霊光写真
の
体験記集
内容紹介
霊光写真体験記集
/
霊光写真とはいかなるものか
霊光写真の光明波動科学的に確認さる
てへ▽ .-
白光真宏会出版本部編
人間と真実の生き方
わけみたまこうしょうしゅこれいしゅこしん
人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって
守られているものである。
かこせ
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、
その運命と現われて消えてゆく時に起る姿てある。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのである
という強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなか
ゆるゆるまことゆる
にあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をな
しつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の
祈りを祈りつづけてゆけは、個人も人類も真の救いを体得出来るものてある。
1
霊光写真について2
元理事長横関実
この写真は、市川市在住の島田重光氏が、同氏の家の門の前に、何気なく立っていらした五井先
生を写したもので、肉体は見えず光体だけが写っている。見る人によると、円光の中に先生の姿が
見えたり、神仏またはキリストなどの姿が見えたりする、といって信徒の方々がお守り札にしてい
かをうつしたとする場合、
鏡の中に人物や景色があるわけではなく、
るものである。
心霊研究が進むにつれ、霊媒のエクトプラズムによる心霊写真
が数多く紹介され、科学界に奇異の感じを与えているが、この写
真はそれらとはまた意味が違っている。
写真はレンズを通して、光の波を乾板に作用させて、その明暗
の差をとらえ、形に現わすものである。今、鏡を持ってきて、何
物体の光波が鏡に反射して、あたかもそこに物体があるように見えるが、
光波のみが存在するだけなのである。しかし物体と鏡と
の間にある光波は肉眼では視ることが出来ない。テレビジョン、ラジオなどもこれと同じ理で、途
中に存在する電波はわれわれの感覚にはふれないが、放送中は充満しているわけである。
感覚には触れないけれど、人間は各人各様の光波を絶えず出しているものなのである。
五井先生のような霊覚者は神の愛、仏の慈悲そのもののような強力な霊波をつねに放射されてい
るのであって、肉体より霊波のほうが強力な場合、その霊波が乾板やフィルムに作用して、一見不
可解なる影像を写し出すのである。近来、光学の進歩著しく、レンズ、フイルムなどの感度が非常
に鋭敏になった結果、われわれの肉眼に見えない極小の微生物などから、望遠鏡でも捕捉しがたい
天体の星に至るまで、写真は鮮明に映し出しているのである。
太陽が輝いている時、星の光は肉眼に見えないように、霊光が強力な時に、肉体の波動が霊光に
おおわれて写らなくとも、不思議ではないのである。
これを宗教的に見るならば、五井先生を通じて、つねに人類を救い給う神のお働き、観世音菩薩、
大日如来が衆生済度のためにお姿を客観化されたものと拝せられるのである。それだからこそ、ご
守護のためにお守り札として、この霊光写真を持っている人の病気が治ったり、災難をのがれたり、
運が開いたり、また他の人を救うなどの奇蹟が現われるのである。
3
目次
霊光写真について横関実
体験記集
大いなる功徳「霊光写真って凄いね」と五井先生佐久間筆八7
癌の痛み消え去る小松代浩三さんの体験9
霊光写真の功徳と妙好人蛭坂全恵さんの体験15
救って頂いた両眼失明の危機北原千鶴19
おばあちゃんの信仰、孫娘を救う本田のりさんの体験25
感謝は光桜井啓司28
医者を驚かせた奇蹟バイクで車と激突中田藤一3
小さなお写真だがこんなにも素晴しい周田薫37
一命とりとめる宝珍朋子45
素晴しき哉お守り塚本清子50
神わざの救い飛行機の墜落事故にあって住田千鶴53
身代りになった霊光写真板野笙子57
ああ! 谷底に落ちる…… 林田孝60
2
4
自動車事故で命拾いあなたの体は不思議だ、とドクター
高圧線に触れた… … 佐々木テル子69
事故死まぬがれる浜田すみ71
お医者もビックリ… … 宝珍朋子73
この身で知ったこ守護山本渥己76
霊光写真とお産富沢トミ78
立派な? 事故久留タカ80
ぜんそくが治る高橋玲子82
タクシーに飛ばされ… … 清水たか84
夢の中で長男の事故を消して頂く矢沢惟資子86
車は大破したが、かすり傷なく… … 鈴木千代松8
安心と積極性を得る遠藤枝美子89
安らかな往生藤本富美90
み光の奇蹟! 小川育子92
霊光写真の功徳野口常雄94
不思議なことばかり伊藤なかさんの体験96
灰の中から出て来たお守りとお金西田政男さんの体験98
古井戸の奇蹟斉藤秀雄さんの体験㎜
本田一馬64
5
異常な便秘たちまち解消種吉長吉皿
身代りになって下さった霊光写真楠三恵子
大難小難と化す下村亮子脳
禍転じて福となる大橋タカ鵬
暴風にたえた林檎の木伊藤イク鵬
お守りさんありがとう㎜
霊光写真から五井先生m
父の信仰愛児を癒せりm
研究会霊光写真とはいかなるものか
103
ゲスト
伊藤顕
斉藤秀雄
霊光写真の光明波動科学的に確認さる
論文
五井昌久先生
島田重光
中川正二
村田正雄金子一子高橋英雄山崎
横関実佐久間筆八西沢道允
茂
113
光明波動により地球の業波動を対消滅させる
サイ実験系の開発(抜粋)
122
瀬戸明鵬
6
大いなる功徳
1 「霊光写真って凄いね」と五井先生
佐久間筆八
長岡支部の中村さんという方が、癌で苦しんでおられ、お医者さんにも見放され、退院して自宅
に帰っておられました。奥さんがこの会に入って一年くらいの方ですが、非常に信仰深く、なんと
かご主人に人間は肉体だけではなく、永遠の生命として生きつづけておるものだ、ということを知
ってもらいたいと思い、それとなくお話して下さる講師の方に是非来ていただきたい、ということ
を、支部長の金山さんに頼まれ、金山さんから私に電話がありました。
いろいろとスケジュールもあるので私もすぐには伺えず、五日後の一月十四日に参ります、と約
束しました。
翌十二日に、ご主人の容態が急変して救急車で八時に病院へ運ばれ、意識不明になり十一時に亡
くなられました。
その亡くなるまでの間に、奥さんと金山さんがすばらしい功徳をなさったのです。と申しますの7
大
い
な
る
功
徳
は、お医者さんも看護婦さんも玉の汗を流して手厚く看護して下さって、その間中、奥さんがご主
人の右手に霊光写真を握らせ、「五井先生、五井先生」と絶叫された。それを見て金山さんも感激
し、自分の持っておった霊光写真をご主人の左の手に握らして、二人でご主人の両手を握って一生
懸命「五井先生、五井先生」と連呼なさったそうです。
前に金山さんが、五井先生にお電話して中村さんのことをお伺いしまして奥さんも覚悟していら
っしゃいました。
そういうことでしたので、私が五井先生にその様子をご報告申し上げました。
「いい所へ行きましたね」とおっしゃって「どれどれ」と更に霊視なさいました。
「ハハア、霊光写真って凄いね」とおっしゃるんです。
中村さんが奥さんと金山さんのお導きで非常にいい世界へ移行された、ということでありました。
霊光写真は五井先生の分身でございますから、すばらしいことはわかっておりますが、それに加
えて、奥さんと金山さんが、「五井先生」ということで祈りつづけ、非常にお導きをしたこと
と思います。中村さんはまだ奥さんほど五井先生に対する信仰は厚くはなかったんですが、こうい
うことで中村さんとしては行けないところまでの霊性の開発がされ、非常に高い世界にいかれたの
。
てす。
8
こういう話を聞いて、ああすばらしいなと思いました。本人が自覚して一生懸命やらなくとも、
はたの方が霊光写真を身につけさせ、必死に「五井先生五井先生」とやったことで伝導体になった
んでしょう。霊光写真のいろいろの体験談は聞いており、すばらしいことだと思っておりましたけ
れど、こういうお話を聞き、ますます実感を深めました。白光四+九年七月号掲載
癌の痛み消え去る
ー小松代浩三さんの体験-
癌を病む人にとって、その痛みは耐えられないひどさでありましょう。又それ以上に辛いのが、
その痛み苦しみを見て、どうすることも出来ない、まわりの家族の人々でありましょう。モルヒネ
の効果も一時的なもので、時間がたてば地獄の苦しみであります。この痛みだけでもとれれば:・・:
病人も看護の者も救われるんだが、と思うことでしょう。外国ではあまり苦しむので、見るに見か
ねて、安楽死をさせた、ということが裁判ざたになりましたが、病人や看護する者にとっては、法
9癌の痛み消え去る
律で律せない、切実な問題でありましょう。
たまたま、浦和市に住む小松代浩三さんが霊光写真とお祈りによって、その痛みをとってあげた、
という体験を三つ持っていらっしゃって、病人の家族の方々から大変感謝されているというお話を
ききましたので、浦和地区の座談会の席場でその体験を聞かせて頂きました。
癌の病人の痛みが治るなんていうことは、万人に一人という程の奇蹟的なことであって、事情を
知らぬお医者もとても不思議がっておられたそうです。小松代さんは「私は奇蹟だなどと思わない。
当り前のことだと思ってますよ。他の人々はなかなか納得してくれませんが、有難いことだと思っ
ています」とたんたんとして話して下さいました。
以下、小松代さんのお話ですが… …
「三十数年、私の親しく付き合っている山下金之助という男なのですが、この三月末に精密検査
をした結果、非常に悪性な胃癌だとわかった。胃ばかりでなく、肝臓もその他にも伝播してまして、
表面にまで出ているような状態でした。こんな病状では治療や切開どころじゃない。もう来月一杯
もたないだろう、という宣告を受けたのですね。それで驚いて家族の者が私の所に知らせに来た。
私も驚いて病院に馳けつけました所が、すっかり弱っていて、時々腹をさして、痛い痛いという
ん。てすね。
10
山下君には、前に市川に五井先生とおっしゃる方がおられるから、教えをきいてみないか、とい
ったんだが、禅の大家だからきかなかった。病院にかけつけて、私は、持っておった霊光写真を出
し、『これを枕の下でもいい、ふとんの下でもいいから入れて下さい。奥さん、これは有難い写真
