五
日
井
昌
久
序文
日本の心が次第に失われ、西欧流の考え方に、日本人一般が吸いこまれようとして
こんにち
いる今日ではあるが、何か自分たちの生き方に満足しきれないで、常に心が不安動揺
している人々が多いのである。
日本が世界のために、立派な働きをするためには、やはり日本人流な生き方を根底
にして、生きてゆかねばならぬので、改めて日本人の心というものを考えてみる必要
がでてくるのである。
私は日本人の心を理論的にいうより、日本の古来からの偉大な人々の行蹟によっ
て、皆さんに知って貰おうと思って、裕仁天皇をはじめ、聖徳太子、西郷隆盛という
1
ような、私の尊敬する人物をここに画き出してみた。
日本人とは一体どういう生き方をするものか、ここに現われてくる人々の在り方を
みれば、ああこれが日本の心をもった人々なのだなあ、と改めて思いみることであろ
う。,
西郷さんにしろ、吉田松陰にしろ、昭和生れの人にまで、憧れをもってみられてい
る、いわゆる今日でも人気のある人物なのである。この人たちのことを想っているだ
けで、胸に感動がこみあげてきて、なんともいえぬ清々しい気持になる。
てんたん
日本の心をもった人は、一様に、物質面には悟淡で、恥じらいをもっている。心に何
事、何ものをも蔽いかぶせず、常に本心そのままで生きてゆこうとしている。実に清
流のようなひびきを、その人たちの心はひびかせている。
こんな人の状態を、小智才覚の人々からみると、凡愚ともみえ、大愚ともみえるの
であろう。なんにしても、この本を読み終った後の皆さんの気持は、清らかに澄みき
ってくるに違いないのである。
2
昭和四十八年六月
著者識
3
目
聖西序
郷
徳隆
盛
太を
子督文
次
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西郷隆盛とその人物
吉田松陰-大人は天地の理の中に生きるー
芭蕉-純粋性の尊さー
白隠・良寛・黒住宗忠
102 83 62 43 25 7 1
4
著委顎〜`・氏
鞍乳・讐て・汐裕仁天皇の.」と1 献身にょる神我の現れー
≠ 人殉帳多、
合気道・植芝盛平翁
唖人,与吻ブ{約引耐.
ノ今惰厚空長耽らも
〈詩V 神の化身
日本人について
正しい認識を養おう
日本の理想と使命
武力を超える力
題字五井昌久
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人間と真実の生き方
人間は本来、神の佛畢あって、菊箏はなく、つねに懇郵霧概によって守
られているものである。
かこせ
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、そ
の運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであると
いう強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあ
っても、自分を麓し人を麓し、自分を愛し人を愛す、愛と翼ど麓しの言行をなしつづ
けてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈
りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである。
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西郷隆盛とその人物
勝海舟自伝i 氷川清話よリー
読書することは、なんともいえず楽しいことでありますが、偉い人の伝記だの、大人物や愛の深
い人の出てくる物語を読む程、心の喜びを感ずることはありません。
かつかいしゆう
知人から、勝海舟自伝-氷川清話1 (広池学園出版部刊)という本をいただいたので、早速読ん
でみると、明治維新の頃の人物絵図が、眼にみえるようにわかって、心を打たれるところが随分と
あり、現代の人たちにも、この頃の人物たちの生き方を、少しでも取り入れて貰いたいものだ、と
思ったので、そういう人たちの行動を、私の考えを入れながら、書いてゆきたいと思って、この小
論としたわけです。7
西
郷
隆
盛
と
そ
の
人
物
たた
氷川清話の中で、何度びとなく出てきて、口をきわめて称えられているのは、西郷隆盛でありま
す。私も大の西郷好きなので、その文を読んでいると、なんともいえず快い気分がするのです。西
郷さんは偉かったのだな、と改めて想ってみるのです。勝海舟の西郷についての言葉を二、三書い
てみましょう。
8
西郷と横井小楠
よこいしようなん
「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南洲だ。横井は、西
洋のことも別にたくさんは知らず、おれが教えてやったくらいだが、その思想の高調子なことは、
おれなどは、とてもはしごを掛けても、およばぬと思ったことがしばしばあったよ。おれはひそか
に思ったのさ。横井は、自分に仕事をする人ではないけれど、もし横井の言を用いる人が世の中に
あったら、それこそ由々しい大事だと思ったのさ。
その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方がまさるほどだったけれども、
いわゆる天下の大事を負担するものは、はたして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。
そこでおれは幕府の閣老に向かって、天下にこの二人があるから、行く末に注意なされと進言し
ておいたところが、その後、閣老はおれに、『その方の眼鏡もだいぶ間違った。横井はなにかの申
もつきよ
し分で蟄居を申し付けられ、また西郷はようやくご用人の職であった。家老などいう重い身分でな
いから、とても何事もできまい』といった。けれどもおれはなお、横井の思想を、西郷の手で行な
われたら、もはやそれまでだと心配していたのに、はたして西郷は出て来たわい。
西郷隆盛の人物
おれが初めて西郷に会ったのは、兵庫開港延期の談判委員を仰せつけられるために、おれが召さ
れて京都に入る途中に、大阪の旅館であった。そのとき西郷はお留守居格だったが、くつわの紋の
ついた黒縮緬の羽織を着て、なかなか立派な風采だったよ。
1 中略-
坂本竜馬が、かつておれに、『先生はしばしば西郷の人物を賞せられるから、拙者もいって会っ
てくるにより添え書きをくれ』といったから、さっそく書いてやったが、その後、坂本が薩摩から
帰ってきていうには、『なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ、少しくたたけば少しく響
き、大きく叩けば大きく響く。もしばかなら大きなばかで、利口なら大きな利ロだろう』といった
9西郷隆盛とその人物
が、坂本もなかなか鑑識のあるやつだよ。
西郷におよぶことのできないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、た
った一人で、江戸城に乗り込む。おれだってことに処して、多少の権謀は用いないこともないが、
あざむしようちゆうせんりやく
ただこの西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった。このときに際して、小簿浅略を
ヘヘヘへ
事とするのは、かえってこの人のためにはらわたを見すかされるばかりだと思って、おれも至誠を
たちぱなし
もってこれに応じたから、江戸城受け渡しも、あのとおり立談の間にすんだのさ。
せつ
西郷は、今いうとおり実に漠然たる男だったが、大久保は、これに反して実に藏然としていた
よ。
官軍が江戸城にはいってから、市中の取り締まりがはなはだめんどうになってきた。これは幕府
はたおれたが、新政府がまだしかれないから、ちょうど無政府の姿になっていたのさ。しかるに大
量の西郷は、意外にも、実に意外にも、この難局をおれの肩に投げかけておいて、いってしまっ
た。『どうかよろしくお頼み申します、後の処置は、勝さんがなんとかなさるだろう』といって江
戸を去ってしまった。この漠然たる『だろう』にはおれも閉口した。実に閉口したよ。これがもし
大久保なら、これはかく、あれはかく、とそれぞれ談判しておくだろうに、さりとはあまり漠然で
10
はないか。しかし考えてみると、西郷の天分のきわめて高い理由は、実にここにあるのだよ。
西郷は、どうも人にわからないところがあったよ。大きな人間程そんなもので… …小さいやつな
ら、どんなにしたってすぐ腹の底まで見えてしまうが、大きいやつになるとそうでないのう。
たいどこうりよう
西郷の大度洪量について、維新当時のもようをもう少し細かにいうと、官軍が品川まで押し寄せ
てきて、今にも江戸城へ攻め入ろうという際に、西郷は、おれが出したわずか一本の手紙で、芝、
田町の薩摩屋敷まで、のそのそ談判にやってくるとは、なかなか今の人ではできないことだ。
あのときの談判は、実に骨だったよ。官軍に西郷がいなければ、話はとてもまとまらなかっただ
ろうよ。その時分の形勢といえば、品川から西郷などがくる、板橋からは伊知地などがくる。また
江戸の市中では、今にも官軍が乗りこむといって大騒ぎさ。しかし、おれはほかの官軍には頓着せ
ず、ただ西郷一人を眼中においた。
そこで今話したとおり、ごく短い手紙を一通やって、『双方どこにか出会いたるうえ、談判いた
したい』との旨を申し送り、また、『その場所は、すなわち田町の薩摩の別邸がよろしかろう』
と、こっちから選定してやった。すると官軍からもすぐ承知したと返事をよこして、いよいよ何日
の何時に薩摩屋敷で談判を開くことになった。11西
郷
隆
盛
と
そ
の
人
物
.’当
日のおれは、羽織袴で馬に乗り、従者一人をつれたばかりで、薩摩屋敷へでかけた。まず哺室
へ案内せられて、しばらく待っていると、西郷は庭の方から、古洋服に薩摩風の引っ切り下駄をは
いて、例の熊次郎という忠僕を従え、平気な顔で出てきて、『これは実に遅刻しまして失礼』と挨
拶しながら座敷にとおった。そのようすは、少しも一大事を前に控えたものとは思われなかった。
さて、いよいよ談判になると、西郷は、おれのいうことを一々信用してくれ、その間一点の疑念
もはさまなかった。
『いろいろむつかしい議論もありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします』
西郷のこの一言で江戸百万の生霊(人間)とその生命と財産とを保つことができ、また徳川氏も
どうちやく
その滅亡を免れたのだ。もしこれが他人であったら、いやあなたのいうことは、自家撞着だとか、
きようととんしウうきようじゆん
言行不一致だとか、たくさんの兇徒があのとおり処々に屯集しているのに、恭順の実はどこにあ
るかとか、いろいろうるさく責めたてるに違いない。万一そうなると、談判はたちまち破裂だ。し
かし西郷はそんなやぼはいわない。その大局を達観して、しかも果断に富んでいたには、おれも感
心した。
このとき、おれが殊に感心したのは、西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失わ
12
ず、談判のときにも、始終坐を正して手を膝の上にのせ、少しも戦勝の威光でもって敗軍の将を軽
かいかつ
べつするというようなふうがみえなかったことだ。その胆量の大きいことは、いわゆる天空海澗
で、見識ぶるなどいうことは、もとより少しもなかった。」
勝海舟が西郷南洲を畏敬していたことは、これらの文章でよくわかるのですが、勝海舟も薩摩の
豪傑連中が、殺気に充ちて、この二人の談判の様子をうかがっているし、外には、官軍の兵隊が屯
集している中で、自分の思っていることを平気で述べたて、西郷と胸きん相照すところなどは、正
に西郷に劣らぬ英傑であったわけです。
勝海舟のこうした胆力と同じように、西郷も胆力の並々でないことを、海舟は次の事柄で驚きな
がら懐かしがっております。
西郷の豪胆さ
「あの人見寧という男が若い時分に、おれの処へやってきて『西郷に会いたいから紹介状を書い
てくれ』といったことがあった。ところがだんだんようすを聞いてみると、どうも西郷を刺しにい13西
郷
隆
盛
と
そ
の
人
物
あなた
くらしい。そこでおれは、人見の望みどおり紹介状を書いてやったが、中には「この男は足下を刺
すはずだが、ともかくも会ってやってくれ」と認めておいた。
それから人見は、じきに薩州へ下って、まず桐野に面会した。桐野もさすがに眼がある。人見を
見ると、その挙動がいかにも尋常でないから、ひそかに彼の西郷への紹介状を開封してみたら果し
て今の始末だ。さすがに不敵の桐野も、これには少しく驚いて、すぐさま委細を西郷へ通知してや
った。ところが西郷はいっこう平気なもので、『勝からの紹介なら会って見よう』ということだ。
そこで人見は、翌日西郷の屋敷を尋ねていって、『人見寧がお話を承りにまいりました』という
と、西郷はちょうど玄関へ横臥していたが、その声を聞くとゆうゆうと起きなおって『私が吉之助
だが、私は天下の大勢などというようなむつかしいことは知らない。まあお聞きなさい。先日私が
おおずみ
大隅の方へ旅行した。その途中で、腹がへってたまらぬから十六文で芋を買って食ったが、たかが
十六文で腹を養うような吉之助に、天下の形勢などというものがわかるはずがないではないか』と
いって大口をあけて笑った。
血気の人見も、このだしぬけの話に気をのまれて、殺すどころの段ではなく、挨拶もろくろくせ
ずに帰ってきて『西郷さんは実に豪傑だ』と感服して話したことがあった。
14
*
おの
「己れが嘗て大久保一翁から聞いて感心したことがある。彼の江戸城引渡しの当時、西郷につい
まんと
ての一美談だ。その当時というものは、非常な物騒な時節で、殺気満都に充満するというような、
なかなか油断の出来ない時分だ。それ故に城を受取りにくる官軍の委員等も、非常の警戒で、堂々
たる官軍の全権委員の一人が、狼狽のあまり、片一方の足の草履をはきながら、玄関をかけずり昇
ったという位な奇談さえ残っているのだ。
この物気味の悪い中を、西郷めは、図太いとも横着にも、悠々として少しも平生に異ならず、実
かんもくなかんつく
に貫目があったということだ。就中驚いたことは、城受渡しに関するいろいろの式が始まると、西
郷先生居睡りが始まった。それから諸式がすんでしまって、みなの全権委員らがグングン引取って
さすがかたわら
しまうたけれども、なお先生はフラリフラリとやっている。流石の大久保参政一翁も、傍よりた
もはや
まりかねて「西郷さん西郷さん、最早式がすみまして、皆さんお帰りでござる」とゆり起せば、先
ねほな
生ハアーと言いながら、寝惚け顔を撫でつつ、悠然としてぼつぼつ帰って行ったということで、一
翁もひどく感心して居たよ。なかなか図太い奴だ、数十日来奔走のために、疲れていたものだか
ひつきよう
ら、城受渡しの間に、暇を見つけた気で、居睡りとは恐れ入るではないか。畢寛ここが彼の維新元15西
郷
隆
盛
と
そ
の
人
物
勲の筆・頭に数えられる所だ」ー三舟秘話1
16
東京が戦火に蔽われることなく、外国同志の戦が、この日本で行われることもなく過ぎたのは、
確かに勝海舟と西郷隆盛という、二大人物の力が中心になっていたことは事実であり、東京の今日の
繁昌の礎は、大久保利通の力によることが大であった、と氷川清話でもいっていますが、国の大危
機に際しては、こうした大人物が必ず生れ出るものであります。
大人物の最大の要素
氷川清話では、種々の偉れた人物の話がでてきますが、私も勝海舟のいうように、なんといって
も、西郷南洲を第一の人物としてあげずにはいられません。その最大の要素は、自我を滅却して、
つちか
常に大義のために生ききってきた態度であり、それにつれて自然と培われたであろうところの、
滅多に真似のできない広い心、大度量であります。
西郷の心というものは、天の心がそのまま、肉体に現われたような素直な広い心でありまして、
ぼくとつヘヘヘへ
みせかけや、小細工の少しもない純真朴訥なるそのまNの心です。そういう天の心そのま凶の現わ
れは、愛ともなり義ともなり、寛容の心ともなり、真正直な心ともなり、人を圧する迫力ともな
り、胆力の太さとなって、人々を魅了せずにはおかぬ人格を形成していたのであります。
今日こそ、こういう大人物が出現して欲しいのですが、西郷や勝や大久保のような大きな人物
は、なかなか出現してはこないので、今日では未だ探し当りません。
こういう滅多にでない大人物に誰でもがなれるわけではないのですが、こういう大人物の片鱗ぐ
らいは現わせないわけはありません。そういう大人物に近づいてゆくためには、広く世界の動きを
見徹せる眼力を備えなければなりません。
ところが、肉体をもった自己の生活や、自己の地位や立場に把われていたら、とても、世界の動
きどころか、自己の周囲の動きさえも正確に把握することすらできません。
人間の真実の能力というものは、普通人ボ現在発揮しているものの、何百倍、何千倍、盈もっと
みずか
もっと素晴しいものをもっているのですが、これを自ら抑えて発揮させていないのが現代の知識や
経験による、自己限定の生き方にあるのです。
人間にはこれだけの力しかないものだ式の過去の歴史に照し合わせた自己限定程、人間の進化を
遅らせているものはありません。一朝有事の際には、思いがけない力を人間は発揮するものである17西
郷
隆
盛
と
そ
の
人
物
ことは、誰でも知っているのですが、ふだんから、全力発揮の方向に人間は向ってはいないので
す。西郷や大久保でも、国家の危機という重大時期に当ったので、自我を大義に滅することがで
き、あれだけの働きをしたのかも知れません。時代が大人物を創りあげたともいえます。
それなれば、今日こそ、明治維新以上ともいえる国家の危機であり、人類全体の危急存亡の時で
もあるのです。明治維新の時以上の大人物が出現しないわけがないのです。ところが、現在見渡し
たところ、西郷、勝、大久保などという人物に匹敵する人物は、今のところ表面に現われてはおり
ません。
しかし必ず、大人物が出現せずにはおれない時に現在はなっているのであります。一国家、一民
族の危機ではなく、全世界が滅亡の淵にさしかかろうとしている今日において、西郷、勝に比すべ
き、或いはその人々を遥かに超越する超々人間ともいうべき大人物が、各所に現われるであろうこ
とを、私は堅く信じております。
宗教界からも政界からも、実業界からも、科学者の世界からも、現在迄の歴史の上においては見
られなかった超越的、神格的人物が、必ず出現してくるであろうことを、私は待ち望んでいます。
私も宗教と科学との融合による大調和の道をつくりあげるべく、神のみ心のまN歩みつ父けており
18
ます。
自己限定するな、前進せよ
こういう超越的人物の出現のことはさておきまして、こういう超越的人物の心を心として、社会
国家のため、人類世界全般のために働き得る人々を多くつくり出さなければなりません。
自己の偉大さを誇大に宣伝してみたり、人の手柄を横取りにし、自己の責任は常に他に転嫁した
り、枝葉の細かいことばかりに気を取られて、人間の根本の生き方を忘れ果てていたりする、いわ
ゆる小人的人物を浄め去ってゆく仕事も、なかなか大事なことであると思います。表面にはっきり
悪と現われていることは、これは法律的に取締ってゆけばよいでしょうが、法律的にはひっかから
ないけれど、自己の魂を傷つけ損ね、他の人々の心や運命を暗くしてゆくような、闇の使いのよう
な人間を少しも早く浄化させてゆかなくてはなりません。そのためには、一般の大人物ではない
が、心の汚れは少いという健全なる精神の持ち主たちが、一つの目的をもって結集してゆくことが
必要だと思うのです。
一人一人の力では弱いし、それ程乗り気になれぬ運動でも、二人三人、十人二十人と数が増して19西
郷
隆
盛
と
そ
の
人
物
ゆくごとに、力が非常に強くなって、大人物並の大ぎな力になってくるのです。私はそれを、祈り
による世界平和運動として、実行しているのであります。
自分では人物ともなんとも思っていない人示、一つの目的のために働いているうちに、意外と思
われる程、あらゆる面での能力を発揮してくることもあり、いつの間にか大人物に成り上っている
場合もあるのでして、自己の素質が、いつどこで大きな力を発揮するかわからないのです。
私なども二十代には平凡な正義感に燃えていた血の気の多い青年、というだけでしたが、三十代
には、まるで違った人間になってしまって、心の眼がはっきり見開かれ、人の心も世界の心も、
銃にうつるようにわかってくるようになって、祈りによる世界平和運動を神のみ心のま二に推進し
かこせしゆくえん
てゆくようになったので、人間はいつ、過去世の宿縁が浄められて本心が開くかわかりませんし、
いつ霊能を得、霊覚者になるかも、自分自身としてはわからないものなのです。
ですから、やたらに自己限定して、自分は駄目なものなり、と思ったり、人類は平和になどなり
っこないよ、などと、自分で何事もやらないで、そうした虚無的な投げやりの気持になっているこ
とが一番いけないことなのです。
人間にはたゆみなき前進があるのみなのです。人間は後退することを許されておりません。後退
ao
すれば、それだけより以上前進せねばならぬようにできています。少しつつでもよい、前進に前進
を重ねてゆく時、その人はそれだけ立派になっているのですし、本心が輝いているのです。
怠惰な想念や、虚無の想いに把われて、人間の本性である、たゆみなき前進の心を忘れてはなり
ません。進め、進め、進まざれば魂は死の道に止ります。人間の目指す進路は、神のみ心の中であ
り、世界人類大調和の世界です。
泣き言や不平不満、そんなものは、すべて過去世の業因縁の消えてゆく姿です。心を広く、心を
大きくして、自己の置かれた立場で全力を挙げて生きぬいてゆく人こそ、神の子として称えられる
人であり、やがては大人物としての素地を磨きあげている人なのであります。
不平不満や泣き言は、すべて世界人類の平和を願う祈り言の中に入れきって、世界平和の祈りの
本源の大光明波動を身心に受けて、瞬々刻々を勇気をもって生きてゆく時、その人はこの世でも幸
福になり、彼岸にいっても自由自在心を得るのであります。
大人物になるためには
人間の自由自在心を抑えているものは、すべて自己のもっている業想念です。これはいけない、
21西郷隆盛とその人物
あれはいけない、あんな奴はいや、こんな場所は駄目、と、ごとごとに自己の立場でばかりものを
みている想い、いわゆる自我(小我)欲望、そういうものは少ないにこしたことはないのですから、
常に、消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中で、光明波動と取りかえて貰うのです。守護の神
こた
霊方は必ずあなた方の願いに応えて、あなた方の本心開発を促進させ、あなた方の心を自由に明る
くしてくれるのです。
小さな、こちょこちょしたことで心をわずらわせたら、西郷や勝や坂本や山岡や、日本にも外国
にも大人物はかなりいましたから、自分の好きな大人物のたどってきたことなどに想いをはせて、
観を大きく転換させてゆくとよいのです。そして同時に平和の祈りをして、心の中を光明波動で充
満させて置くのです。
そういう風に、いつでも、業想念が現われてきたら、その波にひきこまれてしまわぬうちに、広
い心のほうに明るい心のほうに転換させてゆくことが大事なのです。
偉人の伝記や、大人物を書いた読物とか、発明発見の物語だとかを読んで、とにかく、つまらぬ
想いのこたくをすぐに払ってしまうことが必要です。
なんにしても、一番易しいのは、たゆみない世界平和の祈りでありまして、何かにつけて、世界
22
平和の祈りを祈りますと、世界平和の祈りがもっている大光明波動が、その人の心を洗い浄めてく
れますので、常に常に祈り心でいますと、やがては人格が一変して、暗い弱い人柄が、見違えるよ
たくま
うに、明るい逞しい人柄になってきたりします。
世界平和の祈りになれてきますと、その光明波動は次第にその人の身心を通して、宇宙に広がり、
おの
暗い想念、罪悪の想念、殺傷の想念など、悪い不幸な想念波動を、自ずと浄めてゆくのでありま
す。
そういう祈りによる世界平和運動の同志が増えてゆくにつれて、世界人類の誤った想念波動が浄
まってゆき、人類の心は自然と明るく調和したものになってくるのです。
ですから、一人一人が大人物になろうとしても、なかなかなれるものではないので、まず祈り心
で神のみ心とつながり、平和の祈りによって、宇宙中に光明をふりまき、自ずと大人物並みの働き
をしている、という状態になるのが、今日における一番易しい生き方だと思うのです。
釈迦もキリストも、老子も孔子もマホメットも、法然も親鸞も道元も、そして空海も伝教も日蓮
も、ありとしあらゆる聖賢は、すべて、地球人類の完全平和のために、神霊の世界から援助の手を
差しのべているのであります。
23西郷隆盛とその人物
これは真実のことです。もっともっと科学が発達してきて、神霊世界との交流が科学的にできる
ようになったら、実に明らかに神のみ心がわかってくるし、人間の真実の姿もわかってくるのです
が、現在ではまだ、先にわかった人が、後からくる人の手をひっばって、神のみ心の絵解きをし
ているわけで、私は消えてゆく姿で世界平和の祈りという道をひらいて、後からくる人の光明のエ
レベーターとなっているのであります。
イスラエルとアラブの間もまだく本格的の調和には程遠く、東南アジアの戦乱もなかなか容易
に治まりそうもありません。戦火の起りそうなところは、他にもたくさんあります。こういう現在
こうしよう
において、一人一人の人間が、た父黙って、自分自身の、しかも業生の想いの中で生活していてよ
いものでしょうか。それでは自己も人類も共に滅亡に向って急速に進んでいってしまいます。どう
か心ある人々よ、一日も早く祈りによる世界平和運動の重要なる一員になって、自己と人類同時成
道の道を突き進んでいって下さい。それだけが私の願いであるのです。
24
西郷隆盛を想蓋ノ
敬天愛人のひと
西郷隆盛という名をきくと、いつでも私の胸がじいんと熱くなってくるのですが、これはキリス
トや仏陀を思う時と等しいほどの畏敬の念からくるのです。そして、それに加えて人間としての親
かんたん
近感というものがあるのです。同時代に生きていたら、肝胆相照すという仲になっていたのでは
ないか、などと思えてくる人物なのです。
今の若い人はどうか知りませんが、明治大正あるいは昭和のはじめの頃の人のなかには、西郷さ
んを好いている人がかなりおります。西郷さんのどこにそんなに魅力があるのかといいますと、一
ロにいうと常に天の心と一つになっていた私心の無い大らかさ、その正しさ、それに、たぐい稀な25西
郷
隆
盛
を
想
う
る胆力とにあると思います。
法然にしても親鸞にしても道元、空海、白隠、良寛等々、宗教者のなかには尊敬すべき人がたく
さんおりますが、武人のなかで私の最も尊敬しているのが西郷南洲なのです。西郷さんは武人と限
定するより、偉人という言葉がそのまま当てはまる人であるのです。今日の政治家のなかに一人で
もよいから、西郷さんの精神をそのまま行動に現わしてくれるような人物が存在したら、日本の状
態は、もっと明るく確かなものになっているであろう、と思うのです。
国の運命よりも、まず自己の地位権力を守ろうとする、自己本位の政治家の多い現代に、西郷さ
んの天を敬い人を愛す、という心や、人を相手とせず、天を相手にせよ、天を相手にして己れを尽
たとが
し、人を餐めず、我が誠の足らざるは尋ぬべし、という言葉を、何度びでも聞かせたい気持です。
そこで今日は、西郷さんの遣訓や逸話を中心にして、話をすすめてゆきたいと思います。
○
道は天地自然の物にして人はこれを行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我れも同
一に愛し給ふゆえ、我れを愛する心を以て人を愛するなリ。
○
26
とが
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽し、人を餐めず、我が誠の足らざる
たず
を尋ぬべし。
O
へいぜいのぞろうぱい
平生道を踏まざる人は、事に臨みて狼狽し、処分に苦しむものなり。例せば出火のとき、平生処
分あるものは動揺せずして、鴫黛も能く出来るべしと馨・平生処分なきものは・唯だ狼狽して
掛く所を知らざるに至る。されば平生道を踏み居るものにあらざれば、事に隈みて策略は出でざる
なり。
0
うれもくざせいし
事に当リて思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡そ平生黙座静思の際に思慮すれば、有事のとき十
そつじたとがしようむびきへんみようけい
の八九は履行せらるるなリ。事に当リて卒示に思慮するは、磐へば臥床夢寝の中に奇篇妙計を得る
もうそうそく
が如く、翌朝起床の時に至れば、無用の妄想に属すること多し。
なんともいえぬよい言葉です。実行しなければなりません。
しさつ
命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬといふ人は、仕末に困るものなり。然しこの仕末に
困る人ならでは、顛難を共にして国家の大業は成し得られぬなリ。… … 道に立ちたる人ならでは彼
27西郷隆盛を想う
の気象は出ぬなり。
西郷さんその人がこうだったのです。
○
こぞきずつ
道を行ふ者は天下挙って段けるも足らざるとせず、天下挙って誉めるも足れりとせざるは、自ら
信ずるの厚きが故なリ。
あやまちそ
過を改むるに、自から過ったとさえ思ひ付かば、夫れにて善し。その事をば棄てて顧みず、直
つくろ
に一歩を踏み出すべし。過を悔しく思ひ取り繕はんとて心配するな、磐へば茶碗を割リその欠けを
集め合せ見るも同じにて詮もなきことなリ。
これは私の歌の
おろ
誤ちを悔ゆるはよけれ悔のみに生くるいのちは愚かしきもの
と全く同じ心であります。
○
或る時「幾歴辛酸志始堅、丈夫玉砕悦甑全、一家遣事人知否。不為児孫買美田」
〈幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、丈夫玉砕するも獣翻を轡づ、一家遣事人知るや否や、児孫
羽
の為に美田を買わずVを示されて、もしこの言に違ひなば西郷は言行に反したるとて見限られよ、
と申されけリ。
た
これは多くの人々が知っている有名な詞です。西郷さんは、島津藩の下級武士の家に生れ、何度
びとなく辛い想い苦しい立場に立たされたりして、小さい時から身をもって苦難を切りぬけてきな
がら、深い学問を身に修め、その心身を錬えあげてきたのですが、その経験が、本心の開発に役立
ったわけなので、天道のままに生きることが真の道であることを身をもって知っていたわけなので
す。それがこの詩の心に現われていまして「瓦のままで身を全うするより、時至れば、身心を投げ
打って、玉のように砕けよう。大丈夫というものはそういう心がけでいなければならぬもので、一
身上のことや子孫のために財産を残しておくようなことを考えてはならぬ」というのです。
金持の子供や有名人の子孫に、駄目な人間の多いのは、祖先の財産や地位に頼りすぎて、自己を
きた
磨き錬えあげることをおろそかにしてしまうからなので、財産や地位そのものが邪魔なわけではな
いのです。しかし、財産や地位権力が親代々からあるようですと、どうしても自己を磨くことを怠
ってしまいがちです。西郷さんはそこのところをいっているわけなのです。金持が天国に入るの
は、ラクダが針の穴を通るよりむずかしい、とイエスがいっているのも、ここのところなのです。29西
郷
隆
盛
を
想
う
きた
人間はやはり、自身が自覚して身心を錬えあげなければ立派な行為のできる人物には成り得ないの
です。子孫のためを思うならば、子孫が本心開発のやさしくでき得るような立場を与えてやること
が真の愛なのであります。
○
ニつき
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始す。
かいかひつなこながな
己れに克つの極功は、意母く、必母く、固母く、我母しと言えリ。総じて人は己れに克つを以て成
り、自から愛するを以て敗るるものなリ。よく古今の人物を見よ。事業を創起する人その事たいて
い十に七、八まではよく成し得れども、残り二つを終りまで成し得る人の希なるは、始めはよく己
れを慎み事をも敬するゆえ、功も立ち名も顕あるるなリ。功立ち名顕わるるに従い、いつしか自か
きようくかいしんゆるきようじたのいやしく
らを愛する心起り、恐催戒慎の意弛み、驕衿の気長じ、その成し得たる事業を負み、筍も我が事
と
を仕遂げんとして、拙き仕事に陥いリ、終に敗るるものにて、皆自から招くなリ、故に己れに克ち
み
て、賭ず聞かざる所に戒慎すべきなリ。
か
己れに克つというのは、自己の私利私欲自我欲望の想念に克つ、ということですし、みずからを
愛するというのは、やはり、自分の利益や、感情の満足というように自己の都合のよいことのみを
30
思う、ということをいうので、真に自己を愛することは、天地自然の道にのっとり、宇宙運行の心
