりが明るくなり、暖くなり、心安らかになる、そ
ういう存在感の大きい人になりたいものである。
そうなると、やさしさは強さまでにきわまり・勇気がにじみ出る人にもなっているのである・即

「思いやり深く、柔和であって下さい。
相手の心を痛めず、傷つけない人であって下さい。
その人の前に坐われば
何もいわなくても
清く明るくなるような
そんな人に」(如是我聞)
五井先生の口から、
「お前の信仰が足りない」
「お前の神さまの思い方が足りない」
と私はいわれたことは一度もない。だから私もあとから、
たことはない。
白光の道を歩む人に、一度もいっ
148
こういう人間になってほしい
イエス・キリストは、新約聖書によると、弟子たちにしばく「ああ汝ら信仰うすきもの
よ」といっている。イエス先生とそう年令の差のない、ペテロやヨハネやヤコブやトマスたち
は、そういわれるたび、くびをすくめ、またやっちゃった、というだけで、そんなに心にこた
えなかったようにみえる。あるいは私などとは違って、強い神経の持主だったのかもしれない。
たしかに、事実は、信仰がうすいのであるが、もし五井先生に、面とむかって、イエスのよ
うなことをいわれたら、私は信仰を燃えたたせるより、その言葉の重みに押しつぶされて、信
仰の灯が消えてしまったと思う。
そんな想いの動きのことは、五井先生は先刻よくご承知だった。
イエスがそうでなかったというのではないが、五井先生は、人間の過去世というものと、業
の深さ、強さというものをよくご存知だった。
信仰が足りない、という想いも、思い方が足りないという想いも、全託しきれない想いも、
49 全面的に神
さまを信じきれない不信の想いも、それはそれだけの過去世の因縁がそうさせるのー
だ、と先生はおっしゃるのである。
過去世1ーつまり過去において、何回も繰り返した人生の中ーにおいて、神さまを信じき
れなかった自分、神仏を否定した自分があって、それが△、、時を得て、縁を得て、不信という
想い、神否定の想い、信仰が薄い、という想いになって、目の前に現われて消・兄てゆこうとし
ているのである。それは過去世のカスだ、と先生はおっしゃる。
そのカスが今現われて、消えてゆくのだなあ、と思って世界平和の祈りの中に入れなさい、
と先生は教えて下さるのである。そうすれば、世界平和の祈りに働く救世の大光明が、そのカ
スをきれいに洗い流してくれるのですよ、と私たちにすすめておられるのである。
この方法を私たちは、今も繰り返えしつづけている。
ほうよう
このようにして、私たちは五井先生にゆるされ、抱擁されて来たのだから、心傷つける人々
に対して、私どもが、あんたは信仰が足りない、祈り方が足りない、感謝が足りない、などと
いえる権利も力もないのである。
150
汝ら互いに責め審くことなかれである。
こういう人間になってほしい
己れを責めさばく想いも
人を責めさばく想いも
すべて世界平和の祈りの中に投げ入れよう
不信愛不毛の嵐が吹きすさび
あぱ
暴きあい責めあいの砂じんが叩きつける
外は今極寒
せめてあなた一人だけでもいい
心のストーブの火をあかあかともやし
ふるえる旅人を
暖かい火でもてなしてあげよう

151
152
二七、〃仁〃でゆく
じん
「うちの会は仁でゆく。会は損をしてもよい」
ある時、わざく私を呼び出されて、五井先生はこう宣言された。
まさに宣言というように聞いたのである。以来、これが理事会の会員の方々にたいする指針
の一つになっている。
五井先生はご自分のことを、次のようにおっしゃっていた。
「一番表面の私はとても弱いね。なんでもかんでも、損をしてもすべて、受け入れて、いい
よいいよという私。その次の層の私は、とてつもなく強い強い私で、いかなるものにも負けな
い、そして激しく強い私。三番目の層の私は、なんにも無い、からっぽ」
仁”でゆく
もし一番目の先生がなく、二番目と三番目だけの先生だったらどうなるだろう。一日として
おそばに私などいられなかっただろう。真昼の太陽を観測するのに必要な、黒い遮光板を取り