ですから、必ず痛みがとれますよ。これこれこういうお祈りの言葉ですから、どうか奥さんも折を
見て、時間があったら何回でもいいからお祈りしてあげて下さい。と同時に、私が代って一緒に真
剣になってお祈りしているから』と世界平和の祈りを教えて帰って来たんです。
翌朝、病院へ電話をかけたのです。そしたら、奥さんが『小松代さん、驚きました。あれ程痛ん
でいたのが、夜中から全然痛みがなくなりました』というんです。
『そうでしょう。そうなることを私は信じてお上げしたんだから、それに間違いない。これから
も痛みませんよ』と申上げたのです。それから一週間ぐらい入院しておったんですが、全然痛まな
い。それで本人も治ったと思ったのですね。退院することになった。
医者は、痛みが止まり、元気になるということは、一万人に一人しかない奇蹟だ。というんです。
退院して家でお亡くなりになったほうがいいでしょう、という話で一週間で退院したんですよ。
その後元気で食欲も出て来た、ということで、お互いにいろいろな話をして、オレはもう一遍立
直るんだ、アアソウダソウダと話をして、四月一杯で死ぬといわれていたのが、七月まで生き延び11癌
の
痛
み
消
え
去
る
ました。その間一遍も痛まない。そして大往生していきました。奥さんも大変喜んで、お棺の中に
霊光写真を一緒に入れていました」
小松代さんは七十才を越えたとは思えぬお元気さで、なお印刷会社社長として第一線で活躍して
いらっしゃいます。
一体、小松代さんにこんなにも確信と力をもたらしたものは何んでしょう。
「全託する、ということ程素晴しいものはありませんね。今年(昭38年) の初め、死ぬ程の苦し
みをしたんです。その時、絶体絶命にせまられてでしたが、五井先生お託せします! と全託した
時、私は本当に救われた。これで今もこうして生かさせてもらってますが、一日一日が有難いんで
すね。本当は死んでいたかも知れない。それをこうして生かして頂いているので、一日一日をおま
けしてもらっているような、得をしているようなもんなんですよ。本当に一日一日が有難い。
全託したおかげで、私は本当に安心立命しました。死というものが一つもこわくない。何もかも
有難いんですよ。私は今会社を経営していますが、明日にも不渡手形をくって、急につぶれるよう
なことがあるかも知れない。しかし、私には一つも恐怖心がわかない。消えてゆく姿だ、これで過
去の業が消えていったんだ、有難うございます。五井先生!というわけなんですよ。これも全託の
おかげです。明日も今日も思い煩うことがない」12
すでに全託の行が自己のものとなっている小松代さんの言葉に、五井先生と消えてゆく姿で世界
平和の祈りの教えの偉大さをしみじみ感じ、と同時に小松代さんの真実の言葉を尊くきかせて頂き
ました。
小松代さんの奥さんもご立派な方で、お孫さんが脳性小児麻痺だとわかった時におとりになった
態度は、実にご立派.てした。
五井先生五井先生とお呼びしつづけて来たのに、こういう子供が生れてしまったのはどういうわ
け、と神も仏もないと泣きくずれる娘さんと共に泣きながら、「もしこのお産であなたが死んだり、
この子が死んで産れたとしたらどうだった? 或いはもっと悪いことが起っていたかも知れないの
よ。大きな難事を小さな事にして、消して下さったのですよ。なげいてみてもしようがない、それ
よりもママは心を明るくして、この子を立派に育てることがママの使命ですよ」とこんこんと説か
れたのでした。小松代夫人の不動の信仰が、娘さんの心を立ち直らせたのす。
その後このお孫さんは、東京板橋のそういう病気のお子さんばかりを預かって、体の訓練をして
いる所にお預けしているそうですが、小松代さんは、このお孫さんを菩薩と思って祈っていらっし
ゃるそうです。
「この孫のおかげで、私の祈り方も変って来ました。この孫の天命ばかり.てなく、孫と同じよう13癌
の
痛
み
消
え
去
る
な病気の子供さんや大人達の天命が完うされますように、と祈っています。ですから、孫を通して、
五井先生のお光がそういう方達へ行っていると私は信じています。孫がそういうお役目をしている
のですね」
とおっしゃっていました。小松代夫人は、五井先生とは古くからつながっておられ、お体が弱か
ったのですが、五井先生からお手紙を頂いて、体が治ってしまった、という体験をお持ちで、その
お手紙を宝物のようにとってあるそうです。
さて、小松代さんの霊光写真とお祈りで、癌の痛みを取除いてあげた体験をもう一つお伝えしま
しょ・つ。
「うちの工場の職長の姉さんで、七十才ですが、千葉医大に行って切開して、胃癌ということが
わかった。これも切り取るだけの軽症でない為、そのまま縫合してしまった。そして横浜で治療し
ておった。けれどもどうも痛むっていうんですね。
職長は実の姉弟だから、見舞いに行って、痛がっているのを見るに耐えられない。だから、お見
舞いにもいけないんだ、というんです。そうか、それじゃ、私が痛みを必ず止まるようにお祈りし
てあげるから、この写真(霊光写真)を持っていって、姉さんの床の下に敷きなさい。といって渡
してやったんですね。本人が社長が痛みが止るというから、って渡して、床の下に敷いたそうです。14
そして帰って来た。うちではひきつづきお祈りしております。
その次の日躍日に『君、お見舞いに行って来なさい。痛みが止っているから』と云って見舞いに
行かせた。やっぱり驚いて帰って来た。痛みは止まった、家族の者が非常に安心している、という
ことを聞いて、私も嬉しかった。職長も非常に喜んでいました。そしてお見舞いに行くたびに、痛
みを訴えられない為に、非常に感謝しております。
この教えは非常に有難いんだ、ということを話しますけれど、社員でもお前入れ、と強制しない。
本人が自発的に求めるなら別ですけどね。しかし、工場では、事務室に先生のお写真をかけて感謝
させています」白光三+九年一月号掲載
霊光写真の功徳と妙好人
蛭坂全恵さんの体験
15霊光写真の功徳と妙好人
世界平和の祈りのすばらしさ、霊光写真のお守りのこと、こういう体験は多くの方々が何回もし
ていますが、先日新宿区の蛭坂全恵さんは身近かに見せられて、ますますその自信を深められたそ
うです。
五月二十八日おひる少し前ごろ、自宅で入浴していた蛭坂さんがフッとみると、前の松月堂製パ
ン工場から2、3屏の焔がたてよこにもうもうとでているんです。「五井先生、松月堂さんが火事
です。お願いします!」と市川の五井先生のところまで届けとばかり夢中で叫びました。そして裸
のままそれこそ命がけで柏手を打ち、心の底から「世界人類が平和でありますように」と祈りまし
た。その間何秒という間でしたが、目をあけてみると焔がまあるくなって蛭坂さんの方から遠のい
ていっているんです。(ああ、これは大丈夫かも知れない、ヤレヤレ)と落着き、急いで湯上りタ
オルを巻いて「お姉さんの工場が今火事ですからお祈りして下さいネ」と法友の岡西さんに電話し、
田沢さん始め祈りのグループの方々にも知らせるとみんなかけつけてきて、世界平和の祈りを祈り
つづけたそう。てす。出火した工場にはボイラー室があり、プロパン、重油も使っているのでそれに
火がついて爆発したらそれこそ大変ですので、消防自動車が23台と機動隊も動員されて、近所の子
供たちを避難させる騒ぎでした。火は三時間燃えつづき鉄筋三階建の工場一千平方屏は全焼し、翌
日の暁け方までくすぶりつづけていました。その現場の様子はテレビにも新聞にも報道されました
が、幸い近所には一軒も類焼せず、あれだけの火勢なのに風一つ起らず火の粉一つ降らなかったこ
16
と、火が爆発物をよけて三階のビルを抜けて天を焦がすようにまっすぐ昇っていったことは、まさ
に奇蹟というよりほかないとみんなが不思議がったそう.てす。
蛭坂さんは、道一つへだててボイラi室が目の前にあるので、イザ火事でもおきたら大変だから
なんとか安全にしてくれるよう頼んだり、区役所にも何遍も交渉したけれど、なかなか実現せず何
年か経っていました。
「火が納ってから田沢さんが『今度松月堂さんが建築する時には爆発物の置いてある所に霊光写
真を入れるといいわネ』とおっしゃるんで、私はああそうだと思いだしたんですが、三、四年前の
ことですがいろいろ交渉しても駄目でしたので、(五井先生お願いいたします。世界人類が平和で
ありますように私たちの天命が完うされますように)とお祈りしながら危険物の置いてある周りの
土を掘って霊光写真とお塩を一つまみ、何ケ所かに入れました。また梯子をかけて屋根にも霊光写
真を置きました。
そのことをすっかり忘れていたんですが、田沢さんにいわれて思い出し、ああそうだ、霊光写真
がお守り下さったんだ、と気がつきました。世界平和のお祈りを唱えたらすぐ火が丸くなって遠の
いていったこと、霊光写真のおまもり、祈りの同志のお祈りの心強さ、そういうことを目の前に見
せていただき、本当にびっくりするほどの有難い体験をさせていただきました。
17霊光写真の功徳と妙好人
一昨日、松月堂の社長さんがみえられましたので、霊光写真のこと、消えてゆく姿で平和の祈り
の真理のことをお話しいたしましたら、よく聞いて下さいました」
と、もし爆発物に点火していたら一町四方が吹っとんでしまったかも知れなかった、と蛭坂さん
は心から感謝していました。
あとで岡西さんのお姉さんの近藤さん(松月堂社長母堂)が田沢さんを訪ねてしみじみと話した
そうですが、今まで仲良く付き合っていた近所の人、面倒までみていたような人までが、出火を恨
み火事見舞一ついうどころか庭木が焦げたから弁償してくれといってきたり、四面楚歌の中で一番
被害をうける立場だった蛭坂さんが早速に見舞にきて何くれとなく面倒をみてくれた。そして焼け
出されたので十四人の店員に貸し蒲団を着せていたら早速蛭坂さんは丹精してしまってあったお蒲
団を惜し気もなく十五枚も下さった。有難いことです。「普通の世間の付き合いではそうされても
当然かもしれませんが、世界人類が平和でありますようにとお祈りしている私たちは愛の世界のお
つきあいなんですよ」という田沢さんの言葉に近藤さんは涙をこぼしたそうです。
蛭坂さんは「当り前のことをしたまでで恥ずかしいですよ、そんなこといわれたら。もらってい
ただいて嬉しくて。五井先生のお陰ですよ」とサラリといっていました。白光四+六年八月号掲載
18
救って頂いた両眼失明の危機
北原千鶴
何の電話かしら?