をみずからの心として生活してゆくことなのです。西郷さんは道は天地自然の道なるゆえ、といっ
て敬天愛人を目的として生きていたわけです。人間というものは、はじめは、身を修め、すべてに
謙虚にやってゆくのですが、功立ち名が顕われると、身をつつしまず、不遜な態度になってしまっ
て、日通事件の社長のような馬鹿なことをしてしまうので、名が顕われてきたり、事業が大きくな
ってきたりしたら、よけいに身をつつしみ、天を敬い人を愛して生活をつづけなければいけないの
です。
人は常に天のみ心を地に現わすための一役を買っているという自覚をもたなくては、人物という
ことにはならぬのです。代議士になった大臣になった、重役になったというぐらいで、偉そうにそ
りかえっていたのでは、その人物はたいしたものではありません。せっかく過去世の善因で得たそ
の地位がかえってその人の魂の汚れとなってしまうのです。人間とは天地を貫いて生きているもの
であり、大宇宙のなかの永遠の生命であることを知らねばなりません。
○
聖賢に成らんと欲する志なく、古人の筆跡を見ても連も企て及ばぬという様なる心ならば、戦ひ
31西郷隆盛を想う
に臨みて逃げるよりなほ卑怯なり。
誠意を以て聖賢の書を読み、その処分せられたる心を身に体し心に験する修業をいたさず、ただ
かやうの言、かやうな事といふを知りたるとも、何んの詮なきものなリ。予、今日人の論を聞く
に、何程尤に論ずるとも処分に行き渡らず、ただロ舌の上のみならば少しも感ずる心なし。真にそ
の処分ある人を見れば、実に感じ入るなリ。聖賢の書を空しく読むのみならば、轡へば人の剣術を
傍観するも同じにて少しも自分に得心出来ず。自分に得心出来ず万一立ち会へと申される時、逃る
よりほかあるまじきなり。
百知は一真実行に及ばず、誠実真行万理を知るに勝る。これは私の修業中、守護の神霊からの言
葉です。聖賢の言葉を常に行為に現わすように、私たちは努めなければいけません。
○
鱈鯉に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、瞥甥なりとも私を挾みては済まぬものなリ。
とた
如何にも心を公平に操りて正道を踏み、広く賢人を撰挙して、よくその職に任ゆる人を挙げて政柄
を執らしむ。これ即ち天意なり。それ故、真に賢人と認むる以上は直に我が職を譲るぼどならでは
た
叶はぬものなり。何ぼど国家に勲労あるとも、その職に任へぬ人を官職を以て賞するは、善からぬ
32
ことの第一なリ。官はその人を撰びてこれを授け、功ある者は俸禄を以て賞し、之を愛し置くもの
ぞ。
実に立派なことをいっています。現在の政治家は、よくよく身にしみてこういう言葉を聞かなけ
ればいけません。派閥をつくったり、自分の子分や家の子分や家の子郎党をよい地位につけようと
よこしま
したり、古い順に大臣にしあげたり、実に大政を行うに邪なる行為をしているわけで、天道を離る
ることはなはだしいものがあります。
情は情、道は道であります。情に対しては個人的に対すればよいのでありまして、国家の政治を
情のために動かしているようでは、政道が正しくゆくわけがありません。自分に苦言を呈する人で
も、その人が賢人であれば、その人にふさわしい地位を与えるべきなのです。
○
ぎようこう
世人の唱ふる機会とは、多くは僥倖の仕当てたるを言ふ。真の機会は理を尽くして行ひ、勢力を
つまびら
審かにして動くと言ふに在リ。平日天下国家を慮ふる誠心厚からずして只時のはずみに乗じて成
し得たる事業は決して永続きせぬものぞ。
○
33西郷隆盛を想う
正道を踏み、国を以て発るるの精神なくば外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し、円滑
けいぶ
を主として曲げて彼の意に順従する時は軽悔を招き、好親却て破れ、遂に彼の制を受くるに至ら
ん。
全く西郷さんのいう通りでありまして、自己の心を天の道に通じさせておかないで、自己の実力
をつくっておくこともせずに、ただ僥倖的に得た機会で、地位を得たり、事業に成功したとして
も、それは天下国家を思う誠心でなったのではないのだから、永続きはしないのです。過去世の善
因の消え去ってゆく姿でしかありません。これを外国との政治の道としてみれば、いたずらに外国
の強大な力に萎縮してしまって、なんでもかでもそちらさまのいう通り、ご無理ごもっともでやっ
ていたのでは、相手がこちらを軽悔するだけで、ともに手をたずさえてやってゆこうなどと思わな
くなり、従属国として命令を下してくるだけになってしまいます。
現在の日米の間などは、正にそうなりかけているのです。国のためには自己の地位はおろか身心
を投げ打つという心構えがなくて、総理大臣とか外務大臣とかいう要職につくのは愚かさの限りな
のです。一体天の意はいつこにあるのか、日本の天命はなんであるのか、そういう重大なことをし
っかり考えもしないで、ただいたずらにその時々の外国の風当りで国政を左右してゆくようでは、
34
とてもその内閣は国民の頼りになりません。日本は人類のためにいかにあるべきか、という根本原
理が一番大事なのでありまして、外国がどうでてくるか、ということは第二義のことなのです。米
国がこういう考えだから、中国がこれこれだから、といつでも、外国の在り方中心で国政をきめて
ゆこうというのでは、とても国民の頼りになりません。
まず最初に日本の生き方をしっかと定め、それから外交に当らなくては、常に腰がふらふらして
いて、西郷さんが憂いているように外国の制を受けるに至ってしまいます。
日本の存在することが天意でなければ、いかように手をつくそうとも、日本は滅びるでしょう。
しかし、よく終戦時から今日までの日本の運命の動きをみきわめて下さい。もし日本が滅びる運命
にあるならば、天皇の存在がそのままですむことはなかったでしょう。大体敗戦国の元首がそのま
ま無事で、その国で過していられるなどということは、そのことそのものが奇蹟であり天祐であっ
て、日本の運命の将来を示しているようであります。
また天運が日本に幸いしなければ、日本は朝鮮のようにベトナムのように、ドイッのように、東
西、南北二つに分断されていたことでしょう。だが日本は一つの日本でした。九州から北海道ま
で、日本は一つの政治の下に統一されているのです。これも天運に守られている証拠といわなけれ35西
郷
隆
盛
を
想
う
ばなりません。こういう根本的なことが日本に幸いしていることを考えるならば、日本は天皇を頂
点として今後も存続し発展してゆくことを、はっきり天から示されていると考えるより仕方があり
ますまい。
こういうことを根本にして、日本の政治家は日本という国に、もっと自信をもって立ってもよい
のです。政策の問題は二の次でありまして、日本の運命を信ずることと、日本の天命を完うせしめ
る覚悟をもつことが第一なのであります。
正道を踏み、国を以て艶るるの精神なくば外国交際は全かるべからず。この西郷さんの言葉は明
治の時代でも今日でも真理の言葉であって、時代によって変化するようなものではありません。や
がて時が至れば、日本も中国も米国も全く一つの地球という世界に統一されて、大宇宙のなかで、
星と星との交流ということになるのはかなりはっきりしておりますが、今日の世界は日本も米国も
中国も、一つ一つの国家として分れておりますので、各々の国家が自国の天命を完うしてゆくこと
が、天意にそった生き方ということになるのです。そこで、日本の政府は日本の天命をはっきり知
って、その想念からすべての行動をなさねばならぬ、と私はいうのであります。
36
天意に従う
すぺかつかな
南洲翁は「凡そ事を作す須らく天に事うるの心有るを要すぺし。人に示すの念有るを要せず」と
たいじようけい
いっておりますし「太上は天を師とし、其の次は人を師とし、その次は経を師とす」といっている
のでありまして、常に天の心を心として事に当ることの必要を説いております。天とは神というこ
とでもあり、宇宙の運行ということでもあります。
大宇宙の運行はすべて、調和を目指してなされております。それは素粒子の世界から、星の世界
に至るまで、すべて調和を得ることを目的として活動しているのであります。ですから、大宇宙の
み心にそって生きるということは、調和に向って進むということなのです。お互いが争い合い殺し
合うことが天意でないことは実にわかりきったことです。また恨み合い憎み合い、だまし合ったり
することも天意でもなく神のみ心でないことははっきりしています。
それなのに、何故国際関係では、この天意でないことのみを行っているのでしょうか。それは古
はずカルマ
からの道を外れた習慣が今日にまでつづいているのでありまして、これを光を蔽う業の波というの
であります。お互いの国が天意によって生かされているということを忘れ果てて、自国そのものの
37西郷隆盛を想う
力で生きている、と誤り思っていることが、自分たちの力で自国を守ろうということになり、これ
が敵が攻めてきやしないかという疑心暗鬼を生んで、お互いに武力を増大し、相手より先に自国が
攻めてゆき、有利な状態をつくろうと考え、度び重なる戦争となっていったのであります。
お互いの国が神のみ心、天意によって生かされているのだ、と知った時に、はじめて争いはなく
カルマ
なるのですが、そう自覚するより先に自己をくらます業の波に本心を蔽われてしまって、お互いに
争いをくりかえしてしまうのです。
第二次大戦で日本が敗けたのは、日本がまず敗戦によって、自国にまつわっている誤った想念、
カルマ
いわゆる業を消し去ったわけなので、そこに、天意として、平和憲法が現われてきたのでありま
す。平和憲法は単に米国が日本の占領政策のためにつくったというものではなく、やはり天意によ
るものとみなければなりません。これは天皇の存続や、国が二分されなかった恩恵と同じように天
意でなくてなんでありましょう。自分に都合のよいところだけは天意で、都合の悪いところは米国
の謀略というのでは、その人たちの心は、素直でない心ということになります。
西郷さんなどは、実に素直に天意に従っております。いつも私心のない裸の心で、天意をそのま
ま受けていたのです。私なども常に祈り心で天意のままの行動をしております。そこから、世界平38
和の祈りが生れでたのでありますし、西郷さんの神霊が常に私の背後で力づけておられることも、
同志の人が霊視しています。神のみ心に素直、天意のまま、ということが人にとってはなによりも
大事なことなのです。
日本の天命を確信せよ
ところが小智才覚で、自己の利害得失を考えて行動しますと、つい天のみ心を見失ってしまうの
です。それはたとえ国家の運命に関することでも、小智才覚で計ってはならぬのです。小智才覚を
ひとまず捨てて、日本の天命の本源に立って、国の運命を計らねばならないのです。
日本の天命は、和を以て貴しとなすの、聖徳太子のみ心の通りです。天皇のみ心もその通りだと
思います。そして今日では、それを実行できる立場に日本は置かれているのであります。日本は今
こそ世界の中心に立って世界平和を絶叫できる立場に立っているのです。それをなんで今更強力な
軍備がなくては外交に力がないなどと、明治以前からの言葉を繰り返しているのでしょう。徹底
した平和論こそ、現在の日本政府の為すべきところでありまして、社会党や共産党の平和論のよう
に、自分たちの都合のための一時的な平和論、革命の牙をかくした平和論などに、先を越されるぺ
39西郷隆盛を想う
き性質のものではないのです。
日本の天命が成らぬならば、日本の存在がこの地球上では無意味なのだ、とはっきり割り切っ
こぺん
て、国を賭して絶対平和の基盤を築き上げるべきなのです。もう右顧左隔する必要はありません。
政府の肚がしっかり一つに堅まれば、国民はおのずと従ってゆきます。肚に力のないふらふら腰の
政府では革命を意図する連中のよい餌になります。国が一つになって世界の平和を守る決意がつけ
ば、革命も外国の侵略も恐るるに足りないのです。絶対平和達成の政府国民一体の強い決意が何に
も先がけて必要なのであります。
明治天皇も心から平和を望まれておられた方で、
よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ
というお歌があります。明治大帝も神界から世界の平和のため、日本の天命達成のため西郷さん
とともに真剣な働きをなさっておられるのです。ここで明治大帝と西郷さんの仲をご紹介しておき
ましょう。
40
南洲逸話
明治天皇は西郷さんをことのほか信頼なさり、かつ愛していられました。明治天皇は西郷さんの
いうことなら絶対信頼なさって、二言目には、西郷がやれというからやるのだ、と仰せられ、ご乗
馬でも相撲でもなんでもやられたということであります。
また西郷さんのほうでも陛下のために身心を投げ打っておつくししていたので、陛下のこ尊体を
案じ申し上げることは一通りではありませんでした。明治六年の春、明治天皇が習志野の大演習に
行幸された時、西郷さんも従っていましたが、大雨であったにもかかわらず、天皇は天幕の中でお
寝みになられました。すると西郷さんは天皇の万一を慮いまして、雨中に天幕の側でつぶぬれにな
って一晩中ご警護申し上げていたということでした。
うつ
西郷さんが亡くなった後のこと、天皇が夜中に夢現つとなく「西郷を呼べ西郷を呼べ、隆盛はい
かがいたしたか」と何度びとなく仰せになるので、近侍の大官も側近の者たちもほとほと困り、西
郷さんの弟の従道に旨を含めて奉伺させますと、陛下も、ご機嫌がお和らぎになったということで
あります。陛下は常に西郷が生きていたらば、ということを仰せになられたということでしたー
こういう話でも、いかに西郷さんの人格が偉大であったかということが肯けます。
こういう最高の立場にあった西郷さんでしたが、日頃の態度は恭譲で遠慮深く、老若婦女に対し41西
郷
隆
盛
を
想
う
ても非常に温和でありまして、弟の従道を訪ねたとき不在で、下碑が昼めし時に、汁をつくって持
ってきたのを食べながら、本を読んで弟の帰りを待っていました。やがて従道が帰ってきて、そ
の汁を吸って食事をしますと、その味があまりに薄く食するに耐えぬのに驚いて、南洲翁に謝罪せ
しめようとしますと、南洲翁は、あわててこれを止めて、汁の甘い辛い位は人を叱るだけのことで
はない、といったのでした。このように小さなことで人を叱ったり、人の手を労することを遠慮し
たりする人だったのです。
天皇の信頼ことに厚い権力の座にありながら、謙虚で思いやり深く、月給を持ってきても、先月
の分がまだあるからと返えしてしまうような無欲であり、畑の真中で真上に雷が落ちてきても、平
気で立っていられるような豪胆でありながら、縁が深い人には、自己の立場が悪くなることなどお
かまいなしに優しくしてやれる裸の心をもっていた西郷南洲。常に誠心誠意、天を敬い人を愛し、
正しきことには身命を投げ打って立ち向かう、誠実真行の人西郷隆盛。こういう人が現代に何故現
われぬのか、私は西郷南洲翁を想う時、こうした大偉人の再び現われることを待ち望む気持が切々
とするのであります。
42
吉田松陰
– 大人は天地の理の中に生きるー
体は私、心は公
明治維新の前後には、素晴しい人物が輩出しましたが、現代では大人物というのにあまりお目に
かかりません。これは一体どうしたことなのでありましょう。
現代の日本は、明治維新の頃以上に、大人物の必要な重要な時期に立ち至っているのですが、何
しよういん
故大人物が現われてこないのでしょう。吉田松陰の「坐獄日録」の一節によればこの理由は明らか
です。
おおやけ
「体は私なり、心は公なり。私(体)をこきつかって公に殉ずる者を大人(立派な男)とい
い、公をこきつかって私に殉ずる者を小人という。小人が死ねばその肉体が腐欄潰敗するだけのこ
43吉田松陰
とだが、大人は死すとも天地の理のなかで生きている」
いい言葉です。言葉が生きています。この松陰のいうように、公(本心) に殉ずるために私をこ
きつかっている人が、今日どれ程いるでしょう。ほとんどの人が、私のために公をこきつかってい
るのです。天地の理の中に生き、永遠の生命をそのまま生きている、大人物は果していつ出てくる
のでしょう。
私は大西郷を筆頭に勝海舟や坂本竜馬や山岡鉄舟や明治維新の頃の人物の多くを尊敬しています
が、吉田松陰の立派さは讃えようもない程です。近頃テレビで私の尊敬している山岡荘八氏の吉田
松陰が放映されておりました。松陰は日本を開発しようとして、生命をまとに黒船に乗りこみ、失
敗すると、自ら名乗り出て刑に服そうとするのですが、役人たちは黒船乗込みが世間に知れては、
役目不行届きになるし、幕府としても、あまり公にして後々真似る者が出たり、幕府の面目にかか
わったりしては困るので、無罪或いは軽い刑で済まそうとします。しかし、松陰はかえって自分が
極刑になることによって、世間の心ある人々に、重大な岐路にある日本の運命を悟らせ、日本の進
化のための目をひらかせようとするのです。
松陰は常に自分の言葉通りに、私(体)をこきつかって公に殉じようとしていたのであります。44
この映画を観ていますと、松陰の日本を守り、日本を立派にしようとする公の心が、観る者の心に
痛い程沁みてきて、涙がにじみ出てきます。ちょうどイエスの歩いた歩き方そのままの気がしま
す。自分の信ずる歩み方をどんな迫害にあっても、いささかも曲げようとしなかったイエスと、松
陰とには一脈相通ずるところがあるのです。それは私を公に殉じさせたその生き方にあったのでし
ょう。
日本の政治指導者たちに、少しでもよいから、この吉田松陰の心を汲み取って実行して貰いたい
と思うや切であります。自己の椅子を守るに汲々として、国家の進路を誤まらせるような政治家が
あったら、その罪万死に値いするのです。
西欧の物質文明の急速なる進歩に追いまくられて、天に通ずる精神の道をおろそかにしてきた、
明治末期から大正昭和の日本の在り方が、公よりも私を大事にし、天に通ずる精神より、肉体に附
属する感情想念に重きを置く、小人間嫁を育ててしまったのです。それが、物質文明も隆盛にな
り、急速な経済発展を遂げながらも、日本を不動磐石の地位に置くことのできぬ、人物払底の時代
としてしまったのであります。
45吉田松陰一大人は天地の理の中Y’生きる一
つねに天地の理法を想う生き方
46
ですから大人物の育成のためには、どうしても天地の理を明らかにし、真実の人間性を解明し
て、人間如何に生くべきか、を徹底的に、人々に知らせなければならないのです。昨日までの凡夫
とんごぜんご
が 、一日にして、融然として本心を開発することもあり得るので、頓悟の人、漸悟の人、いずれに
しても、本心開発の道を多くの人に知らせる運動が必要なのであります。今日のように小人ぞろい
の日本では、いつかは世界と共に滅びてしまうのは必然なのです。何故ならば、大調和世界創設の
中心となって働くのが日本の天命でありまして、そのためには日本人が、天地の理に叶った調和し
た真人になって、世界の見本とならなければならぬからです。天地の理法に逆立ちした生き方の人
間がいくら数多くいたとしても、それはいつかは滅び去ってしまう運命を持っているのでありまし
て、真実の地球世界を創り出す力とはならないのであります。
そういう意味で、天(神)を無視した唯物共産主義思想などは、いつかは自然に消え去ってゆく
ものなのです。永遠の生命、永遠の平和につながり得るものは、天地の理法に叶った生活をなし得
る者だけなのです。吉田松陰などは若き肉体生命ではありましたが、今日でも天地の理法の中に、
生命輝かに生きつづけているのであります。それは、真人としての個生命を持ちながら、神々と
倶に世界平和実現のための天使となって、地上界に働きかけているのです。
吉田松陰は若くして松下村塾を開き、若くして多くの子弟をもっていました。西郷、大久保と並
んで明治維新の中心となった木戸孝允(桂小五郎)、高杉晋作をはじめ、日本最初の首相となった
伊藤博文や長州の若者たち、憂国の至情をもった、明治維新のために働いた人々の中には、松陰の
影響をうけた人々が少なくなかったのでず。そういう意味でも、三十歳の若さで世を去った松陰では
ありましたが、多くの人々の中に生きつづけて働いていたともいえるのです。
下田沖で米艦による海外渡航に失敗した二十五歳の松陰は、萩の野山獄に送られますが、その獄
の中にあっても、終身刑の人々までにも、道を求める喜びを湧きあがらせ、永遠の生命を求め得る
希望を持たせることに成功しているのであります。松陰の人格と学問との調和が一度びは、失意の
底に沈んでいた人々に生きる勇気を湧き上がらせたのであります。
池田諭氏はその著吉田松陰(大和書房刊) でその間の消息をこういっております。
「新入りとして、先輩たちに食物のふるまいをすることになっていることなど、進んでやっての
ける。ある時は小豆がゆをつくって、皆で食べるとか、わざわざ医学の研究をして、治療法を教え
47吉田松陰一大人は天地の理の中に生きる一
るとか、相互扶助のための月掛貯金をするなど、直接、皆に役立つところからやっていくことによ
って、松陰はぐんぐん、皆の中にはいっていった。そして入獄後半年目には、座談会をもてるとこ
ろまでこぎつけたのである」
48
仁と義に徹する実践学問
そうして獄中で「孟子」の講義をはじめました。そこで松陰はこう説いています。
「そこで、少しばかり僕の諸君と獄中にあって学を講ずるの意味を論じてみたい。世間一般の通
念でこれを批評するならば、われわれは今、囚人として獄につながれていて、再び世の中に出て、
明るい交際ができるという望みはないといってよい。おたがいに学問を講じ、一心にみがきあがっ
て立派な業績をあげることができたとしても、それには何の具体的なむくいもないだろう云々、と
いうことになる。この考え方がいうところの利の説だ。しかしながら、仁義の説というとそうでは
ない。人間の心が本来的に持っているものであり、物事の理が自然に行なわれているところで、そ
れがはたらいていないところは一つとしてないものなのだ。それを、人と生れて人の道を知らず、
臣と生れて臣の道を知らず、子と生れて子の道を知らず、士と生れて士の道を知らないというの
は、実に恥ずべきの至りではないだろうか。もし、これを恥じる心があるならば、書を読み、道を
学ぶ以外に方法はないであろう。そして、そこに存在する幾つかの道を知ることができたならば、
自分の心はこんなに嬉しいことはないのである。
『朝に道を聞きて、夕に死すとも可なり』という言葉の意味はこのことである。その上に、なお
事業の成功や報いを論ずる必要があろうか。
諸君は、もしこの心がけがあるならば、初めて孟子を学ぶことのできる人であるということがで
きるだろう。さてさて、近世は文教が日に日に隆盛になってきて、士大夫も書を小脇にかかえて師
を求め、一生懸命に勉学につとめている。その風潮は、まことに立派であるといわなければならな
い。僕のような獄中につながれている賎しい囚人が、何の口ばしをいれることがあろうか。しかし
ながら今の士大夫や勉学にいそしむ者をみるに、もしその心の内を論ずるならば、名声を得るため
にするのと、役目を得るためにするもの以外ではない。そうすれば、それは事業の報いを主とする
者であって、義理を主とするものは全く異なったものである。ここのところをよく考えておくべき
であろう。
ああ、世の中に読書人は多いけれども、真の学者といわれるべき者がないのは、学問を始めるに
49吉田松陰一大人は天地の理の中に生きる一
あたって、すでにそのときから志がまちがっていたからである。その国のために、心をうちこんで
励む主君は少なくないが、真の明主がないというのも、政治を行なってゆこうとするその初めにあ
たって、志がすでに誤っていたからである。真の学者、真の明主が出てこないときには、物事が順
調に進んでいるときは、それでもよい。しかしそれが逆境の場合であればともに語るべき人はいな
いであろう。
僕はいま、逆境に落ちた人間である。だから逆境についてだけは、誰よりもよく説くことができ
ると思う。嘉永六年、安政元年の年アメリカとロシヤの使節がやってきて、わが国に大事がおこっ
たとき、皇国のすぐれた国体を屈して、卑しい外国の劣った姿に従うようになったのは何故だろう
か。それは、国の上下にわたってなされた議論が、戦に対する必勝の信念を欠いており、そこから
議論を横にすべらせて、かえって自らに思いもかけない災害が起るかも知れないと恐れた、その恐
怖に外ならなかったのだ。これもまた、義理を捨てて事の成功や報いをのみ論ずる者からでた弊害
で、これでは到底、このような逆境の場合は如何になすべきかなどという大事をともに論ずるわけ
にはゆかないのである。世の道理や人倫道徳を明らかにする学問に志す者は、二たび三たび考えて
貰いたい」(講孟余話より) 50
松陰の学問は実践の学問でありながら、仁義に徹した道でありまして、この世の名声を得るため
のものでも、役目地位を得るためのものでもなく、天地の理法をこの世に現わすための、小我を捨
てきった実践の道であったのです。ですから義や理法を捨ててこの世の事業や政治に成功してゆく
道でもなければ学問でもなかったわけです。その真理に徹しての行動は、自己のみならず、親兄弟
たがまと
の幸不幸を度外視したものでありまして、道に違う行いとみれば、重役にでも、藩主にでも、真正
も
面に意見を加えたのであります。今日の社長とか重役になら、叱られたところで、その会社を退め
れば事足りるのですが、封建制下の藩主とか重役の意見にそむけば、まかり間違えば、自分ばかり
でなく、親兄弟や親類にまで、その罰が及ぶのですから、とても、余程大義に徹し、不惜身命の
がた
人で、肉親の情をも超えていないと出来難いところです。
松陰は天地の理のために、日本の将来の発展のために、敢えて、何人にも出来難いようなことを
やってのけたのです。そして最後に死刑に処せられるわけで、なんともいえぬ壮絶な一生でありま
す。この松陰の身を捨て切った行動が、明治維新の大業に影ながら大きな功績があったことはいう
までもありません。同心の志や後輩たちの正義の血をいやが上にも燃え上がらせ、多くの人を維新
の大業に立ち上がらせたのですから。ここで、松陰と弟子たちとの交わりについて山岡荘八氏著
51吉田松陰一大人は天地の理の中に生きる一
「吉田松陰」(学研刊) より文をお借りします。
松陰と弟子たちとの交り
彼が、新しくやって来る入塾希望の少年たちに、どのような態度で接したかについて、二つの例
をあげてみよう。
横山重五郎は十四歳で入塾しているのだが、その時にはもう松陰の名は、少年たちの間で押しも
押されもしない「英雄Il」であった。もともと藩校の教授である。そのうえ日本中を遊歴して、
こわ
黒船に乗りこもうとまでしたことがひろく知れわたっている。横山少年は、どんなに怖い先生であ
ろうかとおそるおそる塾へ出向いた。
7-1その容貌言語果して人に異り… …」
彼は、そのおりの事をまっ先にそう記している。彼の想像していた松陰と全然違う印象で、ひど
く貧弱なやさしい感じだったのが、こうした書き出しになったらしい。
「ご勉強なされい」
つか
と、松陰は言った。少年は先ずその言葉遣いの丁重さにびっくりした。そして与えられた仮名ま
52
じりの本を開いていると、松陰がそばへやって来て、その一節を読んだあとで、
ひたちおび
「1ーこれは常陸帯という、水戸の藤田彪という先生の撰んだ本です。そもそもこの藤田先生と
いう人は… …」
勉学に入る前に、著者の人となりから、風貌、逸話の類までくわしく伝え、そうした人ボ、何の
ためにこの本を書く気になったか? 何を後人に訴えようとしているのか? そうした事を考えな
いんぎん
がら学習するよう、患勲に教えてくれてから又言った。
71ーご勉強なされい」
横山重五郎はそれだけで、もはや松陰を心の底から敬愛するようになった。
「ーー一つもみずから英雄ぶって人を虫や蟻のように見下すところはなく、ただわずかに師の方
きく
が私よりも年長者だけだというだけである。予は大いにおどろき、喜催おくあたわず…… 余は学問
に志して来たとは言え、未だ乳臭い少年に過ぎない。天下に名のとどろいた鬼神、豪傑とも言うべ
き先生が、このように諄々と真情を傾けて教えを乞えば、いかに自分が不才であっても、何かひと
かどの、用に立つ人間になり得るかも知れない。そう思うと欣然おく能わず… …」と書き残してい
る。53吉
田
松
陰
一
大
人
は
天
地
の
理
の
中
に
生
き
る
一
馬島春海という塾生は十六歳の時に、滝弥太郎と共に村塾を訪れ、束修を差出してご教授に預り
たいと挨拶した。
すると松陰はこう答えた。
「ー教える… … というようなことは出来ませんが、一緒に勉強しましょう。諸君に勉強する気
があれば、私もそれで教えられるに違いない」
二人はびっくりして、その日はそれで辞去することにした。松陰はそれを玄関まで送って出て、
師弟というよりも、全く対等の友人のように扱ってくれたと言って、
「われ等少年に対して、その謙遜なることかくの如し」
と述べている。
54
松陰の人となりが眼にみえるようです。世の中には偉くもないのに、やたらと尊大ぶってみせる
人や、家柄や地位をかさにきて、人を下目にみたりする人がいますが、鼻もちなりません。佐久間
象山という人は、松陰とは全く反対の尊大ぶった人でしたが、学問が非常に秀れていて、先を見る
眼も確かで、日本の国を愛する熱情の人だったので、松陰とはひどく肌合いが違いましたが、考え
るところが一つだったので、心が通じ合っていたようでした。しかし私どもは松陰のように、個人
の自己としては、非常に謙虚でいながら、事、義や理のためとなりますと、熱烈一歩も後へ退かぬ
逞しい闘魂を燃え上がらせる人のほうを好もしいと思います。私どもの平和運動に致しまして
も、いざという時には、相手の不調和な想念を焼きつくさねばおかぬような、烈しい気迫が必要で
ありまして、平和を乱してはならぬという気持から、悪や誤ちに妥協してはいけません。悪は悪、
誤ちは誤ちですから、これはあくまで祈り心で正して、真の調和世界をつくりあげてゆかねばなら
ぬのです。
ですから、個人の我としては、あくまで柔和で謙虚でしかも明るく、大義のためには鬼神も退く
という程の気迫を持って世を渡らねばなりません。そこが祈りによる世界平和運動のむずかしいと
ころで、まずこの文章の最初の松陰の「坐獄日録」の言葉を手本に致したいと思います。
松陰の死生観
ここでまた、松陰の言葉をつづります。これは死刑の前日十月二十六日に記したものです。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂55吉
田
松
陰
一
大
人
は
天
地
の
理
の
中
に
生
き
る
一
「ll五月十一日に関東に呼び出されるという知らせをうけてからは、またひとつ、誠という字
をつねに念頭において出所進退を明らかにしなければならないと思うようになったこともたしかで
ある。ちょうどその頃、杉江入蔵は死ということについて考えなさいという意味のことをいってき
た。しかし、僕はこれを用いなかった。それよりも、自分の心をあらわすものとして、一枚の白布
を求め、これに孟子の「至誠にして動かざるものは未だ之れ有らざるなり」という一句を記し、手
ぬぐいに縫いつけ、それを持って江戸入りをし、これを評定所のなかに留めおいたのもそのためで
あった。
56
もと
吾れ此の回初め素より生を謀らず、又死を必せず。(僕はこの度のことで初めから生きるための
つうそく
工夫もしなければ、死を必然だとも思わなかった)唯だ誠の通塞を以て天命の自然に委したるな
り。(唯だ、誠が通じるか通じないかということを以て、天が指示する運命のなりゆきにゆだねた
のである)
*
今 日死を覚悟して少しも騒がない心は、春夏秋冬の循環において得る所があったのだ。思うてか
の農事のことをみるに、春は種をまき、夏は苗を植えつけ、秋に刈り、冬はそれをかこっておく。
秋、冬になると人々はみなその年の成功を悦んで、酒をかもし、甘酒をつくって、村野に歓声があ
ふれている。いまだかって、西成にのぞんで歳功の終るのを悲しむものを聞いたことがない。
僕は年を数えて三十歳になる。一事をなすことなくして死ぬのは、あたかも農事で稲のまだ成長
もせず、実もつかず、という状態に似ているのだから、残念だと思わないではない。しかし今、義
卿自身としていうならば、これもまた秀実のときである。必ずしもこの身を悲しむことはいらない
だろう。何故なれば、人間の寿命は定めなきものである。農業における収穫の必ず四季を経過しな
ければならないのとは違っている。十歳で死ぬる者には、おのずから十歳の中の四季がそなわって
おり、二十歳には二十歳の、三十歳には三十歳のおのずからなる四季があるのだ。五十、百になれ
ば、また五十、百の四季があり、十歳では短かすぎるというのは、数日しか生きない夏蝉の運命を
して、百年も千年も経過した椿の木の寿命にひきのばそうというものである。また百歳を以て長い
というのは、その長寿の椿を、短命の夏蝉にしようとすることなのだ。どちらも、天命に達しない
というべきであろう。義卿は三十、四季はもう備わっている。成長もし、また実りもした。それが