のぞかれたら、誰の肉眼でも忽ちいかれてしまうのと同じだ。
また一番目も二番目もなかったら、この世になんの形も現わすことが出来ない。
なんにも無い、空のひびきをこの世に合わせるために、強さ激しさ、そして柔らかさ弱さの
層が必要であったわけである。
弱さも只弱いから、なんでも人にゆずるのではない。単に臆病だから、なんでも人のいうこ
くう
とをきいているのではない。内に無類の強さがあって、その強さの底の底に〃空” という強弱
を超えた絶対なるもの、無隈なるもの、すべてのものが生じる根源なるものがあるからである。
その空が「空即是色」として現われてくると、弱さも.強さもすべて”仁” というものになる
のである。
こうしじん
孔子は、仁を人間の理想とした。そして弟子を仁者にしたい、と願った。
153
仁者とは、徳の完成した人、なさけある人のことをいう。
それ故、孔子はよく仁を中心にして説いている。
巧言令色すくないかな仁。これは学生時代、漢文を習う時、必ず出て来た言葉だ。
にん
仁というのは、イベんに二と書くから、一人ではなく、二人またはそれ以上の人間かんにや
りとりされる言行を、最も問題にするということで、それが調和されている状態を最高とする
わけである。
二人が調和している姿を愛といい、他に働きかけてゆく時、それは慈愛となる。
自分中心では、仁にはならない。
肉体人間観中心では、慈愛は行なえない。
自分を捨て、肉体人問観を祈りの中に投げ入れつづけ、神さま中心になって、はじめて”慈
愛” が行じられるのである。
ひと
「たとえ自分が馬鹿をみても、自分が損をしても、自分の都合より、他人が真に生きるため
154
仁”でゆく
の都合を先に考える、ということに徹しきることだ」
この先生の言葉はまさしく仁そのものである。そして五井先生そのものであった、と悟るの
である。
今、私がつねにふところにし、持ち歩いているメモ用紙に、白光誌の編集に対してのご注意
があるQ
「白光誌のために書いたことが、相手を傷つけたらいけません。こちらの利益のため、都合
のために、信者さんを傷つけてはいけません。自分の得になるために、人を傷つけるのはいや
だからね」
今どきのジャーナリストは、まるでこれと反対のことをする。仁なき世界である。
われわれの生き方は、まるまる損することである。しかし損のしっぱなしということぱない。
結局まるく損をすることは、まるまる得をすることなのだ、というのが、五非先生の教えな
5
のである。1
156
二八、こうなってほしいこと
五井先生は実に正直なお方だった。
これはいけなかった、と思われることがあると、それを統一会で発表されたものだ。といっ
て、別に深刻にお話なさるのではなく、あっけらかんと開けっぴろげに、明るくそして或る時
は冗談めかしておっしゃるのであった。
だから私たちも固くならずに、おきき出来たものである。
或る時、個人指導に関連して、こんなことをおっしゃった。公開の席でである。
「細かい日常茶飯事の相談なんてのは、したって、しなくたって同じなんですよ。そんなも
のは、みずから教えの道に徹してやっていれば、おのずから解決がついてくるんです」
こうなってほしいこと
先生は、私たち一人一人を一人前に仕立てあげようとなさった。
つぐな
一人前とは、自分の行動言葉に責任をもつことであり、自分の誤った行動はすぐ償いをする、
という心になることである。
こうなってはじめて、自主独立といえる。何かといえぽ、すぐ人に頼りたがる、そういう傾
向の想いの持ち主は、まだく大人にはなっていない、幼い魂の持ち主であろう。
「道さえはずれなけれぽ、自分の思うままやっていいんですよ」
とは五井先生のお言葉だが、世界平和の祈りの中に、自分の想いを投げ入れつづけることを
やっていると、自然と、道をはずれたことが出来なくなってくる。
万が一、道にはずれたとすれぽ、直ぐ反省して、軌道修整が出来るようになってくるから、
有難いものである。
さて個人指導のことであるが、いろいろな問題を抱えて、人はやってくる。他人から見れば