日曜日を除いて毎朝ご本部の九時のお祈りを中心に、私の家でテープを聞きながら五、六名の少
人数ですが、ささやかながら、楽しく和やかにそして真剣なお祈りをさせて頂いておりますが、そ
の中のお一人の橋本さんという方を見るたびに、「変られたなあ」としみじみ思います。そして、
守護の神霊様、五井先生のお働きの素晴しさに感謝申し上げずにおれなくなります。
昨年の十月上旬の頃と思います。夜九時近く橋本さんからの電話がありました。その夜は、高校
生も交えてのお祈りが終ろうとしていた時でした。何かあったのかしらと思いながら受話機を手に
致しますと、柳川から何十キ。も離れた熊本県の玉名市からでした。橋本さんの妹さん宅からとのこ
とで更に驚きましたが、その妹さんのお嬢さんが、クラブの合宿で一昼夜以上もコンタクトレンズ
19救って頂いた両眼失明の危機
をはめていたことに気付き、取りはずしたところ、レンズに両眼共瞳の表皮がピッタリくっついて
いたため、大変な激痛となって、どうすることもできず、学校の近くの眼科医院で手当てを受け、
家に送られたけれど激痛はとまらず、二時半頃から苦しんでいるとの連絡を受け、夕方からご夫婦
で馳けつけられたとのこと。妹さんのご主人は、出張中で留守なので、唯、苦しさに転げ回ってい
る様子を見ながら失明するのではないかという不安な気持が強くなって、お祈りしていても落ち着
かないので一緒にお祈りして下さいとのことでした。
私は、本当に大変なことだ、守護霊様守護神様、五井先生お願い致しますと心中お祈りしながら、
ご本部におうかがい申し上げようと思いました。が、その前に、支部長の有馬さんにおたずねして
見ようと思い、さっそくお電話致しました。有馬さんは、私から事情を聞かれて、「大丈夫ですよ、
霊光写真を眼に当てて、しっかりお祈りをなさったら」と、大変落ち着いたお声でおっしゃって下
さいました。そのお声に、私も、ホッとした思いで、「その方は、まだ会員てもなく、ご本人とは
会ってもいないのですが、ご本部にお願いしてもよろしいでしょうか」と続けておたずね致しまし
たら、「必ず当直の先生がいて下さる筈ですから、お電話なさっていいと思いますよ」とのことで
した。時計は、九時を回っていたと思います。
zo
夜の本部へ緊急電話
さっそくご本部へお電話申しましたところ、清水先生のお声が伝わって参りました。ことの次弟
をお話申しますと、先生も、以前、鉄粉が、眼に入って大変お苦しみになったことがおありとかで、
「本当に苦しいと思いますよ、私にもよくわかります。でも、それによって、大きなものを消して
頂いていらっしゃるのだから守護の神霊、五井先生にしっかりお祈りなさったらいいですね」とお
っしゃってすぐにお浄めをして下さいました。そのお浄めは、私が、受話機の前で、玉名の嬢ちゃ
んの天命の完うされますようにお祈りさして頂きながら、お受けして、そのままお浄めのひびきを
お伝えさして頂いたわけで、生まれてはじめての体験でした。
お浄めが終ると、清水先生が、「大丈夫と思いますよ。霊光写真をお持ちでしたら落ちないよう
に両眼に当てて、一生懸命にお祈りをなさるように」とのことでしたので、すぐに、玉名に電話を
入れて、そのことをお伝え致しました。幸いにも橋本さんご夫婦が、一枚宛持っていらしたので、
さっそくそのようにしますとのことでした。その夜は、目を覚ます度にお祈りさして頂きながら、
朝を迎え七時近く玉名からお電話を頂きました。
受話機を手にするより早く、「こんなに不思議な事があるでしょうか。有難くてく」と、後は、
21救って頂いた両眼失明の危機
胸が一杯で声も出ないようでした。私も胸がつまって「よかったですね、本当に有難いことですね」
と、繰り返すばかりでした。
あとで、よく聞いてみますと、清水先生からいわれたように、転げ回るのを三人で押さえながら、
両眼にガーゼを当て(手をそばに近よせることも出来ないくらいだったそうです)その上に霊光写
真をおいて、ありあわせのリバテープで落ちないようにとめて、ガーゼで包帯をし終ったのが、十
時五分だったそうです。「痛いよう」「痛いよう」と泣き続けるのを、「泣きながらでもいい、『五井
先生』と言いなさい。『守護霊様お願いします』と、言いなさい」と叱りつけながらも、三人共々
泣きながら必死の思いで、「五井先生、五井先生」と、唱え続けられたそうです。
22
癒しのはじまり
お嬢さんも、「痛いよう、五井先生、痛いよう五井先生」を泣きながら繰り返していたそうです
が、いつの間にか、その声が小さく細くなり、途切れ途切れになり、静かになってしまったそうで
す。よく見ると、気持よく眠り始めたそうです。橋本さん達は、「眠るということは、痛みがなく
なったことだよね」といいながら、八時間近くも続いた激痛が(お医者様は、二、三日は痛みます
といっていらしたそうです)僅か十五分位で(その時が十時二十分だったそうです)拭きとったよ
うによくなるとは、夢にも思えない、本当に考えられないような不思議なことを目の前に見せて頂
いて「時間おきの薬も呑ませることはないよ。ソーッとしておこう」と話しながら、十一時頃から
橋本さん夫婦は柳川へ帰っていらしたそうです。
翌朝六時迄一度も痛むことなく眠り続け、目覚めてからは起きて歩いても、手でさわっても痛ま
ず洗面も楽に出来て、本当にこんなに有難く不思議なことってあるでしょうか、と云うより外に何
といってよいのかわかりません、とおっしゃったのも無理ないことと思いました。早速、玉名の方
からも、私も、この様子を清水先生にご報告申し上げたのでございます。
その朝九時に病院に行かれるようになっておりましたそヶて、清水先生から電話によるお浄めを
いただいて後、病院へ行かれたそうですが、病院の先生も、看護婦さんも、患者さん達もまたその
話を聞かれた通院の方々が、余りにも早い回復力に、驚いたり心配されたりして大変だったそうで
す。お医者様は、九分通り両眼失明を心配しておられたそうです。「瞳孔がベラくになっていた
のに、殆どよくなっている、もう大丈夫だ」と、おっしゃるかたわら「不思議だく」としきりに
首をかしげていらしたそうです。視力も以前よりよくなったとのことで、学校や、近所の方が見舞
いに見えて皆驚かれたそうです。
近所の方には、昨夜のことをお話されたそうで、皆さんが、「本当に不思議なことですね。そん
23救って頂いた両眼失明の危機
なに有難いことがあるのですね」と驚いておられたそうです。学校も一日休んだだけで、あとは平
常通り通学できて、五井先生の偉大なお力、平和の祈りの有難さに心から感謝されて、お祈りを続
けておられます。
24
変られた橋本さん
橋本さんは、このことがあって以来、ご主人共々にご縁ある方々に、折にふれては、五井先生の
平和の祈りをお伝えになり、その時のお話をされ、リーフレットや、白光誌、霊光写真等をさし上
げられては、お祈りして下さる方が、一人でも多くなりますことを楽しみながら努力しておられま
す。
橋本さんを始めお祈りをなさる方々の殆どが、一度も五井先生にお目にかかったことのない方で、
お写真をとおして、また先生方のお話やテープを聞かれて、五井先生を、心の中に描いていらっし
ゃるのですけど、このことがあって以来、霊光写真が五井先生だという思いを強くされたようで、
いつ
ご自分だけでなく、縁ある方に五井先生をお伝えする時、何時、どこでもお見せしてお話しできる
ように、またさし上げられるように、と、二枚、三枚とお持ちになる方が増えてまいりました。
昨年の今頃の橋本さんは、精神的にも、肉体的にも次々に現われてくる消えてゆく姿に悩み苦し
まれて生気のない感じで、私共周囲の者が、お祈りの度に、元気づけ励まして上げずにおれないく
らいでしたけど、今では、身近に現われてくるすべてを、消えてゆく姿として、明るく、有難く戴
き直すように努力されて、一歩一歩しあわせなご家庭をお築きになっておられます。
この方をはじめ、それぞれの方々が、縁にふれ折にふれて蒔いて下さる平和の祈りの種が、いつ
の日か時を得て、芽をふき出すことを信じ、その日の一日も早いことをお祈りさせて頂きながら、
橋本さんご夫婦に代りまして、お祈りと、霊光写真を通しての、五井先生のお働きの素晴しさ、有
難さを体験させて頂きましたことをご報告申し上げます。守護霊様守護神様、五井先生ありがとう
ございます。白光五+二年九月号掲載
おばあちゃんの信仰、孫娘を救う
ll 本田のりさんの体験i
25おばあちゃんの信仰、孫娘を救う
幼稚園生の菜穂子ちゃんは、小さい時からおばあちゃんに連れられて伺う五井先生が大好きでし
た。
二月二十五日の日曜日の朝「どうしても五井先生へ行くの」といって本部につれてきてもらい、
おばあちゃんと並んでキチンと膝をそろえてお浄めをしていただきました。
「今日はおばあちゃん泊っていってね」明日はお山だから帰らなければ、と思っていた本多のり
さんは、あまり孫娘が頼むので、その晩、鎌ケ谷の娘の家に泊ることにしました。
楽しい賑やかな夕食のテーブルを囲んだ時、どうしたわけか菜穂子ちゃんは、自分のプラスチッ
クの箸を折り曲げるようにいたずらをしていました。ポツンと折れた箸の切っ先が、アッと思う間
に菜穂子ちゃんの右目にズキリと突きささったのです。
アッと覗きこむと、右目の黒目が真二つに割れている。おばあちゃんは夢中でハンドバックから
ご霊紙を取り出し、両手で孫の目の上に当てて「五井先生、お願いします、お願いします」と必死
で祈りました。「痛いよう、痛いよう」と泣く孫を抱いて、一心不乱でした。
両親は方々の医者に手配しましたが、日曜でみんな留守。それでは東京まで車で、と自動車を頼
おまもり
みました。真赤に充血し、はれあがった菜穂子ちゃんの目の上に、手さぐりで霊光写真を取り出し
て、お父さんもお母さんも「五井先生、五井先生」と祈りつづけました。
やっとの想いで浅草千束の眼医者さんに着いて、ベットに横たわった菜穂子ちゃんは、痛みがな26
くなったのか、静かでした。お母さんはおそるおそるお医者さんの肩ごしに見て驚きました。二つ
ヘへ
に割れていた黒目が、ピタッとくっついてしまっています。そしてはれもひいています。こんな不
思議なことがあるかしら? 何回覗きこんでもなんともないのです。
「もう少しで眸にとどくところでしたが、よかったですね。一週間ぐらい通ってくれば大丈夫で
すよ」
と眼医者さんはいいました。
その翌日のお山(聖ケ丘) の統一会から帰宅したおばあちゃんに電話で、前夜の奇蹟が伝えられ
ました。本部でこの奇蹟を話す本多のりさんの右目が赤く充血していました。