ヘヘへ
しいらであるか、十分に実の入った種であるかは僕の知るところではない。もし同志の士に、僕の
57吉田松陰一大人は天地の理の中に生きる一
微衷を憐れんで、それを受けついでやろうという人があるならば、そのときこそ後に蒔くことので
きる種子がまだ絶えなかったということで、おのずから収穫のあった年に恥じないということにな
ろう。同志諸君よ、このことを考えていただきたい。ー留魂録抄⊥
5S
三十歳にしてこの死生観、実に天晴れという他はありません。これが、戦国時代のように、自分
が好むと好まざるとにかかわらず、身命を賭さねばならぬ時代ではなく、自らが避ければ、死をま
ぬがれ得る時代において、卒先して身命を投げ打ち、維新の大業の礎となった松陰の生死を超越し
かがみ
た 心は、いつの時代においても鑑となる本心開発の姿でありましょう。松陰は正にイエスであり、
ソクラテスでもあったのです。
戦争のようにさけられない運命の中で、死を覚悟するのは、まだ易しい。しかし、常に大義のた
めに生死を超えて、本心を出し切って生きることは、実にむずかしいことなのであります。私ども
易行道宣布の者にとっては、吉田松陰そのものの人をつくり出そうとは思わないのです。
松陰のような人は、滅多に出現する人ではなく、天が日本に降し給うた菩薩であって、人間の今
生の教育でああなったのではありません。学問はその本来の使命を引き出したに過ぎません。です
から、多くの凡夫に松陰のように天地の理法を実現する熱情と、悪や誤ちに妥協せぬ、堂々たる生
き方を、少しでも心に沁みこませたいと思うのです。そして、たらざるところは、常に守護の神霊
に感謝し、自己の心を汚し曇らせる…菜想念や、他人がみせる汚れけがれを、すべて過去世からの
因縁と観じて世界平和の祈りの中に消し去ってゆく、という、消えてゆく姿で世界平和の祈りの行
に専念して生活してゆくことをすすめるものなのであります。
士規七則
最後に、松陰の従弟である玉木彦介の元服式に松陰が書き贈った、士規七則を、山岡荘八氏著
「吉田松陰」より抜葦しておきます。これは、乃木大将などの座右銘になったもの、原文はいうま
でもなく格調の高い漢文なのだが、これを現代文に直してある、と山岡氏はいっております。
士規七則
ひら
書物を披いてゆけば、傾聴すべき言葉は林のごとく、人々の胸に迫るものがある。しかし人はあ
まりこれを読まない。もし読んでも実行しない。読んでこれを実行しさえしていたら永遠に誤ること
ああ
あるまいに、憶! 繰返してまた何をか言わんやだ。と言って、知っていることを言わずにいられ59吉
田
松
陰
一
大
人
は
天
地
の
理
の
中
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生
き
る
一
ないのが人間の至情である。古人はこれを昔から言っている。自分も今また止むに止まれずそれを
繰返す。
一、凡そ生れて人たれば、よろしく人の禽獣に異る所以を知るべし。けだし人には五倫(五つの踏
みはずしてはならぬ道。父の義、母の慈、兄の友、弟の恭、子の孝。)あり。しかして君臣父子
を最も大いなりとなす。故に人の人たる所以は、忠孝を本となす。
一、およそ皇国に生れては、よろしくわが宇内に尊き所以を知るべし。けだし、皇朝は万葉一統に
しふ
して、邦国の士夫、世々緑位を襲ぐ。人君は民を養いて祖業を継ぎたまい、臣民は君に忠にして
父子を継ぐ。君臣一体、忠孝一致なるは、ただわが国において然りとなす。
な
一、士の道は義より大なるは莫し。義は勇によりて行われ、勇は義によりて長ず。
あやまちかざ
一、士の行いは質実にして欺かざるをもって要となし、巧詐にして過を文るをもって恥となす。
光明正大、みなこれより出ず。
ひふ
一、人、古今に通ぜず、聖賢を師とせざれば、すなわち鄙夫(いやしい男) のみ。書を読みて尚友
とするは君子の事なり。
一、徳をなし材を達するには、師恩友益多きに居り、故に君子は交游をつつしむ。60
一、死して後止むの四字は、言簡にして義ひろし、堅忍果決、確乎として抜くべからざるものはこ
すぺ
れをおきて術なきなり。
右士規七則、約して三端(三ケ条)となす。曰く、志を立てて万事の源となし、交を択びて仁義の行
たすおし
いを輔け、書を読みて聖賢の訓えをかんがう。士、まことに、ここに得ることあらば、又もって成
人となすべし。ー二十一回猛士手録
61吉田松陰一大人は天地の理の中に生きる一
62
聖徳太子
太子生誕の意義
聖徳太子について人々はくわしいことは知らないにしても、太子は日本の歴史上の人物として
は、かなり有名でありまして、彫像や画像によって、その姿形は巷間にもよく知られております。
私が聖徳太子について書いてみたいと思ったのは、現代にこそ、聖徳太子のように霊覚者であっ
て政治家でもあった、というような人物の出現を望むこと切であるからです。聖徳太子は、女帝で
すいこ
ある推古天皇の摂政の宮として、天皇そのままの政治を司る要職にありましたので、政治家として
また政治指導者として、縦横にその霊覚による政策を遂行してゆかれたのであります。
聖徳太子の生れられたのは、西歴五七四年でありますが、その頃の国情は、国民の上の人も下の
人も、思想は幼稚であり、生活も低級でありまして、文化と称する程のものもなく、氏族制度、封
建制度の弊害はそれはひどいものでありました。
そがもののべおかおみおおとも
中央政界は蘇我、物部、中臣、大伴などの伝統的権力者により、常に氏族的抗争を繰り返し、
くに
国政は私勢力拡張のためのものでありまして、世襲的に要職を独占しており、地方においても、国
つかさくにのみやつことものみやつこ
司、国造、伴造などが、同じように土地人民を私有していました。
実際には天皇が大権を握っているわけなのですが、実は氏族の権力者の手にその実権は握られ
ていまして、人民の幸福などというものは考えられてもおりません。ただ、権力者が私欲のままに
人民を使役していたに過ぎなかったのです。
さか
ですから天皇といえども、時の権力者に逆らえば、天皇の座に止まることができなくなったのであ
すしゆんそが
りまして、崇峻天皇などは、時の権力者蘇我氏を抑えようとして、かえって刺殺されてしまいまし
た。
いなめきたしたちバリなとよひのみこおおおみ
ところが幸なことに、聖徳太子は、大臣蘇我稲目の娘堅塩姫の子の橘豊日皇子(用明天皇)を父
あなほぺのまひとひめのみこ
とし、同族小姉君の娘の穴穂部間人皇女を母として生れていたのでありましたので、後年推古天皇
の摂政として政治を行う時にも、深い蘇我氏との姻戚関係が、太子の身を完うせしめたともいえる63聖
徳
太
子
のです。ちなみに父母の母たちが共に二十九代の欽明天皇の后でもあったのです。
おおおみおおむらじ
太子の生れた頃は大臣蘇我氏と大連物部氏とが対立し合っていましたが、やがて次第に蘇我氏の
けいばつ
独裁にうつっていったのであります。もし太子が力弱い氏族の閨閥から出ていたならば、いかに太
子の器量が秀れていても、大きな働きは出来なかったことでありましょう。すべては神謀らいによ
るものでありまして、時と処と場とを神謀らいに謀らい給うて、聖者賢者を遣わされるのでありま
す。聖徳太子はそういう意味で、日本の天命を果させるための先駆けの聖者として、地球上に生れ
出た人物といえるのです。
五世紀の頃は、当時の南宋(中国)に歴代の日本の天皇が、こもごも使者を遣わして、南宋のご
くだらしらぎみまなからたいかん
機嫌取りをしていたのでありますが、これは朝鮮半島の諸国、百済、新羅、任那、加羅、秦韓、慕
かん
韓等の勢力を抑えるために、大国である南宋と緊密に結びついていたかったからでありましたが、
その甲斐がありまして、雄略天皇は、秦韓、慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王に任命されましたが、
百済は日本の政治的支配下に入らず、六世紀になりましてからは、日本は任那の支配権まで失っ
て、次第に朝鮮半島における権力をなくしていってしまったのです。
そして、雄略天皇二十二年(西暦四七八年) には中国王朝とは個人的交流のみで、国としての交
64
流が暫らく絶えてしまいまして、そのまま、聖徳太子の時代にうつってきたのであります。
日本交化と太子
やまとくだらこま
聖徳太子在世の頃の日本は、中国大陸の諸国から、日本は倭と呼ばれていまして、百済や高麗や
しらぽ
新羅よりも後進の国としてみられるに至り、あたかも中国の属国のように見られていたのでありま
す。それもその筈でありまして、日本国内は、氏族同志の権力斗争に明けくれていて、国内の文明
文化に対しては、一向に心を傾けていなかったのであります。
もし聖徳太子が日本に生れ出なかったならば、日本はいつしか中国の属国となり果ててしまって
いたのではないかと思われます。聖徳太子の偉大さは、その平和を切望する心と共に、中国大陸の
文明文化をいち早く、自国のものとし、それを吸収消化せしめたことにあるのであります。今日の
日本の文明文化への道開きは一に聖徳太子の功績によるものといえましょう。
太子が生長されるまでには、父用明天皇は太子の十四才の頃におかくれになられ、その悲しみの
うまこあなほべもののぺのもりや
年に、蘇我馬子と穴穂部皇子、物部守屋とが戦い、太子は止むなく馬子側に参加して、穴穂部皇子
と、物部守屋を滅亡せしめ、人間関係の深刻さや、この世の悲劇的な在り方に大きな衝激を受けた
65聖徳太子
のであります。
こういう門閥の争いが何度びかつづくのをみつめて、太子の心は釈尊と同じように、この世を超
越せねば生きられぬ深い心の動揺を感じられ、ますます仏教に深く入ってゆかれたのです。太子と
仏教とは切っても切れぬ縁がありまして、日本仏教の開祖は聖徳太子その人といえるのでありま
とう
す。太子の仏教はあに仏教という一つの宗教ではなく、古代から日本に存在していた神道の道とも
融和していた広い深い仏教であったのです。
蘇我、物部の対立は勿論氏族同志の対立抗争ではありましたが、仏教派の蘇我氏と神道派の物部
氏との対立でもありまして、これによって行った悲劇が、太子の心に神仏合体の宇宙宗教への道を
開かしめたのであります。
みつか
太子は先人の政治政策が常に利欲に充ちたものであったのを眼のあたりにみておりますので、自
こ
らは閥を超え氏族を超えた政治であることを心に定め、対立的な相手に対してでも精神的にことを
運び、常にすべての調和を旨としていたのでありました。その心の現れの最たるものが、有名な十
七条の憲法なのであります。
66
太子の非凡さ
この十七条の憲法のことは次の機会に述べることに致しまして、ここで、太子の非凡さを称える
言い伝えを述べてゆくことに致しましょう。日本書記によりますと、
みニうましまみやのうちつかさ
「皇后、懐妊開胎さむとする日、禁中を巡行し、諸司を監察たまひて、馬の官に至り、すなはち
うまやどなやものいさとりおとこざかり
厩戸に当りて労みたまはずして忽に産みたまひき。生れましながら能く言ひて聖智ありき。壮に
いたひとたびとたりあやまわきまゆくさき
及りて、一に十人の訴を聞きて失たず能く弁へたまひ、兼ねて未然のことを知りたまひき。また
のりえじとつふみかくかことことさとうるはし
内教を高麗の僧恵慈に習ひ、外典を博士覚寄に学びて、拉悉に達りたまひき。父の天皇愛みて、
えのみやかれうまやどとよとみみまを
宮の南の上殿に居らしめたまひき。故その名を称へて、上の宮の厩戸の豊聡耳の太子と謂す」
とあります。また、誕生霊験の一例をひきますと、
「古今目録抄」の文中「阿佐礼拝四十九」の語があります。
あさくにら
阿佐というのは、百済威徳王の王子で、推古天皇の第五年(太子二十四才)に来朝し、方物を献
しる
じたことは「日本書紀」にも記され、一般史家の認める事実でありますが、阿佐はすこぶる観相を
67聖徳太子
よくする人で、聖徳太子の人相を一見して驚歎し、礼拝してしかも太子の生涯を予言したといいま
す。「扶桑略記」の文をひいて見ますと、
あさあ
「僕、此国に聖人有り、僕、自ら拝観せば情足る と。太子これを聞いて直ちに殿内に引く。阿
さ
佐驚き拝して、太子の顔また左右の足掌を見、更に起って再拝すること両段、退いて庭に出で、右
くぎよう
膝、地に着けて、合掌慕敬して日さく、敬礼す救世大慈観音、妙教一たび東方の日国に流通し、四
しゆゆびやつこう
十九才伝燈演説したまふ、大慈敬礼菩薩と。太子目を合す。須隻にして眉間に一白光を放つ。長さ
ややひさしゆう
三丈許り、良久して縮み入る。阿佐再び起って再拝両段して出づ。太子、左右に語げて曰はく、
せきしん
是れ我が昔身に我が弟子たり、故に今来りて謝するのみと。時人はなはだ奇とす」
こういうことは、一笑にふす人もありましょうが、私の霊覚でみましても、事実でありまして、
聖徳太子の如きは、仏陀、キリストに比してなんら遜色ない霊覚者なのであります。
毅然たる太子の外交
聖徳太子の霊覚によりますと、日本の真の姿がはっきり見極められますので、その日本の真の姿
を、中国にも知らせる必要があることを痛感されまして、西暦六〇〇年、推古天皇八年に、太子68
は、中国王朝に使者を派遣し、ここに再び中国王朝(その時の国名は階といいました)との直接の
交流がはじめられたのです。
第一回の遣晴使が帰国する際には太子の要請にょりまして、多くの書籍や、新知識をもった漢人
おののいもこ
たちが、使者とともに来朝してきたのであります。第二次の遣階使には小野妹子が大使として中国
ようだいやくじよ
に渡ったのですが、この時揚帝に渡した国書が、聖徳太子の面目躍如たる「日出ずる処の天子、書
つつが
を日没する処の天子に致す。慈なきや云々」という文面だったのです。その頃の超大国である中国
あめのみなかぬし
(晴) に対して、こういう大胆不敵な書を贈った聖徳太子の心には、古い古い昔の天御中主天皇の
頃からの日本の真の姿が、霊の中心の場としての日本の姿が、はっきりわかっておられたからであ
ります。それでなければ、現実の国土においても武力においても、文明文化においても、はるかに
弱く小さい日本国の立場で、こんな大胆な書面を贈れるわけがないのであります。
こういう書面をもらって、中国の揚帝は、無礼なと一度は不快に思ったのですが、書中にみなぎ
やまと
る、聖徳太子の光に打たれて、このような自信に充ちた書を贈ってくるからには、よほどに、倭国
も進歩向上しているのであろうと、かえって逆にその意気高遠なるに大きな興味を持って、国書を
はいせいせい
持たせて斐世清等十三人の使者を日本の国情視察のために送って寄こしたのです。69聖
徳
太
子
こうして、中国王朝との交流が復活し、四度遣階使が派遣され、留学生を送ったり、あちらから
も種々の人物が来日して、仏教をはじめ、文物、制度、技術などの各部門にわたり、大陸文化全般
を吸収してゆき、急速に日本の文明文化が向上していったのであります。
その頃の政治の実権は蘇我馬子にあったのですが、対晴(中国)外交の主導権は聖徳太子にあり
まして、文明文化の発展や、精神的な指導などは、一に太子の掌中にあったのです。時の最高の権
力者であった蘇我馬子も、太子の高い人格に抑えられていたことは事実なのでした。
70
太子と親鸞
しゆう
こうした太子の中国との交流による大陸文化の吸収こそ、今日の日本の発展の基本になっている
のであります。太子は日本仏教の祖であると共に、日本文化発展の最初の人であるわけで、太子の
恩恵は今日にまで及ぼしているのです。浄土真宗の親鸞上人なども、聖徳太子を非常に尊敬し愛慕
しておりまして、御伝砂にも、
ひとへに
「仏教むかし西天より興りて、経論いま東上に伝わる。是偏上宮(聖徳)太子の広徳、山より
もたかく、海よりもふかし」といっていたり、
すいじやく
「太師聖人すなはち勢至の化身、太子又観音の垂 なり、このゆへに、われ二菩薩の引導に順じ
て、如来の本願をひろむるにあり」
といっております。そして、皇太子聖徳奉讃の歌をいくつも作っております。その一つ二つをあ
げますと、
聖徳皇のあはれみて
仏智不思議の誓願に
すすめいれしめたまひてぞ
じや
住正定聚の身となれる
○
和国の教主聖徳皇
広大恩徳謝しがたし
一心に帰命したてまつり
奉讃不退ならしめよ71聖
徳
太
子
などというのがあります。ちなみに申上げると、親鸞上人は宗教的に一番苦悩されていた時に、
びよう
聖徳太子廟の夢殿で統一している時、聖徳太子が霊的に現われられ、親鸞上人の行くべき道を教え
て下さった、ということでありまして、それが法然との結びつきになり、僧の最初の妻帯者ともな
るきっかけがつくられ、ここに民衆と最も身近な宗教の門が開かれることになるわけなので、親鸞
にとっては、守護神的働きを聖徳太子がなさっているわけになるのであります。
ですから浄土真宗の人たちにとっては、聖徳太子は法然と共に大恩人なのです。もっとも聖徳太
子は真宗の人ばかりでなく、日本仏教そのものの恩人でもあり、日本文化の恩人でもあり、日本を
中国と対等の立場に立たせてくれた恩人でもあるわけです。
政治家こそ見ならってほしい
おもんぱか
現代の政治家諸氏も、過去から未来までの遠い慮りをもった見識に立って、対外及び国内の両
面の政治を行ってゆかねばならぬものなのです。ただ単にその場だけの国民の要望に雇えたり、外
国の機嫌を取ったりする政治ではなく、日本の真の姿を基本にした、高遠な理想をもった政治を行
わぬ限りは、日本は外国から尊敬される国とはならないのです。72
日本の真の姿は調和そのものであって、いたずらに附和雷同する国ではないのであることを、そ
して、地球上における霊の中心の場に日本が置かれていることを、よくよく考えてみなければいけ
ないのです。考えてみるといっても、この頭脳の考えではなく、深い統一観にょる、魂の底からの
叡智によって、すべての行動を定めてゆかねばならぬのです。そういう意味で、今更のように聖徳
太子の偉大さがわかってくるのであります。聖徳太子は常に心を統一されて政務を行っていたので
いかるが
ありまして、班鳩宮の夢殿は、太子の統一の場でありました。太子はここの統一によって、守護の
神霊より教えをあおぎ、政務を司っていたのであります。
現代の政治家の中に、太子の如く、常に神とのつながりにおいて、政務を行っている人があるで
みずか
ありましょうか、ただ単に自らの小智才覚によって、その場、その時の穴埋め的政策を行っている
のでありますから、真実に日本を安泰にし、世界人類の完全平和達成の道に向ってゆくような、政
治政策を行える道理がありません。
今後の世界政治においては、守護の神霊と人間との深い結びつきにょる政治政策にょるより他
に、完全平和達成の道は開かれることはないのです。何故ならば、人智によっては、眼前の・事象の
みに眼を奪われ、その処理にのみ窮々として、永遠のための政治政策を行う心の余裕を持つことが73聖
徳
太
子
できないからです。
本来の智慧能力は、すべて神からきているのでありまして、人間智というのは、頭脳の中に蓄積
された、僅かな経験によるものなのです。そういう小智才覚で、この彪大な宇宙の一員である、地
球世界の政務を司ることは土台無理なことなのです。国家や世界の政治にたずさわる者は、一度
はその肉身の想念や才覚を打ち捨てて、改めて宇宙大霊の分生命としての自覚に起ち、はじめて政
務にたずさわるべきなのでありまして、単なる個人のままの智恵才覚で、政務を司ろうとする心
構えは言語道断というべきなのです。祈り心なく統}の行なき政治家は、決して天意を受けること
はできないのです。そういう点で、聖徳太子の行蹟をよくよく範として学ぶべきなのであります。
三つのポイント
ねはん
聖徳太子は、浬葉のこともよく知っておりましたし、神界霊界へも自由に往き得る自由身をもっ
ておりました。学問的には、周易、老子、荘子、易経、書経、詩経、春秋、礼記というように多く
の書を読み、天文地理にも通じていたようです。仏教の教えとしては勝覧経や維摩経や法華経をよ
たい
く説かれておられましたが、それら仏教を学問として知っていたよりも、その真理を身心に体して
74
知っていたのであります。ですから人の心を察知することも、日本の情勢や中国や朝鮮の状態など
つ
も、その霊覚に照してよくわかっていたのです。そういう能力によって、大国中国と対等に附き合
えたわけです。現代の政治家たるもの日米外交、ソ連、中国に対する態度、アジア諸国との交流な
きぜんなん
ど、聖徳太子の如く、自国の本来の天命に基づく、毅然たる態度をもって柔軟にしかもその場その
時々において、自由円滑に政治政策を行うべきなのです。それにしても、もっと魂的に深い統一観
をもって、神霊との一体観を得る修業をしなければ、とても大政治家たり得ぬと思うのです。
聖徳太子が現代の政治家をはるかに超えていたことの第一は、神と直通した叡智の持ち主であっ
たことです。第二には心に私がなく、常に神仏のみ心を持って国家や国民のための政治を行ったこ
と、第三に憲法十七条のはじめの言葉にあるように、和を以て貴し、としたことであります。
おの
政治を司る中心者がそういう聖者であることは、その光明が自ずから国内に反映して、氏族の斗
争も絶え、国民の心も安定し、中国(階)や三韓との外交も整っていた、その頃では最もよい時代
になっていたのでした。太子は一人の飢えたる者にまで心を配られるような愛の深い人であったこ
しる
とが書紀にも記されています。
しはすがりへうまついたちのひひつぎのみこかたおかいうゑたるひとにとりこやよ
「十二月の庚午の朔に、皇太子、片岡に遊行でます。時に飢者、道の垂に臥せり。傍りて75聖
徳
太
子
かばねなとしかもうへそなわおしものゑけしへ
姓名を問ひたまふ。而るに言さず、皇太子、視して飲食与へたまふ。即ち衣裳を脱きたまひて、
うえたるひとおおのたまやずらふずなわのたま
飢者に覆ひて言はく、『安に臥せれ』とのたまふ。則ち歌ひて曰はく、
いいえこやたひとおやななれなたけ
しなてる片岡山に飯に飢て臥せるその旅人あはれ親無しに汝生りけめやさす竹
レノリ みないいんこやたひと
の君はや無き飯に飯て臥せるその旅人あはれ
かのとひつじのひひつぎのみこつかいつかわうえたるひとみつかいかえもうきもう
とのたまふ。辛未に、皇太子、使を遣して飢者を視しめたまふ。使者、還り来て日さく、
みまかここかなしごなわよそおさうず
「飢老、既に死りぬ」とまうす。裳に皇太子、大きに悲びたまふ。則ち因りて当の処に葬め埋まし
む。… …」
慈悲深い太子、智慧深い太子を中心にして、推古天皇と蘇我馬子とも調和されていたようで、お
だやかなのびのびした生活が、上下の国民の間にくりひろげられていたのです。
太子は四十九才で亡くなられましたが、師であった高麗の僧慧慧は、太子の亮ぜられたことを聞
き、大いに悲しみ
それがし
「今太子既に亮じ給う、我れ国を異にすと難も、心は断金に在り。某独り生けりとも何の益が
よあ
あらん。我れ来年二月五日を以て必ず死なん。因って以て上宮太子に浄土に於て遇い、以て衆生を
化せん」76
といってその通りに死んでゆかれた、ということであります。この師も師でありますが、これ程
師僧をして敬慕せしめた太子の威徳というものは、偉大なものというべきです。
聖徳太子こそ大菩薩の化身であり、日本の天命を完うせしめるために生れられた聖者であったの
です。太子は今神界にあって、ひたすら日本に神のみ心を顕現なさろうと働かれているのでありま
す。今こそ聖徳太子の和の精神を日本が現わさずして、いつの日、日本に真実の姿が現われること
でしょう。そのための私たちの世界平和の祈りなのです。聖徳太子についてはもっともっと書きた
いこともございますが、今回はこの程度にして置きまして、憲法十七条を終りに附して置きます。
憲法十七条
、
二、
やわらぎしさからむねせたむろさとれるもの
和を以て貴しと為、杵うこと無きを宗と為よ。人皆党有り、亦達者少し、是を以て、或は君父
りんりたがかみやわらかな
に順わず、また隣里に違う。然るに、上和ぎ下睦びて、事を論ずるに譜えば、則ち事理自ら通
ず、何事か成らざらん。
あつうやま(1 ) (2 ) しゆうきごくしゆういずれ
篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり。則ち四生の終帰にして、万国の極宗なり。何の世、何
77聖徳太子
ずくな
の人か、是の法を貴ばざらん。人、はなはだ悪しきは鮮し、能く教うれば之に従う。其れ三宝
まがたに
に帰せずんば、何を以てか柾れるを直さん。
註1(仏)1 本体平等、万物一体の原理。(法)1現象差別、物々独立して整然としてみだれざる法則。(僧)1
本体即現象、差別即平等と相関調和する実相。梵語で和合の意。
2四生とはインド哲学でいう卵生、胎生、湿生、化生の四。即ち生きとし生けるものを四大別した称。
みことのりつつしの
三、詔を承りては必ず謹め、君は則ち天とし、臣を則ち地とす。天覆い、地載せ、四時順行して、
やぶ
万気通ずることを得。地、天を覆わんとせば、則ち壊るるを致さんのみ。是を以て君言えば、
なびみことのりつつし
臣承り、上行えば下靡く、故に詔を承りては必ず慎め。慎まざれば自ら敗れん。
四、
五、
群卿百寮は、礼を以て本と為よ。其れ民を治むるの本はかならず礼に在り。上、礼あらざれ
ととのおおみたから
ば、下、斉わず、下、礼無ければ必ず罪あり。是を以て群臣礼あれば、位次乱れず、百姓礼
あれば、国家自ら治る。
むさぼりうつたえわきまうつたえ
塗を絶ち欲を棄て、明に訴訟を辮えよ。其れ百姓の訟は、一日に千事あり、一日すらなお78
かさこのごろ
しかり、況や歳を累ぬるをや。頃訟を治むる者、利を得るを常と為し、賄を見てことわりを聴
く。すなわち財有る者の訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訴は、水を石に投ぐるに似
よか
たり。是を以て貧しき民は、すなわち由る所を知らず、臣たる道もまたここに闘けむ。
六、
こらすすかく
悪を懲し善を勧むるは、古の良典なり。是を以て人の善を匿すことなく、悪を見てはかならず
ただ へつムリくつがえつるぎ
匡せ。其れ譜い詐る者は、すなわち国家を覆す利器なり。人民を絶つ鋒劔なり。また俵り媚
あやまちあやまちそし
びる者は、上に対しては好みて下の過を説き、下に逢いては上の失を誹誘る。それこれら
いさおしきことめぐみ
の人は皆君に忠なく、民に仁なし。こは大きなる乱の本なり。
つかさどみだらほこえ
七、人には各任あり。掌ること宜しく濫ならざるべし。それ賢哲を官に任ずれば、碩むる音すな
たもわざわいよ
わち起り、好者官を有つときは禍乱すなわち繁し。世に生れながらも知るもの少し、剋く念う
なあゆるやか
て聖と作る。事大小となく、人を得れば必ず治まり、時急緩となく賢に遇えば自ら寛なり。
くに
これに因つて、国家永久にして、社稜危からず。故に古の聖王は、官の為に人を求め、人のた
めに官を求めず。
79聖徳太子
まいおそ(1 )いとまな
八、群卿百寮早く朝り婁く退れよ。公事は監靡く、終日にても尽し難し。
(2 ) およ
急に逮ばず、早く退れば必ず事を尽さず。
1監-堅牢ならざる意2急ぎの揚合間に合わぬの意。
九、
まい
このゆえに遅く朝れば、
まことまこと
信は是れ義の本なり。事毎に信あれ。それ善悪成敗はかならず信に在り。群臣共に信あらば、
何事か成らざらん。群臣信なく万事悉く敗れん。
こころのいかりおもてのいかりとがとれ
十、葱を絶ち瞑を棄て、人の違を怒らざれ。人皆心あり、心各執るところあり。彼の是は
すなわち我の非にして、我の是はすなわち彼の非なり。我かならずしも聖に非ず、彼必ずしも
(1 )みみがね
愚に非ず。共にこれ凡夫のみ。是非の理、誰がよく定めむ。相共に賢愚なること、鎧の端な
いかもやさちひと
きが如し。このゆえに彼の人瞑ると難も、還えりて我が失を恐れよ。我独り得たりと難も、
おこな
衆に従ひて同じく挙え。
1銀-金のイヤリソグ
80
十一、明に功過を察して、賞罰必ず当てよ。
卿、宜しく賞罰を明にすべし。
このごろ
日者賞は功に在らず、罰は罪に在らず、事を執る群
くにのみやつこ(1 )おさめと(2 )そつと
十二、国司、国造、百姓より飲ること勿れ。国に二君なく、民に両主なし。率土の兆民は王を
ともふれん
以て主と為す。任ずる所の官司は、皆是れ王の臣なり。何ぞ敢て、公と与に、百姓に賦鉱せん。
1敏-租税を多く取り立てること2率土-地のつづく限りという意
か
十三、諸の官に任ずる者は、同じく職掌を知れ。或は病み或は使して、事に闘くことあらん。然れ
かつしあずか
ども知ることを得る日には、和すること曽て識れるが如くせよ。その与り聞くことに非ざるを
以て、公務を妨ぐること勿れ。
ねたわずらい
十四、群臣百寮、嫉妬あることなかれ。我既に人を嫉めば、人もまた我を嫉む、嫉妬の患、その
ゆえねたそね
極を知らず、所以に、智己れに勝るときはすなわち悦ばず、才己に優るときはすなわち嫉み妬
いましあ
む。是を以て五百の後、乃今、賢に遇うとも、千載にして、一聖を待つこと難し。それ聖賢を
81聖徳太子
得ずんば、何を以てか国を治めん。
82
そむうらみ
十五、私に背きて公に向うは、是れ臣の道なり。凡そ人、私あれば必ず恨あり。憾あれば必ず同せ
さまたそこな
ず、同ぜざればすなわち私を以て公を妨ぐ。憾起ればすなわち制に違い法を害う。故に初章
かいこころ
に 、上下和諾と云えるは、それまたこの情なるか。
ひま
十六、民を使うに時を以てするは、古の良典なり。故に冬の月には間あり、以て民を使ふべし。春
のうそうときたつくこがい
より秋に至るまでは、農桑の節なり。民を使うべからず。その農らずんば何をか食い、桑せず
き
ば何をか服む。
だん
十七、それ事は独り断ずべからず、必ず衆と与に論ずべし。少事はこれ軽し、必ずしも衆とすべか
およあやまちとも
らず。ただ大事を論ずるに逮びては、もし失あらんことを疑う。故に衆と与に相弁ずれば、
ことばことわり
辞すなわち理を得ん。
芭蕉
– 純粋性の尊さー
生命の本源のひびき
ばしよう
私は小学生の時には、俳句に親しみ、自分でも句作していたのですが、十七八才の時、芭蕉の句
へいこうよ
の深さにひどく打たれて、かえって句作する気が失せてしまい、その頃並行して詠んでいた短歌の
道に重点をうつしてしまったのです。
俳句の十七文字では、とても芭蕉のような内容をもった表現ができっこない、と思い、三十一文
字という短歌の世界で、芭蕉の境地を表現したい、と思ったのです。幸い私の所属していたぬはり
社という集りの主幹で若山牧水の弟分のような存在で若い頃は創作で活躍していた菊池知勇という
てんさく
天才的歌人である先生が、実によく添削などして下さって、どうやら一人前に歌が詠めるようにな
83芭蕉一純粋性の尊さ一
ったのですが、芭蕉の句の素晴しさはいつでも心を離れたことはありませんでした。
菊池知勇先生の歌には、芭蕉の深い境地と同じ程度の歌がいくつかあって、私は慨膨びも慨魔び
も詠みかえして、素晴しい素晴しいを連発していた頃もありました。そのうちに、太平洋戦争にな
り、終戦後は私の宗教家としての生命がけの修業が始まって、歌や俳句のことは、どこかに忘れ去
っていってしまったのですが、菊池先生の
散る葉とて今はあらざる山の木の
タベはあぐる声のかなしさ
という歌は心に沁みていて常に想いの中にありました。ちょうど、
84
石山の石より白し秋の風
という芭蕉の句が忘れられぬようなものでした。芭蕉は、「俳句らしい俳句はふつう一、二句、
名人でも十句あるのはまれである」といっていますが、どんな天才、名人でも、受ける人それぐ
で違いますけれど、人々の心を打つ句や歌は本当に十句(首)あるかないかだと思います。牧水に
しても、茂吉にしても、そんなたくさんの名歌はありません。
その名句、名歌をたとえ一句、一首でもよい句とし歌として現わすために、その生涯をかける人
があるのでありまして、菊池先生にしても、芭蕉にしてもそういう得難い一人であるのです。
神とか仏とかいう宗教的表現をしないでも、真の芸術家の作品の底には生命の本源のひゴきがひ
父き渡っているので、そういう作品に接すると宗教的法悦に浸っているような深い感動を人々は受
けるのであります。誰でも知っているような芭蕉の句を次に列記しますから、よく味わってみて下
さい。
かわず
古池や蛙飛びこむ水の音
あらたふと青葉若葉の日の光
名月や池をめぐりて夜もすがら
夏草やつはものどもが夢の跡
しつか
閑さや岩にしみ入る蝉の声
あま
荒海や佐渡に横たふ天の川
85芭蕉一純粋性の尊さ一
此の道や行く人なしに秋の暮
86
まだくいくらもありますが、取りわけ人が知っている句を掲げました。
「俳譜とは浅きょり深きに入り深きょり浅きにもどる心の味なり」と芭蕉はいっておりますが、
しきそくぜくうくうそくぜしき
この言葉などは、実に「色即是空、空即是色」という宗教の奥義に通ずる言葉でありまして、こう
した芭蕉の心は、そのま二その作品の中に現われています。
古池や蛙飛びこむ水の音
などは、たゴ見過せばそれだけの、浅い情景であるかも知れません。それが芭蕉の心にふれる
と、しんと静まりかえった大自然の奥底まで、人の心をひきずってゆく深いひ父きを、た呈水の音
という単純な表現でぴたりと現わしきっているのですから、たいしたものです。