なんでもないことでも、その人にとっては最大の苦しみであり、悩みである。
157
五井先生は、それらの人々の訴えをいちいち聞きながら、短かくお返事をなさり、58
1
「応援するよ、大丈夫だよ」
とその人の前とうしろをお浄めなさった。
訴えを親身になって聞いていらっしゃるから、先生が本当に聞いていて下さるかというとそ
うではない。聞いているけれど聞いていないで、その人にひたすら光を送っておられるだけだ
ったのである。
「病気なんです、苦しんでいます、治して下さい」
「この人は不幸なんです、開運の祈りをしてあげて下さい」
「先生、この学校にぜひとも入りたいのです、お願いします」
そんな、願いを、私は行者じゃない、占い師じゃないといって拒絶されず、みんな「ハイ、ハ
イ」ときかれて、お浄めなさっていた。
本心を覆うくもりを拭う光さえ送っていれば、よかったのである。先生の願いは、霊性の開
こうなってほしいこと
発であり、本心の顕現であった。それを実に辛抱強くして下さった。
愛は忍耐なりという言葉はそうしたこ体験から生れた実感であろう。
切実なる悩みもあったであろうが、先生への甘えの感情がずいぶんあったのではなかろうか。
それが恋愛感情にもなったりする。
これは現在でも変りがないように思える。
真理を教えてもらいたいのではなく、ちょっと体にさわってもらいたい、ちょっと優しい言
葉をかけてもらいたい、ご本人はよくわからないけれど、そんな甘えで講師に先生くと寄っ
ていくわけである。先生といわれる講師も悪い気持はしない。
しかし、これは危険なことなのだ。甘えを受けきれる人など誰もいない。
「甘えなど宗教の世界には必要ない」
五井先生はこうおっしゃって、或る時個人指導のやり方を変更された。はじめとまどった人
たちもあったが、五井先生の望まれるような雰囲気になっていった。靭
業の自分を喜ばしてくれる人や、業の自分を喜ばしてくれるものが、嬉しくて嬉しくてとな
らぬよう気をつけなけれぽいけない、と改めて自分を戒しめている。
金銭欲。色欲。権勢欲。この三つの欲が妨げになる、と五井先生に男性講師はさとされたも
もとさと
のである。そしてこれが宗教家の堕落する因でもあると。先生は男性ぼかりを訓されたのでは
なく、女性にもおっしゃっている。
「女性の会員さんのほうも、私とか講師を男性と見ちゃいけませんよ。若いハンサムになる
と危ないんです。肉体の人間を慕ってはいけません」
宗教者先生方が堕落するのは、先生方自身の想いにもあるが、そればかりではない、と先生
はおっしゃっている。
「会員の皆さんの信仰の仕方もあるのです。信仰というものはあくまで、神さまのみ心を心
として、自分の本心を開いてゆくことであって、甘えることが信仰じゃないんですよ」
慕うのは神さまを慕うのであり、また慕わせるのは神さまを慕わせるのである。肉体の人間
160
こうなってほしいこと
を慕うと、どうしても甘えの感情が出てくる。
肉体の人間はあくまで器である。
五井先生はこのことを何回も何回も、ご法話の中で繰返しおっしゃっている。私は器の先生
も慕ったけれど、それ以上に、器を通して流れてくる神のいのち、言葉、光を五井先生!とい
って慕っていたことが、五井先生がこの世を去られてから、よくわかった。そして私の信仰は
間違っていなかった、と知ったのである。
器としては、先達も後輩もみな五十歩百歩、たいした違いなどありはしない。だから、互い
に切磋琢磨して、精進しあってゆくことが大切だ。
そして、わが白光真宏会の集りは、他はどうあろうとー
つねにきれいに澄み透り、光輝いて調和し、いのちといのちがふれ合って、魂と魂とがふれ
あって、妙なるひびきを発しているような集りであるように、してゆきたいと私たちは念願す
るし、そう五井先生も願われていたに違いないと思うのである。16↓
1Q2
二九、試みに会わせず悪より救い出し給え
男性講師が集った時、先生は悟りの邪魔になるものとして、三つの欲をあげられた。
一、色欲
二、金銭欲(物欲)