「前夜は私の右目がギリギリえぐるように痛かったんですよ。でも孫のかわりに私が少しでも痛
みを取ってやれればと思いまして、一所懸命お祈りしていました。有難いですね。ホントに」
菜穂子ちゃんは痛まないので涙もでず、薬も注射もよく効いて、ずいぶん強いお嬢さんですね、
とお医者さんに不思議がられたそうです。
四日ほどしておばあちゃんの目も、菜穂子ちゃんの目もすっかり治ってしまいました。
去年の夏、菜穂子ちゃんの妹の弘子ちゃんが、競馬帰りの疾走する自動車の列に、ヒョイと飛び
出し、おばあちゃんが「五井先生!」と叫んで、ようやくだき止めました。とたんにキイッと車は
27おばあちゃんの信仰、孫娘を救う
急停車、タイヤとすれすれのところでした。
おばあちゃんの信仰が二回、孫娘の危難を救ったわけです。
本多さんは五井先生につながって十年。それこそ十年一日のように世界平和の祈りを祈りつづけ
て、夏の暑い日も、真冬の早朝も、聖ケ丘のこ法話を伺うことが、何より有難いことと聖ケ丘に通
いました。そして、リーフレットや、PR のチラシを配りつづけています。白光四士二年九月号掲載
感謝は光
桜井啓司
母、入院す
母が突然入院したという知らせを受けたのは、七月も終り夏もたけなわの時だった。翌日役所を
休んで法友のSさんの自動車で宇都宮の病院に駆けつけてみると、母は意外に元気で食欲も旺盛と
のことだったので、一応安心して精密検査の結果を待つことにした。
ところが私が第一回富士山青年部錬成会から帰宅してみると、すぐ帰省せよとの電報が来ていた。
電話を入れてみると、母は胃癌で明日手術をする、症状は手術するのに時機が早いほうではない、
ということであった。母の年令は六十五才、多少の懸念がない、といっては嘘である。瞬間的に胸
の詰るような感情がこみ上げて来たが「五井先生、お願い致します」とすぐ祈りに入った。余韻は
残ったが気持がスーッと落着いた。
母は一度だけ聖ケ丘の統一会に出席したことがあり、私は帰省する度に五井先生のお話をし「白
光」をあげていたので、多少は五井先生のことは知っていたけれども、まだ信に到る心境にはなっ
ていなかった。
翌日早く妻と共に病院に行くと、父の兄弟達が母のベッドを囲んでいた。暗い心配する想念がそ
の場の雰囲気に満ちているのがはっきりとわかった。手術室にはこばれる前「五井先生にたのんで
おいたから絶対に大丈夫。生命は五井先生が必ず守って下さる」と母の耳もとで勇気づけた。たし
かに皆の不安をよそに、私と妻の心の中には、絶対に大丈夫という確信がふつふつと湧いていたの
。
てあった。
そしてこれはその意味が後で判明したのであるが「三日後、三日後」という、言葉にはならない29感
謝
は
光
けれども力強い響が、報せをうけた時から私の心の中でひびいていたのであった。長い手術を待つ
間、私達は「母の天命が完うされますように」と祈りつつ、皆に世界平和の祈りの話をした。する
と五井先生のお光が通ったのであろうか、心配げな顔がだんだん明るい顔になり、今まで神様のこ
となど口に出したことがなかった弟までが「神様の救いがあればきっと助かる」と言い出し、笑い
声も出るようになったのである。
手術が終って医者が見せてくれた切取った胃には、大小二つの癌が山のようになっていた。医者
の話では「決して早くはないが、散っていないことがまだしもの幸いだった。もう一寸遅れていた
ら危かった」ということだった。
母に付添って看病中、ベッドの四隅に霊光写真を入れ、診察にくる医師と看護婦さんの守護霊様
に「よろしくお願いします」とたのみ、「済正会病院の天命が完うされますように」と祈り、五井
先生の御写真を前に母親の天命を祈りつづけた。そしてその祈りはいつしか「五井先生ありがとう
ございます」になっていたのであった。
夜も大分更け、あたりは寝しずまり、起きているのは椅子にかけて母の様子を見ている私ひとり
であった。突然ある恐怖感が私をとらえた。するとえたいの知れない圧迫感が背後からのしかかる
ように襲いかかって来た。その力は私の肉体をギューギューと締めつけ、椅子におさえつけようと30
しているようであった。息は止まり、体は今にも二つに折れそうになり、私はもう少しで椅子から
落ちそうになった。その時、暗やみの中に引きこまれそうになった意識の奥底で、「五井先生工i
ッ」と思わず叫んだ。すると無意識的に「イエーイッ」という無声の気合が腹中よりほとばしり出
た。その瞬間、襲って来たものはサーッとまるで潮の引くように消え去り、後には何事も無かった
ように静かに母の様子を見ている自分を見出したのであった。
天界の同志の応援?
そしてこの看病を通して、有難い体験をさせて頂いたのである。それは母が最も苦しんでいる時
であった。祈り続けている私のまぶたの裏に、サーッと強い光が上方よりさしこんで来た。すると
急にお二人とも会員で、共に胃癌で亡くなられた田中さん(この方には聖ケ丘道場増築の奉仕作業
中、いろいろお世話戴いた)と冨永さん(亡くなる前、少しばかり看病したことがある方)に対す
る感謝の想いが胸中温れんばかりに湧いてきて、感動で体がふるえ、涙がとめどもなく流れ出た。
「あッ、これはお二人が天界から、この一番苦しい時に光を送って応援をして下さっているに相違
ない。あ\なんて祈りの同志とは有難いものよ」と私はあらためて平和の祈りにつながらせて頂い
た幸せを神に感謝したのであった。
31感謝は光
鼻口より胃に通した管が一番辛いらしく、母は幾度となく出ないタンを吐き出そうと、その度に
私と付添人が母のおなかをおさえることが一晩中続いた。
そして手術して三日目、医師が今日管を取りはずしましょうねと言ってくれた。そして夕方管は
外された。これを機に以後母は大分楽になり、元気を回復して来たのであった。
この時始めて、前に響いた三日後というのはこのことであったのかと了解したのである。
32
霊光写真の威力現わる
その後、個室から大部屋にベッドが移されたが、見舞に行く度に私は霊光写真を手に持ち、五井
先生を念じつつ、体をたんねんにさすってあげた。すると母は大分楽になるらしく、「気分が良い
よ」と言いながら、今までハシをほとんどつけずにおいた食事を食べ出すのだった。
霊光写真でさすると急に母の顔色が良くなるので、同室の人達も驚いている様子だった。そして
このことを機会に母は霊光写真を身につけるようになったのである。本を読むのが疲れるというの
で「新しい朝」の高橋編集長の体験談を読んであげたところ、いちいちうなつくように聞いていた
母は、あらためて五井先生の偉大さを実感したらしく「五井先生というお方は、偉いんだナi」と
しみじみ語るのであった。
今では大分体調も回復し、家で療養生活をしているが、母方の系統では何人かがすでに胃癌で亡
くなっていて、本来ならなかったであろう生命を、五井先生のお力によって救って頂いたのであり、
母も先月私の夢の中で「私は五井先生に生命を救われた。これからは少しでも五井先生のお役に立
つ仕事をさせて頂きます」と言ってきたのである。
五井先生は”この世で最大の恩人は母親である”とおっしゃっておられるが、その母親を霊肉共
にお救い頂いた感謝は、言葉に表わしようがなく、平和の祈りの実践とその普及にまい進すること
で、この大恩の一部にでも報いさせて頂きたいと心に誓っております。
また母親の天命を共に祈って下さった法友の方々に満腔の感謝を捧げる次第です。
白光五十二年四月号掲載
医者を驚かせた奇蹟
バイクで車と激突
中田藤一
33医者を驚かせた奇蹟
深夜の電話
34
午後十一時過ぎでした。玄関先に在る電話が鳴り響いたのです。
寝入りばなでしたが、ハッとした予感で床を飛び出して、受話器を手にしたのです。
「北海道新聞社ですが、あなたのところの高校生の、中田晴裕君の晴裕という字はどういう字体で
すか」というのです。瞬間、何かやったな、警察沙汰かなと、一挙に不安感でハッとしたのですが、
とも角、字体の説明をし、事の次第を聞くことの恐ろしさに一瞬とまどってるうちに電話は切れて
しまいました。
すぐに長男夫婦の方へ問いあわそうとダイヤルに指がかかったのですが、待て、むこうが私達の
ほうに知らせるのを躊躇する程のことかも知れない。それをこちらから暴く思いをさせてはと思い、
寝床に引返した途端、再び電話が鳴るのです。
てっきり長男の方からだと思って受話器をとりますと「毎日新聞ですが」と、先程の道新と同じ
問合せです。今度は「晴裕が何をしでかしたのですか」と伺いますと、晴裕が今日午後九時頃、バ
イクでタクシーと激突し、重傷で生命も危い状態であること、病院へ収容されたこと、事故の責任
は相手のタクシーの側にあること等を話されたのであります。聞き終えた私は全く 然として、立
辣んでしまいました。
長男のところへ電話するとちょうど長男が病院から帰って来たばかりで、病院からすぐ知らせよ
うと思ったが、夜も遅く心配かけてはと思い、明朝電話するつもりだったとのことです。本人の状
況を尋ねますと、首の骨が折れていて、顎もやられ、歯も大部痛んでいる。おまけに硝子の破片が
両腕に数個所喰い込んでいる。ヘルメットも遠くへ飛ばされていたが、幸い病院が近かったので応
急措置だけはすみやかにとれたが、生命の方はなんともわからぬとのことです。
私は再び床に就きましたが、とても眠りに入る状況でありません。しかし今さら私がどんなに心
配したところでどうなるものでもありません。そうだ晴裕には晴裕の天命があるのだ。神様、晴裕
の天命を完うさせてください。晴裕をお守りくださる守護霊守護神さん一切おまかせ致します。と
祈り、この災難もみんな消えてゆく為に現われた姿だと観じながら、お念仏と世界平和の祈りを口
ずさんでいる中に眠りに入ってしまいました。
病院にて
翌日朝餉も早々に済まし、家内と二人で病院へ。病院は三階の個室で、ドアを押して入ると晴裕
の母が目を潤まし、ベッドに寄り添うようにして本人を見守っております。晴裕の顔色は蒼白く首
35医者を驚かせた奇蹟
筋から肩へ砂袋を塾壕のように積み重ね、首廻りを固く囲い、喉一帯には纐帯が部厚く巻かれて、
顎は曲り、歯茎から血が滲み、痛みの苦しさから顔をゆがめるその表情は見るも耐え得ない形相で
あります。
大変な事になったと思った途端、全く無意識の中に私は内懐から、去年の五月、聖ケ丘で戴いた
霊光写真を取り出して、そのまま晴裕の首筋の下へ押し入れたのです。さらに本人の顔から頭部へ
手騎して瞑目して祈りました。柏手をうってハッと目覚めたような気がしたのです。
医師の診断では命はとりとめたようだが、快方に向っても最低六ヵ月位は入院生活が必要で、あ