しずか
閑さや岩にしみ入る蝉の声
これも同じように、浅きより深きに入る、であり、しかも表現は単純になされています。単純な
せいどり
る情景の中に、複雑なる静と動をひそめた大自然の心をキャッチし、それをまた、単純、純朴な表
現で現わしているのに感嘆せざるを得ません。
石山の石より白し秋の風
これなどは、全く読むほうが、うんといったきり声も立てられません。大自然の奥の心を最も単
純に、ぎりく一杯の線で現わしているのです。実に深い祈りの境地に通じます。
この句は先に掲げた、菊池先生の、
散る葉とて今はあらざる山の木の夕べはあぐる声のかなしさ
と相通ずるものがあります。もう散るだけ散ってしまって、一葉も残っていない山の木の、ぎり
くのところであげているタベの声というのはどんな声なのか、それは現れの世界と本源の世界の
87芭蕉一純粋性の尊さ一
かなかな
境界線という自然の深い心からでる愛しみの声であり、哀しみの声でもあるのです。もうそれ以上
はどうにもならない、現れの世界とひそんでいる世界の絶対的境界線から聞えてくるひ父きなので
あります。しかし芭蕉の秋の風は、作品の優劣というのではなく、もう一歩深いところ、境界線を
ニ
超えたはるかな奥の世界で吹いている風であるようです。私が今後詠みたい歌は、やはり生命の本
源の世界のひ父きでありますし、それを最も単純化した表現で詠みたいと思っています。だが、そ
れはなかなか大変なことなのです。芭蕉の感動は、現象の世界において実在界を観じとって表現し
ている句作の最高の極致だと思います。
弟子の土芳という人の三冊子によると
あり
「句作りに師の詞有。物の見えたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし。又趣向を句
のふりに振出すといふことあり、是その境に入て、物のさめざるうちに取りて姿を究むる教也。句
せめ
作に、なるとするとあり。内をつねに勤て物に応ずれば、その心のいう句となる。内をつねに勤め
しい
ざるものは、ならざる故に私意にかけてする也」
しし
「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へと、師の詞のありしも、私意をはなれよという事也。
あらはれ
… … 習へと云ふは、物入って、その徴の顕て、情感ずる也。句となる所也」88
と芭蕉はいっています。実に真理でありますし、「内をつねに勤めざるものは、ならざる故に私
むいな
意にかけてする也」そして、私意をはなれよ、といっているところは、宗教の無為にして為せとい
うところと、一脈通じます。
なんにしても、相当な宗教的境地にならねば、芭蕉の俳句は生れ出なかったでしょう。宗教的境
地とは、何も口で神さま仏さまということではなく、宇宙の本源、大生命の根源に触れて生きてい
きわ
る境地をいうのですから、現象に現われている生命のひ父きをたどり極めてゆけば、それが美の追
究であったり、科学の探究であっても、その境地にゆきつくわけです。
ですから逆に、宗教的な境地が深くなりますと、歌を詠んでも、書を書いても、立派なものがで
きるようになるのです。一芸に通じることは、他の世界のことにも通じ得ることになります。た黛
その形式や在り方が、専門的にみてどうのこうのというのではなく、その内容が何事にも現われて
くるということです。
そういう意味で、芭蕉の境地は、宗教者の境地であるともいえるのであります。もっとも芭蕉
は、伊賀武士の出身で、武士の教育を受けている上に、常陸国鹿島の根本寺の住職である、仏頂和
尚の下で、参禅し、教えを受けております。芭蕉においては、武士としての教養と参禅での悟りと89芭
蕉
一
純
粋
性
の
尊
さ
一
が、句作をしようとして、大自然と接し、大自然の姿に統一した時に、全く鴫つになって現われて
きたのだと思われます。
大自然に統一するということは、神に統一している時と全く同じなのですから、芭蕉の俳句が、
宗教者の深い境地と等しくなることは当然といえるのです。宗教者が常に神との一体化のための祈
りをしていると同様に、芭蕉は、旅から旅への生活の中で、あらゆる現れを通して、大自然の深い
み心と一つになろうとしていたのです。そのために芭蕉は、旅をつ父けたのであります。
芭蕉の心
こ玉で蛇足とは思いますが、芭蕉の一番人口に伝わっている、前掲の各句の心を説明してまいり
ましょう。
90
あらたふと青葉若葉の日の光
一読して、なんといういΣ句だろう、と思う人が多いと思います。そのまxで、美しく尊い自然
の恩恵を感じさせます。青葉若葉に照り輝いている日の光をみて、快い気分にならぬ人はまずあり
ますまい。普通の人はただそれだけですましてしまうのであり、宗教的な人は、神様ありがとうご
ざいます、とその美しさ快さを、神への感謝とするのであります。
芭蕉はそれを、青葉若葉の日の光という情景そのまエの上に、あらたふと、という五文字をのせ
て、日の光の尊さ、神への感謝を、永遠につながる文字として残したのです。あらたふと、などと
いう言葉はなかなか使いにくい言葉で、下手に使ったら、一句或いは一首をだいなしにしてしまう
ヘヘヘヘへ
のですが、この場合のあらたふとは、この情景を、高い深い慈愛の世界、美の世界にくりひろげて
いったのであります。芭蕉の言葉の使い方の非凡さと、自然に対する心の深さがうかがえます。も
し新しがりやの俳人たちがいて、なんだ平凡な句じゃあないか、などといったとすれば、その人た
ちは、真の芸術のわからない人という他はありません。
名月の句は説明の要はないでしょう。
夏草やつはものどもが夢の跡
91芭蕉一純粋性の尊さ一
この句でも、むずかしい言葉が一つもなく、このまエでよくわかります。夏草の茂った古戦場の
跡、そこには虫も鳴きすだいていたでありましょう。鳥の羽ばたきも聞えていたでありましょう。
そうした陵野という自然を背景にして、時代の流れの無常と、幾多の戦いにのぞんだ武士たちのそ
れぞれの姿や心のさまが、絵巻物をみるように浮かんでまいります。芭蕉の無常感と、武士たちに
対する愛情というものが、にじみ出てくるようです。たった十七文字で、このような情景を叙情を
もって伝え得る人は、まことに非凡なる人といえるのでしょう。
92
荒海や佐渡に横たふ天の川
という雄大な句をつくった芭蕉は
此の道や行く人なしに秋の暮
というように、自分の俳句の道は孤高の道である、後についてくるものはない、と季節感に託し
た人生の深い淋しさをもうたっているのです。
宗教信仰をしている人は、ともすると、神とか仏とかいう存在を、固定した観念で思いがちなの
です。宇宙に遍満している生命である、といわれても、神さまはどこにでもいらっしゃる、といわ
れても、どうしても人格神として固定した心をもっているように思ってしまいがちなのです。或る
儀式や形式の中にのみ現われて、信者と交流すると思っている宗教信仰者は意外と多いのでありま
す。
人は勿論、天にも地にも、山川草木にも鳥にも獣類にも魚にも昆虫にも、一つの花片にも、神の
み心がゆきわたっているのであり、すべての現れを通して、人は神と交流できるのであります。文
学とか音楽とか美術とかいう世界は、あらゆる現象を通して、神のみ心と交流し得るのでありま
す。そういう在り方が真の芸術なのです。真の宗教精神というのは、神を人格神としてでも、宇宙
おわ
に満ち充ちている生命としてでも、また、あらゆる生きとし生けるものに在すものとしてでも、仰
ぎ慕い愛すことができる精神なのです。神さま、仏さまを朝に夕に呼んでいても、自己に触れるも
のに対して愛をもたなければ、立派な宗教精神とはいえないのです。
固定した神観は、他宗派に対して排他的になり、調和を破りがちになります。神のみ心は、愛で93芭
蕉
一
純
粋
性
の
尊
さ
一
あり、調和なのですから、それに反する神観をもっていては、神のみ心をこの世に現わすことはで
きません。宗教信仰者でありながら、人に嫌われたり、低俗的な人格者と思われたりするならば、
その人の信仰が誤っているのであります。
自分や自分の家族を愛することは、これは当然なことです。そして、その者たちの幸福を願っ
て、神仏に祈願するのも、宗教心のある入ならあたりまえです。しかし、それだけでは宗教の本質
をつかんでいるとは勿論いえません。それと同時に、自己の本心開発のための精進がなされねばな
りません。そして、その精進はそのま玉、あらゆる生命の調和を推進する働きとなることが、宗教
の本質的な在り方なのであります。私の場合は、それが世界平和の祈り行となっているのです。
芸術家の場合は、現われたものや事柄を通して、神のいのちやみ心をみるのですが、宗教者の場
合は、はじめから神の実在を信じ、すべてが神のみ心の現れとして、この現象をみるのでありま
す。芸術家の場合でも、私流にいう、消えてゆく姿として現われている、人生の悲哀や、醜悪な姿
をうつし出して、そうした不調和を否定し、その奥底にある真実の美を、みる人に感じさせようと
ちよくさい
する人々もあれば、直裁的に真実の美、真理をそのま瓦そこにうつし出そうとする人々もあるので
す。94
単純な言葉で奥深い内容
芭蕉の場合は、自然の描写の中に、人生の哀しみをうたいあげることもありますが、何気なく見
過してしまう目立たない自然の姿の中からも、奥深くにある美を、しかも易しい表現で現わしてい
るのであります。詩でも俳句でも和歌でも、下手な人の作品は、やたらに盛りだくさんであった
り、やたらとむずかしい言葉をつかったり、余計な言葉を入れ過ぎたりしていて、中味のない、薄
っぺらのものにしてしまっているのです。
単純な表現でありながら、奥深い複雑な内容が感知されるような作品が、詩や和歌でもそうです
が、俳句の世界では殊更にそうなくては、十七字という短い詩の形の中での表現が無理になってき
ます。宗教の在り方でも、表面が単純であることによって、多くの人が救われるのです。南無阿弥
陀仏や、南無妙法蓮華経の、唱名の方法は、実に大衆のためのものであると思います。私はそうい
う根本精神から、南無阿弥陀仏の現代版として、世界人類が平和でありますように、という、現代
の人の祈り言としては、ぴったりの言葉を、掲げたのであります。
世界人類が平和である、ということほど、宗教精神の現われた言葉はありません。これは自分た95芭
蕉
一
純
粋
性
の
尊
さ
一
ちだけの救われの祈り言でないことがすぐわかります。それでいて、自分たちも救われ、同時に世
界人類に調和の波を呼び起す、大きな作用をもっています。
ことぱ
言は即ち神なりき、でありまして、その心がそのまま現われた言葉は神そのものが、そこに現わ
れているのです。世界人類が平和でありますように、という言葉は、そのま瓦、神のみ心の現れで
あり、そして人類全体の願望なのであります。
その言葉は、簡単、単純でありながら、奥深い複雑なひろがりをもっています。そして神のみ心
の慈愛にそのま瓦直結しています。その言葉が、今改めて、祈り言として、私どもの行となったの
です。
わら
言葉の単純さを畷うものは、宗教精神にも芸術精神にも欠けたものです。単純そうに見える言葉
の奥に、どれだけの広がりがあり、どれだけの深さがあるかを、よくくみつめてみる必要がある
のです。芭蕉の句にも難解な言葉はありません。平易な言葉で深い内容を現わしているのです。と
いって、芭蕉の句のすべてが絶品というのではありません。誰でもが作れる平凡な句もあります。
それは仕方のないことです。
私が今日の私になったそもはじめの行は、あらゆる物や、物事に、神のみ心をみまして、寝ても96
酵めても、歩いていても立止まっていても、心の中では瞬時かかすことなく、神さまありがとうご
ざいますの一念で生活したわけなのです。そうした神との素朴な交流が、私に神の子である本心を
こう
開顕させたのであります。高まいな宗教理論でも、神霊界の知識でもなく、た父純粋素朴なたゆみ
なき神への感謝が、私を神界の住人にせしめたのです。
尊い純粋素朴なる想い
人間の純粋素朴なる想いは、そのまΣ神のみ心に通じるのです。現代の人々は、あまりに小智才
覚に把われ過ぎておりますし、新しがりやになり過ぎて、奇をてらうことが多すぎます。それは宗
教の世界にも芸術の世界にもいわれることでありまして、純粋素朴に神のみ心に入らずにいて、霊
能力や現世利益ばかり欲しがったり、美しいものを、そのまx美しく画き出すことにあきたらず、
わざと醜悪なる姿を表現して、新しい在り方だとしたりしています。
俳句の世界のように、わずか十七文字の中に季節を入れ、叙景と叙情とを入れてよむという、短
詩の形は、純粋素朴な気持でつくらなければ、とてもよいものではできません。この形は世界でも
類例のないものでしょうし、つくり易くして、深きに至るのが実にむずかしい芸術です。私は歌人97芭
蕉
一
純
粋
性
の
尊
さ
一
でもあり、詩人でもありまして、短歌や自由詩など詠んでおりますが、やはり、純粋な感動で詠ま
ないと、よい歌も、よい詩もできぬことを知っております。
そういう詩精神が、私の宗教者としての純粋性ともなっているのです。俳句でも短歌でも、自由
詩でも、すべて自然の心や人間の心の奥深い動きを把握する詩精神が根底にあって、良い作品が生
れるのでありまして、その詩精神というのは、西田哲学でよくいわれています、純粋認識なのであ
ります。
田舎の百姓のお爺さんやお婆さんの「おてんとうさまはありがたい、神さまはありがたい」とい
う素朴な心は、やはり自然に対する純粋認識なのであり、詩精神に通じるものなのです。ちょっと
考えると、素朴な宗教をもつ田舎の老人と、詩人とはまるで異なる世界の人のように考えられます
が、根底は一つところにあるのであり、ただ、文章に表現できぬ人と表現できる人との相違がある
だけなのです。内容が自然の奥にふれていない、た父言葉をられつした俳句や短歌や詩というもの
は、真の芸術とはいえないのです。しかし、朝日を拝み、夕日に敬度な祈りを捧げるお百姓の姿
は、そのま玉芸術作品でもあるのです。
グアム島の密林の中で、二十八年間も生き通してきた、元陸軍軍曹横井庄一さんの場合など、純98
粋素朴に自己の肉休生命に忠実であると共に、天皇信仰も純粋そのものであったわけです。その純
粋素朴さが、頭脳を駈け巡る、すべての想念感情を超えきり、人間にとって一番苦痛でもあり、生
きる気力を奪い取る、孤独との戦いに打ち勝って、生き通してきたのであります。
このように如何なる場合にも、純粋なる心というものは、大事な尊いものなのです。肉体生命に
執着することは、宗教的にみて、悟りから遠いことのように思われますが、神から与えられた尊い
ものを、あく迄大事にして守り通すという面からみれば、いたずらに尊い生命を自ら殺してしまっ
ている人たちより、はるかによいことであると思います。
自己の生命に対する無責任なる態度は、絶対に正してゆかねばなりません。そういう意味で、横
井さんの感情的肉体的幾多の苦痛を乗り超えて、生命を守り通した、その絶大なる精神力、忍耐力
は、大いに讃うべきであるのです。
自分の生命を守るために、他の生命や、他の損害も顧みない、というような生き方は、実に嫌む
べきですが、他に対して何らの損害を加えぬ、横井さんの場合など、自己の生命を生かしきる、と
いうことに全力をそそぐことがやはり、神のみ心に叶うことなのです。だが、このような、ただ純
粋に生きるということは、学問知識を身につけた、知性派の人たちには、意外とできにくいので99芭
蕉
一
純
粋
性
の
尊
さ
一
す。何故かと申しますと、常に頭の中で考えを想いめぐらしながら物事を処理する習慣がついてい
まして、心の力で、事に打ち当ってゆこうという、習慣が薄くなっているのです。
したがって、頭脳が先に疲れてしまい、心の力を更に減少させてしまうのです。心の力が減少す
げんたい
ることは、そのま瓦生命力の減退につながっていますので、そこで知性者は横井さんのような境遇
に遭いますと、神経が先に疲れてしまって、生命の力を奪っていってしまうのです。
純粋な心で生きる
くうニ
そこで宗教の奥義は、空になること、無為にして為す、ということで、小智才覚で想いめぐらさ
ず、心の奥から湧き出てくる叡智による行動で事に処する、ということを大事なこととしているの
であります。
と
そこで考えられますことは、何事をするにしても、その仕事に純粋に融けこんでゆかねばよい仕
事にならぬので、いエかげんな態度で事に当ることは、自己の生命エネルギーを浪費していること
になるのです。
芭蕉が一生を俳句の道にかけたことも、芭蕉の純粋な心が、自然と人間との交流を求めつ∫けて100
いたからでありまして、芭蕉の心は常に俳句の道に統一していたのであります。私ども宗教者が、
神のみ心に統一して、人生の指導に当たっていることと、全く変りないのです。
この世に純粋な心の人が多くなれば、どれだけこの世が明るく和やかにあたたかくなることでし
ょう。そのために宗教もあり、芸術もあるのだと私は思っております。宗教の道は、理論の道でも
なく、また、予言の道でもありません。人間が心を純粋素朴にもちつ父けて、生きてゆかれる道な
のです。知性のある人は、その知性をもとにして、その心を純粋にしてゆくことがよいのです。知
性のあるあまり、あまりに理論づくめになって、冷たい人格を形づくっていってはいけません。
さおそうせき
知に働けば角が立つ、情に樟さしゃ流さるる、と夏目漱石がいっていますが、情にも流されな
い、知に働いても角を立てぬその生き方は、やはり、ひたすらなる祈りの生活から生れてくるので
す。日本人は茶道や俳句の世界の、わび、さびのわかる国民です。わびやさびのわかるところに、
じようちよちん
真の情緒が生れでてくるので、ジャズ調で浮き上がっている現代の日本人の心も、やがて次第に鎮
こん
魂してきて、真の日本の姿を現わしてくることでしょうが、それにさきがけて私どもは世界平和の
祈りの運動をつ黛け、祈りに徹したところから、日本人の真実の心を日本の中に湧き上がらせ、世
ちよ
界中に、日本の、わび、さびを好み、情緒に富んだ、和の心を伝えつ父けてゆきたいと思うのです。101芭
蕉
一
純
粋
性
の
尊
さ
一
xoa
白隠・良寛・黒住宗忠
徳川時代の三人の聖者の逸話を語りながら、道の話をしてゆきたいと思います。
一人は西暦一六八五年、五代将軍綱吉の時代から一七六八年、八代将軍吉宗の時代にわたってこの
はくいん
世で働かれていた白隠禅師であります。
りようかん
次に一七五八年、八代吉宗の時代から、一八三一年、十一代家斉の時代の人、良寛和尚。
むねただ
最後に、一七八〇年から一八五〇年、つまり、明治の十八年前迄生きておられた、黒住宗忠神人
の逸話であります。
いずれの逸話もどこかで一度は聞かれている話だとは思いますが、良い話は何度聞いても良いも
のですから、改めて読み直してみて下さい。
白隠禅師の逸話
原宿の豪商某が平生深く白隠の高徳を慕ってしばしば財物を喜捨して供養していました。この某
の娘が定まる夫もないのに妊娠し出産してしまったのです。父親はふらちな娘だと大いに娘を責め
ましたが、娘は不義の相手の名をいわないのです。そして問いただした末に実は白隠さんだといっ
たのです。
父親はかんかんになって怒り、そんな奴だとは思わず、今まで白隠に帰依し、供養していたのは
我ながら自分の馬鹿さ加減にあきれる。あのまいす奴というので、嬰児を抱きとり松陰寺に乗りこ
み、白隠を思うさま罵ってその児を投げるように置いて帰ってしまいました。白隠は何もいわずに
飴でその児を育て、自分の児のように愛していたのです。
見る人はいつれも白隠の児だろうと思っていました。或る雪の日、白隠はその児をだいて例の通
り托鉢に出かけたのです。するとその児の母親である娘が、この様子をみて心から餓悔し、父親に
「実はあの児は白隠さんの児ではない。白隠さんが相手だといえば許してもらえると思って偽りを
いったので、自宅の奉公人と私通して生れた児です」と告白しました。103白
隠
・
良
寛
・
黒
住
宗
忠
かけ
父親は驚いて白隠の許へ駈つけ、事実を語って許しを乞うたのです。
「ああこの児にも父があったのか」と白隠はニコニコして別に意に介するの風はなかったという
ことでした。
この話は随分何度でも聞いた話ですが、いくら聞いても、聞くたびに、白隠さんという人は凄い
人だなあ、と感嘆しないではいられない、という程、常人には真似のできない、素晴しい行為であ
ります。
無名の人なら、まだやりやすいことですが、聖人として多くの人に崇めたてられている、白隠の
ような立場の人が、自分の立場など意にも介せず、降りかかってきた難事を、天意そのままとして
受けて、なんの言い訳けもせず、しかも男手で赤児を育ててゆくのですから、驚き入った慈愛の心
です。
まれんち
この世の常識でいえば、聖人としては恥辱そのもののような破廉恥行為者として、世間から悪
評、悪罵をあび破戒坊主として、一度は寺を追われる程になりながらも、あたかも全く自己の生せ
た児の如く、育てつづけてゆくところは、如何なる愛の説教も及ばぬところでしょう。全く私が無
い、自己が無いということなのでしょう。104
白隠さんには他にも、種々と逸話がありますが、この話があまりにも立派すぎて、後の逸話をく
どくどと書きつづける気がしなくなります。現今の宗教者は、自己の失敗でも、他の者のせいにし
たがる向きが多いのですから、こういう話は光玉のように光り輝いてみえます。
人間の行為というものは、千万言の説法にも勝るものです。私も常にコ言葉でいうより態度で示
せ」と、説法より、その行為によって、人の光となるように、私自身も私についてくる人々にも説
いているのです。
百知は一真実行に及ばず、誠実真行万理を知るに勝る、と三十いくつかの時に、守護神の言葉と
して受け取った時から、行為が説法そのものである、と私も思いつづけているのです。
白隠さんのみならず、次の良寛さんなども全く、行為そのものが説法として、光り輝いているの
です。では次は良寛さんの逸話を八つ程、つづけて書いてみましょう。
良寛さんの逸話
e
良寛和尚に好きなものが三つありました。それは童男童女と、手毬とおハジキとでした。
105白隠・良寛・黒住宗忠
ある日例の如く良寛さんは、子供らとかくれんぼをして遊んでいました。中に意地の悪い子供が
一人ありまして、良寛さんが物陰に隠れたのをそのままおいてきぼりにしよう、といいだして、無
理に他の子供らを同意させてしまいました。そして数時間を経てもなお彼らは帰ってこなかったの
です。しかし、良寛さんはいつ迄も素直に隠れたままでいました。そして子供らの「よし」と呼ぶ
のを待っていました。とやがて、そこを通りかかった人が、良寛さんのその様子を見て驚き、あき
れて「まあ、良寛様、そんなところに何をしてござる」と叫んだのです。その声に良寛さんは逆に
驚いて「バカ、そんな大きな声を出すと鬼が見つけるわ」といったのでした。
⇔
また、良寛さんが地蔵堂の駅をすぎると、その地の子供たちは必ずついてきて、まず「良寛さま
一貫」と呼ぶのです。良寛さんが驚いてうしろにそりかえる。次に「良寛さま二貫」という。良寛
さんは一層多くそりかえる。このように、二貫三貫とその数をましてゆくごとに、そのそり方がます
ますひどくなり、ついに良寛さん最後にはうしろにそり倒れるまでになってしまうのです。子供た
ちはこれを見て喜び笑うのでした。
けら
たまたま解良家の客になった時、良寛さんは主人にいったのです。106
「あなたの里の子供たちはくせが甚だ悪いよ。以後一貫あそびはさせてはなりませぬ。年寄った
わしにはつらいことじゃ」
「良寛さまなんでそんなに苦しんでまで、子供たちと一貫遊びをする必要がありますか。ご自分
でお止めになればよろしいのに」
「いやいや、今迄してきたことをわしからはやめられんわい」というのでした。
⇔
盆踊りの晩でした。村中のものがみな出て踊りを楽しんでいました。良寛さんも踊りが大好きで
した。自ら手拭で頭をつつみ、婦人のようなかっこうをして、村の人たちと一緒に踊ったのです。
中にそれが良寛さんであることを知っている人がいました。踊る良寛さんの近くに立って、聞えよ
がしにいいました。「この娘っこ、品もよし、どこの娘だ?」良寛さんはこれをきいて大よろこ
び。あとで人に誇っていうのに「わしがみんなと盆踊りをしていたらの、あれはどこぞの娘ぞ、と
わしのことをいっておった」ということでした。
身なりにかまわぬ良寛和尚は時にみだれた髪、長くのびたひげ、破れ衣、はだしで、家の台所に107白
隠
・
良
寛
・
黒
住
宗
忠
入り食を乞うこともありました。或る家にきた時、その家ではお金や大切な物がなくなったのでし
た。たまたま家人が良寛和尚を見つけて、盗賊と思って、法螺を吹き、板木を鳴らして村人を集
め、うむもいわさず和尚を縛りあげ、大地に穴を掘って、生き埋めにしようとしたのです。
和尚はその間一言もいわず、村人のなすがままにまかせていました。そしてまさに穴の中に投げ
入れられようとした時、和尚を知っているものが通りかかり「お前さんたち何をする。この方は良
寛さまじゃ、はやく縄をといて、あやまんなさい」といったのです。
村人はびっくり仰天、和尚に平身低頭してあやまりました。顔みしりの人が「良寛さま、なん
で、ぬれぎぬだ、何もせんとおっしゃらなかったのですか」というと、和尚はこう答えたのです。
「みんなわしを疑っていた。そんな人たちに弁解してもなんの益があろう。弁解すればするほど
疑いは深くなる。弁解せず、黙っているのにこしたことはない」
「禅師さまが私の家に何日かお泊りになりました。すると上下おのずから和睦し、和気が家にみ
ち、禅師さまがお帰りになっても、数日のうちは家人は自ら和やかでした。禅師さまと語ることが
一度でもあると、胸襟清らかさをおぼえるのでした。ことさらに内外の経文を説き、善を勧めると108
いうのでもなく、ただ台所にいっては火を焚き、あるいは座敷で坐禅していらっしゃるのです。そ
のお話というのも詩文を語るのでもなく、道義を説くのでもなく、のどかでゆったりとしている筆
や口ではいい現わせるものではありません。ただ道義そのものが人々を感化するのみであります」
ー解良栄重記1
㈹
地蔵堂町に一人のたちの悪い舟子がありまして、或る時良寛さんの乗ったのを見て、一つ脅かし
てみようとたくらみ、川の真中近くでわざと舟を覆して良寛さんを水中に投じたのです。そして暫
く良寛さんの苦しむのを見て楽しんでから、舟へ引上げてやりました。しかし、川に落ちたそのま
ま、流れていた良寛さんの心には少しも驚きもなく、怒りもなく、困りもしないで、むしろ一命を
救ってくれた舟子の恩に対して深い謝意を表して瓢然と立ち去ったのです。
㊨
ある名月の夜のことでした。良寛さんは興に乗って、芋畑の中をあちらこちらと名月を眺めなが
ら歩いていました。その姿を畑の持主がみつけまして、すわ畑荒しと思いあやまり、やにわに鉄拳
をふるって良寛の頭を打ってきました。
109白隠・良寛・黒住宗忠
そして、それだけで気がすまずに、とうとう彼を縛って木の枝に吊しておいて、あり合せの棒で
滅多やたらになぐりつけたのです。それでも良寛さんは少しも逆らわなかったのですが、しまいに
とうとう耐えられなくなって、実は自分は良寛であるとその人に申し出ました。そして、自分は芋
などを盗む気はさらになかったが、月がいいのでぶらぶら歩いていたのだと告げて、畑を荒したこ
とを詑びました。
とが
百姓は始めてそれを知り、大いに恥じ入って深く罪を謝したのですが、良寛は少しも相手を餐め
なかったばかりか、むしろ気持よさそうに笑って、左の如き一首の古歌を口ずさみながら瓢然とそ
こを去ってゆきました。
にようやくによでんおさによぜかん
打つ人も打たるる人も諸共に如露亦如電応作如是観
良寛さんが早苗をとる頃、解良家にとまっておりました。智海というお坊さんがいて、いつも良
寛さんが人に尊ばれているのを憎らしく思っているのでした。この智海という人は驕り高ぶって
「わしは衆生のために一宗を開くのだ」といって、自分を昔の高僧、聖者になぞらえて、今時の坊
主は、とばかにするのでした。110
この智海が大酒をのんで、酔っぱらい、田を打つんだといって解良家に泥まみれになって上りこ
んで来ました。たまたま良寛さんが家にいるのを知って、ムラムラと怒りの心がこみ上げ、泥水で
ぬれた帯で良寛を打とうとしました。いきなりの事件で、なぜ智海がこのようなことをするのか良
寛にはわかりませんでした。といってあえて身をさけようとなさらないので、家人が驚いて智海を
抑え、いそいで良寛さんを別室に移したのでした。そして泥酔した智海を家の外に連れ出し、なだ
めすかして去らしめました。
夕方頃になって雨がたくさん降り出してきました。すると良寛さんが縁側に出てきて家人に「あ
の僧は雨具を持っていたかな」といったきり、雨空を仰いでいるのでした。
この良寛さんのいくつかの逸話はどうですか。業想念の全くない、天意そのままの良寛さんの全
行為は、白隠さんと一脈相通ずるものがあります。白隠さんにしても、良寛さんにしても、小我の
自己というものが、みじんもないのがこれらの逸話でよくわかります。神仏のみ心のまま、すぺて
の環境、事柄を受けて立っている、その姿は、尊くも有難いことであります。良寛さんのいくつか
の逸話の中で、私がいつも参った、と思うのは、舟から川に落され、落した舟頭に水から引き上げ
111白隠・良寛・黒住宗忠
られると、その船頭を恨むどころか、かえって生命の恩人として拝んだ、という、その素直な心で
す。すべてを因縁因果として受けて立ち、落されるのも因縁である、私流の消えてゆく姿であると
受け取り、一方救われたのは、み仏がこの舟頭を通して救って下さったという感謝の心で舟頭に礼
をいう。
そういう、純白無凝の心というものは、なんにもまして尊く有難いものです。子供との鬼ごっこ
の話、きたない格好をしていて、泥棒と間違われた話、踊りできれいな娘とほめられて喜ぶ話など
は、現代のインテリからみれば、なんだ馬鹿ばかしい、と思うかも知れませんが、この船頭との話
こそ何人といえど、口をさしはさむことはできない、聖者の心でありましょう。
この他にしらみを殺さず衣類につけておく話、たけの子の話など、良寛さんは実に逸話の多い人
です。最後に黒住宗忠神人の話。
112
神人黒住宗忠の逸話
e
ある日、一人の修験者体の男がきて、法論を吹きかけたことがあります。宗忠は鄭重にあしら
くみ
い、ただ「はいはい」と相槌を打つ外には、一言の返しごともしなかったので、与し易しと見た相
手は、終りにはきくに堪えない暴言を浴びせ始めたのですが、宗忠はうつむいて、静かな沈黙を守
っていました。相手は今少し手応えがあると思ったのに、意外の応接で、いささか拍子抜けの恰好
でしたが、最後に、
「われらに一言の返しも出来ないような未熟者のくせに、今後、説教だのまじないだのと惑わせ
のことをするにおいては、その分にはさし置かぬぞ」
と捨ぜりふを残して立去ったのです。始終の様子を聞いていた宗忠の妻は、あまりの口惜しさに、
「せめて一言ぐらいおっしゃらねば、門人衆に対しても顔向けがなりませぬことと存じますが…」
と眼に涙さえ浮べて遺憾の意を表しました。宗忠は静かに一笑して、
「わしが罵られるのは、いくら罵られたとて大事ないこと、只、かの仁の舌鋒余って、神様を罵
るようなことになると、その罪は軽からぬから、わしは先程から、一心に、そのようなことのない
よう、心中に祈っていた。議論をして、よし、わしが勝ったとて、何も世に益はないのみか、かの
ヘヘヘヘへ
仁の天から賜った一心のおいきものを傷めるだけのこと、それでは、神様に対して申訳がない。そ
れよりも、それ、あの仁のうしろ姿を見るがよい。見事うち勝ったと思う満足の心が見えて、いか
113白隠・良寛・黒住宗忠
にも勇ましいではないか。神様は、あのような人間のいさぎよい姿をば、お喜びなさるそうな」
いい終るや、静かにかしわ手して、遠ざかりゆく修験者の後姿を拝んだのでした。
また、ある時、かねて宗忠を敵視していたさる祈祷師が、あさはかにも、その邸宅に放火を企て
たことがありました。幸い大事にいたりませんでしたが、宗忠は、下手人の遺棄した焼けさしの松
明を拾い集め、塩水で浄めて神前に供え、下手人が正しい人になってくれるようにと、七日の間祈
りをささげました。ところが、ちょうどその七日目の朝になって、下手人と名乗る男が現われ、いん
ぎんに謝罪を乞うたのです。宗忠は彼の正直な心を喜んで、その罪を自らの不徳に帰し、門人の列
に加わることを許したのです。
⇔
宗忠は殆ど怒るということを忘れた人でありました。ある時のこと、さる床屋の亭主が宗忠を一
度怒らせてみようという、いたずらから、その眉の片方を剃り落したことがあったそうです。しか
し宗忠はそれに気づいても平然として、
「おおこれはおもしろい顔になったぞ」114
といって笑っていたということでした。
㈲
その心の素直さと童心については次のような話があります。
ある日、内弟子の銀次兵衛をつれて、菜の花咲く野路を歩いていた宗忠は、何を思ったのか路傍
にうつくまって、いつまでも菜の花を眺めていました。しびれをきらした銀次兵衛が
「先生様、何をいつまで見ておいでなさる」と尋ねると、宗忠はゆっくりと答えました。