三、権勢欲(虚栄心)
この三つの欲望は誰の心の中にも、大なり小なりあるものである。
キリストはこういわれた。
「女をみて、姦淫のこころを起したものは、姦淫したことと同じである」と。
この世界は想いの世界であるから、想ったことはたしかに行なったことと同じになる。フ一フ
試みに会わせず悪より救い出し給え
ソスの詩人が、人間の目に力があれば、この地上至る所、死骸るいるいと横たわり、女性はみ
な妊娠しているであろう、というようなことをいっている。
この色欲をいかにしてのりこえてゆくか、これは大変な問題である。青年が一生懸命、欲望
に負けまいと努力することは尊いことである。食べたいから食べる、いやだからやらない、と・
いう調子で欲するままにしていたらば、動物と同じで、そこに霊性である人間性の尊さも進歩
も一つもないことになる。
五井先生の修行中のことであった。
霊が囁…いた。
「今、お前の隣りに坐っている女性は、お前の妻となる人だ、だから手を握れ、妻となる女
性だから、手を握れ」
囁くばかりでなく、手をじりじりと動かそうとさえする。
交霊会の席だから・あたりはまっくらである・手を握っても人が見ているわけではない・手殿
は動きはじめる。先生は必死にこらえた。今、この囁きのまま、手を動かし、隣りの女性の手64
1
を握ったらどうなるか/ ギリギリ一杯で常識というか理性が働き、自らを叱陀して、囁きを
はねかえした。
これは神さま方のテストだった。「あのまま手を握っていたら落第だったよ」と話して下さ
ったが、囁きのままに行動していたならば、今日の五井先生は存在しなかったであろう。先生
の理性、常識の勝利のおかげである。
われわれの場合、特に男性を相手にしていうのだが、凡夫そのものである。だからそうした
色欲の波状攻撃を、もし内外共に受けたなら、ひとたまりもなく、その中に溺れこんでしまう
であろう。そこで神さまに「そういう試みにあわせることなく、悪より救い出したまえ」と祈
るのみである。
日頃、守護霊さまにつねに波長を合わせ、チャソネルを合わせることを訓練していれば、五…
井先生がそうした目に合わせない、と信ずるのである。何故なら、そうしたものを大光明によ
って洗い流して下さるからだ。
もし万が一、そういう破目になった人が、私のところにきたら、私にはその人を責める資格
などありはしないから、七度を七十度も倍して、ともに神さまに赦しを乞うだけである。
試みに会わせず悪より救い出し給え
165
166
三〇、母への感謝
この世の最大の恩人は母親である。
五井先生はこう書き、こうしぼしぼおっしゃっていた。
この肉体の世界というのは、.魂にとって、またとない修行の揚所であり、苦痛少なく魂の浄
化が出来る場所である。だから魂たちは、この世に肉の身をもって生れ出でることを待望して
ヘへ 
しるとしう
因縁の深い地上の父母との結びつきにより、魂は地上におろされることになる。
とつきとうか
母体は十月十日、おのれの骨身をけずって、胎内の子を育てる。男にはわからぬ大事業であ
る。一人子供をうむと、歯はガタガタになるそうだ。それだけ栄養分、特にカルシウムがけず
母への感謝
られてゆくのであろう。
父母恩重経というお経には、母体の尽しようがよく書かれている。かくして一つの魂は地上
に生れ出でるのである。
まさしく母親は、この世に生み出してくれた最大の恩人ということになるのである。
私の知っている五井先生のお母さんは、すでに腰の曲ったおぽあさんだった。先生も、母を
思う時、おばあちゃんの姿しか思い出せないよ、とおっしゃっていた。
子供は男七人、女二人、内、一人の兄は天折、もう一人の兄さんは第二次大戦中ブイリッピ
ンで戦死、五郎という弟さんもニューギニア方面で戦死。
気丈で働き者のお母さんは、針仕事をしたり、駄菓子やをしたりしながら、子供たちを育て
られた。お母さんの苦労を、身にしみて先生は感じとられていた。
大きくなって、霊修行という、まるで気違いじみたことをした時、先生の支えになっていた