とは経過次第だと嫁が私に伝えるのです。
晴裕のその後の経過は、全く奇蹟そのもののような回復ぶりでありました。北海道の学校は八月
十九日から二学期が始まります。その新学期から登校することを医師から許可されたのです(往復
車で病院から)。首筋には繍帯をしておりますが、当初予定したギブスもする必要なく、首の骨折
もスンナリと納まり、脳神経専門の医師も後遺症の兆候も見当らずとの診断の結果なのです。病院
の院長先生も「こんなに早く総ての怪我人が癒くなるのであれば医者は苦労せんがな」と語られた
ということです。
この件で多くの知人から御見舞を賜りましたので、その方々に御礼申し上げに嫁が参上致して、
36
晴裕の登校の次第を報告いたしますと、全部の方が口を揃えて学校へ通えるなどとは信じられない
ことだ、とただ驚いているそう.てす。
嫁は私に語るのです。おじいさんが初めて病院へ来られた時、晴裕の首筋の下へ霊光写真を入れ
られて、手を騎したときに、おじいさんの両手からスーッと光のようなものが晴裕の首筋の方へ流
れて行くのが見えた。その時から嫁は晴裕は絶対に癒ると確信したというのです。私は前述の如く、
何も意識はしていないのです。五井先生は、「霊光写真は私の分身です」と話されたと、今回小樽
集会にご出講された清水先生が私に伝えてくださいました。五井先生有難うございます。
白光五十一年三月号掲載
小さなお写真だがこんなにも素晴しい
周田薫
37小さなお写真だがこんなにも素晴しい
団地にひっこす
38
五井先生有難うございます。先生のみ光りは広大無辺で、私達は先生の大きみ光に抱かれて本当
に幸せでございます。
私達は先生にご縁を得たことを無上の喜びとすると共に、先生のみ教えに導かれて生きることに
心からの安心が持てるようになりました。次の事は私が最近体験致しましたのでございますが、先
生のみ光が如何に偉大であり、有難いものであるかを如実に現わすものであり、余りの御力に何か
呆然と致した程でございます。乱文ではありますがご判読戴ければ幸いであります。
私達一家は公団住宅に入ろうと申込みを行っておったのですが、なかなかその時期が参りませず、
同じような手続きを繰り返しておりましたが、ようやく二十七回目に入居を許可されることになり
ました。柏市の曲豆四季団地でありますが、落選回数が多い為に無抽籔で入居させて戴いたのであり
ます。待望の団地住宅は間取、設備、環境等申分ない上に、通勤距離も大分短縮されました。何よ
りの喜びはご本部や聖ケ丘に近くなったことでございます。これも一重に守護の神霊のご加護があ
り、五井先生の御力があったればこそと思い、大変有難いと思っております。このようにして待ち
望んだ団地入居も叶い、私達は本当に充実した有難い毎日を送らせて戴けるようになりました。
入居して早速、入り口の扉や室内の目につきやすい白壁に「平和の祈り」のポスターを貼りつけ
て平和一色にしようとしたのでありますが、離れの間(次男の部屋にしてある)だけは次男からの
申出でもあり、貼ることを差控えました。と申しますのは「友達が遊びに来た時、あっちこっちに
あんなポスターべたべた貼ってあったんでは格好が悪いや、僕の部屋だけは貼らないでよ」という
ことで、無理強いもどうかと思い、差控えたのであります。
ボク幽霊をみたんだ
こうして平穏な日が続いておったのでありますが、一月位たった或る日、次男が妻に「母ちゃん、
矢張りあのボスタi僕の部屋に貼ってよ」と申します。妻が不審に思って問い質しますと、次のよ
うな答え。てありました。
「僕、幽霊見たんだ。夜中に目を覚ますと僕の足元に立ってたんだよ、僕とっても怖かった。だ
からあの五井先生のポスター早く貼って貰いたいんだ」と申します。先日はべたべた貼ったら格好
が悪いといっておきながら、今度は貼ってくれといいます。余程のショックだったのでございまし
こわ
よう。次男は血気盛りの十九才で「僕は夜中にどんな暗い所歩いたって怖かないけど、部屋の中で
ヘへゆ
夜中、目覚ますのとっても嫌なんだ」と姉に話したそうです。またその幽霊はまげを結っており、39小
さ
な
お
写
真
だ
が
こ
ん
な
に
も
素
晴
し
い
若い綺麗な人で、青い着物を着ておったそうです。それも一度ならず、二度三度と見たのでは怖く
なるのが当然ではないでしょうか。
しかし私はこの話を妻から聞いた時、何の動揺も起こりませんでした。(もっとも自分で見たの
でなく現実感がなかったからでしょうが)ああ迷っている女の人が浄めを求めているんではなかろ
うか、次男を通じて私達の前に現われたんではなかろうか、と思い平和の祈りを祈りながら、早速、
次男の机上壁に祈りのポスターを貼りつけました。
その後、妻がご本部に伺った際斉藤先生にこの話しを致しました処、やはり「女人の想念の現れ
だから浄めてあげなさい。次男の前に現われるのは、次男に縁があるからで、浄めを望んでいるの
だから、五井先生のこ霊光写真を霊の出ると思われる辺りの壁に貼りなさい。もしそれでも現われ
るようならば、その現われる部分の部屋を写真に写して、五井先生にお浄めをして戴きなさい」と
申されました。妻から斉藤先生のお話を伺いましたが、その後は次男から幽霊の話も聞かず、至極
平穏な日が続くままに、ご霊光写真を貼ることも忘れて一ヶ月余りは経過致しました。
その後、妻は風邪を引いたようでもないのに咳をし始めました。しかし別に寝込む程のことでも
ないままに、元気に立働いておりましたが、十二月九日の昼から悪寒がするからといって寝込み、
終日食事らしい食事もとりませんでした。40
夜九時頃咳込んで激しく吐潟、食事はとっておりませんでしたので、水気ばかりでしたが、検温
すると多少熱があるようでした。その夜は肩腰の節々が痛むといって一睡もしなかったそうです。
翌日妻の写真を持ってご本部に伺い、五井先生のお浄めを戴きました。先生は写真をご覧になりな
がら「腎臓が悪いですね、肩のあたりをさすって上げなさい。大丈夫ですよ」と申されました。先
生のお言葉に私は安心して帰宅、妻にその由を話しましたら安堵したようでありますが、依然とし
ヘヘへ
て元気は出て参りませず、今晩は目まいがするとか腹が突っ張るとか申します。私が平和の祈りを
祈りながら肩をさすってやったり致しますが、夜食もほんの僅かしか口にせず、やはりその夜も寝
つかれぬままに朝を迎えました。
その朝、私は勤めもあることでありますので、定時に出勤致しましたが、妻は身体が余りにも重
苦しい為に、近所の医師の診断を仰いだのであります。医師は一ヶ月余りも咳が出ておったのに、
診察も受けに来なかったのを不審に思いながら診てくれましたが、種々の検査の結果、やはり五井
先生の申されたように腎臓が悪いとのことにて「貴女の病気は一寸、注射した位い.て治るようなも
のじゃない、暫く薬を続けなさい」といったそうです。医院から家迄二〇〇屏位の道のりを、妻は
あえぎながら帰るとまた床に臥しました。
41小さなお写真だがこんなにも素晴しい
霊光写真を部屋にはったら
42
私は帰宅して、臥しておる妻の肩等を祈りながらさすってやっておりましたが、妻が次男の部屋
にご霊光写真を貼って欲しいというので、数日前にご本部から戴いて来ておったお写真を次男の部
屋の白壁に貼りにかかりました。お写真を貼り、柏手を二回、そして更に平和の祈りを祈りながら
続けざまにパチパチと打ち続けました。妻も何時の間にか起き上って来ていたのでしょう。私の祈
りに和すように、平和の祈りを祈っておったのですが、私が思いがけず手を打ち鳴らし始めたので
「気がふれたのではないかと思った」と申しておりましたが、本当にそのように何思わんと手を打
ち続けたのですが、この祈りが終ると、妻は「目まいしなくなった」といって身仕度すると台所仕
事にとりかかりました。
私のその時の気持を端的に表現しますと”不思議だなあi”という気持で何か呆然とするものが
ございました。二昼夜も身体の置き場もないような重苦しい長い時間、眠る事も出来なかった妻が、
ご霊光写真を貼ったとたんに起き上って、平和の祈りを祈り、そして食事の仕度を始めたのでござ
います。
“五井先生のみ光は素晴しい
“とまた改めて先生の偉大さに、心から有難いなあと思いました。
「
五井先生有難う御座います。
ご霊光写真の素晴しさは、斉藤先生初め諸先生方からお伺いしてはおりますが、このように、私
の目の前でこのような実証がなされ、本当に五井先生は素晴しい、五井先生から流れるみ光りは、
どんな災害をも浄められるのは当然であると思いました。
妻の気分の悪くなった頃から次男も頭が痛いといっておりましたが、ご霊光写真を貼ってから、
次男もすっかり治ったようです。思いますに斉藤先生から「ご霊光写真を貼りなさい」といわれた
のに、そのまま貼ることを延引しておった為に、妻に幽界からの迷いの想念が参ったのではないで
しょうか。私達は五井先生につながり、平和の祈りを祈ることを喜びとして、ひたすら祈り一念に
ともしび
生きておりますので、幽界の側から見ますと一縷の灯として見たのではないでしょうか。私達勿
論まだまだ精進浅く、人を救う等到底思いも及ぱぬことではありますが、私達に通じることによっ
て、きっと五井先生に導かれることが出来るのではなかろうか、救って戴けるのではなかろうかと
思ったのではないでしょうか。
その後、部屋に次男を座らせて写真をとり、五井先生のお浄めを戴きました。先生に幽霊の現わ
れることをお話しして、お浄めを戴いたのでありますが、先生は暫くその写真をご覧になり、力強
い気合いをかけられると「もう出ませんよ」とおっしゃって下さいました。
43小さなお写真だがこんなにも素晴しい
五井先生のみ光はこのように素晴しいのです。私達は先生のお傍近くにあって、先生のこ慈愛に
甘えている形でありますが、先生のこ慈愛におこたえする為にも、この平和の祈りの浸透に努力さ
せて戴きたいと存じます。
世界の平和を達成する為に障害となっている業生の渦、誤った想念の層を突き破る為には、私達
同志の結集した平和の祈りが必要であると存じます。私達は五井先生の素晴しいエネルギーを使わ
せて戴いて、この想念の厚い層を切開いて行きたいと存じます。私達はいわば土木工事人です。土
砂よりも、もっと頑強な誤った想念の層に、光のエッセンスを振り込みましょう。無尽蔵に流れる
五井先生からのエネルギーを最大限に発揮する為に、私達は平和の祈りを祈り続けて行きたいと存
じます。
(後記)
医師からあんなに重いといわれ、二晩も寝られなかった妻がご霊光写真を貼ったその時から元気