「のう銀次どの、ごらんなされ、この菜の花を… …親神さまは、このような美しい花になって、
み
人間の眼をたのしませてくださるのじゃ。その上おまえ、実になれば実になって、今度はしめ木に
しろあかり
かかって種油になり、燈火の料になって下さるのじゃ。かえすがえすもご苦労である」
宗忠は、眼に涙さえ浮べていたのでした。
宗忠がつねに質素な風体をしておるので、門人たちの中に、たまたま衣服など新調しておくるも
のがありますと、宗忠は大喜びに喜び、早速着替えて、
「どうじゃ、よう似合うか?」
115白隠・良寛・黒住宗忠
といって悦に入ったというのですが、全く子供のような無邪気さであったので、見る人は心の底鵬
からほのぼのとしたものだそうであります。
どうですか、良寛さんと黒住さん良く似たところがありますね。聖者にも厳しい烈しい形の聖者
と、良寛さんや黒住さんのように、柔和な素直な、烈しい要素の少い聖者があります。
黒住さんの、修験者に対する応対ぶりには、弟子ならずとも、異議を唱える人がかなりあると思
います。私でもああいう態度で応対したら、周囲の者が黙ってみてはいられなくなると思います。
あそこは、黒住さんのように徹底した光明思想の人で、怒りの想いの少しも無い人でないと、とて
もできる応待ではありません。生じっかの悟りでは、かえって、彼の修験者を増上慢にさせ、真理
にそむくことになってしまいます。黒住さんの人間の内なる神性を汚すまいとする、生命をいきい
きと生かさせようという、人間神の子を徹底して実現させよう、という生き方には頭が下がりま
す。なかなかあそこまではゆけないものです。なんにしてもたいしたものです。
㈹
ある時、講演会にゆく途中、丸木橋を渡ろうとして、ひょいと川の流れを見た瞬間、足下がぐら
ぐらとして、思わずアッと胆をひやしたというのです。だが幸いそのまま無事に渡りきりました。
ざんき
無事に渡ったは渡ったものの、宗忠の胸は餓憶の想いで打ちふるえていたのであります。彼は講演
会場につくやいなや、会場の聴衆に向って、
けび
「私は実に申訳けないことをいたしてまいりました。天照大神のみ心を汚してまいりました」
と丸木橋を渡った時の心の動揺を語り、今日までの多年の修業を、一時に砕いてしまったこと
を、涙ながらに、天照大神にわび、聴衆に訴えた、ということであります。
むく
私はこうした宗忠の純真無垢、至誠に徹した心に打たれるのです。天照大神(神)は自己の本心であ
けが
る、本心を少しでも驚かし、汚したということは、なんとも神に対し、本心に対して申訳けない、
けが
と宗忠の胸は打ちふるえたのでありましょう。自分の本心をも人の本心をも汚さぬということが、
宗忠の深い信仰であったのです。本心を汚すことは、神を汚すことになるからなのです。
小我をなくすことから始めよう
このように自己の本心、
えるのであります。
生命をさわりなく、汚れなく生かしきってゆく人こそ、真の宗教者とい
117白隠・良寛・黒住宗忠
へだ
白隠、良寛、宗忠の三聖者に一貫していえることは、神仏と人間との間を隔てている、業想念と
うつわ
いうものが、全く無い、ということです。肉体という器を持ち、いずれも立派ならぬ衣服をまとっ
てはいるけれども、神仏のみ心が、この世の浄めのために、そのまま現われて行為となっている、
ということが、この三人の聖者にはいえるのです。
三人が三人とも悟っているとか、聖なる者だとかいう、そういう想念のつけたしが全くない、そ
のままの聖なる人々であります。神仏の心だけが、はっきり表面に出ていて、肉体すら感じられぬ
程、澄み清まった心の持ち主なのです。
宗教を求める人々の中には、神秘的な奇蹟だけに心をひかれていたり、奇蹟だけを求めている向
きが大分ありますが、真実の宗教というのは、神仏のみ心に近づくにつれて、特別に奇蹟を求めて
歩かなくとも、自ずと奇蹟が現われたり、神秘な事柄に触れたりするものです。
ですから、宗教の道を求める場合は、あく迄、自己の行為が神仏のみ心の、愛と調和と美とに近
づくように、努力することが肝要なのです。そのためには、こうした聖者や賢者の行為の中から、
真理の道を求めるとよいのです。
ただ問題になることは、こうした聖者の行為は一朝一夕で、できるようになったのではないこと
X18
です。聖者になるような人には、勿論生れながらの素質というものもありますが、素質を生かす、
たゆみない努力精進というものが大事になってきます。白隠なぞは、ひどい肺病になりながらも、
なお難行苦行をして、それだけの行為のできる白隠になったのですし、良寛にしても、宗忠にして
も、それ相当の修業の末の自由解脱なのであります。
ですから、修業中の皆さんが、すぐにも、白隠や良寛や宗忠のような行為ができるわけではあり
ません。修業しながら、徐々に立派になってゆくわけなのです。一度に聖者の真似をしようとしま
すと、かえって中途半端になって、自分がみじめになったりしますので、まず、自我(小我)を無
くすことからはじめなければいけません。小我を無くす方法が、祈りなのです。小我を無くして本
心を開発する方法が祈りなのです。
神への感謝と平和の祈リを
祈りの一番易しい方法は、ただひたすら、神様ありがとうございます、と日々瞬々神への感謝行
で明けくれることなのです。私がこうなったのも、ひたすらなる神への感謝行であったのです。
そして一歩進んで、神への感謝行に加えて、世界平和の祈りの、世界人類が平和でありますよう119自
隠
・
良
寛
・
黒
住
宗
忠
に、から、私たちの天命が完うされますように、迄の祈りになります。世界平和の祈りを日々瞬々
行っておりますと、いつの間にか、自我が減少しまして、聖者に近い無我の祈りができるようにな
るのです。
あせ
宗教の道では、焦りが一番の禁物です。焦るとつい誤った道に入ってしまいます。じっくりと、
大地を踏みしめてゆくつもりで、世界平和の祈りを祈りつづけてゆくのがよいのです。
要は神のみ心と人間の心とが一つに通じ合うことが大事なので、その他のことは必要のないこと
なのです。神と人との心が一つになってはじめて、真実の平和世界達成への智慧能力が生れてくる
のであります。
あせらないこと
我々の地球上にも、数多くの聖者賢者が生れ出ておるのですから、精進次第では、神我一体の境
地になり得るのです。焦らず一歩一歩歩むつもりで、のびやかに世界平和の祈りの日々を過して下
さい。
眼にみえて進歩する人もありますが、遅々としているように自分では思っていても、他からみ
12Q
て、素晴しい進歩を遂げていることもあるのです。真宗の一向専心念仏というように、世界平和の
祈りもやっていればよいのです。
むずかしいことは何もありません。ただ習慣のようにやっていますと、いつの間にか心が入って
いって、祈りが光明を発するようになるのです。一日も早く自分を立派にしようとか、悟ろうとか
焦る必要はありません。悟りも、人格の向上も、世界平和の祈りの中から自ずと達成されてゆくの
です。
人間は常に、守護の神霊に守られているのですから、自分がこちょこちょと、小智才覚を働かせ
て、神からの叡智を妨げるような愚かなことはせずに、神霊と自己との一体化のためにも、たゆみ
なき、世界平和の祈りを祈る必要があるのです。
これからは、世界平和の祈りの中から、多くの聖者賢者が生れ出つるであろうことを、私は期待
して、世界平和の祈りの宣布をつづけているのです。白隠さん、良寛さん、宗忠神人のみ霊にも感
謝の祈りを捧げます。
121白隠・良寛・黒住宗忠
122
ひろひと
裕仁天皇のこと
– 献身による神我の現れー
天皇とマッカーサー
元内閣書記官長、迫水久常氏の、終戦時における天皇の話を、或る本で読んだのですが、その話
は、天皇をよく知っておられる人々の異口同音に語る、天皇の善良さと純粋なる国民への愛情を、
より詳しく語っていて、思わず涙ぐまれるほどのものでした。中でも一番感激深い話は、マッカー
サーとの会見時における天皇の態度でした。
天皇が連合軍総司令部において、マッカーサーと会見なさることが決定した時、マッカーサー
は、たとえ天皇の来訪であっても、自分は最高司令官として日本に来ているのだから、出迎えもし
なければ、見送りもしないが、その旨を心得ていてくれ、ということであったそうです。
ところが、天皇との会談後は、そうした高飛車な態度が一変して、手を取らんばかりにして、玄
関まで見送って出た、ということです。そうして、彼は帰国後も、人々に語るに、今迄、自分が会
見した人物の中で、日本の天皇ほど立派な偉大な人物に会ったことはない、と口をきわめて賞賛し
ていたそうであります。
敵将であるマッカーサーを、かくまで感嘆せしめた天皇の態度というのは、一体、どのようなも
のであったのでしょうか。
無我献身の天皇
それは天皇が、無我献身の態度で、マッカーサーに対したからなのであります。
天皇はマッカーサーに会って、なんと申されたかといいますと、
「この戦争は、すべて私が命令し、指揮したのであるから、私の他の何者が悪いのでもない。こ
の戦争の責任はすべて私にあって、国民の誰一人悪いのではないから、この私一人を戦争責任者と
して、いかようにも処分していただきたい」
と実に卒直に、自然に、自分の意見を述べられたのでありました。123裕
仁
天
皇
の
こ
と
一
献
身
に
よ
る
神
我
の
現
れ
一
マッカーサーはそれまで入手した情報で、天皇は平和愛好者であったのだが、軍部の実力者が、捌
いやおう
天皇に真実の事情をしらさず、自分たちの思う方向に、否応なしに天皇が同意せざるを得ないよう
な状態をつくりあげて、開戦の命令を下させてしまい、戦争中も終始天皇に真実の状態を報さず、
今日まで来てしまったのであることを、すでに知っていたのでしたから、天皇が自分に会えば、恐
だま
らく、自分は平和愛好者であって、戦争はしたくなかったが、軍部が自分を騙して、戦争にまで持
っていってしまったのだ、だから、自分には実際の責任はないのだ、ぐらいのことはいうであろ
う、と心の中で思っていたに違いありません。
ところが、全く意外にも、自分以外に戦争責任者はないのだから、いかようにも自分を処分して
もらいたい、と最も自然な態度で、ご自分を投げ出して来られたのですから、びっくりしてしまっ
たのです。
そうでしょう。普通の人間は誰でも、実際は自分でやったのでもないことで、罪になったり、首
を斬られたりしてはたまりませんから、なんだ、かんだと自分の罪にならぬように、或は自分の
罪が少しでも軽くなるように、自己弁護をしたくなるものです。ましてや、遠い宗祖以来、外敵に
おか
侵されたこともなく、国家に君臨していた人が、天皇という最高の位から一挙に、どのような処分
に会うかもわからない、戦争責任者という罪を、自分から負いたい、といって来られたのですか
かば
ら、誰でも驚きます。まして、自己を騙した軍部を含めた国民全体を庇う心で、そういわれたので
すから、マッカーサーが思わず天皇を抱きしめたくなる程、感動したということは、さもありなん
と思われます。
天皇のこうした崇高な態度は、おのずからマッカーサーに天皇畏敬の念を起させ、後からの戦争
裁判に、天皇をも呼び出せというような各国の声や、天皇こそ最高の戦争責任者だという各所の声
を、キーナン検事と協力して退けてしまって、天皇を守り切ってしまったのです。
これは、マッカーサーが天皇を畏敬したことと、こうした天皇を戦争裁判に呼び出して、もし自
分だけが只一人の戦争責任者だ、といわれたりしたら、肝腎の実際に戦争に仕向けた責任者たちを
罰することが出来なくなって、危険を今後に残してしまう、という実際上の問題もあったわけで
す。
生命を捨てざれば生命を得ず
なんにしても、天皇の無我献身の勝利であって、キリストのいう1 生命を捨てざれば生命を得125裕
仁
天
皇
の
こ
と
一
献
身
FYよ
る
神
我
の
現
れ
一
ずーということを、実際身をもって示したものであります。
また、これより以前、つまり戦争を終結させるかどうかの御前会議においても、天皇はすでに無
我献身であられたので、そのみ心が、終戦の大詔となって、日本国民の生命を救ったのであります。
あれがもし、自我の強い帝王であったら、どうであったでしょう。恐らくは、一億玉砕まで戦争
をもっていったか、敗戦を恐れて、自殺してしまったかしたでしょう。何故ならば、自我の強い人
ま
は、常に自己本位のものの考え方より出来ないので、どうせ敗ければ自分はどんな目に会うかわか
らぬのだから、全国民が死ぬまで戦ってみよう、とか、縄目の恥を見るのは口惜しいから、自分か
ら先きに死んでしまおう、とか思いがちなのです。
ところが、日本の天皇は、最後の段階に至って、真に天皇の偉大さ、と、天皇あることによる日
本の国体の幸ということを、ご自身がはっきり国民の前に示されたのです。
ーー自分の身はどうなっても構わぬから、国家と国民を救いたいー
この大慈悲こそ天皇のみ心であり、キリストのみ心なのであります。
かば
イエスが、人類の身代りとして十字架に掛ったと同じみ心で、天皇は全国民を庇って外敵の前に
立ったのです。無我献身、天皇がキリストとなり、仏陀となりきった尊いみ姿であったのです。126
この事実は、いかに反天皇的な人であっても、事実として認めぬわけにはゆきません。
日本を戦争にもってゆき、ついに敗戦せしめたのは、日本という国自体と、国民全部の過去世か
らの因縁の消え去る姿としての現れであり、天皇は、その惨事を、最小限度に喰い止め得、大菩薩
業を成し遂げられたのであります。
反天皇主義者はいうでありましょう。天皇の名で戦争をはじめ、天皇の名において、俺たちは召
集されたのだと。しかしその人たちはよくよく考えねばいけません。仮りにその時の日本の最高統
治者が天皇以外の者、大統領であり、書記長であったとして、一体あの戦争を防ぎ得ることが出来
たでしょうか。出来得た、といい得る者は一人もないのです。ところが、終戦の大詔における、あ
の平安なる戦争終結こそ、天皇以外のいかなる最高統治者にも出来得なかったことであると、私は
確信をもっていい得るのです。
何故ならば、日本のように、あれ程に、天皇という中心に帰一していた国民が、他のどこの国に
り
あったでありましょうか。あの中心帰一の精神こそ、あのような平安裡に終戦となし得た最大のこ
とであったのであります。
すべての集合体には、中心が確立していなければなりません。中心が確立していない集合体は決
127裕仁天皇のこと一献身による神我の現れ一
して永続致しません。それは集団ばかりでなく、人間個人の一個体においてもそうであります。
しんくう
日本の天皇が、国家民族破滅の最後的段階において、無我真空の本質を顕現され、国家民族を危
機から救われた、という事実は、肉体の天皇の奥から、神の大慈愛の光が輝き渡って、天皇の締螂
する国家国民を救った、ということになるのです。
軍閥といい、内閣という肉体人間の人間智恵によって、天皇の本質が覆われていた時期には、神
の光が外に現われ出でなかったのですが、そうした人間智恵では、どうにも出来得なくなった時
に、肉体天皇が無我真空の境地になられて、神の本然の姿が、天皇の光が、天皇の言葉の奥から輝
き出でたわけなのです。
128
肉体智を捨てよ
肉体人間の智恵ではどうにもならない、と人間智を投げ捨てて、自我をすべてぬぎすてた時に、
神の叡智は、その人間の奥から輝き出でて四囲を輝かすのであります。
ですから、人間が、肉体人間の智恵や知識や力だけで、何事もなしとげ得る、と思っている以上
は、神の真実の姿はそこに現われては来ないのですから、その人、その国、その民族が、真実の幸
福や平和をつかみ得るわけがないのです。
人間の真の幸福というものは、その人が自己の我欲の想いを消し得た率に従って大きく現われる
もので、我欲をすべて消し得た状態、つまり真空になり得た時、その人は神そのものであり、仏そ
のものであるわけです。終戦時の天皇は、その真空になり得た偉大なる聖なる人であったのです。
真実に自己の幸福を願い、家族を幸福たらしめんと思う者は、肉体人間の世界から、物質や地位
ひとた
や権力の有する幸福感を得ようとする方法を捨て、そうした我欲を一度び神に返上して、一瞬の隙
もなく常に神より与えられている生命と共に、その生命の働きにとって必要な物資や地位や権力を
同時に与えていただいたらよいのではないかと思うのです。
-1神よ、我らが天命をつつがなく完うせしめ給えーこうした祈りの他に、自己自身としての
望みはないのではないか、と私は思うのです。
天命(神の使命) をつつがなく完うする以外に、人間のやることはないのに、その余のいらざる
ことを想い行うがために、人間は業想念、我欲の渦にまきこまれて、現在のように不幸になってい
るのです。
天命がつつがなく完うされることさえ祈っておれば、神はその人の天命(神の使命)が完う出来129裕
仁
天
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献
身
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よ
る
神
我
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現
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一
る物質なり、地位なり、権力なり、人間なりを与えて下さるに決っております。何故というに、そ
の人は神自身の使命を果そうとしている者だから、神が援助するのは至極当然なことであります。
人間各自が神の使者
人間は神の使命を分担して、この地上界に生れてきた者であることを忘れてはいけません。各自
が神の使者なのであることを悟ることが、世界平和を築く大事なことだと思うのです。
どうしたらそのような気持になれるか、というならば、神という大智慧、大能力を除いての、こ
の世の創生、人間の誕生、宇宙の神秘を解き明してみるとよいのです。誰一人として、解き明すこ
とは出来ないのです。自分には解くことが出来ないとわかったら、素直に神の存在を信じて、神に
よって生かされていることへの感謝をしなければならないのです。
神への全託と、神への感謝、それは人類を幸福にする根本原理なのであります。
天皇があのように、無我真空になって、自分を投げ出したその結果、国家国民を救ったばかりで
なく、天皇自体の生命も、その地位も、そのまま無事に確保出来たのは、天皇という地位が、神に
とって必要であるということになる、と考えるより仕方がありません。130
無我は神への全託ということと同意義だからであります。
天皇の地位が確保されたということは、反天皇主義の人たちにとっては、もう一息のところを残
念だ、と思ったことでありましょうが、私たち神の使徒にとっては、神のみ心が、日本の前途を指
し示されたようで、有難い気がしたのです。
日本の使命達成への鍵
ひろひとあきひと
天皇とは、裕仁とか明仁とかいう、そうした肉体人間の名前ではないのであります。
しんくう
天皇とは、中心真空の名称であるのです。肉体の天皇が、我欲を捨て切れぬようであれば、その
えせ
人は、天皇の本質から離れた似非天皇ということになります。
しんくう
また馬真空には、国民の想念感情が吸いこまれ、流れ入ってゆきますので、国民の想念感情(行
為)が汚れていれば、真空(天皇)もそれだけ汚されるのです。天皇(真空) の本質を発揚せしめ
るためには、国民の一人一人が常に想念行為を浄めておく必要があるのです。
それは取りも直さず、神への奉仕ということになり、日本の使命達成への重大なる鍵ともなるの
であります。
131裕仁天皇のこと一献身による神我の現れ一
日本人は大体において、直感的に動く民族であり、感情的に動きやすい国民であります。
物事に知性を働かし、いちいち分析して黒白をつけるというより、大まかな直感的な想い方で黒
白をつけてしまうことのほうが、本質的な国民であります。
義理人情となると、後先考えずに飛び出してゆく、というような気風が、今日では非常に少なく
なったように見えながらも、心の奥には潜在的に多分に残っているのです。それがうっかりする
と、附和雷同的に、あいつがやるなら俺もやろう、という風な傾向になりがちなので、西欧人のよ
うに、個人個人が、自分自分の考えで、事をなすという気風とは相違しているのであります。
そうした生き方が、親分子分という関係や、派閥的ないわゆる或る強い力に依存する形になって
きて、自己の派のため、親分のためのみに片寄り、相手方の団体の主張や考え方を、故意に曲げて
考えるような形になってきているのです。
国会においても、その最もよい見本を示しているのです。
こうした感情的な面を多分に持つ国民が、代議士を選び、首相を選び、その上元首までも、自分
たちの手で選ぶとしたら、一体どのような事態が起るでしょう。
ヘへ
自分たちの選ばなかった首相のやることは、なんでもけちをつけたがる人々が、その上の元首に
132
のぞ
も、それと同じ態度で臨むことは、火を見るより明らかです。
そんなことで、国内の世論が四分五裂しているようであったら、日本の平和はあり得ませんし、
ついには外国のよい餌食になってしまいます。完全独立などは到底出来ない相談です。
日本を完全独立させるためには、日本の国民を一つの中心に統一させるより他に方法はないので
す。
大統領でも、書記長でも、国民を統一させることは出来ません。やはり遠い昔から在った天皇制
が、一番日本国民には自然で、ふさわしいということになってくるのです。
天皇は、一部の人たちの他は、案外素直に帰一出来る中心なのであります。
中心への帰一
現在の日本を救う最大の行為は、想念を一つに統一する、ということであります。国民各自の想
念意識が、バラバラであっては、現在のようにすべてに弱少になってしまった日本を、世界に冠た
る国家に立ち上がらせることは、到底出来得ないことです。
今こそ、国民の想念と能力を、一つ方向に結集しなければなりません。133裕
仁
天
皇
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神
我
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一
それは、信仰的には神への全託を基本にした世界平和の祈りであり、神霊への感謝であります
が、国家的には、天皇という中心への帰一でなければなりません。
どのように考えてみても、現在の中心者、統一者には、天皇以上に秀れたる形が考えられませ
ん。皆さんも、各自が、じっくりこの問題を考えてみるとよいと思います。
肉体の姿や形を考えるのではありません。天皇という地位の、現在までの在り方を、他の制度と
比較してみることなのです。
天皇は別に悪いとは思わないが、天皇の名を利して側近が必ず悪いことをする、と誰かはいうで
しょう。
しかし考えてみて下さい。天皇の名を利用しなくとも、政府という名で、いくらでも同様の悪事
は出来るのです。
かくぜつ
終戦前には、天皇と国民との間は隔絶されていて、国民の意志は天皇にはとどきませんでした
が、現今は全然違います。言論は全く自由になり、天皇への進言の方法はいくらでもあるのですか
ら、昔のように、天皇と国民の間を、雲の上下という程に隔絶することは出来ません。
今こそ本当に、天皇統治の政治が一番妥当であり、誤り少い時である、と私は確信しているので
134
す。
何をおいても、現在は、国民精神を一つ目的に結集しなければならぬ時です。今のように、一方
は米国に、一方はソ連に、また一方は中国にという精神状態では、まさに、国家の精神分裂症なの
です。このような状態では、永久に一人前の国家として立ってゆくことは出来ません。ついには滅
亡し去ってゆくだけです。
日本の滅亡を防ぐために、直ちに行わなければならぬことは、国家精神を分裂させずに、一つ中
心に統一させることです。
五感を超えた世界では神なのでありますが、五感に見える世界では、肉体をもつものでなければ
なりません。その見える中心を、天皇として一向不思議なことはないと思われます。
それが、日本人の感情としては、一番自然な成り行きだと思います。
日本の古い文献には、天皇というみ名が、どのような重大なものであり、崇高なものであるかと
いうことが、くわしく書いてあるのですが、それはここでは引用しません。
ここでは、常識的に考えても、なるほど天皇という存在者があることのほうが、日本の平和には
プラスだな、と思えるような説明をしているのです。
135裕仁天皇のこと一献身による神我の現れ一
こころの鏡
136
天皇への帰一ということを一つの目的として、国民の精神を統一してゆくということは、どのよ
うにしてゆくかと申しますと、まず天皇の不為になることをしない、ということであります。
しんくう
天皇は本来真空であるのですから、自己の純なる心の象徴、善心の象徴となり、鏡ともなるので
す。ですから、天皇の不為になることをすれば、自己が傷つくということになるのです。
この理はちょっとむずかしいのですが、真理なのです。
全国民が、天皇を、良心の象徴、善の象徴として、観ずるようにすれば、自己に迷いの想いが出
れば、すぐそれが天皇を汚し、国家を汚すのだ、というように思えてきます。従って、自己が誤ち
の中にいることは、天皇の一部を誤ちの中におくということになるのです。
ですから、自己が誤った想念行為の中にいることは、天皇の不為になり、国家の不為になるとい
うことになるのです。
天皇を神という言葉に代えて考えてみましょう。
神は愛であり、人間の良心であり、本心であります。人間が良心を汚し、愛にもとる想念行為を
したとするならば、それだけ神の光を蔽い、本心を蔽い、自己の運命を傷つけ損ねるということに
なるのであります。
現在、神に認可された日本の中心として、天皇が存在するのですから、日本の国民が、天皇を神
の象徴としてみても不思議はありません。
アメリカが大統領を神の象徴と観じても一向に差支えないのですが、人間の定めた規定によっ
て、或る期間でどうしても退めなければならない人なのですから、神の象徴とは観じにくいのかも
しれません。
日本の使命を果すために
もっとも、人間はすべて神の現れなのですから、誰をみても、神の象徴として礼拝出来るよう
じようふぎようぼさつじよう
になれば、常不軽菩薩(釈尊の前身) と同等になって、これにこしたことはないのであります。常
ふぎようぽさつ
不軽菩薩は、誰を見ても、あなたも、あの人もみんな仏様だと、どんな迫害にあっても、人々を拝
みつづけたという人でした。
なんにしても、神から定められた日本の本来の姿が一日も早く現われるように、私たちは祈らな
137裕仁天皇のこと一献身による神我の現れ一
ければなりません。
その祈りは、やはり私の提唱している世界平和の祈りなのであります。
私たちの日本は、神から定められた重大な使命を有する国なのであり、あなた方の一人」人は、
日本を本来の姿に還し、世界に真の平和をもたらす重大な生命体なのであることを、堅く信じな
ければなりません。こうして現在日本という国に生れ、育ち、働いているということは、神のみ心
が、あなた方を日本人として、日本のために自己の生命を生かして働け、と使命づけているわけで
す。
真実日本のために働くということは、世界人類のために働いているということと一つなのであり
ます。
あなたが日本を善い国にし、世界人類の平和を希求するならば、自己が現在与えられている職場
に、真剣な努力を払いながら、
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
iss
私たちの天命が完うされますように
の祈りを守護の神霊への感謝と共に忘れずつづけることです。そして現われてくる悪心や不幸
は、すべて消えてゆく姿として、その想念、その事柄に把われぬようにすることです。
139裕仁天皇のこと一献身による神我の現れ一
140
合気道・植芝盛平翁
植芝翁との対面
私が初めて植芝先生にお会いしたのは、昭和三十二年十月のことでした。植芝盛平翁が、東京神
田の講演会場に、私を尋ねておいでになったのです。植芝先生には、私も以前から一度お目に掛り
たいと思っていたのですが、光和堂から出ている合気道という本を見て、この方には是非お会いし
たいと、改めて思ったのです。
ところがこの想いが、数日をいでずして直ちに実現して、神田での対談になったのであります。
この対談までの経過は偶然のようでいて、実に微妙なる神はからいによって進められていったので
す。
それは、私が合気道の本を読んだ明くる日、出版のほうの人に「私の著書を植芝盛平先生にお送
りして置いて下さい、植芝先生は神の化身のような立派な人だから」と申して置いたのです。そう
しますと、出版のほうで早速送本するつもりで宛名を書いているところへ、林さんという婦人が見
こんい
えられ、ふとその宛名を見て「あら植芝先生なら、私の主人が大変ご懇意にしております」といわ
れたので、そこにいた会の理事の人が、「うちの先生は植芝先生に一度お目にかかりたい、と申さ
れているのですよ」と軽い気持でいったのだそうです。
すると林夫人は、「そうですか、五井先生と植芝先生がお会い出来たら、私共も大変嬉しいし、
きっと双方に善いことになります。私帰って主人から植芝先生にそう申し伝えましょう」と勇ん
で帰ってゆかれたのですが、その翌日道場に電話を掛けてよこされ、「主人が早速植芝先生に五
井先生の御心をお伝え致したところ、一ケ月も前から、自分の会いたい人から迎えがくる筈だが、
いったい誰が使いしてくるのか、と思っていたところだったが、その使いはあなたでしたか、すぐ
にでも市川へ伺いましょう、と申されている」ということでした。そこで私は、わざく市川へお
出向き下さるのも大変だから、神田の会の日にお出掛け下さるように、とお答えして置いたのであ
ります。そして対談ということになったのです。141合
気
道
・
植
芝
盛
平
翁
この経過は偶然にしては、あまりにも、すべて調子がよくゆきすぎております。たまたま見える
人が、その封筒の宛名を書いているときに行き合わせるなどというのは、偶然としてはあまりにも
偶然過ぎますし、私の存在を知らされた植芝先生が、一ヶ月も前から私との対面がわかっていた、
というのも、偶然とはいいがたいことであります。
こうした神はかりによって、植芝先生と私が対面したのでありますが、「やあ、いらつしゃいま
せ」「やあ、今日は」といわぬ先きから、二つの心は一つに結ばれて、私は植芝先生という人格、
否、神格がすっかりわかってしまったし、植芝先生も、私のすべてがおわかりになったようであり
ました。
あまりお話はなさらないという先生が、心から嬉しそうに打ちとけて、私の講演が始まる六時ま
での二時間を、その時間をこえてもまだお帰えりになる気持にはなられなかったろうと思われる程
に親しまれて、「またちょいく伺います」といわれて帰ってゆかれたのであります。
142
合気とは我即宇宙たらしめる道
この日の植芝先生の話や、合気道についての本から得た私の感じでは、合気道という武道の一種
くラむげ
と見られる道は、空を行ずることが根幹であり、そこから生れる自由無磯の動きであり、大調和、
くら
愛気の動きである、と思ったのです。空を行ずるという言葉をいいかえれば、自我の想念を無くす
るということであります。
植芝盛平翁は、この真理を、身をもって悟り、身をもって実際に行じておられるのですから、私
が偉大な人と思い、お会いしたい、という気になったのです。
植芝翁の言葉をそのまエお伝えすると、-
ー合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道であ
る。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合
気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。私はこのこと
を、武を通じて悟った。
いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いか
らではない。これは、速い、おそいの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。
敵が、「宇宙そのものである私」とあらそおうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしている
のだ。すなわち、私と争おうという気持をおこした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。そこに143合
気
道
・
植
芝
盛
平
翁
は、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。幽
合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、
争う心のある人間は、はじめから負けているのである。
ではいかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することがで
きるか?