のは・母の息子への信頼感であるご」の時も・どれほど心配をかけたかわからない・聯

約三十日間は水分を摂るだけで、あとは一切口にしなかった。そして病める人を助けるため、68
1
あちこちに出かけていた。そんな先生に
ごしよう
「後生だから、食べておくれ」
「いえ、修行中ですから食べません」
「そんなことをいわずに、一口でいいから食べておくれ」
とお母さんは懇願されたのだった。そんな押問答が何日も何日もつづいた。だんく顔色が
悪く、やせてゆく我が子をみて、全く気が気でなかったであろう。しかし結局、お母さんは先
生の意志の固いのに諦めて、善意の固りの息子を信じ、お念仏を申しつつ、み仏にまかせた心
で、先生をじっと見守りつづけたのであった。
そんな先生が修行を終え、何事も平常に戻って、自分のいうことも聞くようになった時には、
どんなにお母さんは安心し、嬉しかったことだろう。
この世的にはお母さんにさんざん苦労をかけ、心配をさせつづけた先生は、恩を深く深く感
fぴへの1・謀;i射
じつづけられたに相違ない。月に一度の休日には、必ず市川から亀有に足をのばし、お母さん
を訪れ、そして幾許かのお金をおかれていたようだ。それがまたお母さんには嬉しかったそう
である。
「亀有にゆくたんびに、私の顔をつくづく眺めてねエ〃これが私の生んだ子かねエ” って母
親が何べんも何べんもいうんだよ」
とよく五井先生は私に話して下さった。お母さんはわが腹を痛めたわが子なのに、わが子な
らぬものを感じとられていたのだと思う。
のりと
昭和三十三年九月十六日、お母さんは倒れられた。天からの荘滑. なる祝詞に迎えられ、五井
先生のお光に乗って、お母さんの魂は天界高く昇っていかれた、ということである。はるか高
い高い神界の座に、お母さんの霊位を確認して、意識を地上に戻した先生の胸には、これで母
の恩に報いることができた、最大の親孝行ができたという、安心感があったに違いない。
69
お父さんも晩年、先生を大変.頼りにし、先生のいう通り、狡明観音を拝んでいた。「私の一1
番最初の弟子みたいだったよ」と先生はおっしゃっていた。
170
三一、捨身の愛
捨身の愛
かたく
出家する、ということはただ単にお坊さんになる、ということではない。火宅といわれる、
煩悩の火で燃えさかっている三界の家から脱出する、離脱するということである。
昔、沙門はみな、結婚して、一家をかまえるということはしなかった。生涯独身を通したの
である。仏教、キリスト教ともに聖職者といわれる人は家族を持たなかった。
何故もたなかったのだろうか?
それぞれに理由はあるであろうが、女性に目を奪われず、情欲のとりこにならぬためだけで
はなかったと思う。
しかし、この世の肉親縁者のつながりを断って、生涯、独り身で通させた真の理由は、他の
171
人を救うために、他の人につねに己れの身心を投げ与えるためであった、と思うのである。72
1
人類の罪業消滅のため、世の人の罪けがれをはらうための身代りとして存在するためであっ
たと思うのである。そのために、情がうつる家族をもたなかった。気持の上でも、行動の上で
も、足かせ手かせとなる妻子を持たなかった。つねに、身心を人類の犠牲として捧げられるだ
けの、覚悟と精進をしておく必要があったわけである。
キリストは「人、その友のために命を捨てる、これより大いなる愛はなし」といった。そし
て命を捨てられた。五井先生の生涯はまさに文字通りその生涯だった。
五井先生は人類の業想念を一身に背負われて、日々苦しみの中、祈っておられた。
「私の体が痛むことによって、苦しむことによって、人類の業が浄まってゆくのだから有難
いことだよ」
とおっしゃっていた。
先生自身は、苦しいなどとはいわれなかったが「相当なものだよ」とはよくおっしゃってい
捨身の愛
た。そんな先生を見ていて、私個人としては、人類の救いというより、五井先生のお体が少し
でもお楽になること、苦痛がなくなり、息が胸一杯吸える、ということのほうが重大だった。
そんな人類のことなど考えず、ご自身のお体のことをもっと考えて下さい、と間接的に五井