になり、翌日は電車でMデパート迄買物に出掛けられる程になりました。次男も部屋のお浄めを五
井先生にして戴いてからというもの、何等それらしい現象を見ないそうで、元気に勉強にいそしん
でおります。
僅か三センチ四方位の小さい霊光写真ではありますが、如何に素晴しいお力のあるものであるか44
を、まざまざと見せられて、今更ながら五井先生の御徳に感嘆している次第でございます。
白光四十年三月号掲載
一命とりとめる
宝珍朋子
偉大なるかなお祈り
この春、霊光写真により大難をゼロにさせていただき、誠に有難く、ご縁のある皆様に霊光写真
をおあげいたし、そのすばらしさを話させていただいておりましたが、このたび、霊光写真とお祈
りのお力で、私、一命をとりとめさせていただきました。何とお礼申し上げて良いかわかりません。
厚く厚くお礼申し上げます。
実は、十月十四日、京都道場(当日はご都合で然林房ホテル)にて研修会を受講させていただき、
伊藤先生より、五井先生の偉大さ、すばらしさを賜りました。そして今、現在、お祈りがいかに大
45一命とりとめる
切かをわからせていただき、先生よりお祈りによる宿題と、たくさんのお光りをいただいて、この
まま帰るのがおしいくらいのすばらしい一日でした。
さて帰りましてから、お祈りの宿題はどうしようと思っておりましたところ、私にはお祈りの預
金が全くないことに気付きまして、一日五百回お祈りさせていただこうと決め、毎日とにかく五百
回お祈りさせていただきました。ところがいろんな相談を受け、そのたびに五井先生のお写真の前
で、その方の天命が完うされますよう祈っておりますと、不思議なくらい良くなります。いままで
にも、お祈りによる偉大さは数々体験させていただいておりましたが、こんどはそのきき方がとて
も早く、その祈りの偉大なお力にびっくりいたしておりました。
46
一酸化炭素中毒になる
ところが十月二十六旦佼よりひどい寒気がいたし、二十七日朝からそのまま寝込んでしまい、ア
ンカを二つ入れてもまだ寒いので、主人がコンロに消炭を入れヤカンをのせて、私がいつでもお湯
をのめるようにと、枕もとへ置いて下さりコ を閉めて、玄関のカギをかけていくから、ゆっくり
休むように」といって祝儀のお花を生けに出かけました。
私はつらいので、テープで統一を一時間受け、その後法話をいただきながら、「つらいけど五井
先生が守って下さるから大丈夫」と思いながら眠ってしまいました。そしてそのまま知らぬまに一
酸化炭素中毒になり意識不明になってしまったのです。
自分の意識のないまま、その中でお祈りだけ一生懸命祈っておりました。誰一人いない静かな高
い所で、いまま.てになく気持よく、心静かに静かに一心に祈っております。自分でもこんなにすば
らしいお祈りは初めてだと思って祈っておりました。
どれぐらい過ぎたでしょうか。どこか遠くの方から主人が話かけております。しかし私は、もう
ろうとしてわかりません。祈りだけはずっと続いております。しばらくすると口の中に冷たいドリ
ンクが一滴一滴入って「ああドリンクだなあ」と思ったのですが、又意識がなくなり、しばらくす
ると今度は、ゴクンゴクンと入って初めて意識がもどると同時に、いままで見えなかった私の肉体
に帯状の光明が入ったのです。
「ああ、これが生命、いのちなのだ!」と思った瞬間手足が動き、「ああ生かされているのだ、
ありがたい。命以外は全部欲だ! 五井先生、守護霊様、守護神様ありがとうございます」と、大
粒の涙がポトポトと落ちました。窓のカーテンがゆらりゆらり動いて、「ああ生きている。生かさ
れている」と思わず風さんにもお礼をいいました。
さて、それから、炭と畳とお盆のこげた悪臭がぷんぷん。いやな臭いで吐気がいたし心臓は破裂
47一命とりとめる
する位に高鳴り、髪の毛が一本一本立つくらいの頭痛になり、生き地獄です。何はともあれ、横関
先生にお浄めをいただきましたら、心臓がとても楽になり、そして先生は「五井先生、守護霊様、
守護神様におまかせして、しっかりお祈りして!」と力強いお言葉をくださり、それからというも
の私は統一とお祈りを続けました。
あとで主人が申しますのには、主人が用事をすませて、ついでにもう一件用事をしてから帰ろう
と思ったのですが、何やら胸さわぎしてすぐ帰り、十一時半頃、家のかぎを開けたとたんにプーン
といやな臭い、あわてて室に入ると、私がふとんから飛び出し、両手を広げ目を白黒させて、ひき
つけのようになってつらいくと言っていたそうです。すぐにコンロを外に出したら、お盆の台を
通して畳が真黒になっていたので、すぐに水をかけたとの事です。もう少し帰りが遅かったら火事
になり、私も一緒に意識のないまま燃えていたかも知れないと聞かされ、事故の重大さにびっくり
いたし、大きな業を消していただくと同時に、再度大難を小難にさせていただき、五井先生、守護
霊様、守護神様のご加護があったなればこそとお礼の言葉もございません。そして伊藤先生にお祈
りの宿題をいただいたお陰で五百回お祈りができ、その調子で意識がなくなっても一生県命お祈り
ができたのだと痛感いたし、お祈りのすばらしさをあらためて深く強くいただきました。厚くお礼
申し上げます。その後さらに心臓がつらければ心臓にもう一枚、痛い頭のひたいに一枚とお守りを
48
いただき統一とお祈りをさせて頂き、生命の尊さ不思議さをつくづくと感じました。
生かされる喜びの日々
その夜、注射一本打っていただいただけで二十八日には横関先生に三回お浄めを、二十九日には
二回といただき、日に日に良くなり、十一月二日初めて外出することが。てき、いままでと違って生
かされている喜びがいっぱいで、何を見てもお礼がいいたいくらいでした。なんといっても、横関
先生がいつでもすぐにおられ、どんなことがあっても気軽にやさしくお浄めをいただけることは本
当に有難く、どんなに心強いかわかりません。又、そのお浄めのすばらしいことは、その都度いろ
いろといただいております。厚くお礼申し上げます。こうして五井先生をはじめ皆々さまのおかげ
をいただき、守られて生かしていただいている喜びでいっぱい.てございます。
その後、中毒による恐しい後遺症もなく、元気にさせていただき、霊光写真とお祈りのすばらし
さを身をもって体験させていただき、ありがたくてなりません。十一月十一日京都道場にて第二回
目の研修会を無事受講させていただき、有難くなににも代えがたい喜びでいっぱいでございます。
白光四十九年二月号掲載
49一命とりとめる
素晴しき哉お守り
50
塚本清子
息子に出た不思議
つい最近、八月一日のことでした。うちの息子がエアコンの取付けで、ヘルパーとして会社から
派遣され、江東区の出張所から毎日違う電気屋さんへ行っておりました。機械科を出ましたが、実
地のほうはあまりしていませんで、いろいろの面で大変勉強になったそうです。
三ヶ月の期間中に百台位、一旦二台はクーラーをつけて歩き、八月の三日でその出張期日も終る
という一日の夜のことです。息子はその日のあったことを帰ってから一通り毎晩話さないと気が済
まないらしく、私もお嫁さんをもらうまでは聞き役になってやらなきゃと思い、眠くなると遅い時
は床の中へ入って待っておりました。
その日も遅く、どこかへ泊ってくるなら電話すればいいのにと思っていましたら、十二時過ぎた
ころ息子が駈けこんで帰ってきて「お母さん、今日とっても大変なことがあったよ」「どうしたの」
ということ。て、聞き始めましたら、私も驚いて起き上ってしまいました。
道路が混んでいる時なので、車間距離を相当とって走っていたら、後から居眠り運転していたの
かどうかガーンと追突され、その勢いで前の車ヘドサンとぶつかり、息子の乗っていた車がちょう
ど真中ではさみ打ちの形になりました。
エアコンの取り付けにゆく途中でしたので、鉄の大きな梯子のようなものを積んで、それが助手
席に乗っていた息子の頭の上にもろに倒れかかりました。幸い頭の後にカi枕がついていましたの
で、それがグシャグシャに潰れ息子はなんともなかったそうです。もしあの枕がなかったら息子は
頭蓋骨を骨折して、今ごろ帰れるどころじゃなかった、本当に五井先生のお陰と感謝いたしており
ました。
三台の車ともドアが開かず、ガラスがメチャメチャに壊れ、息子はガラスの破片を一杯かぶって
いるのに、手にすり傷をちょっとしたくらいでなんともない。急いで車を降りて後の車をみたら中
で運転手さんが呆然としているんです。車はグシャグシャになっているのに全然怪我はなく、三台
の車に乗っていた四人とも無事で、調べに当った人も本当に不思議だといったそうです。
三ヶ月の間、いろいろと危いこともあったそうですが、息子はいつも出掛ける時、霊光写真をポ
51素晴しき哉お守り
ケットの中やら、免許証の中、財布の中、ズボンの中へとたくさん持って、一緒に仕事する方たち
に差し上げているそうです。この間も相棒の方がマンションの高い所から落ち、途中で電信柱にひ
っかかったのでけががなく助かったそうです。息子もとっさに手を広げちゃったら狭い下町ですの
ひさし
で、両方から出ていた庇にひっかかり、宙吊りになっていたところを助けていただいたそうです。
息子は小さい時弱くて弱くて、長い間ご飯を食べなかったり、昔、五井先生が個人指導して下さ
いました時頂戴するキャラメルしか食べない時がありました。体を使うことを全然しないのでか細
く、何か体を鍛えていただくことないかな、と思っていましたら、この三ヶ月間でみっちり鍛えて
いただき、毎日七、八十キロのエアコンを持ち上げているので、とても腕っぷしが強くなり、ポパ
イみたいに筋肉隆々としてきたので、落ちかかって、パっと腕を開いて庇に止まるなんてことがで
きたそうです。
52
今更に知る有難さ
「無事こうして三ケ月間やらせていただけたのも五井先生のお陰で、本当に有難い。僕は会社へ
帰ったら、たくさん霊光写真を皆さんに差し上げるよ」と申しております。
初めは、ああ事故で遅くなったの、なんて聞いていましたが、話を聞いているうちにびっくりし
さ
て目がすっかり覚めてしまい、一時間くらい話しこんでしまいました。どなたがけがをしてもいい
気持がいたしませんのに、ちょうど助手席には前の車にも後の車にも乗っていず、息子の頭に当る
ところを、後についている枕のお陰で無事で、二、三日は指がチクチクするからガラスが入ってい
るのかと思っていたそうですが、なんともなく、今更ながら五井先生はすごいねえと感謝申し上げ
ております。
こういう素晴しいお守りをいただいているんですから、皆さんもどうぞ、白光のみ教えのわから