それには、まず神の心を己の心とすることだ。それは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみまで
におよぶ、偉大なる「愛」である。「愛は争わない。」「愛には敵がない。」何ものかを敵とし、何
ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。
たけむす
宇宙と調和できない人間の武は、破壊の武であって、真の武産(註、神道の真理の言葉)ではない。
だから、武技を争って、勝ったり負けたりするのは真の武ではない。真の武はいかなる場合にも
絶対不敗である。即ち絶対不敗とは絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己の心の中の
「争う心」にうちかつことである。あたえられた自己の使命をなしとげることである。しかし、い
かにその理論をむずかしく説いても、それを実行しなければ、その人はただの人間にすぎない。合
気道は、これを実行してはじめて偉大な力が加わり、大自然そのものに一致することができるので
ある。ー
といわれるのであります。これが神の言葉でなくなんでありましょう。この言葉は全く、宗教の
道そのものの言葉であります。こうした言葉が理論的な頭や、言葉だけの言葉になって説教された
ら、その言葉に生命がないのでありますし、折角の真理の言葉も、人の心を打たずに済んでしまう
のですが、植芝翁の場合は、この言葉の通りに実行されているのであり、何者にも敗れたことの無
い実績を残しておられるのですから、感動させられるのです。
私はこの言葉を書きながらも、非常な感動で胸が熱くなってくるのです。
神の化身- 植芝翁
植芝翁は確かに神の化身であります。その神の化身は非常に謙遜であって、肉体身としては、自分
の子供に等しい(翁は明治十六年十一月生、私は大正五年十一月生)無名の宗教者のところへ、ご
自分のほうからお出掛け下さって、「これからは先生の働き時、私はお手伝いになりましょう」と
いわれるのですから、ますますそのお心が輝くのです。
こうした心はなかなか得難いものであります。いたずらに尊大ぶり、唯我独尊を誤り思って他を
145合気道・植芝盛平翁
ざんき
弱少視したり、常に他教団との勢力争いをしたりしている宗教者は、漸憶すべきでありましょう。搦
宗教者は、まず愛の心が深くなければなりません。調和精神が深くなければなりません。勢力を
争う想いや、建物の立派さ、信徒数の強大さを誇る想いが、少しでもあるようならばその宗教主管
者は、本物ではありません。
この世は神の世界であって、業想念の世界でも、自我欲望の世界でもありません。すべて神のみ
心の如くなっている世界なのであります。神の大経論は、着々として行われているのであります。
自己が自我欲望の中に住みながら、神の使徒である、と思おうとするのは、泥田の中にいて体を
洗っているのと等しいのです。自我欲望とは、愛の心を乱し、大調和の心を乱す一切の想念行為で
あります。これはいくら声に出ずる言葉でいっても駄目なのです。実際に心に想い、行為に行じな
ければ駄目なのであります。
植芝翁と私の対談中、ある霊能の開けた人が、傍にいたのですが、その人の心には、二人の姿
が、すっかり透明に見えたそうですが、それは、翁にも私にも自己の我というものが全くないか
ら、想念の波をその霊能者に感じさせずに透明に見えるのです。
翁の姿を私が観ていますと、植芝翁という肉体人間の姿はなく、神道に記されて在る、ある有名
な神の姿がそのま工口をきいておられるのです。これは翁に自己の我の想念が全くないということ
しようこ
で、神の化身として働いておられる証拠であります。
翁の合気は、一度に何人の相手でも投げ飛ばすことも出来るし、何百貫の重量の物でも、平気で
くう
持ち上げることが出来るということであります。こうした時には、翁の空になった肉体身をこれも
神道に記されているある武の神が働かせてなさせるのであります。
お目に掛からぬ前から私はこれを知っていましたが、お会いしてみて、その原理を改めてはっき
り知ったのです。
私も自叙伝「天と地をつなぐ者」で書いてますように、守護神によって指導されながら行った、
想念停止の練習、つまり空観の練習によって、空体になることを得たので、神がそのまム私の体を
使い、私の頭を使い、私の口を使い、私の今日迄の学問知識を使い、大調和世界、神国再現の働き
をなさしめておられるのであります。
植芝翁の神我一体観の体験
植芝翁が、神との一体観を体験されたことを、
147合気道・植芝盛平翁
1 たしか大正十四年の春だったと思う。私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺し
て、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつエむと共に、私自身も黄金体と化したような感
じがした。それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造さ
れた神の心が、はっきり理解できるようになった。その瞬間私は、「武道の根源は、神の愛(万有
愛護の精神)である」と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。
その時以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じるようにな
り、眼前の地位や、名誉や財宝は勿論、強くなろうという執着も一切なくなった。
武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことでは
ない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まも
り育てることである。すなわち、武道の鍛錬とは、森羅万象を、正しく産みまもり、育てる神の愛
の力を、わが心身の内で鍛錬することである、と私は悟ったー
と申されている。
またこうもいっておられます。
ー夜、一時二時頃、庭に降りたち、自分は剣をもって立った。ところが不思議に、一人の幽体、148
白いものがパッと現われた。白い者も剣をもって私に向い立つ。こうして剣の修業がはじまった。
そしてターッと打ってゆこうとすると、その瞬間にパッと相手が入ってくる。相手の剣が自分の
腹に胸先にパッと入ってくる。少しも油断は出来ない。はじめは私の動作はおそかったが、修業し
ているうちに、幽体の相手が入ってくる瞬間に、相手の木剣を下へ切り落した。すると白い相手は
消えてしまった。
なお三日間ぐら.い続行しているうちに、相手をぐっとにらむと剣が消えてしまった。
その時、自分を眺めると姿がない。ただ霊身だろうと思うが、一つの光の姿がある。あたりは光
の雲でいっぱいである。といって自分の意識はある。木剣を持っている気持もある、が木剣はな
い。ただ一つの呼吸のみがある。これが二週間つづいた。
新たに、日をおいて立つと、木剣も自分も光の雲もなく、宇宙一杯に自分が残っているように感
じた。その時は白光の気もなく、自分の呼吸によって、すべて宇宙の極が支配され、宇宙が腹中へ
入っていた。
これが宗教の奥儀であると知り、武道の奥儀も宗教と一つなのであると知って、法悦の涙にむせ
んで泣いた。149合
気
道
・
植
芝
盛
平
翁
山川草木、禽獣虫魚類にいたるまで、すべて大宇宙の一元の営みの現れである、と大神さまに敬
けんな感謝が心からわいて、泣けてきてしまったのである。il白光昭和35年2月号よりi
拙著「天と地をつなぐ者」では、私の同じような体験が書いてありますから、参考のためにここ
に載せてみます。
150
私の神我一体観の体験
ー自然はなんて、美しいのだろう。私は自然の美しさの中に半ば融けこみながら、世の中から
病苦を除き、貧苦を除かなければ、この美しさの中に全心を融けこませるわけにはゆかないのだな
あ、と自分の責任ででもあるような痛い声を心のどこかできいていた。
私はその声に応えるように、「神様、どうぞ私のいのちを神様のおしごとにおつかい下さい」
と、いつもの祈りを強くくりかえしながら歩いた。そのま瓦向岸へ渡る舟着場まで来て、土手を下
りようとした瞬間「お前のいのちは神が貰った。覚悟はよいか」と電撃のような声がひ慧き渡っ
た。その声は頭の中での声でも、心の中の声でもなく、全く天からきた、意味をもったひ呈き、即
ち天声であったのだ。それは確かに声であり、言葉である。しかし、後日毎朝毎晩きかされた人声
と等しきひびきの霊言ではなかった。私はそのひ∫きに一瞬の間隙もなく「はい」と心で応えた。
この時を境に私のすぺては神のものとなり、個人の五井昌久、個我の五井昌久は消滅し去ったの
である。しかし事態が表面に現われたのはかなり時日が経ってからであった。
私はひととき、土手の下りぎわで、じいっと眼を閉じたま工何も想えず立ちすくんでいたが、や
がて夢から醒めた人のように眼を明けた。太陽は白光さんくと輝いている。小鳥の嚇りも耳もと
に明るい。私は一時の緊張で堅くなった体を両手で交互にさすりながら、渡舟に向っていった。「私
のいのちはもうすでに天のものになってしまったのだ、この私の肉体は天地を貫いてここにいるの
だ」私の心は澄み徹っていて、天声に対するなんの疑いも起こさなかった。1
という体験から、その間幾多の霊的修業をさせられて、現在の私になる直前、即ち、
1 私は例の如く就寝前の瞑想に入った。想念停止の練習により、私は直ちに統一することが出
来る。その夜統一したと思うと、吸う息がなくなり、吐く息のみがつ∫いた。すると眼の前に天迄
もつ父いているかと思える水晶のように澄みきった太く円い柱が現われ、私は吐く息にのり、その
太柱を伝わって上昇しはじめた。〈中略V七つ目の金色に輝やく霊界をぬけ出た時は、全くの光明
燦然、あらゆる色を綜合して純化した光明とでもいうような光の中に、金色に輝く椅子に腰掛け、151合
気
道
・
植
芝
盛
平
翁
昔の公卿の被っていたと思われる紫色の冠をかぶった私がいた。〃あっ”と思う間もなく、私の意521
識はその中に合体してしまった。
合体した私は静かに立ち上がる。確かにそこは神界である。様々な神々が去来するのが見える。
〈中略V天の私(真我) に地の私が合体して停っているこの現実。霊的神我一体観が遂に写実的
神我一体として私の自意識が今確認しているのである。
想念停止の練習時にはもう少し上に(奥に)もう一段上に自己の本体がある、と直感しながら今
迄合体出来なかったその本体に、その時正しく合体したのである。吾がうちなる光が、すべての障
害を消滅せしめて大なる発光をしたのである。その時以来、私は光そのものとしての自己を観じ、
私の内部の光を放射することによって、悩める者を救い、病める者を癒しているのである。
天とは人間の奥深い内部であり、神我とは内奥の無我の光そのものであることを、はっきり認識
くうくらフ
した。〈中略〉空観とは、空そのものが終局ではなかったのである。空になるとは現象的、この世
くう
的すべての想念を一たん消滅し去って、その「空」となった瞬間、真実の世界、真実の我がこの現
象面の世界、現象面の我と合体して、天地一体、神我一体の我が出現してくるのである。真我の我
とは一体何か。神我であり、慈愛であり、大調和であり、自由自在な心である。-
という体験を経て、最後に
/ 瞑想してや義暫くした時、眼の前がにわかにた父ならぬ光明に輝いてきた。私は想念を動か
さず、ひたすらその光明をみつめている。すると、前方はるか上方より、仏像そのま玉の釈尊が純
けつかふざ
白の蓮華台に結迦朕坐されて降って来られ、私のほうに両手を出された。私も思わず、両手を差し
によいほうじゆ
出すと、如意宝珠かと思われる金色の珠を私の掌に乗せて下さった。
ヘヘヘへ
私は思わず押しいただき、霊体の懐に収めた。その後、現象界でいう、おさかきのような葉を五
枚下さって、そのま二光輝燦然と消えてゆかれた。私は暫く釈尊をお見送りする気持で瞑想をつ∫
けていると、今度は、やはり光り輝く中から、金色の十字架を背負ったイエス・キリストが現われ
たとみるまに、私の体中に真向うから突入して来て消えた。その時、〃汝はキリストと同体なり〃
という声が、烈しく耳に残った。私のその朝の瞑想は、その声を耳底に残したま玉終ってしまっ
た。私は深い感動というより、痛い程の使命観を胸底深く感じていた。そのことが単なる幻想でな
いことを、私の魂がはっきり知っていた。〃汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし〃とい
う内奥の声を、はっきり聴いていたからである。私は直覚的にすべてを知り得る者、霊覚者となっ
ていたのである。X53合
気
道
・
植
芝
盛
平
翁
私はその日から表面は全く昔の私、つまり、霊魂問題に夢中にならなかった以前の私に還って
いた。私はすべてを私自身の頭で考え、私自身の言葉で語り、私自身の手足で動き私自身の微笑で
人にむき合った。私の眼はもはや宙をみつめることもなく、私の表情は柔和に自由に心の動きを表
現した。私はもはや神を呼ぶことをしなかった。人に押しつけがましく信仰の話をしなくなった。
父母にも兄夫婦にも弟にも、昔の五井昌久が甦ってみえた。柔かな、思いやり深い、気楽で明るい
息子が冗談をいいながら、老父の脚をさすり、老母の肩をもみほぐす毎夜がつ父いた。i
ということになったのであります。
真実に神我一体観、宇宙との一体観を体験致しますと、自分と相手とか、自分の敵とかいう想念
は全く無くなるのであります。
植芝先生は、力による武道から、遂に神我一体の境地を経て、宗教道と全く一つである合気武
ゆだ
道を創設されたのであり、私は、はじめから自己の弱少を悟って、すべてを神に任ね、そこから神
うつわ
我一体の境地に至り、神様の器になり切ったのであります。
修業の道は全く異なった形をとりながら、行きついたところは、全く一つの境地であったこと
が、植芝先生と私を今日の結ばれにもっていったのでありましょう。154
境地が一つであれば、行き方が異っても、必ず一つに結ぼれるものであるが、現在の宗教界はな
くらヲ
かなか一つに結ぼれそうもありません。それは、各主宰者が、真実の空の境地、自由自在の境地に
なっていないからなのであります。
神が愛であることを固く信じて下さい
私は、自己の肉体の智恵知識や能力が、他の人に秀れているなどと思ったこともありません。で
すから、老人や幼児に対しても、その人々を、下に見下して話をするようなことはしてみたことも
ありません。ただ、教えの言葉、浄めの態度には、厳然としたものがあります。それは肉体の私が
するのではなく、神がするのであるからです。
私は神の愛を、私の肉体を通して、優しくわかり易く、人間世界に伝えようとしている者であり
ます。神は愛なのです。神は慈愛なのです。だから人間を救おうくとなさっていて、決して罰し
ょうなどとは思っていらつしゃらないのです。それを誤った宗教者が、神の罰を説いたり、心の欠
陥ばかりを責め裁いたりして、宗教を求める善人を、狭い窮屈な、暗い人間にしてしまい、気の強
い悪人をして、宗教の門、神の門からしめ出してしまっているのです。155合
気
道
・
植
芝
盛
平
翁
156
あなたは神に愛されている神の子なのです
本書の初めにかかげてあります「人間と真実の生き方」を何度もく読みかえして下さい。神様
の愛が心に沁みてくる筈です。神様は自分の子である人間に真実の姿を知らせたがっていらつしゃ
るのです。
〃おまえは私の子なのだよ、光り輝くものなのだよ。おまえが今、生活に苦しみ、病気に苦しん
でいるように見えるけれど、それは決して、おまえの本心が苦しんだり嘆いたりしているのではな
いのだよ。そうした苦しみや嘆きは、おまえが私のほうを振り向かないで、おまえが勝手にその苦
しみの中に入りこんでしまっているのだよ。だからわたしは、釈迦をつかわして、この世のすべて
くう
は無であり、空である、み仏だけの世界なのだ、と説かせたり、イエスをつかわして、おまえたち
おもい
すべての罪悪観念の膿罪者として、おまえたちすべての悪とか、迷いとかいう想念を十字架にかけ
てみせ、人間には本来罪稼れはないのだよ、と知らせてやったのだけれど、おまえたちにはなかな
かわからない。
そこで今度は、守護霊、守護神というものを、おまえたちの救いとしてはっきり示したのだよ。
そしてその力にしっかりすがっていさえすれば、いつの間にか、わたしの子であることが、はっき
りわかって来て、おまえたちが勝手につくった罪悪感や、業想念行為の渦から知らぬ間にぬけ出し
てしまい、そうしたマイナスの面は消滅してゆき、おまえたちの世界はわたしの姿をそのま工現わ
した、大調和世界、愛と真と美の世界になるのだよ。なんでもよいから、想いのすべてを守護の神
霊を通して、わたしのほうに向け通していればよいのだ。それを祈りというのだよ〃
と私を通して、みなさんに知らせているのです。自分を罪深い者と思っていてはいけません。自
分は神から来た者であることを、一心こめて知らなければなりません。駄目なのは、あなたが肉体
身だけを自分だと思っているからで、あなたの本心は神から来ているのですから、駄目なわけはあ
ゆるゆる
りません。その真理を信じて、自分を赦し、人を赦し守護の神霊への感謝をつ黛け、世界平和の祈
りに明けくれるようにしていてごらんなさい。必ずあなたの夜明けが訪れ、地球世界に平和な日が
訪れてくるでしょう。
植芝先生たちや、私たちは、方法こそ違え人類世界の大平和実現のために、神様から使わされて
いる天の使者なのです◎ どうぞみんなで手をつないで世界平和の達成のために働きつ父けようでは
ありませんか。
157合気道・植芝盛平翁
神の化身
ー1⊥植芝盛平翁を讃うー
158
其の人は確に神の化身だ
其の人は肉体そのま玉宇宙になりきり
自己に対する相手をもたぬ
宇宙と一体の自分に敵はない
其の人は当然のようにそう云い放つ
五尺の小身
やそじ
八十路に近い肉体
だがその人は宇宙一杯にひろがつている自分をはつきり知つている
如何なる大兵の敵も
どのような多数の相手も
そのま瓦空になりきつている
其の人を倒す事は出来ない
あめのみなかぬし
空はそのま瓦天御中主
あめのみなかぬし
天御中主に融けきつたところから
その人は守護神そのま蕊の力を出だす
この人の力はすでにすべての武を超えた
大愛の大気のはたらき
鋭い眼光と慈悲のまなざし
その二つのはたらきが一つに調和し
その人の人格となつて人々の胸を打つ
その人は正に神の化身
大愛絶対者の御使人
私はその人の偉大さを心に沁みて知つている
159
160
日本人について
動物性への逆行をさけよ
日本人も近頃は随分変ったものだ、今頃の若い者は、まるで外国人そのままだ、などという声を
中年以上の人々の中で、よくききますが、全く、明治大正の世代の人と昭和初期中期の人、昭和二
十年以降の人という風な、三つの分れがあるようです。ですから明治大正世代の人の眼からは、昭
和二十年以降の人々の生き方が、まるで異邦人の在り方にみえてくるのです。全くつき合いきれぬ
という感じなのです。昭和初期中期の人とでも、その以降の人々の生き方が、かなり極端な違いを
みせております。
私の娘が科学の勉強に、どうしても英語の力がかなりついていないと駄目なので、或る英語学校
の寮に入って勉強することになったのですが、同クラスに大学出たての女性が随分いて、恋愛問題
などがかなり起こったらしいのです。彼女らは昔なら男でも恥じらうようなセックスの話なども平
気でし合っていて、うちの娘に向って、三十近くになってバージンなんて不潔だわ、といったとい
うので、娘も呆れかえって、私に話したことなのです。
不潔なのはそっちのほうで、娘のほうが当然なことなのに、と私も昭和中期生れの娘もそう思っ
たのですが、一事が万事こんな風な変り方をしているのであります。これは誰もみんなそうだとい
うのではなく、多くの人がということなので、私はそんなことはない、昔の人の生き方と同じよう
な生き方をしているという方もあると思いますが、それは結構なことだと思います。男性が節操を
失い、女性が貞操を無視するということは、人間としてやはり、正常な生き方ではないので、節操
を保ち、貞操を大事にするということは、時代のいかんを問わず正しいことである、と考えるのは
日本人的考えでもあり、東洋的考えであるのかも知れません。
アメリカの女性や、ヨーロッパの上流社会を除いた一般女性は、日本のように、親や親戚知人が
結婚を世話してくれるのではなく、女性自身が自分で相手を見つけなくてはならぬので、自分のほ
うから積極的に男性に自分を売りこんでゅかないと、婚期を逸してしまうというので、体ごと男性161日
本
人
に
つ
い
て
にぶつかってゆくわけで、貞操観念などは現実に即さないことになってしまうのです。
そういう欧米の現実と、日本の現実とを同一視して、貞操など問題ないというように説いている
じゆう
先輩たちの言に迷わされて、今時の娘たちは学生時代から貞操を無視した、放縦な男性との附き合
をしてしまっているのであります。そういう生活態度は後には自己の不幸となってかえってまいり
まして、今度は自分の娘や息子たちから、自分が親に心配や迷惑をかけたと同じようなおかえしを
受けることになるのです。
こういう態度は、肉体的な損失となるばかりでなく、霊性を汚す、いわゆる進化を逆行して動物
性に人間を引き戻す行為ということになるのであります。欧米人のことはひとまずおいて、日本人
の女性としては、こういう霊性を汚す動物性への逆行は絶対に避けねばならぬのです。人間に知性
が授かっているのは、動物的本能や、感情の波を上手に制御して、神の子としての理念、つまり大
調和世界をこの世に成就するためなのでして、動物性本能や感情の波に流されてしまっていては、
この地球人類はこれ以上進化することができずに絶滅してしまうより他なくなってしまうのです。
いやしくも大学の学問を受けながら、知性が動物本能や感情に流されることを当然としているよう
わけいのち
では、人間は万物の霊長としての名に恥ずべきで、神の分生命としての人間性の喪失ということに
162
なり、人間の存在価値を失ってしまうのです。
日本人の日本教とは?
ところで、皆さんも、人間とはいかなるものか、そうして日本人とは一体どんな人種なのか、と
いうことをたまたまは考えたことがあると思いますが、イザヤ・ベンダサンというユダヤ人は「日
本人とユダヤ人」という著書の中で、勝海舟や西郷隆盛を絶讃しているのでみり嵐す。彼は一般の
日本人以上に日本人をよく知っていて、われわれ異邦人が日本教に近づく道は三つしかない。まず
日本人が、一民族・一国家・一宗団であることを、他の国との比較の上で証明し、第二に、日本教
を体現している人の実行と生涯を考察し、第三に日本教徒の他宗教(この楊合はキリスト教)理解
の仕方の特質を探ることである、といっているのです。
彼は、・イスラム教やユダヤ教を宗教と考えれば、日本教という宗教も厳として存在しており、日
本人は日本教徒であり、.日本のキリスト教徒は、日本教徳キリスト派であって、創価学会派、マル
クス派、進歩的文化派、PHP派から右翼国粋派等々という日本教の分派があるわけだ、.というよ
うなこともいっております。そして謄母本人は日本教などという宗教が存在するとも思っていない163日
本
人
に
つ
い
て
が、日本教という宗教は厳としていて、これは世界で最も強固な宗教である。それは信徒自身すら
自覚しえぬまでに完全に浸透しきっているからである。日本教徒を他宗教に改宗さすことが可能だ
と考える人間がいたら、まさに正気の沙汰ではない、といっているのであります。
彼は、夏目漱石の草枕を読まずに日本語を語ってはならぬ、とまでいっております。草枕の次の
ような文章、
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の
人である。唯の人の作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国
ヘヘヘヘ
へゆくばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう」
をあげて、「人の世を作ったのは人だ」というのが、日本教の古来からの考えである、といって
いるのです。
うなつ
このユダヤ人の考え方に、私は肯くことができるのです。何故かと申しますと、ユダヤ教やキリ
スト教の考え方は、人間の外に神が存在して、賞めてくれたり、罰を与えたりするというほうに重
点が置かれていまして、仏教的な内在する仏という考え方は少ししか説かれていません。ところが
日本人は、昔から天皇とか主君とかいう、人間の形をもった畏敬する対象があって、その畏敬する164
もののために働き、賞罰は常にその畏敬者からなされると思いこんでおりましたし、事実そうでも
ありました。「大君は神にしませば天雲の雷の上に庵せるかも」と万葉集にも歌われております
あらひとがみ
ように、天皇は現人神であり、主君は神君であったのです。そして、朝に夕に現人神や神君を礼拝
していたのでありましたし、また他の現れとしては、神社や仏閣の形ある像に礼拝していたのであ
ります。
日本人の根本的な宗教観念は、常に形あるものの奥に神仏を崇め尊んでいたのです。ユダヤ教や
キリスト教では、形無きところの天にまします神を礼拝します。近頃の日本人も大分そうなってき
あらひとがみ
ているようですが、やはり、太陽に向って礼拝し、天皇現人神の信仰の破れた人々は、新しい宗教
の生神様塙生仏様という現世に存在した、或いは存在している人を通して神仏を礼拝しているので
あります。
そして、自らは気づかず行っておりますが、人と人とが向い合えば、お互いが頭を下げて相手を
礼拝します。これは無意識ながら、お互いのうちにある神仏を礼拝し合っている姿なのでありま
す。日本人にとっては無意識ながら、根本の意識、潜在意識の深いところでは、人間の中に神仏を
認め合っているのでありまし’て、人間神の子、仏の子という理念が深く存在しているのでありま165日
本
人
に
つ
い
て
す。日本人には言外の理というものがあり、言葉に出さずに、表現に現わさずに、お互いにわかり
合う、以心伝心というものがあります。理論的にはっきりせぬのに、お互いの心でわかってしま
う、というところに、この著者のいう日本教の根本の一部があるようです。この著者は、「以心伝
心」「真理は言外」とハワイ大学で、川端康成氏がいったことをお忘れなく、ともいっており、銅
製の仏像の前で一心に合掌している老人に向って、宣教師が「金や銅で作ったものの中に神はな
い」といったら、老人は「勿論いない」と答え、「塵を払って仏を見る。仏もまた塵」といった、
とも書いており、こういう理論外の真理に生きる日本教の在り方は外人にはわからないだろう、と
いうようなこともいっております。
著者は「人の世をつくったのは神でもなければ鬼でもない……」といっている知識人である漱石
に代表させて、「人の世をつくったのは人だ」というのが、日本教の古来からの根本的な考え方で
ある、というのですが、キリスト教を中心にして西欧的な知識人の中には、この世は神がつくっ
た、という考え方になってきておりますが、そういう人たちでさえも日本教の一分派的になってい
ると著者はみているのです。
166
勝海舟と西郷隆盛- 日本教の聖者ー
その著者のみている日本教的生き方の代表者を次の文章から見出して下さい。
「日本人すなわち日本教徒を手っとり早く理解するにはどうしたら良いか、という相談をうけた
場合、私は即座に勝海舟の談話『氷川清話』を読めということにしている。
ーまず第一に勝海舟という人物が、その時代の第一級(もちろん全地球上での) の人物であっ
たことにょる。これほどの人物は確かに全世界を通じて一世紀に一人も出まい。彼と比べれば同時
代のナポレナン三世などは紙屑のごとく貧弱である。三度の食事も満足にできない貧家に生れ、十
いえよし
二歳にして将軍家慶に見出されて以来、海軍の創設、威臨丸による渡米は言わずもがな、長州征
伐、対外折衝、その他すべての難局には召し出されてその任にあたる。その間、反対派の刺客に常
につけねらわれながら一人のボディガードも置かず、両刀さえもたない。現状を正確に分析し、当
面の問題を解決する手腕は文字通り快刀乱麻を断つで常人とは思えないが、一方、遠い将来をも正
しく予測している、実にすばらしい人物であって、まさに「政治天才」の民族の典型であり超人で
訪るというてよいゆ事実彼のことを少しでも知った外国人で、彼に感嘆しない人間はいない。私
16?日本人について
なども、イスラエルの歴史に、こういう人がひとりでも居てくれたらと思う。
彼のことを知れば、彼が、その時代の世界第一級の人物であったことに異論がある者はおるま
い。ところが、この超人・勝海舟が『偉いやつじゃ』といって無条件で頭を下げている人間が、二
人だけいる。西郷南洲と横井小楠である。『氷川清話』でもこの二人を称揚しているが、小楠のこ
とはくわしく書いてないので、ここでは彼の語る南洲を取り上げてみよう。ー〈中略V
しかも嘆賞しつつ彼があげるエピソードは、おおよそ一見まことにつまらないもので、なぜ、こ
れで西郷が偉大なのかヨーロッパ人やユダヤ人には理解できないのである。また勝海舟の彼への態
度であるが、この実に怜倒、俊敏な人間が、彼に対してだけは別人のようになってしまう。有名な
品川における西郷.勝の会談は、絶対にヨーロッパ的な意味における交渉ではない。唯一の交渉ら
しい点は、その前日に勝が、皇女和宮を人質にするようなことは絶対にしないと西郷に保証した一
事ぐらいのものであろう。あとは、勝はすべてを西郷にまかせるという。ところが西郷の方は、江
戸のことはよくわからないから、すべてを勝にまかせるという。巧みにイギリスを動かして対馬か
らロシアを撤退させた、ある意味では実に狡知にたけた外交官勝海舟の姿はここにはない。さらにい
よいよ江戸城明け渡しで、双方から六人ずつ委員が出る。官軍の六人委員が江戸城に入ってくるわ
168
けだが、城内には殺気がみなぎっている。この六人を斬り殺して城を枕に玉砕しようという考え
が、一瞬すべての人の脳裏を走る(勝海舟すらー彼の告白によれば)官軍側六人委員にもそれが
ヘヘへ
自然に伝わる。名をあげていないが、そのひとりは、気が動転したためかぞうりを片方だけぬいで
唱方ははいたまま城内に入るという珍事まで起こす。六人委員のひとり西郷は、席につくと居ねむ
りをはじめ、やがてぐっすりと寝てしまう。ーこういうエピソードが次から次へと語られ、それ
を語るたびに、海舟は、『西郷は偉いやつじゃ』と嘆声を発するのだが、さてどこが偉いのか。一
体この、超人であり、また徹底的俗人(すなわち非宗教的人間) であった勝は、西郷の何を偉いと
いっているのか。
一つの鍵がある。『とにかく西郷の人物を知るには、西郷ぐらいの人物でなくてはいけない。俗物
には到底わからない。あれは政治家やお役人ではなく、一個の高士だもの』という言葉である。西
郷は政治家ではないのである。高士だという。高士とは何か、俗物にはわからないという。それな
らば聖人か聖者であろう。私はこの高士をユダヤ教の大ラピと同じものと考えるが、日本ではラピ
セント
のことは余り知られていないから、一応、キリスト教徒のいう「聖者」とほぼ同じ意味に解しても
よいであろう。聖者という言葉は日本では隠者に近いものと解されている。確かに聖者には隠者の
169日本人丁,rvついて
一面がある(といえば西郷にもある)が、同時に(西郷を政治家というなら) U種の政治家であ珊
る。聖者といってもピンからキリまであるがたとえば代表的な聖者、聖フランチェスコを例にとれ
ば、彼は確かに小鳥に説教したであろう。しかし同時に、現在の言葉でいえばさまざまの政治活動
も活発にやり、また十字軍とともにエジプトに行って、イスラム教徒に伝道しようとするほどの積
極性ももっていた。また聖ベルナルドスなどは、政治的折衝のため何回もアルプスを越えている。
ではいったい聖者とは何かといえば、それは、全くの私心なきキリスト教の体現者なのである。従
って、この体現者が、どういう場合にどうするかは(キリスト教徒なら) だれの目にも明らかであ
るから、この点に関する限り絶対的な信頼があるし、それがあるから、縄の帯と裸足で、食を乞い
つつも、宮廷であれ法王庁であれ、どこへでもつかつかと入って行って、だれにでも何でも言える
し、問題が紛糾すれば、双方から白紙委任をうけた調停者たりうるのである。
こう見れば、西郷は日本教の聖者であり、セソト・サイゴーだと考えて少しもおかしくない。そ
して大俗人勝海舟が無条件で嘆賞しているのも、まさにそこなのである。勝海舟は、一切を西郷に
まかせると言いえた。ということは、西郷がすべてを、日本教の根本理念と律法と戒規に基づいて
処置することは、疑問の余地がないからである。これに対して西郷は勝にまかせるといった。これ
は、西郷のもっている日本教の根本的理念は、勝にもわかっているはずだから(わかっているか
ら、西郷にまかせると言えたのだから) その理念に従ってやれば良いので、細かい点は、実情のわ
かっている勝海舟にまかせる、ということであろう。これは中世のキリスト教社会において、事態
が紛糾した場合、一切を委任された聖者がすべてを裁定したのと非常にょく似ている。勝の委任を
うけた西郷はもはや官軍の参謀とはいえない。『いろいろむずかしい議論もありましょうが、私が一
身をかけてお引受します』ということは、もはや、官軍の参謀ではなくて、一日本教徒としてすべ
てを裁定するということであり、もう一度いうが、勝が何もいわずに一任したのは、一にこの点に
ある。敵軍の参謀になら、こんな一任ができるはずがない。
西郷の最後、またその後の西郷への評価も、聖者の殉教と後代が聖者に付する光輪とによく似て
いる。まさに「聖者を殺し、その墓を飾る」である。殉教にはいろいろの型があるが、その一つ
に、本人よりも周囲が、結果において、彼を殉教させてしまうという型がある。彼の最後もまさに
それで、『氷川清話』にあるように「… … この消息は俗骨にはわからない… … つまり自然に推力が
つきまとうて来るので、何とかしなくては堪えられないようになるのだ」である。勝海舟にはこの
間のことがよくわかっている。「西郷も、もしあの弟子がなかったら、あんなご乏はあるまいに、お171日
本
人
に
つ
い
て
れなど弟子がないから、この通り今まで生き延びて華族様になっておるのだが、もしこれでも、西
郷のように弟子が大勢あったら、… …何とかしてやったであろう。しかし、おれは西郷のように、
これと情死するだけの親切はないから、何か別の手段をとるよ… …Lその通りであろう。しかし日
本教の体現者である聖者に、「別の手段」などというものがあるはずはない。彼の死は典型的な殉
教の一例である。理屈からいえば、彼は反乱軍の首領として賊徒として敗死したわけだが、やがて
立派な銅像が立ち、神社がたつ。これが殉教者がつねにたどる姿である」-
172
中心帰一の潜在意識
ユダヤ人である著者が、現代の日本人以上に、勝海舟や、西郷隆盛の心の在り方を知っていて、
これに畏敬の念をもっているのであります。そして、真の日本人というものが、勝や西郷によって
代表されていることを、ここに書いているわけです。敵味方に分れながら、勝と西郷とが、日本教
の根本において、全く一つにつながっている、ということを二人が以心伝心のうちに悟りあってい
る在り方が、ユダヤや西欧諸国には無いことである、と著者はいうのです。
神のみ心を現わすためにこうする、という西欧的な宗教観念とは異なり、国のため、人々のため
むな
に自己を空しくする、という中に日本人の神観が生きてくるので、日本人の中には、神と自己と離
れてあるのではなく、神と人とが一体となって、人の世とか国家とかいうものが成り立っている。
これが無意識のうちに成り立っている。ここが日本教というものなのだ、というように著者はいっ
ているわけで、なかなかたいした見解なのです。
日本人は西欧人にくらべて、他人に対してお節介なところがありますが、これは自他一体観の一
つの現われで、一国家一民族というところからきている、親近感、兄弟姉妹の観念が底に流れてい
るためでありましょう。ユダヤ人のように、何千年という長い間祖国をもたず、各国家の中に分れ
分れに生活していた民族とは、まるで違った生活環境で、その点日本人は非常にこの著書流にいえ
ば甘いところであり、日本という国家を信じ、日本民族の一人一人を信じているのであり、ユダヤ
人は信じていないのです。
勝海舟や、西郷隆盛にとっては、国に尽くすことや人々のために働くことが、真理と全く一つに
なっているのであり、天の意志そのままを行じていることになっているので、なんの理論的な説明
もいらないのですが、ユダヤ人にしても西欧人にしても、いちいちそこに理論の裏づけがなければ
いけないのです。
173日本人について
日本教といわれる日本人の特質は、理論的に割り切ってものごとを考えるより根本に、中心帰一
の潜在意識がありまして、主君や天皇という縦の線が貫かれています。それは現代人の当人たちは
表面意識の上では気づかずにいるのですが、この縦の線から改めて横の線にひろがっていますの
で、はじめから横の線のつながりの意識で縦の線のつながりを、神という存在者によって意識づけ
おの
ている西欧人とは自ずから異なっているのです。
日本人ははじめから天である神の縦の線を天皇や君主や先祖として、そのまま貫ぬかれています
ので、今ある自己という肉体身が、自己の表面意識では気づかなくとも、神の子として、神からの
分れた生命体であり、親と子との関係にあることを魂そのものが知っているのであります。そこで
家の中に神棚をつくってあり、外では神の話をしたり、殊更に神を崇敬するような形をみせぬ人が
多いので、かえって、西欧人からみると、日本人は無宗教であるとみられたりしていたのです。
西欧人にとっては、神を天にましますものとして、改めて仰ぎみなければ、神との一体観を得ら