先生に申上げたことがあるけれど「いいんだよ」とおっしゃり、口にされることは、地球を亡
ぼしてはならない、人類を破滅させてはならない、ということばかりだった。
霊覚を得られて、一年ぐらいたってから先生は結婚なさったわけだが、神の選びたもうた奥
さまはさすが素晴しく「先生のやりたいように」と先生を家庭に縛ることはなさらなかった。
先生も奥さまには、事細かなことにも心を配ばられて、私どもは感心するばかりだった。
身をすてて、などという表現はオー。バーに聞えるが、つまりに自分の感情、好き嫌い、都合
がよい悪い、が全くないということである。
つねに相手のことを思う、相手のことばかりを思うということが、身を捨てた愛といえるの
73 であ
ろう。ー
相対する一人一人のために、
それが五井先生の愛だった。
己れを捨てて愛して下さった。己れのすべてを与.κて下さった。脳
三二、誰かの代りに
誰かの代りに
五井先生は、よく肩代りということをおっし釦、っていた。
あまりに私たちが幼いがために、自分でカルマを果せない時、先生がその半分を背負って下
さるのである。半分というより九〇パーセント、私など背負って頂いたと思う。魂が成長して
くるまで、じっと忍耐して待っておられたのである。
お祈りにしてもそうだ。私たちが祈れない時、代りに祈って下さったのである。
今も天上界にあって代りに祈って下さっていると思っている。
人によっては、体が苦しい時、気持がおちこんでいる時など、祈れない、ということがよく
ある・それ鐘性としては・こういう時こそ祈らなければ・とわかっていても・感情的に・ど偽
うしても祈れない、感謝のことばが出て来ない時であろう。
716
そうした時、肉体人間に代って祈って下さっている方が二人いらっしゃる。
一人はあなたの守護霊さん
一人は五井先生である。
或る時、五井先生はお浄めなさりながら、神さま有難うございます、神さま有難うございま
す、とズーッと口に出しておっしゃっていた。
その人は愚依作用で、口もきけず、ただ必死になって先生にしがみついていたのである。そ
の人の耳に聞えるぐらいの声で、五井先生は何回も何回も唱えていらっしゃった。そのお姿が
今も鮮かに浮んでくる。
あとで、あの人が自分で神さまに感謝出来ないので、私が代りに感謝していたんだよ、と教
えて下さった。
一生懸命、その人のために光を送って下さっている神さまに、感謝の言葉も出ないなどとい
誰かの代りに
うことは、畏れ多い、申訳ない、と光を送って下さっている五井先生が、一人二役で光を送っ
て浄めて下さっている神さまに、感謝をささげていらっしゃったのである。
人間がいかなる状態にあろうと、それはすべて大難が小難ですんだのだ、と先生はおっしゃ
る。
小難ですませて下さって有難うございます、と感謝するのが当り前なのに、なんとかかんと
か文句をいうのがわれわれである。
これは守護霊さんに対して申訳けない、守護霊さんよ、有難うよ、とわれわれになり代って
お礼をおっしゃって下さったのが、五井先生である。
「あなたが苦しくて悲しくて、感情想念のはげしい渦巻の中にまきこまれて、世界平和を祈
れない時、神さま! と思えない時、私があなたの代りに祈り、神さまに感謝しています」
と五井先生はおっしゃっていた。
カルマに押し流されている全人類に代って、大神さまに感謝して下さっているのが五井先生卿
である。
世界人類が平和でありますように、という祈り言葉は、そうしたお心から生れたのだ、と私
は思う。
守護霊様、守護神様、有難うございます、という感謝の言葉も、同様である。
あなたも、もし気づかれたならば、誰かのために、五井先生にならって、ひそかに世界平和
の祈りを祈り、神さま(守護霊・守護神)に感謝をささげてみてはどうだろうか。
まず喜ばれるのはあなたの本心であり、本心の中に住みたもう五井先生である。
178


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