ない方にもまず、「こういう有難いお守りがございますから、どうぞお持ちになって下さい」とお
知り合いの方に差し上げて、そこからまたみ教えのお話をしたりすれば、世界平和の祈りを祈る方
が一人でも増えてゆくことと存じます。白光四+八年+月号掲載
神わざの救、
㌧
飛行機の墜落事故にあって
住田千鶴
53神わざの救い
今、想い出しても、ついこの間のような気がしますが、昨年の十一月二十九日にソ連で日航機の
墜落事故がありまして、もう一年が過ぎてしまいました。多くの日本人の犠牲者が出まして、ご遺
族の方々のことを想いますと本当にお気の毒で、なんとも申上げようもございません。
ちょうどあの日、私の長男がモスクワで公用をすませて帰国のためこの飛行機に乗っておりまし
たが、奇蹟的に命が助かり現在では後遺症もなく、二度のお勤めをさせていただいておりますこと
は、全く五井先生のお陰とただただ感謝でいっぱいでございます。長男は仕事の関係上外国へ行き
ますことも多く、その都度、五井先生にお願いします、といって霊光写真も必ず身につけて出かけ
ますのが常でございました。
羽田空港から担架ですぐ病院へ運ばれましたが、墜落しました時のことをボツボツ話しておりま
すのを聞いておりますと、搭乗の前にソ連の空港で買物をいたしまして、その時、なにか落ちたな、
ああ霊光写真、と気がついて拾いあげ、ポケットに入れ飛行機に乗りましたそうでございます。
離陸直後の突発的な事故で飛行場の一番はしで墜落いたしましたそうですが、落ちる時の状態と
いい、飛行機から脱出する時のたやすかったことなど、すべて息子の席のあたりが一番よい条件で
あったよう。てございます。
落ちた直後、機首は切れてすぐ炎上したので、胴体のほうもすぐ爆発する。一刻も早く脱出しな
54
ければと、フッと気がつきましたらすぐ目の前が割れているので容易に出られ、あたり一面の雪原
に倒れておりましたら救援隊が担架を持って駈けつけて毛布にくるみ、助け上げられたそうでござ
います。あとで、その間が自分の今までの人生.て一番長かったと申しておりました。
.
事故だ、と気がつきました時も少しも動揺することがございませず、ちょうどフンワリと光に包
まれたようにスムーズに脱出できた、と申しておりました。事故のショックで脊髄軟骨が陥没した
ので牽引固定し、肺炎を併発いたしましたので、ソ連の病院にニケ月入院し、一番最後の便で帰国
いたしてまいりました。すべてが五井先生のお陰、霊光写真のお守り、お導きでございます。この
ような大きな事故からのがれさせていただけましたことは、人間わざではどうにもできず、すべて
は神さまのおはからいごとと信じております。
霊光写真のお守りによって、自動車事故から命を助けていただいたり、その他いろいろと奇蹟の
お話は白光誌で拝見しておりましたが、このたび私は身をもって体験させていただき、しみじみ霊
光写真の有難さを一層わからせていただきました。
あの日、飛行機事故と電話で知らされ、しかし長男は幸い生存者の中にいるということを聞きま
して、とっさに(五井先生、有難うございます)と思わずでまして(ああこれ。ていいんだ)と思い
ました。夢中だったせいか割合落ちついていまして、子供は守られている、という気持が強く、動
55神わざの救い
揺いたしませんでしたのは本当に不思議に存じます。
日数が経ってから考えてみまして、よくあの時落ちついていられたものだ、いくら生きていると
いっても、もし事故で下半身が麻痺してしまったら大変なことですのに、そういう心配が少しも頭
に浮かんでこずに、ただ五井先生ありがとうございました、だけで、それからは引きつづき電話や
来客で忙しく、考えるひまもございませんでした。翌日、内輪のお茶事はするひまがないので取り
よばな
止めにいたしましたが、十二月一日の夜咄し茶事の催しは、そうそうお招きしたお客さまにご迷惑
をかけてはと思い「よく落着いてできるわね」といわれながらさせていただきました。
五井先生のところに伺わせていただき、お陰さまでこんなに幸せに、いま何も悩みがございませ
ん。子供たちのこと。てあれこれ悩み、夜眠れないということございませんでした。なにか起ったら、
もっと大きなことが起るのを小さくして下さっているのですから、ちっとも心配することございま
せん。なにかに当面した場合、五井先生、世界人類が平和でありますように、とお祈りできますこ
とは本当に有難いことでございます。
長男は日頃忙しい忙しいで過ぎておりましたのが、はからずもこういう事故で入院し、ついでに
とあらゆる検査をしていただき、年齢的にいろいろ体の故障が出る年齢でしたでしょうに、公けに
半年も休養させていただき、現在船員局長として二度のお勤めをハリキッてさせていただいており
56
ます。
皆さまにお出迎えいただいて病室にはこびこまれました時、長男は「僕お守りで助かったんです
よ」と申しておりました。私もここぞとばかり「外国へいらっしゃる時は是非霊光写真を身につけ
るのがよろしいですよ」とお話しいたしました。
五井先生につながっていらっしゃらない方も是非霊光写真をお持ちになることをおすすめします。
五井先生にお守りいただいていると同じでございますから。白光四+八年+二月号掲載
身代りになった霊光写真
板野笙子
一昨年の秋(大学二年生の時) のことでした。上野まで人を迎えに行くために午後六時半頃家を
出て少し歩いて行った時、自転車に相乗りをした二人の若い男が、私とすれ違う時に、ライトをパ
ッと私の方に向けて、胸をドンとたたきました。イヤな人達だなと思っただけで、そのまま通り過
57身代りになった霊光写真
ぎ、数歩行ってふと人の気配にふり返ると、さっきの二人のうちの一人らしい男が、私を追って走
って来ているのです。とっさに、身の危険を感じて、全速力で走りながら、大声で母を呼んで逃げ、
幸いにもその男は、あきらめて、引き返して逃げてしまいました。夕方といっても、まだ薄明りの
残っている頃でしたが、人通りの少い道で、当時女性のカバンを奪う「ひったくり」とか痴漢が出
るという噂もありましたので、全くイヤな気持ちでしたが、被害がなかったのは不幸中の幸いだっ
たと、その時は思っておりました。
ところが、その晩気がついてみますと、いつも、肌身はなさず持っている霊光写真がないのです。
いくら探しても見つからず、「やっぱり、それで今日は、あんなイヤな事があったのだ」と思って
しまいました。翌日から当座のまにあわせにと、母の霊光写真を貸してもらって通学しておりまし
た。
そうして、二週間たった或る朝、勝手口の家人の出入りの一番多い所の地面に、私の霊光写真が、
置いてあったのです。昨夜降った雨のために湿っている地面に、全然、ぬれも汚れもしていない、
あのお写真の袋(布で袋を作って中に入れてあります)が見つかったのです。その時は、ただ、そ
のような所にあろうはずのない所に、少しも変わらずに在ったということが神秘的としか言いよう
がなく、ただ驚くばかりでした。何日か後で、斉藤先生にお聞きしましたところ、それは、先日の58
痴漢に襲われかかったのを、五井先生が守って下さったのだと教えていただき、ああそうだったの
かと改めて、感動いたしました。それ以来、霊光写真に対する愛着心が一段と増したのは言うまで
もありません。
そして、この春、例の袋が汚れてまいりましたので新しく作り変える際、何の気なしに、お写真
を見ましたところ、四年前入れた時は確かに、白い光だけだったものが、その裏側に五井先生のお
顔(おヒゲなども今より濃い、若い先生のようでした)が写っているので、母の等とくらべてみた
りして、さかんに不思議がっておりましたが本部で講師の先生に申し上げたところ、あの霊光写真
というのは、五井先生をカメラで撮ったら、あのような白光になったもの.て、それが、本当に五井
先生を写した写真であるということの証拠であると教えていただき、そうした奇蹟を、この目で見
て、二年前の出来事を思い出し、大変感激しました。私は四年前に初めて、聖ケ丘に行って以来、
どう考えても熱心な会員ではなく、時には、五井先生のみ教えが信じられないこともあったりしま
したが、今回の経験で、信じざるを得ないというような気持ちになりました。本当に愉快です。
私は、これから社会に出ても五井先生のみ教えを心の糧として、守られているという安心のうち
に生きて行きます。そして、私が本当に救ってほしいと思う人達には、霊光写真をあげて世界平和
の祈りをしようと思います。白光四卜二年七月号掲載
59身代りになった霊光写真
あ\! 谷底に落ちる
60
林田孝
楽しかるべき高原ドライブが
秋晴れの去る十月十九日朝、ふっと思いつきまして主人と共に熊本から百キロメートル南のほう
の人吉に私の友人を訪ねました。午後より友人共三人で宮崎県のえびの高原へのドライブで、紅葉
にはちょっと間がありましたが、秋の大自然を心ゆくまで満喫しながらの帰りの山道でのことでご
ざいます。
曲りくねりの、それでもなだらかな下りの山道が、左手谷川に沿いはじめまして橋を渡り間もな
く、右手の山側にくっつけて進行方向に車を止め、主人だけが運転席から車外に出まして間もなく
です。
友人と私を後席に残しました私共の車がひとりでに静かに動き出したかと思うと、大きく左に向
きをとりましてだんく加速度を増しながら、川っぶちに向って真直ぐに進み出しました。
ツードアのしかも後席の私達はどうするすべもなきまま、当然落ちるより外なしの車に身を委ね
るしかありません。いよく川のふちにきました時、何故かぴたりと車が止ってしまいました。何
故? わけもわからないまま静かにドアを開け車を出ましたら、なんと前車輪は完全に川ふちから
はみ出しております。
その時この有様を眺めながら、一台の乗用車が山のほうから参りまして、パッと止りますと中か
ら白いヘルメット姿の男の方がひらっと降りてこられ、当然のように車を道に戻す作業の体勢をと
られようとなさっておられましたら、更に間髪を入れずマイクロバスのような車が同方向からきま
して、又止りました。
白いヘルメットの男の方が「あ\来た」と眩かれたのと同時に、作業服を着た四、五人の男の方
がばらくと降りてこられ、また当然のように最初の男の方の指揮で、あっというまに車は難なく
道路に戻されました。
と同時に皆土手をみますと、土手のちょっと下に十センチ四方の、宮崎県と記されたコンクリー
トの標柱が、土の上に二十センチばかり出ておりまして、それが川に向って根元から大きく傾いて
おります。つまり車はたった一本のその標柱に向って進み、この標柱によって車がくい止められて61あ
\
!