れなかったのです。それだけ横の線のつながりが根本になっていた、ということになります。
現代の青年男女が、表面的には中心帰一思想のいわゆる天皇崇拝という感情から程遠いところに
いるようにみえますし、西欧的な横のつながりの個人主義にみえ、自分の肉体は自分のいいように174
すればよい、といって、快楽に溺れる向きが随分あります。しかし、こうした青年男女の、昔の人
カルマ
間から考えれば無軌道にみえる行為も、これは日本人本来の生き方ではないので、やがては業の消
滅と同時に改まってきて、日本人の本来性の生き方になってくると思うのです。
日本人本来の生き方へ
現代の日本における西欧的個人主義は、縦の線の中心帰一の生き方を、自己権力の座としてゆが
めてきた今日迄の指導者に対する、反擾の現れであり、政治に対する不信の現れの反擾としての個
人主義でありますので、今後の日本の在り方は、良い意味の横の線のつながり、横の働きを生かし
た、縦の線の甦りとなって、縦横十字の調和した日本の姿が現われてくることでありましょう。現
代の思想の混迷も、青年男女の快楽主義も、やがて時がくれば改まってゆくことは必然の推移なの
です。
私どもが、天にまします神と、内なる神とを一つにして、人間を神の子仏の子として、外に向っ
て礼拝し、内に向っても礼拝する、こういう本来の日本的(神道的)な在り方と、西欧的な在り方
とを融合せしめて、宇宙神、直霊、分霊魂としての内側のつながりを説くと同時に、守護の神霊と175日
本
人
に
つ
い
て
しての外側の神々の存在を説き、運動としては、世界人類の平和を祈るとともに自己の霊性開発を
も願う、世界平和の祈りを実践していることは、将来の日本人の在り方を如実に現わしているので
あります。
日本人の在り方をユダヤ人に教わる前に、日本人は日本人自体として、もっと切実に自己の生き
方在り方を追求して、日本人の名を恥ずかしめず、世界の平和のために役立つ日本人とならねばな
らないのです。
中心帰一ということは、あに天皇に帰一する、ということではなく、自己の心の中心にまず帰一
することが必要であります。自己の心の中心とは、み仏の存在するところであり、自己を自己たら
しめている神の存在するところであります。このことを単に軽くいえば良心ともいい、本心ともい
うのでありまして、自己の欲望本能や感情に負けずに、常にこの本心を現わしてゆくことを心がけ
ちんこん
るべきなのです。その方法を神道では鎮魂といい、普通のいい方では祈りともいうのであります。
民族性というのは、天から伝わってきている性格でありまして、日本民族がいくらアングロサクソ
ソ民族になろうとしてもできぬので、その民族民族の特質を生かすことによって、この地球世界が
完成されてゆくのであります。現在は人類進化の過程でありまして、種々のものが融合して、本来
176
の特質をよりよく生かしてゆくようになるのでありまして、今日の日本の思想の混乱も、青年男女
の在り方も、やはり、日本人の本来性を強固にする輔つの過程ということになるのです。
私が常に申しておりますように、日本はすべての思想や物事を融合統一し調和させてゆく天命を
もった国でありますので、理論的に分析してゆくことは得手ではありません。言外の心の動きを直
感的に察して、物事を成し遂げてゆく天性をもっているのです。それが「祈らずとても神や守ら
ん」ということであり、その心境そのものが、もうすでに祈りなのであります。それが即ち日本教
の精神であり、日本人の本来性なのです。
そういう本来性の一日も早く完全になりますように、と私どもは世界人類が平和でありますよう
にと祈り、日本が平和でありますようにと祈り、私たちの天命が完うされますように、と守護の神
霊への感謝とともに祈りつづけているのであります。
177 日本人について
178
正しい認識を養おう
1 愛国心と国防問題と憲法1
人間の本質を知ること
したいはつしようどう
釈尊の教えのなかでの大事な部分である、四諦八聖道のなかにも、正しい認識を養うことの大切
さが説かれていますが、いかなる時代にあっても、社会に対する正しい認識、国家や人類に対する
正しい認識がなければ、一人前の人間として立ってはいけないわけなのですが、意外と社会や国家
や人類に対する正しい認識をもった人が少ないのです。
もっとも日常生活に追われつづけて、自分自身の人間としての正しい認識、つまり自分自身とい
うものをみつめる心の余裕をもたない人が多いのですから、社会や国家や人類に対する深い認識が
できようはずもありません。
私は現在問題になってきている愛国心と国防問題について、私なりの考えを述ぺてゆきたいと思
いますが、なんにしても、その根底になるのは、やはり人間自体の本質を知ることでありまして、
自分自身の本質を知らなくては、真実の社会や国家人類の在り方がわかりょうがないのです。真の
もとい
自己認識こそ、すべての正しい認識の基になることは間違いないことなのです。
現在の世界は大きく、二つの潮流の渦のなかで騒乱が巻き起こされております。それは今更いう
までもなく、米国を中心とする自由主義陣営と、ソ連、中国を中心とする社会共産主義陣営との対
立抗争であります。果してどちらが正しく、どちらが間違っているのか、それともどちらも正しい
生き方ではなく、他に正しい世界観があり、それを遵法している国家や民族があるのか、日本は一
体どちらの側に属するのか、日本独自の生き方がなされなければならぬのか、等々種々と考、兄させ
られることがあります。
日本は、第二次大戦によって、明治から切り開いてきた、日本の在り方というものが、根底から
くつがえされた形になり、現在の状態になってきたわけなのです。そして、この状態になれ親しん
できています。その根本になるのは、戦後につくられた日本国憲法なのです。
ところが、この憲法の中心ともいうべき、第二章第九条の戦争否定の条文が、国家にとってプラ
179正しい認識を養おう
スであるかマイナスになるか、という点で、国論が二つに割れてきているのです。少し固くなりま㎜
すが、日本国憲法の前文と、第二章第九条をここに掲げて、改めて皆さんと共に考えてゆきたいと
思います。
日本国憲法
前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫の
ために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政
府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民
に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるもので
あって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民が
これを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。わ
れらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するもの
であって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決
意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努め
ている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとし
く恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いつれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつ
て、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国
と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第二章…戦争の放棄
第九条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争
いかく
と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄す
る。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これ1
與
正
し
い
認
識
を
養
お
う
を認めない。
182
高まってきた改憲論
こうやって改めて憲法の前文を見、第九条をみますと、全く正しく善いことが書かれております
し、第九条はどこの国家もかくあってもらいたいと思う、理想的な条文であります。
確かに平和憲法そのものであります。しかし皮肉なことに、日本にこうした平和憲法をつくらせた
米国自身が、この平和憲法に手を焼いているのであります。それはどういうことかと申しますと、
にら
米国は共産主義侵略の最大の防壁として、その強大な武力を背景として、各国に睨みをきかせてい
しつよう
るのでありますが、巧妙にして執拗なる共産主義侵透作戦は、米国一国ではいかんともしがたい状
態になっておりまして、アジアのことは、日本の力に大きく依存したい気持なのです。その日本の
力というのは、経済力、工業力もそうですが、やはり、アジアの共産主義国を抑えてゆくために
は、武力に依存するところが大きいのです。
ベトナムの戦いにしても、日本にも兵員を出してもらいたかったところなのですが、平和憲法が
邪魔をして、韓国だけに頼るという形になってしまっていて、僅かに、医療問題や、工業力に力を
貸してもらっている程度の協力しか得られません。
そこで、今日まで何かと日本政府をつっついて、日本に否応なく軍隊を持たせるように仕向けて
ゆこうとしております。また日本政府としても、米国と今までのような友好関係をつづけてゆこう
とするためには、少しは米国のためには働かなければ悪い。まして、アジア自体のことで、しかも
自国の防衛を一方的に米国に任せきりにしておけるものでもない。という心と、日本国家の面目に
かけても、独立国の権威にかけてもという気持で、どうにも憲法の第九条は気にかかり出している
のです。
そこで、灘尾前文相の国防教育という発言になってきたり、倉石前農相の憲法批判の言葉になっ
たりして、政府が平和憲法で頭を痛めている状態が次第にわかってまいりました。かつての、韓国
の李ラインの問題で、政府が武力の背景のない苦しみをなめた経験もあって、再軍備の気持は政府
与党や右寄りの人々の頭には、常々あったわけで、それがだんだんと高まって表面に出てきたよう
な状態なのです。
いかく
自国だけが平和憲法の気持になっていても、他国が武力を増強して、威嚇してくるような現在の
国際関係では、常に自国が押されがちで、いいたいこともいえないで、何事も譲歩してしまうようX$3
正
し
い
認
識
を
養
お
う
なことになる。だから日本も他国同様、軍備をはっきりして、武力を背景にした外交もしなけれ
ば、日本の独立は維持してゆけない。現憲法は理想としては実に結構だけれど、現在では通用しな
い。という再軍備論や、自衛隊そのものがもう違憲なのだから、すっぱりと憲法を改正して、公然
と軍隊にしたほうがよい、というはっきりした意見や、時と場合によっては、核装備してもよいで
はないか、などという意見も右側の人にはあるのであります。
いずれも国家を想っての意見でありまして、そんな馬鹿なこと考えるやつがあるか、と一概にい
ゆういく
うわけにもゆかないのです。日本海のしかも日本本土に近いところで、米艦やソ連艦が堂々と遊爽
していて、日本の船は小さくなって、漁業するにも遠慮してしなければならぬ状態を見ききした場
合、一般の人でも、あまりよい気分はいたしません。なんだか日本が馬鹿にされているようで、情
けない味気ない気になってきます。こんな時、堂々と空母や戦艦で他国を圧倒して、日本の権威を
示してみたい、と思う人はかなりあるのではないでしょうか。倉石前農相などは正にそう想ったわ
けです。それがつい、原爆の少しももって、軍隊の三十万もいればなどという放言になってしまっ
たのでありましょう。
くつじよくかん
自国が甘くみられる、ということは、少し気骨のある人には耐えられない屈辱感を抱かせるので
X84
ありまして、米国などがイソドシナ地区で戦争を止められない一つの原因も、
のメソツが立たない、という自尊心からきているようです。
ここで退っては米国
歴史をくりかえしてはいけない
はずか
人間には、辱しめをうけるなら、死んだほうがましだ、という気持がありますので、その気持
が、国防という形になり、軍隊という形になってきますし、これを愛国心といったりするのです
が、ここで、私は待った、と一声かけたくなるのです。その気持も実によくわかる。私なども屈辱
を受けるなら死んだほうが増しだ、という側の一人なのですが、さてここで、よくよく心を落ちつ
けて考えなければならぬ一大事が、その気持の彼方に待ち受けているからなのです。それは第三次
大戦、核爆撃による地球壊滅戦争ということであります。
お互いが軍備を持ち、それを拡散してゆげば、どうしても一大決戦になることは必定です。日本
が米国側にたつとして、米国が多くの核兵器を持つと同様、ソ連も多くの核爆弾を持っておりま
す。中国も現在では持っております。
米国のポラリス潜水艦一隻で、第二次大戦で日本が受けた爆弾の百倍、世界中が蒙った爆弾の三
X85正しい認識を養おう
倍に当るといわれ、大きな水爆三個あれば、日本は全滅するといわれています。そういう核爆弾が
米国にもソ連にも相当数あるわけで、地球が壊滅してもまだまだ余る程の量があるのです。
米国とソ連は現在表立った争いはしていないようですが、ベトナム問題でも、北鮮問題でも、中
近東問題でも、いつも陰では米ソの戦いがあるわけで、このままでいけば、思想的な相違からいっ
ても、自己の権威を守るという点からいっても、米ソは必ず戦わねばならぬ宿命のようなものを持
っています。その点中国などは、なかなか米国の核装備に追いつくことはできませんので、中国の
ほうから仕掛けてくる公算はまずないとみられます。仕掛けるだけの力が中国にはなかなか備わら
ないからです。
ところがソ連には、核爆弾の数においては、米国に若干劣りますが、宇宙衛星まで含めた総合戦
力においては、米国と一騎打ち出来る実力をもっております。そして、ソ連と中国は現在種々のこ
とで、仇敵視しておりますが、思想の流れにおいては共通するものを持っておりますので、いざと
なれば手をつないで米国陣営に向ってくる公算は大いにあるわけです。
また、仮りに米ソが協同して中国を討ち滅ぼすようなことがあったとしても、次には米ソの権威
争いで、また戦うことになります。そういう可能性があるわけです。186
そういたしますと、日本の戦力などは、税金をしぼりにしぼって備えたとしても、ほんの刺身の
とき
つまのようなもので、たいしたものではなく、一時刻の時間をかせぐだけで、米国の前線基地の役
目を果して、壊滅してしまいます。よくよく各国の経済力軍事力をみくらべて考えてみて下さい。
日本ボいくら気張って、自主防衛と叫んだところで、いざ戦争となれば、ソ連中国の前にひとた
まりもありません。残念でも口惜しくも、それは事実です。自分たちだけが、名のために死を選ぶ
ことはそれでょいでしょうが、今日まで築き上げてきた日本という国も、地球自体も壊滅してしま
う可能性が大きいのですから、そんな馬鹿気たことは絶対にしてはならないし、ないようにしなけ
ればなりません。軍備をして敵に備えるというからには、そこまでのことを考えてなさねばなりま
せん。ただ単に、軍備をしておれば、他国に馬鹿にされぬ、侵されぬ、というような甘い考えは大
禁物です。
日本の権威を守るため、他国に甘くみられぬため、他国にのみ依存せぬため、などの気持で軍備
を堅めたい、そういう気持も確かに愛国心であり、私のなかにも多分にある気持なのですぶ、ここ
が我慢のしどころ、忍耐力の絶対に必要なところなのです。
187正しい認識を養おう
↓8$
学者の護憲論とその実態
とき
現在だけの時点や、男の意地みたいな気持で国家や人類のことを考えてはいけません。一時刻
は、国家の権威や面目を保てても、それがいつまでもつづくものではありません。今日までの歴史
が戦争につづく戦争であったのは、国家の権威や面目を保とうとしての軍備によって、起っている
のでありまして、国防力を強めたから戦争にならなかったというのは、ほんの一時期のことであっ
て、やがては戦争になってしまっているのです。その歴史を再び踏襲しようというのが、再軍備派
の人々の生き方です。
また、これと反対に左翼陣営の護憲派といわれる、平和憲法を護る人々の実態なのですが、これ
がまた、真実に国家や人類の運命を想い、完全平和達成のための運動をしている、私たちのような
ものには、全く不可解な心理状態の人々の寄り集りのようで、人間というものは、一口に人間とい
うけれど、様々な心の状態の人の寄り集りだなあ、と思わず苦笑したくなる程のものです。
もと
再軍備反対、平和憲法の下に日本を護ろう、と人民大衆に呼びかけている人々のなかにも様々な
人々が存在しているのだ、ということを皆さんに知っていただきたいと思って、神奈川大助教授奥
原唯弘氏が「経済往来」四十二年十二月号に書かれた〃改憲問題と学者グループ〃という論説を抜
葦し参考としてここに掲げてみます。
平和という言葉さえみれば、自分たちの仲間だ、とよい気持になっていると、その平和論は羊に
ば
化けた狼であったりする場合があるのですから、よくよく心の眼をひらいて、世のなかを見渡さな
ければなりません。
改憲問題と学者グループ〈奥原唯弘氏の論文より〉
革新政党すなわち社会党・共産党の護憲論については、これまで多くの論議が行なわれてきて
おり、それが党略的護憲論にすぎないのだということは充分に認識されているように思われる。
これに対して〃護憲〃を叫ぶ学者の真意については、一般にそれほど明確な認識を持たれていな
いように考えられる。事実は学者の護憲論も、その多くは共産党や社会党と同様の戦術的な護憲
論なのであり、私共国民は、それらの人々の意図すなわち〃護憲〃の主張の背後に隠されたもの
をその発言が影響力をもつものであるだけに1 正確に把握しておく必要がある。
*
189正しい認識を養おう
… …今日革新派は、自衛隊違憲論を唱えその廃止を主張して止まないが、彼らが政権を握った……
場合にはどのようになるのであろうか。この点に関しては、進歩的文化人のホープの一人である
東大の渡辺洋三助教授の次の言葉を紹介しておこう。同氏は、大変な公式論であるが、
「資本主義の軍隊と社会主義の軍隊とでは、また、その性格が根本的にちがっています。一方
は、資本家階級の軍隊であり、他方は、人民の軍隊ですから、これをこっちゃにすることはでき
ません」といい、軍隊を持つことの可否はそれぞれの国の具体的状況との関係で決せられるとし
て「もし、日本が、本当に独立国で帝国主義の侵略から自国をまもるために、人民自身の手で軍
隊をもつということならば、日本の労働者も、これに反対する理由はないでしょう」(労働法律
旬報・五二三号13頁)と述べているのである。この論調でいけば、革新陣営が政権を掌握したと
きには、佐々木前社会党委員長の言葉ではないが、「米帝国主義は全人類の敵だ」というわけ
で、それに対応するために憲法を改正し、徴兵制を施き、人民の軍隊を持つことになるわけであ
り、まさに驚きといわなければなるまい。
*
憲法問題研究会は、結成以来、毎年、憲法記念日に講演会を開催し、現憲法を讃美し、護憲を
訴えてきている。
本研究会の代表者大内兵衛氏は、その著「実力は惜しみなく奪う」(文芸春秋新社) において
「日本国憲法はブルジョア憲法である。… … このままでは決して社会主義の憲法ではない。… …
社会主義者はいまの日本国憲法のその根本規定を理想的なものとはしない。いつかはそれを根本
的に改正しなければ日本が社会主義にならぬ。その意味で社会主義者は革命家でなくてはなりま
せん」(刷〜価頁)といい、さらに「社会主義にとっていまのようなブルジョア憲法は、この目
的達成に不便で不適当であるから、他日それを改正しなくてはならぬが、いまの社会主義的勢力
では、自分たちの思うような憲法は作れない。いまそんな過激な革命運動を起しても成功するの
ぞみはない。ここ当分は、いまの憲法のもとで自分たちの要求を政治上にもちだし、同時に憲法
の解釈や運用をなるべく自分たちの要求に合うように改めるよう闘うしかない。… … そうすると
保守派は実力によって少数党を圧迫して、無理を通すことになる。そういう事態は、すなわち保
守・革新の戦機である。その問題が大きくなると、あるいは革命となる。われわれはいつでもそ
ういう時期とチャソスをねらっていなくてはならぬ」(協頁)と述べている。
この大内氏の発言は、その主張する護憲論が謀略的なものであることと、彼らが自らの社会主義191正
し
い
認
識
を
養
お
う
的改憲論を隠し、現憲法の擁護に狂奔する理由を明らかにしているものとして、きわめて重要で
ある。今日までの国会の内外で発生した数々の混乱状態を想起されたい。そこに革新陣営が「自
分達の要求を政治上にもちだし、憲法の解釈や運用をなるべく自分たちの要求に合うように改め
るように闘い」保守、革新の戦機を作り出したいくつもの例を見ることができよう。しかして、
自分達の都合のよいように如何様にも解釈しうるということは、現憲法が解釈上多くの疑義を有
する欠陥の大きいものであるということを意味する。この故に、混乱の招来ー革命の達成を希う
者達にとって、現憲法は擁護に価する貴重なものなのであるL。
日本を滅亡へ導くもの?
奥原氏のこの論説をみますと、社会党や共産党、それに組する学者グループという人々の考え
が、常に対立抗争をこととしているようで、その平和論というのも、実は、自分たちの思想を成就
するためのかくれみの的なものであって、社会共産主義政権をつくるための手段にしか過ぎないと
いうことがわかります。
実に驚くべきことは、保守党政府の軍備はブルジョアの軍隊であるのでいけないが、自分たちが192
つくる軍隊は人民の軍隊だからよいのだ、という点に至っては、頭がどうかしているのではないか
という程の、自分よがりの論法で、左翼の黒雲で魂がすっかり曇ってしまっている感じです。この
伝でゆくから、米国の核兵器はいけないが、ソ連や中国の核兵器は人民の兵器だからよい、という
馬鹿気た言葉が吐けるので、こんな片手落の考えがよくもできるものだ、とただただ呆れるばかり
です』
この人たちが日本の知識人として、名声を博しているのであり、平和憲法を護る平和論者であっ
て、大衆の味方として立っているのですから、日本の運命も危険この上もないのです。
こんな人たちに政権がわたって、政治をとられたら、すべて片手落ちで、なんでも自分よがりに
解釈して、それに合わぬ人々は人民の敵として、ばたばた消されてしまう。ちょうどかってのソ連
のやり方と同様であり、中国の革命のように、血で血を洗う政治になるのでありましょう。
また、それより前に、もし、社会共産の政府になる気配があった場合には、米国が黙って見てい
るはずがありません。自民党側が米国に要請することもありましょうが、直ちに日本に多数の軍隊
を派遣して、共産革命を防こうとするに違いありません。米国にすれば、日本はベトナム以上の防
とりで
共の砦なのですから(捨てておけるはずがありません。・左翼陣営の想うように、日本に左翼政権が193正
し
い
認
識
を
養
お
う
樹立することは、容易なことではありません。そこで左翼陣営は米国を日本国民から引き離そうと
懸命になっていて、米国の悪口を撒きちらしているわけなのです。日本の革命には米国は眼の上の
こぶなのであります。それは日本の左翼並びにソ連中国北鮮すべての共産主義陣営にいえるのです。
私は、日本を愛するのあまり、日本を再軍備させ、共産主義陣営の侵略に備えようとするそうい
う人々の気持は了解しても、それに賛同する気はありません。といって、左翼陣営や容共学者グル
ープの革命論的平和運動には絶対反対です。それはともに日本を滅亡の道に向わせるものであり、
ひいては地球世界絶滅の方向に、人類をひきずってゆくものであるからです。
平和への道
世界の完全平和達成はこうした二つの行き方ではなく、思想の色のつかぬ、純粋な平和への願い
をもつ人々による国論の統一なのであります。米国を敵としブルジ・アを敵とするのでもなく、ソ
連中国北鮮等の共産主義陣営を敵とするのでもない。ただひたすらなる素朴純粋なる平和の祈りな
のです。完全平和達成の願望を祈りにまで高め上げて、多くの人々を結集させてゆく、という道こ
そ、日本を救い、世界を救う唯一の道なのです。
194
世界の完全平和を願う人が、米国の不幸を喜んだり、ソ連や中国や共産陣営の壊滅を計ったりす
るでしょうか。そんなことはないはずです。自分や自国の運命を決定するのは、自分や自国の出し
ている想念波動によってなされるのです。その国家や集団の不幸を願う想いは、やがて自己や自国
にかえってくるのです。それは因果の法則であって、いたし方ありません。
こころ
因果応報というのは、想念の世界の定まりでありまして、京都行きの汽車に乗れば京都に、新潟
行に乗れば新潟につくようなもので、自分の発した想いや行為は自分の行先きを決めた乗り物に乗
っているようなものなのです。
じ
しかし、真理の世界は、そういう因果応報の世界を超えた絶対界でありまして、それが真実の人
間の住む世界であり、すぺては神のみ心によってつくられている世界なのです。そこはこの因果応
報の世界と同時にあるのですが、神のみ心のみが実在であるのです。そして、その他は現われては
消えてゆく夢幻にすぎないのです。現在の人類のように、消えてゆく姿のみを追い求めて、国家の
安泰を計ったところで、国家の幸福は生れてきません。国家の幸福は、その国家がいかに神のみ心
に合致した生き方をしているかによって決定されてゆくのです。神のみ心は大調和です。いかにし
て大調和に近づくか、それが個人にとっても国家にとっても重要な運命決定のポイントなのです。
195正しい認識を養おう
眼前の損得や、感情の起伏によって、心を左右され、行為を動かされてはいけません。永遠に消え
去らぬ実在のみ心の大調和精神のみが、個人や国家の運命開発のポイソトなのです。こういう真理
の世界に突入するために人類は一度祈り心になりきる必要があるのです。
個人も国家も、すべて神のみ心、天地の理法によって存在しているのである、という、正しい認
識を人々は持たねばならぬのです。すべてはその後に自然と開かれ決定されてゆくのです。現在私
どもが欲っすることは、完全なる平和達成ということです。米国イズムでも共産主義でもありませ
ん。右にも左にも片寄らぬ、神のみ心の中庸の道こそ、真実の道なのです。これは単なる中立とい
うのではありません。無限生命の真中に立って宇宙に自由に広がってゆく生命の働きを、自分たち
のものとする生き方です。
宇宙法則にのっとった道、天地の理法に適った道、それが祈りによる世界平和運動の道なので
す。世界人類が平和でありますように、という単純素朴なる祈り言葉のなかに、あらゆる人々が想
いを結集した時、思いもかけぬ、平和な道が開けてくるのです。要は一人でも多くの人が一日も早
く、想いを一つにして世界の平和を祈る、というところから、世界の運命が好転してゆくのであり
ます。196
日本の理想と使命
投書に答えながらr
私のところに次のようなことを書いた投書がきました。
「先日新聞のある欄に次のようなことが書いてありました。『近頃台湾を視察して帰った人の話
– 台北大学には各国の留学生がいるが、その中に日本の早稲田、慶応、青山学院などの卒業生も
まじっていた。一夜、彼らが宿舎を訪れて来て、先輩よ、ぜひわたしたちの悩みをきいて指導して
ほしい、という。
何ごとかときいてみると、いったい日本という国の国家目的は何で、わたしたち日本民族の理想
は何でしようか、というのである。よわい五十路を越えた先輩もさすがに即答しかねたらしい。ど
197日本の理想と使命
ういうわけでそんなことをきくのかとたずねてみると、ここには台湾の学生以外にたくさんのアジ
アの国々の留学生がいて、いつも民族の理想や国家の使命について語りあっている。
彼らがそうした問題について発言するときは青年らしい情熱にあふれ、明確に祖国の使命を述
べ、自分たちの理想を確言する。そんな雰囲気の中で、さて君ら日本人の考えはどうかといわれる
たびに、汗をかくのはわたしたちなんです、という。
自分たちもむろんそれ相応の考えは持っている。しかし、日本国の使命とか民族の理想とかいっ
たものはあまり考えたこともなく、学校でも何ら教えてくれなかった、教えてくれなかったから知
らない、というのはいささか不見識のキライはあるが、要するに日本の大学には青年の胸を熱くさ
せるに足るような場がなかったことは事実である。
そこでこのさい先輩にぜひご教授願いたいというわけであった。… …』
というのですが、最近、一部では戦前にかえったような〃神国日本〃を唱えるものもあります
が、日本の理想と使命について、先生のお考えをお示し下さるようお願いします。L
というような内容でした。私も常にこの問題については考えておりましたので、この投書に答え
ながら、いろいろと書いてゆきたいと思います。
198
私のいつも不思議に思うことは、外国のことはさておいて、現代の日本の小学校から大学院にい
たるまで、一体何を一番根本にして教育しているか、ということであります。
文字をおぼえ、言葉をおぼえ、様々な技術を教えてもらうことは勿論必要であり、有意義なこと
であり、そういう学問を教える先生も必要であることは論をまちませんが、そうした学問が人間生
さつかく
活、人類の生活の根本であるような錯覚を起しているのではないか、と、そのことがいつも気にな
っているのであります。
根本目的を教えもしない、教わりもしないで、枝葉の目的だけを教わり、その技術だけを身につ
けて成人し、社会に出てゆく、そういう人々で社会構成がなされてゆく、現代はそんな時代になっ
ているようなのです。
それなら、人間の根本目的はなんであり、人類の根本目的はなんであるか、ということになりま
す。ここのところが一番大事なところでありまして、この根本目的がわからないと、国家の理想も
使命も、それに処してゆく個人の生き方も、はっきりとつかめないことになり、個人個人がお互い
に根本においてなんらのつながりもない、ばらばらな生き方をしてゆくことになります。
いわゆる自我欲望を中心にした個人主義の生き方になってしまうのであります。199日
本
の
理
想
と
使
命
個人個人はそれぞれ自己の生命というものをもっております。そんなことは誰でも知っておりまOQ2
す。しかし知っておりながらも、実は、はっきり自己の生命というものを知っている人はいないの
です。生命の実体というものを知っている人はこの世には数少ないのであります。それでいて、自己
の生命の重大さを認識していない人はいないのです。
大生命をはなれて小生命は存在しない
そこで、自己の生命を守ろうとする自己防衛の想いが本能的なものとなって、お互いの利害の一
致するもの同志が組織を組むようになってくるのであります。
ところが、こういう自己防衛の本能で組織された集団というものは、どうしても、他の集団と抗
争を起し易いのです。何故かといいますと、お互いの集団の利害が一致しない場合が多いからなの
です。
ですから、自己防衛的な集団の在り方というものは、自己を守り得るようにみえて、かえって、
自己を滅ぼす結果に陥り易い点をもっているのであります。
国家とか民族とかいうものは、本来、そうした自己防衛本能から成り立ったものではなく、各個
人の生命の本源である大生命の必然性によって、そういう集団が出来上がったのであって、各国各
民族が自国や自民族の安全だけを思って、その国家政策を行なってゆくようなものではないのです。
各個人にも、個人個人それぞれ異なった素質才能をもっていまして、その素質才能を真っすぐ素
直に表現することによって、社会や国家にプラスとなる働きができるように、各国にも各国家の特
徴を現わすことによって、人類の真の目的が達成されることになるのであります。
そういう本来の生き方が、個人からも特に国家においては、ほとんど失われてしまって、自己防
はず
衛的な、大生命の本源の意図から外れた自国本位の生き方になってしまったのであります。
ここで考えられることは、個人においても国家民族においても、大生命を離れて個生命が存在し
ている、というような誤った考えをまず捨て去らなければ、個人の目的も理想も、国家民族の理想
も目的も、人類の真の幸福の実現と一つになることはできない、ということなのであります。
人体の上でこのことを考えてみますと、心臓が心臓自体のためにだけ働いているのではないし、
肺臓は肺臓自身のためにだけ働いているのではなく、その働きは共に、肉体を生存させるための働
きとなっているのです。そして心臓も肺臓も腎臓も肝臓も胃腸も、それぞれ密接なる関係があっ
て、お互いがお互いの働きを助け合っているのであり、お互いがお互いのために無くてはならぬ存2Q1日
本
の
理
想
と
使
命
在となっているのであります。
人体を人類総体と考えますと、各国各民族はそれぞれの機関であり、個人は機関機関の細胞であ
るわけなので、個人である細胞は、その属する機関の働きを完うさせるための働きをしなけれぼな
らないし、機関である各国各民族は、人体である人類総体の目的達成のための働きをしなければな
らない、ということになるのであって、各細胞が自己本位の勝手な動き方をしたり、各機関がお互
い同志、俺のほうが重要な存在なのだ、いや俺のほうが重要なのだ、というような権威争いをして
いたら、その密接に助け合わねば生きてゆけぬ法則に外れてしまって、お互いの構造を破壊してし
まうのであります。
人体の構造も国家の構造も、人類の在り方も、宇宙すべての在り方も、皆等しい法則によってな
さだまりはず
されているのであって、大生命の一貫した法則を外れては存在しつづけてはいけないようになって
いるのです。
人間はあくまで大宇宙に対する小宇宙であり、大生命に対する小生命でありますので、宇宙法則
の外で生きてゆくわけにはいかないのであります。
ですから、国家民族の目的使命というものは、あくまで、人類の完全平和達成へ向かってゆくも202
のであり、個人の目的や使命は、それぞれの天分個性に従って、天分個性を発揮し、国家民族をし
て、人類の大調和完成のための働きをなさしめるものでなければならないのです。
はず
そういう正しいルールを外れた生き方は、個人としても国家民族としても、いつかは破滅してし
まう方向にむかっているということになるのであります。
地球はよリ高次元波動へ変化しつつある
宇宙はたゆみなき進歩にむかって突き進んでおります。地球の波動も、日一日と、高次元のより
微妙な波動にうつり変ろうとしているのです。そうした地球に住む人類も、好むと好まざるとによ
らず、地球の波動の変化につれて、高次元波動、微妙な波動体とならざるを得なくなっているので
す。
こら
仏教でいう劫というのは、地球人類の波動が一段上昇する波動の変化のことをいうのです。今人
類はその七劫目にかかろうとしているのであります。ですから、過去から現在までの人間の生き
方、つまり弱肉強食的な生き方、肉体的自己保存の本能的な生き方では、滅亡に至るより仕方がな
い、ということになるのです。これは私が常にいいつづけているところなのです。
203日本の理想と使命
キリスト教的にいう、最後の審判の日に、どれだけ多くの人々が永遠の生命を得てゆくか、神と024
人間との真実の関係を知り得てゆくか、私は、そういう人々の一人でも多かれと、道を説きつづけ
ているわけなのです。最後の審判とは、この人類が高次元波動体に変貌する日のことであって、予
言では、多くの人々がその波動に達せず減亡してゆく、ということになっているのでありますが、
そのためにこそ私たちの世界平和の祈りが生れたのであり、宇宙子波動生命物理学が生れ出てきた
のであります。
これはキリスト(真理) の再臨と等しきことであるのです。キリストということを、イエスとい
う肉体人間と思ってはなりません。イエスが真理を現わした時が、イエス・キリストなのであり、
釈迦も老子も法然も道元も、実はみなキリストを現わし得た人々なのであります。
ただ、それぞれに修業の仕方が相違していただけであり、その役目が違っていただけなのです。
そうしたキリスト者が、地球人類の神の子人類への昇格か破壊かの瀬戸際に立って、世界平和の祈
りという祈り言を通して、最後の審判を無事に通過させようとして、結集して働きつづけておられ
るのであります。
現在でも、いろいろな立場で、地球人類の指導者が現われております。教育家、科学者、哲学
者、実業家、宗教者等々、各種な立場でキリスト(真理)を現わそうとして働いておられます。宗
教者にしても、それぞれ違った角度から、自己に縁ある人々を導き上げているわけなのですが、そ
の導き方が、肉体生活に便利なようなそういう立場から指導している人、霊性開発を主にして指導
している人等々、種々とそのやり方があるわけなのです。
私どもは世界平和の祈りを根底にした宗教活動と宇宙子波動生命物理学という科学の道とを一つ
に結んで、宗教と科学の実際面での一体化の働きをしているのであります。ただ単に言葉め上だけ
の宗教と科学の一体化というのではなく、実際上での一体化なのです。これが私どもの天命であり
ます。
日本の天命
白本の天命、つまり理想と使命は、最後の審判を無事にパスさせる、世界人類の完全平和を達成
させる、その中心の働き、その先達としてのものでありまして、その他のものではありません。
ひ
日本は昔から神ながらの国といい、大和の国といい、霊の本(日本)どいい、日章旗に示されて
いるように、白地に太陽、つまり霊光がまん丸く統一されて輝いている、そういう本質を自ずと現205日
本
の
理
想
と
使
命
