ようとしていたのです。そこで両派が合体してイエスを言葉のわなにかけようとするわけです。 イエスが多くの民衆に支持されている人でなければ、なんとか理屈をつけて、縛ってしまうこともできるのですが、イエスには常に多くの民衆がついてまわっていますので、うかつに事を運ぶわけにはまいりません。民衆もかばうことのできぬような、為政者に対する不敬な態度や、反政府的な状態を、そこに現出させなければ、イエスをとらえることはむずかしいのです。 みつぎょ 「貢をカイザルに納むるは可きか、悪しきか」などという愚かな言葉のわなをかけたところで、 T
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