わしているのです。
日本という国は、調和の本質をそなえておりまして、中国文化が入ってくると、それをいつの間
にか、日本文化の中に融かしこんでしまう、ヨーロッパ文明が入ってくれば、これも直ちに日本流
に調和させてしまう、というように、なんでも日本にくると調和されて、日本流になってしまう、
という不思議な要素をもっています。
各国の料理なども、日本人の手になると、なんでもこなされてしまいまして、日本に来ると、ど
おいし
この国の料理も美味く料理され、ものによると、その国の料理よりも日本人の手になったほうが美
味い、という程になっています。
そういうように、各国の特徴を巧みに融合させ調和させてしまう特技をもっているのでありま
す。ですから今日まで、日本人の発明になるものというのは甚だ少なく、外国の発明発見を、日本人
がよりよく改善してゆく、ということになっております。日本人はよく猿真似が上手だといいます
が、確かに発見発明するより、そうされたものをよりよく生かしてゆく調和させてゆくということ
が上手なのであります。
すべてを融和させ和合させるという、日本の本質は、大きくは世界平和ということに重大なる役
206
目をもっているのでありまして、どうしても必然的に世界平和へ向う智慧や方法は日本から生れて
くるようになっているのです。これは現在うなずかない人がいても、後には成る程と肯かざるを得
ないようになってきます。
日本が現在唯一の核爆弾の被害国であることなどは、日本が核戦争を阻止し世界を平和に導いて
ゆかねばならぬことを、実証してみせたようなもので、核兵器核装備に対して日本が拒否すること
は、日本としては当然である、と各国に思わせる充分なる立場をつくってくれています。
核爆撃をされることなどは、日本政府としても、日本国民としても、その日の近ずくまでは知る
よしもなかったことで、すべて日本の天命が完うされるための神仕組なのです。
日本の進むべき道を誤またせるな
そこで日本の理想と使命を一口にいうと、世界のあらゆる文明文化を融合さぜ、世界の完全平和
の実現のための先達となる、ということであります。
右のものと左のものとを融合させ、その和の中から新しいものを生み出す、これが日本の天命の
一つなのであります。右のものに組して左のものを叩いたり、左に組して右のものを叩いたりする207日
本
の
理
想
と
使
命
のは、日本人のすることでもなければ、日本国のすることでもありません。日本人はすべてを生か028
す中庸の道、調和の道を歩むことがその天命なのであります。-
はず
ですから、その道を外れてしまえば日本の天命は果されないのですから、日本国は減びるより仕
方がありません。日本国が滅びれば、世界完全平和実現の先達となり、中心となる天命の国は他に
はないのですから、世界は滅びてしまうに違いありません。これを逆説的にいえば、宇宙は大調和
にむかって進んでいるのであり、神々や古来からの各聖賢が力を揃えて、地球人類の平和達成のた
めに働いておられるのですから、地球が滅亡することはない。だから、日本の天命は果されること
になる。従って、日本は滅亡することはない。ということになり、やがては世界は完全に平和にな
るに定まっているということになります。
しよくそくはつ
しかし、現実の世界は一触即発の危険な状態にあり、現象的にみれば、各予言のように最後の審
判的な恐ろしい事態にならざるを得ないようにみえます。
ですから人によると、世界の平和などという夢のようなことを考えずに、如何にその場その場を
他国に侵かされずに切りぬけてゆくか、ということを問題にして、日本は処してゆかねばならぬ、
といっております。それには米国としっかり手を組んで、共産主義の侵略を防いでゆくこどであ
る、そのためには日本の軍備を強化することは勿論である、というわけです。
この人たちには、日本の本質も、理想も天命も無いわけです。そういうことはひとまずおいて、
現在に処するということなのであります。現在に処して後はどうする、そういう後のことはその時
になって考えるわけです。いつでも他国の動きによって動くわけでありまして、敵と思われる国々
をすっかり絶滅させるまでは、世界平和ということは考えられないわけなのです。
ところが、私どもの霊的考察にょりますと、敵があるとか無いとかいう問題ではなく、宇宙の進
行にょる地球波動の変化につれて、どうしても変化させねばならぬ、宇宙観、人生観の問題であり
まして、地球人類側にその変化に対応する心がまえがなければ、人間としての敵ばかりではなく、
地球波動の変化による天変地異による、大悲劇がもたらされるかも知れないのです。
のが
ですから共産主義国のすべてを叩きふせても、それは一時遁れのものであって、無駄骨折りに過
ぎないものであるというのであります。しかもその無駄骨を折るのには、やはり地球人類の運命を
かけ、多大の犠牲をはらい、時によれば、地球人類滅亡の危険さえあるのです。
ここでもう一つ問題になるような質問がきているので、その答もかねて書いてゆきましょう。
209日本の理想と使命
職に身命を捧げるということ
210
ぴるり
それは、釈迦族が、毘瑠璃王に攻められた時、仏教の教えにより無抵抗で立った人たちのある中
せんば
で、閃婆という勇者が、敵に立ち向い、多くの敵を倒して城外に逃がれ、その途中で釈尊に出会
せんば
い、釈尊からその働きをほめられて、釈尊が自ら毛髪と爪を切って、この閃婆に与えるというとこ
ろが、私の書いた「釈迦とその弟子」という創作の中にでてきます。
おかせん
その質問は、殺傷を冒してはならぬと常日頃説いている釈尊が、何故殺傷を冒して逃げてきた閃
ば
婆 をほめたたえたか、というのであります。私はその質問には次のように答えます。
人間というものは、自分の生命を生み育てて下さった天地自然というもの、父母というものに感
謝すると同様に、自己の所属する集団というもの、小さくは会社でも大きくは国家というものに必
然的に愛を持ちます。祖国を愛する、という感情は常人なら誰しも持っています。それは当然のこ
とで、素直な天与の心です。
それから軍人なら軍人になったことは、それはその人の因縁であって、武によって国を護る因縁
がその人にあったということになります。軍人になる因縁によってそうなったら、その因縁を因縁
としてではなく、天命として完うさせなければなりません。それには軍人という職に身命を捧げき
ることです。
そう致しますと、一たん敵が攻めて参りますれば、軍人はその敵を倒し、味方を勝利に導かねば
ならぬ役目を持っているのですから、自己の好むと好まずとにかかわらず、戦わねばなりません。
無心で国の守りの戦に全力を挙げた時、その軍人はその因縁の立場の中で天命を果したことになる
のです。それを、軍人が、軍人という因縁によってつくられた立場の中で、俺は戦いが嫌だといって
逃げかくれしたら、その因縁は果されず、天命も果されず、その人の生命の働きは死んでしまうこ
とになるのです。
これが同じ戦わぬにしても、自己の身心を投げ出した無抵抗に徹しての態度なら、これも因縁を
超越して生命を立派に生かしたことになります。どちらかに徹し切った心にならぬと、その人の因
縁も消滅しないし、天命も完うされないのです。軍人になる因縁がなければ軍人にはなりません。
釈尊のころでも、戦時中の日本でも、軍人になるまいと自分できめても、肉体的に軍人に適すれ
ば、徴兵されてしまいました。私など軍人になる因縁がなかったので、遂に一度も軍服を着たこ
とがありません。
211日本の理想と使命
そういうわけで・釈尊が殺傷を冒してきた隙婆をほめたたえたのは、軍人としての天命を身心㎜
をかけて成し遂げてきたからなのであります。
武力をもって世界平和達成は不可能
私の説いている平和の祈りは、肉体生命の死滅を恐れて説いているのではありません。個人、国
家、人類を通して、すべての人々が永遠の生命を自己のものとして把握できる道が、世界平和の祈
りの中から生れてくることを説いているのであります。
永遠の生命の道が、共産主義国を倒すことによって開くものなら、どんな武力をもってしても、
それを成し遂げなければなりませんが、相対的な敵対行為によって得た道から永遠の生命を見出す
ことは到底できないところです。何故ならば、相手がどのように悪い国であろうとも、敵として殺
傷した場合には、相手国の人々の心に憎悪の感情を植えつけてしまいます。まして、相手の国は自
国のほうが悪いなどとは思ってもいないで、かえって向ってくる国を悪い国としてみているのであ
りますから、よりその憎悪の感情は強いわけで、その憎悪の感情想念は、この地球界の波動を醜く
汚してしまうのであります。そして、自分たちを叩いた国家の人々の上にその憎悪の想念波動を叩
きつけてくるのです。それは皆さんの中でも理解できない人があるでしょうが、その想念波動は、
肉体があるなしにかかわらず、相手国の上に襲いかかってくるのです。
ですから、武力によっての世界平和の達成ということは絶対にでき得ないことなのです。世界平
和はお互いの生命が真実に融合した時にできるのであって、生命を和合させぬ想念波動があって
は、到底達成されないのです。そこで私は世界平和のために武力をもつということは、この世では
世界平和は達成されないと思っている人々の思想であって、それはもうすでに過去の時代の思想で
あることを人々に知らせたいのであります。
よく、強盗が襲ってくる気配があるのに、その防備をしないということがあるか、国家もそれと
同じことだ、というようなことばをききますが、強盗は強盗自身も自己の行為を悪と是認しており
ます。すべての人々が悪と思っております。そういう相手を倒すのと、その国家のために忠誠を尽
している人々を殺傷するのでは、全く意味が違うのでありますし、その戦いにおいて宇宙世界に及
ぼす不調和波動が非常に大きな悪い影響を地球世界にも他の星々にも与えるのであります。
そういう真理を知らない人々に、一日も早く、真理を知らせ、日本の真の理想と天命を知らせた
いものであります。そのための世界平和の祈りであるのです。213日
本
の
理
想
と
使
命
個人がその職務を完うするために戦うことは是認せられても、国家がそうした個人の犠牲の上幽
に、自国の権威を示そうとすることは、地球平和を乱す悪行為ということになるのであって、私ど
もはあくまで、日本国家をそうした方向に持っていってはいけないのであります。
永遠の生命を人類に確立させ、世界完全平和達成の先達となるための働きを、私たち一人一人が
心をこめてなしつづけなければなりません。あらゆる国家民族というものは、お互いが他国と違っ
た特徴をもち、天命をもっているのであって、その天命を各国が完うすることによって、この地球
人類が一段と高次元の世界の住者となり得るのであります。
そのさきがけの世界平和の祈りであることを、皆さんどうぞ心に銘じていて下さい。そして、日
々の祈りに精進して下さい。やがては、皆さんの祈りに同調してくる人が、日本中に満ちてくるこ
とでありましょう。
暗黒思想を消滅させるもの
ところが、ここで問題になってくることは、やはり、世界制購をめざして、着々と思想謀略を計
っている国家や集団があることと、虚無主義的な破壊思想をもっている集団のあることなのです。
これらの国家や集団は、日本の労働争議や学校騒動などを牛耳り、あらゆる手段をもって、日本
の現在の政治体制を根底からくつがえして、自国や自分たちの思想のままに、日本を操ろうとして
いるのであります。
それは単なる共産主義者たちだけではなく、もっと奥深い暗黒思想なのです。ですから表面に現
われている共産主義者や、共産主義国を叩いたとしても、それでよいのではない、と私はいってい
るのです。
こういう謀略をよく知っている憂国の人たちは、その謀略を防こうとして必死になって活動して
いるのでありますが、現実的には、そういう謀略を受け入れ易い状態が世界中にあり、日本にもあ
りまして、現在の宇宙観や人生観では、とてもその侵略を防ぎ得るわけにはいかないのです。
そこで憂国の人たちは、心痛しながらも、そういう謀略があるのだ、日本の危機だ、世界の危機
せつしやくわん
なのだと叫びつづけるだけで、どうにも具体的な手が打てずに切歯拒腕しているのであります。そ
こでどうしても、国内防衛のためにも、外交政策のためにも、軍備を充実させねばならぬ、という
ように武力に頼る方向にその主張が向いていってしまうことになるのです。
私なども現実的な面だけをみている時には、その人たちの気持がよくわかるのですが、そういう
215日本の理想と使命
主張がかえって、暗黒思想団体の謀略のうまい口実になり、日本の右翼が日本を再び軍国主義にさ126
せようとしている、というような喧伝をして、民衆は大体もう戦争にはこりごりしていますので、
そういう喧伝にうまく乗ってしまい、日本の思想が分裂させられてしまうのです。
このように、日本の思想が分裂していることが一番危険なことだと私は心配するのであります。
日本の思想が分裂していることは、何かの拍子に火がつくと、内乱にまで発展しないとはいえない
のです。
暗黒思想の謀略は実に危険であり困ったものですが、これを抑えるのに軍備というのも、業因縁
の流転でありまして、これではいつまでたっても日本の平和も世界の平和も成り立たない、と私は
説いているのであります。
ですから、どこからどこまで考えても、結論としては、神のみ心の大調和精神に沿って、世界平
和の祈りを根底にして、すべての行動としてゆかねばならぬということになるのであります。
今日の世界では、今までのような神を離れた、小智才覚だけの生き方では、自分をも国をも人類
をも守り得ないことが明らかになってきているのです。そのことを、つきつめて考えてみること
が、人々にとって必要なのであります。
共産主義をも、その底に暗躍している暗黒思想(こういう存在を知っている人はあまりいないの
ですが、一ロにいうと、自我欲望のためなら、人を殺そうと、自国を売ろうと、他国を滅ぼそう
と、如何なる卑劣な残酷な手段をもっても自己の欲望を達成するという、それでいて、表面の姿は
立派な社会人であり、高位高官であったりする)をも消滅し得るのは、救済の大光明の光明波動よ
りないのです。
純潔なる平和の祈リこそ真の力
先程から何度びも申しておりますように、表面に出ている共産主義者や共産国を、いくら武力で
叩いても、この暗黒思想団体は武力で叩くことはできないのです。何故かといえば、彼らの正体は
実に巧妙に隠されていまして、どのようにしても、その正体を明らかにすることができないからな
のであります。
この人類の中には、普通人の心ではとてもはかり知れないような存在があるのでありまして、正
しい良識者たちの頭で判断しただけでは、どうにもならない人物や事柄がたくさんあるのです。
こういう人類に必要でない存在を消滅せしめるのは、祈りの力より他にないのであります。武力
217日本の理想と使命
でも金力でも作戦でもなく、祈りによって地球人類の上にひびきわたる、神の光明と、大調和科学鵬
による波動調整によるより他に方法はないのです。
日本の運命を案じ、世界人類の滅亡を防こうとして、各種の運動をしている、愛国者や人類愛に
燃えている人々が、いても立ってもおられぬ気持で日々を送っておられるのはわかりますが、焦燥
のあまり、武力に頼ろうとしてしまったら、暗黒思想者たちの思う壷であることに想いを至し、あ
くまで、徹底した平和主義を貫き通さねばなりません。
それには、この小論文でくどくどと申しておりますように、この世の出来事の目にあまる事柄も
すべて消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中に投入し、平安の気持になって、日本人全員の気
持を、完全平和達成の希望の道である、平和の祈りに統一してゆくことが何にもまして大事なので
あります。現在の日本は、天皇の下に帰一する心になることは悲しいながらできません。そこでど
うしても、人類全般の大願目である、世界平和を願う想い、一歩進めて、世界平和の祈りの中で、
日本人の心を帰一させてゆかねばならぬのです。一億人民の光明心こそ、世界人類すべてを大光明
化する、唯一無二のものとなるのであります。
これこそ、日本民族の天命であり、理想でもあるのです。私どもは神の大愛を信じきっておりま
す。神の大愛が、心の底から平和を熱望する日本民族の悲願を受け入れないわけはありません。
この平和の心は純粋であって汚れがあってはなりません。片手に武器をもった平和の祈りなどあ
るものではありません。そうした純潔なる平和の祈りこそ、神の大愛を真直ぐにこの地球世界に及
ぼし得る祈りなのであります。私たちは身命を投げうって、この道を貫き通してゆきたいものであ
ります。
219日本の理想と使命
220
武力を超える力
武力の強いものが勝つ世界
いな
この世の有様をみていますと、どうしても弱肉強食の世界であることは否めません。イソド、パ
キスタンの戦争でも、どちらが善い悪いは別にして、武力の強いほうが勝利を得たことは確かです。
米国にしても、ソ連、中国にしても、武力の強大さが、その権力を示す根本になっています。そ
こで、お互いが常に武力の拡大を計り、これでもか、これでもかと核兵器を増大させ、地球を大き
く傷つけてまでも、核実験をつづけているわけです。愚かといえば実に愚かな行為であります。
個人には自己犠牲というものがありまして、相手のために自らがすすんで損失を受ける、という
ことがありますが、国家となりますと、個人がみせるような自国犠牲はありません。すべての行為
が、自国の権力保持或いは拡張という自国の利益につながるものとなっています。したがって、常
に自国を強国にしておくための武力はどうしても必要で、遂には核兵器の出現となり、核兵力の
せり合いともなってきているのです。
ロもと
そして、各小国はそうした大国にすがり、大国は小国を助けるという名目の下に、自国の権力の
増大を計っているのです。そしてこの権力増大は、強力なる武力を背景にしてなされているので、
一にも武力、二も武力ということになり、武力を根底にしての、世界の政治政策となっています。
昔の昔から地球世界はこういう弱肉強食の生き方になってきていますが、今日のように核兵器を
もった国々の戦いともなれば、この武力のせり合いは、いつかは世界戦争に発展し勝ったり負けたり
して、軍備を改善し、科学の発達ともなり、かえって文明文化の発展をともなってきたような、昔
の戦争のような工合にはゆかず、地球世界は壊滅してしまうことになります。
そういう地球滅亡という危険性を充分に承知しながらも、眼の前の自国の権益確保のために、や
ごりかな
はり軍備を強固にしておかなければいられぬ、国というものの業の哀しさが、しみじみ想われます。
現在ではまだまだ腕力、武力というものが相手を抑えつけているということは事実なので、武力
を充実させて、自国を優位にたたせようという気持はよくわかります。ぷキスタソの場合でも、西221武
力
を
超
え
る
力
パキスタソの武力が東パキスタソを圧して、ベソガル人を圧迫し、大虐殺を行ったりしていたもの
で、バソグラデシュ独立を呼び、その西パキスタンがその武力を上廻わるイソドには降伏してしま
っています。そして米中ソの三大国の武力と経済力の戦いが、陰に陽に行われているわけで、イン
ド亜大陸の運命はこの三大国の武力の前にどう変ってゆくかもわかりません。イスラエルとアラブ
諸国の場合も同じことです。
現在の世界は、軍事力と経済力の二つの力によって動かされていることは間違いありません。し
かしこれでよいのか、というと、誰しもが、これではいけない、なんとかしなくては、と思うので
す。そして心ある人々が、これら大国の武力を抑えようと、反戦運動をしたり、様々な平和運動を
ようこ
しているのですが、眼前の権益擁護に夢中になっている三大国には馬の耳に念仏のように、なんら
の反応もありません。相変らず、争い合う小国の背後で、自国の権益のための武力を背景にした働
きをつづけているのであります。遠い先の幸せよりも眼前の利害のほうが、大国にも小国にも心を
ひかれるもののようです。
自国の権益を守ることが戦争につながる
222
ピリリんれ
心をひかれるというより、自国の権益のため、利害のためという、業の輪廻に振り廻わされてい
るのが、現在の国家群の様相なのです。その点、日本などはまだまだよいほうで、業の波に振り廻
わされきってはいないのです。それは有史以来の敗戦を味わって、さんざんな苦労をしてきたこと、
人類最初の核爆弾の洗礼を受け、身心に沁みて、戦争の脅威を感じ取ったことによって、再び戦争
こう
は起こすまい、という決意が国民全般にゆきわたっているので、戦争という大きな業の現れを、な
んとかして消し去ろうとする心が、潜在的にも顕在的にも強いのです。この心を指導的立場の人々
がうまくもってゆけば、世界戦争という大きな業の現れを、この世的な現れとせずに消し去ること
ができるのです。
しかし、ここでじっくりよく考えなければいけないことは、この世は先程から申しておりますよ
うに、弱肉強食の世の中でありまして、強い力が弱い力を圧してゆく世界であることです。ただ戦
争は悲惨だからいけない、とか、今度戦争があれば核兵器戦争になって、この地球界は滅亡してし
まう、というようなことだけをいっていても、それは誰でもわかっている。だが、自国の権益を守
るためには武力を誇示しなければならぬし、いざといえば戦争をも辞せぬ、という強い構えが必要
なのだ、と大国は勿論、小国でも対立国のはっきりしている国々はいうことでありましょう。敗戦223武
力
を
超
え
る
力
はずか
で戦争はこりごりだ、といっている日本人の中にでも、国家が辱しめを受けるなら、武力をもっ謝
て立つべきだ、だから、国家があなどられぬような強い軍備を持つべきである、という論を吐く人
も、意外なほど多くいるのであります。
誰でも戦争は嫌であり、国家でも好んで戦争をしたい国もないと思います。ただお互いの国が、
自国の権益を守る、ということから戦争にまで発展してゆくのでありまして、これは昔から今日に
ごう
至るまで少しも変っていません。ここが人間の業であり、国家のもっている業でもあるのです。
これはどんなお説教をしようとも、どんなに反対運動しようとも、どうにもならぬほどの強い自
国(自己)保存の本能でありまして、頭でわかっていても、行為がその理についてゆかないのであ
ります。自分を守りたい、という本能以上に、自国の権益を守る、という気持は強いのでありまし
て、そのためには他国や他民族の犠牲などあまり意に介せぬものになってしまうのです。そこで、
武力や経済力の強い国が弱い国を自国の膝下に組み敷いてゆくという昔ながらの様相がつづいてゆ
くのです。
思想謀略の力
こうした自国権益を守るための、武力の行使を皆無にしてしまわぬ限り、世界の平和は絶対に来
まさ
ないのですが、さて、武力に勝る力というと一体何があるのでしょう。勝るとも劣らぬ力があるの
です。それは思想謀略の力です。社会主義や共産主義国の在り方は、常にその思想謀略の力によ
る、権益拡張がなされております。自国は直接の武力によらず、小国の貧困につけこんだ経済援助
により、或いは自由主義国の援助の在り方に不平をもつ、小国のその不満をあおることによって、
革命を起させ、その政府を、自国側の都合のよい政府につくりかえてしまうことです。
この方法は直接武力を行使しないで、いつの間にか、自国の権益の拡張がなされているので、武
力による成果以上のものを挙げるのであります。この思想謀略は、既成の政府に不満をもつ国民に
働きかけ、ひそかに武器弾薬を送ることによって、革命を助長し、国民に革命政府をつくらせるの
でありまして、貧富の差の甚しい国や、貧困者の多い国などには、非常に有効な働きをなすので
す。武力による権益拡張と、思想謀略による他国侵透という二つの力の成果は、やがては、激突し
て、世界大戦となる行程をたどっています。世界の情勢をみていますと、その事実がよくわかりま
す。こうした二つの力の行使をただ一方の直接武力の面だけに抗議をして、思想謀略による権益拡
張のほうには、なんら打つ手をもたぬのでは、武力にのみ頼って権益を守っている、自由主義国の
225武力を超える力
大国は納得する筈もありません。
現在の日本は、米国の武力の庇護の下に、今日迄の発展を遂げてきたことは事実です。米国の武
力の守りがなかったら、今の日本人の国家意識の低さ、個人主義に流れきっている身勝手な生き方
からして、思想謀略は勿論、自ら国を売ってでも自己栄達を計るような人々が続々でていたであろ
うと思います。
ただ幸なことに、日本には天皇という信仰的中心がおられ、敗戦後、反天皇主義の人たちが増加
しているとはいえ、まだまだ天皇信仰はなかなか強いのです。その天皇が存在するということと、
後進諸国と違って、貧富の差が少くなっていて、中産階級が多いということの二つが、共産主義の
思想謀略に、やすやすと乗ってゆかない、保守的強みとなっています。いわゆる革命の必要を認め
ない層が非常に多いということであります。
こういうことは日本にとって有難いことでありまして、日本の未来の大役が、こうしたところを
地盤にして、着々となされてゆかねばならぬのです。米国がベトナム戦争で武力行為に出て、今日
までの悲惨なベトナム戦争をつづけているので、米国だけが悪人だと思っている人も随分とおりま
すが、勿論米国も悪いにきまっていますが、ベトナムを使って、共産主義を拡大させようと、あら226
ゆる権謀術策を使ってきた、共産主義大国の思想謀略もないがしろにできません。
要するに、武力行使の米国も悪ければ、思想謀略で、自国の権力を拡張しようとしている共産主
と
義大国も悪いのでありまして、こうした二つの世界を乱す力を超えた、なんらかの力が発揮されな
ければ、地球は世界大戦か天変地変かで、いつかは滅亡してしまうのであります。
もう今日では、たんなる抗議や、反戦運動やストライキでは、この二つの力を防ぐことはできま
せん。ましてや、米国の武力に反抗するのあまり、米国の相手国と目される、ソ連や中国の在り方
のほうが正しいと勘違いして、反米、親ソ、親中国というように、共産主義国を善とみて、日本を
そのほうに導き入れようとする人々がいることは、日本の調和を乱し、武力と思想謀略とを同時
に、日本に働きかけさせる導火線となるのですから、よくよく頭を冷静にして自己の行動をみつめ
なければいけません。
日本を見直すとき
日本人は、さんざん日本の悪ロをいいつづけていますけれど、インドやバングラデシェのことを
考えてみて下さい。貧富の差が物凄くあって、餓えて死ぬ人、餓えに近い人、満足な生活のできな
227武力を超える力
い人が、人々の半数以上もいるのです。そうした貧しさの上に戦争まで起こって生命の危機にさら㎜
されたりしているのです。
インド、パキスタンばかりではありません。中近東諸国にしても、東南アジアにしても、日本人
ほど自由な生活をつづけていられる国はないのです。今盛んに騒がれている様々な公害のことは、
ニぞ
経済発展のマイナス面で、これは国民挙って抗議して是正して貰わねばならぬことですが、そうい
う悪い点だけをみて、日本はなんて国だ、と日本を悪く思ってはいけないと思います。善い面も悪
い面も含めて、世界各国の中でも、現在の日本は善い国とみるのが妥当だと私は思うのです。
泥棒もいないし、街はきれいだし、秩序整然としている、と大いにほめられているのが中国です
が、やたらに日本の政治をけなし、社会主義、共産主義の善さを強調している日本の左翼の人々や
知識階級の人々が、その中国やソ連にいて、こんなにいいたい放題の政府攻撃ができるでしょう
ヘヘヘへ
か。今の日本では、天皇の悪口でも、政府の悪口でも、いいたい放題で、なんのおとがめもないの
です。日本のような個人の自由が、ソ連や中国のような共産主義国でできるはずもありません。
中国が今日になったのは、共産主義指導者の想いのままに、国民の自由を抑圧し、政策に反する
ものは極刑に処して、処罰の力によって国論を統一してきたからなので、中国の整然たる秩序、泥
棒のいないこと、街のきれいなことの表面の立派さの底に、どんな小さな法でも法を冒かしたら生
命がない、という国民の恐怖の心がひそんでいることを見逃してはいけないのです。
常に役人に、役人ばかりではない、隣人にも監視の眼でみられながら、自由を抑圧されながら、
その抑圧にも今はなれてきて、明るい顔で、国家の発展のために働いている、という自覚を持つよ
うになった人々もいますし、子供の時から、その在り方が習慣づけられて、なんの不自由も現在は
感じない青年たちもいるわけです。ただすべての国民が、自分の幸福よりもまず国家の発展という
ことに力をそそいでいるので、自己の幸福は国家の発展の中に見出してゆくという形になっており
ます。
こういう在り方を私も悪いとは思いませんし、むしろ、その考えが人類というものにまでつなが
ってゆけばなおよい、とも思うのですが、そこまでに国民を持っていっている、持ってゆき方がい
けないと思うのです。国家首脳陣の権力の力で、国民の自由を縛ってそこまで持っていったとい
う、そして多大の犠牲者を出している、というそういういき方は、今にその反動が大きく現われる
であろう、と思います。現に常に為政者間の権力争いが行われていて、昨日の友が今日の敵とし
て、国民の前にさらされているのです。権力の力で国民を自分たちの政策の自由に統一させてゆ
229武力を超える力
く、ということは、人間の本来性からみていけないことなのです。各個人の自由意志で、しかも大蜘
きなものを生かすために、自己を犠牲にする、という、個人の側から、国家のため、人類のため
に、自己の自由を放棄してでも尽してゆく、というようにならなければ、真実の調和した世界はで
き上がりません。
そのような中国或いはソ連、という共産主義国の在り方の中で、現在の日本で反政府運動、社会
共産主義運動を、自由自在にしていられる左翼の人々やインテリ層の人々が、果して、がまんして
ついてゆけるでしょうか。自分たちが幻想的に画いていた、美しい世界が、いっぺんに崩れ落ちて
ゆくのではないでしょうか。現実の共産主義国は、理想のように甘くはないのです。たとえ、日本
が共産主義国になっても、やはり、ソ連や中国と同じように、指導者層の権力の行使による圧制政
治でなければ、一党独裁の政治は行えません。
日本の現在の政治も間違いだらけだと思います。しかし、個人の言論の自由や行動の自由を縛ら
ぬという、最大の長所は残っています。それにくらべて、共産主義国は、他にいくつもの長所はあ
りましょうが、最大の長所である個人の自由を極端に縛ってしまっているという、大欠点があるの
です。
ですから心ある人々は、個人の言論や行動の自由を縛らずに、今日よりももっと長所の多い政治
を行って貰える内閣を、日本につくってゆく運動をすることが必要だと思うのです。日本の現在の
政府は、戦時中の政府や、共産主義国の政治のように、個人の自由を縛ってはいませんが、その反
面、国民が自由奔放になり過ぎ、政府に自分勝手な要求はするが、自分たちは、国家のことを考え
ようともしない、権利は行使するが、義務は果さない、という人々を多くつくってしまっていま
す。
国家がなんの統一権も持たぬ、個人個人の自由気ままな国、というのが現在の日本です。国家に
は多くの国民のためになることをしてもらいたい、しかし、自分たちの税金はなるべく少く、払わ
ないで済めばなおよい、ぐらいの考えの人がたくさんいるのです。
国のために何ができるか考えよう
日本の国というのは、何も内閣のものでも政府のものでもありません。国民全体のものです。国
民のものである国家を、まるで政府のもっている国家というように勘違いして、なんでもかんでも
政府のせいにして、自分たちは真剣に国家のことを考えてはいないで、自分たちの生活の安泰だけ231武
力
を
超
え
る
力
を考えている、というのが今日の日本国民の大半の姿です。
国家をあまり思っていない愛していない、という証左のように、近頃の日本国民は、国旗に関心
を示さなくなり、国歌をもただの歌として聞いてしまっている傾向があります。米国などでは、国
旗掲揚の時には、皆立止まって、じっと威儀を正して立っています。それだけ国旗を尊重してい
る、つまり国家を想っているのです。なんともいえず心が厳粛になる瞬間です。
昔の日本はそうでありましたが、これが上から押しつけられたものだったので、敗戦と同時にそ
の裏が出て、国旗や国歌に対する無関心な態度になってしまったのです。しかし、それは心の底か
らのものではないので、またやがては昔と違った意味で、自然なる心の姿として、国旗や国歌に敬
意と愛情をもつようになると思います。
日本は今、新しい日本として立ち上がろうとしています。その生みの苦しみが、思想的に右に左
こんとん
に或いは享楽主義に、混沌たる様相を示していますが、日本の天命である大調和達成のための道を
国民等しく歩み出す時が、やがてはくるのであります。
武力と思想謀略という二つの力を超える力を、まず日本が持つようになるでしょう。それは真の
宗教の力であり、神の力と直通した大調和科学の力なのです。こうした神の力がこの世に直接現わ232
れてこない限り、
カルて
二つの業の力によって、この地球界の運命は最後の日を迎えることになります。
武力をこえた力
なんだ、こんなところで神の力などといわれてはがっかりする、という宗教者もいると思いま
す。その人は真実の神の働きをしらないからなのであります。現在の日本は武力において諸外国に
劣り、思想謀略という点ではまるっきり力を持たぬ国です。その日本に残された力は一体なんでし
ょう。神の力を導き出す、大調和精神、真実平和を希求する精神より他になんの力もありません。
日本の天命である平和への道は、大宇宙の調和の法則にのっとる道です。思想謀略を武力で叩い
て平和を導き出すという、米国式の平和論でもなければ、世界を共産主義独裁にして、平和にす
ごうしよう
る、という道でもありません。そのような、相対的な力関係の平和論ではなく、この業生の力関係
の世界を、神のみ心の大調和の波動の中で浄化しつくして、今日迄の地球人類という小さな考えで
ひら
なく、大宇宙の中の地球人として、新しい世界を展いてゆくことになるのです。
今日のままの武力と思想謀略の二つの力でこの世界が平和になると思える人は、まだないと思い
ます。ないと思いながら、他に方法がないので、ずるずるとひきずられてしまっているのです。真233武
力
を
超
え
る
力
実地球世界を平和にしたい、自分たちも心安らかな日々を送りたいと思うのなら、武力や思想謀略
にんこ
の力を断乎退けて、大調和そのものである神の力を、この地球界に導き出さなければなりません。
神の力をこの世に導き出す唯一の方法は、心の底から世界の平和を希求し、自己の心も平和一念
で、日常生活を送ってゆく、という態度です。やたらに政府の悪口や、様々な不平不満ばかりいっ
ていて、自分はなんら平和に貢献しない、という態度では、自らが地球界の平和の波を乱す一員と
なっているということになります。
この宇宙も、宇宙の一員である地球も、宇宙神の大調和のみ心によって、つくり出されているも
のですし、人類はまた神の分生命として、この世に存在している者です。ですから人類が真実平和
になり幸福になり得るためには、まず、神の分生命としての本心である、神のみ心と一つになって
ゆくことが第一なのであります。
武力と思想謀略の二つの上に、神の大調和の力を置かぬ以上は、この人類に未来はなくなりま
す。地球滅亡は、予言者の予定の通りになってゆきます。地球人類を救う唯一の道は、多くの人々
が、神のみ心の地に降り給うことを切望する祈り心より他ないのです。他に方法があると思う人
は、その方法をやってごらんなさい。神の力をいただかない平和運動などは、必ず一方の力にかた
234
よった運動になってしまいます。
この世を救うのは、やはり力です。力のないところに救いはありません。その力は、武力でも思
想の力でもなく、神の大調和の力なのです。いいかえれば、人類の本心の平和を現わそうとする、
意志の力なのです。平和を希求する意志の力を極度に発揮した時、そこには、人類の平和をつくり
上げるに必要な、大調和科学も、平和を目指す政治力も、自ずと生れてくるのであります。
何故ならば、人間は神の子であり、神は人類生みの親であり、愛と調和に充ちた完全なる存在者
であるからです。今日ほど神の力の必要な時はありません。そのことを神のみ心はすでにご存知で
あって、救世の大光明という、人類救済の光明波動を地球界に送って寄こしているのです。その光
明波動の中からは、今日までの地球科学のように、人類を破滅させるような破壊の力を伴わない、
調和にのみ向ってゆく、そうした力をのみ出し得る、新しい科学が生れてくるのであります。もう
すでに生れかかっているのです。
私たちは、こうした神の救世の大光明波動を身心にうけて、世界平和の祈りというものを打ち立
てて、日々瞬々刻々、「世界人類が平和でありますように」という祈り言を、人類の合言葉とし
て、祈りつづけているのであります。235武
力
を
超
え
る
力
よそ
神々は、人類の完全平和を願っておられます。その神々のみ心を外にして、なんで武力や思想謀326
略で自国を守らなければならぬのでしょう。すべては、神の存在を知らぬ、神のみ心の愛なること
を知らぬ、無智から起こる、恐怖心のさせる業なのです。私どもは神の大愛のみ心をよく知ってお
ります。ですから神のみ心を真直ぐ信じて、世界平和の祈り一念の生活をしているのです。
「世界人類は平和であれ」という神のみ心を受けて、私どもは「世界人類が平和でありますよう
に」と祈っているのでありまして、ここに神我一体の大調和の場が生れ出ているのです。
ヵルマ
皆さんもどうぞ、業の力である、武力や思想の力に踊らされずに、神のみ心である、平和の祈り
の道をひたむきにお進み下さい。世界平和の祈りの明けくれが、やがて人類の悪業を消滅させ、地
球世界完全平和の道を切り開いてゆくことになるのであります。
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