谷
底
に
落
ち
る
いることがわかりました。
なんということでございましょう、神様は落下をくい止めて下さったばかりか、その上に車の処
置のためすばやく大勢の作業員の方まで送って下さり、もう神様のご配慮、そしてえびの高原道路
パトロールの方々に、言葉に尽くせない感謝の気持で一杯でした。そして私には神様がこんな状態
を計られて、素晴しい神様のお働きをありくと見せて下さったとしか思えませんでした。車が動
き出してからその間数分、スピーディに事は終りました。
62
感謝にふるえた身と心
全身感激に身をふるわせて「五井先生有難うございます。世界人類が… … 」の祈りの連発である
自分に気づかせて頂き、こんなにも素晴しい五井先生のみ教えのご縁を得させて頂きました私が有
難くて嬉しくて、また守護霊様、守護神様への心からの御礼、感謝の連発で、熊本ま.ての四時間あ
まりの帰路も無事に、感激の一日を終らせて頂きました。
この感激を口にペンに表わせるものではございませんが、車が動き出しまして、いよく川っぶ
ちでストップしましたその間の私の気持、あきらめとは違ったなんともすがくしいものでござい
ましたが、これが神様におまかせの境地であったのでは?と、こんな気持生れて初めてでございま
したが、この尊い体験をいつまでも大切にさせて頂きたいと思っております。
五井先生本当にく有難うございます。
私が初めて五井先生のご縁にふれさせて頂きましたのは三年あまり前、ある日、本屋さんで手に致
しましたこ著書から、五井昌久先生の御名を目に致しましてより、あまりの素晴しさに次から次へ
とむさぼる如く読ませて頂きました。
いよく皆様のお仲間に入れて頂き、一緒に世界平和の祈りをさせて頂くようになりましてから
は、まだ日が浅うございますのに、こんなに素晴しい体験を頂き唯々感謝感激のほかございません。
当日も、私の身にも車内にもこ霊光写真を頂き、車の前後に平和の祈りのステッカーを貼らせて
頂いておりました。
佐久間先生のお許しをいただき、五日後の十月二十四日、パトロールの方々への御礼感謝も含め
まして、当場所に世界平和の祈りのポスターを貼らせて頂きました。これからもますく世界平和
の祈りに明け暮れ、まずおかげの先取りに追っつかなくてはと思っております。
白光五十三年一月号掲載
63あ\!谷底に落ちる
自動車事故で命拾
あなたの体は不思議だ、
、
し
とトクタiー
64
本田一馬
車が三回反転した… …
霊光写真については、五井先生が白光の二月号にお書きになっていらっしゃいますが、私は霊光
写真のお陰で命拾いをしました。ですからどなたでも霊光写真を必ず持っていただきたいと念願し
ております。
去年の九月七日のことでした。いつも帰るクレンショーの道が工事中でしたので、そこは通らず
に廻り道をしての帰りがけ、交叉点で左のほうから突然車がぶつかってきて、私の車は三回反転し
て向かいの塀にぶつかり逆さになってしまいました。ちょうど.買物に来ていた白人のお年寄りが
「大丈夫か?」ときて下さいましたが、私は「心配ない」といって、ドアの壊れていた所から這い
出しました。
三時ごろでしたので、みるみるうちに黒人が何百人と集ってきて大騒ぎになり、バトカi五台に
消防車も五、六台きて「なぜ止めなかったか」と大きい声で怒っていました。向うの車には白人の
おばあさんが二人乗っていて、前がメチャメチャになり、私の車にぶつかったと同時にクルリと廻
って大破しました。
私はともかく早く家へ連絡しなければいけないと思って、みると二軒目のハウスのドアが開いて
いたので入ると、そこの家の黒人は私を見て驚き「あんた、血が出て大変だからこれで拭いなさい」
と、大きなバスタオルを持ってきてくれました。
そのまま静かにしていなさい、といわれたんですが、早くワイフに知らせなきゃと電話しました。
六十七、八歳位の黒人の方でしたが、とても親切にしてくれて「私がみんなしてあげるから、あん
た静かにしていなさい」と大変心配してくれました。
残暑の頃で、着ていた白い服が真赤に染まり、自分ではそれと知らなかったけれど、みんな私を
見て驚いて、ワアーっと声を挙げ、女の人の中には気絶した人もあるほどでした。
そのうちに家内に連絡がつき、救急車がきて病院に連れていかれ、ドクターがいろいろ調べてく
れました。レントゲンをとっておいたから二、三十分位休んで待ってくれといわれ、待っている間
中、そこで「世界人類が平和でありますように」を祈ったんです。
65自動車事故て命拾い
「私たちの天命が完うされますように、お陰で自分は無事です。あの白人の夫人方も天命が完う
されますように。守護霊さま守護神さま、どうぞ彼女たちをお願いします。
五井先生、本当に有難うございます」
私の番がくるまで、なんとなくそう祈りたくなったから祈ったんです。
体をくるんだタオルが血でしぼるほどで、ドクターも驚いていました。日本人の方がそこに三人
働いていて、私のそばへかけつけてくれて「あんた本当にどうもないか」と心配してくれましたが、
本当にどうもなかったんです。
それからレントゲン写真を十二、三枚とり検査したけれど、ドクターが「どこも悪い所はない、
不思議だ」といっていました。もし気分が悪かったら入院して行きなさい、といってくれましたが、
私は気分もどうもないので、すぐ家内や娘たちと家へ帰りました。
その晩氷をのせてやすみ、大丈夫だから誰もいて下さるな、といいましたが、家内や松田さんや
皆さんがついていてくれました。事故当初から親切な方々ばかりに出会い、これもみんな神さまの
おはからいです。
66
白光誌が私の身代りに
以前から灘岡さんが、私のドライブの荒いことをご存じで、三年前に「白光誌をいつも車にのせ
ておきなさい」といわれ、それから白光誌は必ず何冊か車にのせておき、日本人にも白人にも差し
上げています。日本人のお年寄りは殊に皆さんとても喜んで持っておられます。事故の時、白光誌
が路上に投げ出され、私の身代りになってくれました。
霊光写真もいつもフロントの鏡のところに入れて置き、そのお陰で本当に助けていただきました。
金曜日に事故に遇い、次の週の月曜日から働きに出てどうもないんです。相手の車の人たちは各所
の骨折で大変だったそうですが。私がアクシデントして三日目に、五十二一二歳で奥さんと子供さん
がいる日系の庭師の人が、同じような場所で同じような事故をおこし即死したそうです。ほんとに
かわいそうなことをしました。
それと比べて考えても、本当に霊光写真のお力のいかに偉大であるかということに非常に感謝し、
A.でも亙懸A叩五井先生に感謝申し上げ、お祈りしています。以前も朝タ五井先生に感謝しお礼儒
申し上げておりましたが、今は前よりも尚有難くて、ヒマある毎に、世界平和の祈りを祈っていま敏
事
す。蝉
自賠償
金はとりませんでした。相手の方が悪いのですから、裁判すればとれるのですが、あまり豊
67
かな人ではなさそうだし、私の車も大分長い間使ったものだし、それに、五井先生に生命を助けて
頂いたことが有難いので、今さらお金をもらう気にはなりません。何しろ生まれかわったようなも
のですから。
自分がこういう体験をする前までは、白光誌に霊光写真のお守りの記事が載っているのを読み、
凄い自動車事故に遇いながら無事だった、等ということはよくわからなかったんですが、自分で体
験してみてそれがよくわかりました。
でも私の事故のことを皆さんに話すと、そんなこと嘘だろう、って十人が十人いいますが、本当
に自分が体験したどころでなく、お陰で命拾いをしました。七十二歳の私があんな大事故に遇い、
あれだけ大量の血が流れたのに貧血も起しませんでした。きっと神さまが私の悪いほうの血をどん
どん捨ててくださったんでしょう。糖尿病で、生きていても盲になるとドクターがいったのになん
ともなく、あんたの体は不思議だ、とドクターは感心しています。
五井先生のお陰、霊光写真のお陰と、いつも感謝しています。どなたもいつでも霊光写真と白光
誌を必ず持っていていただきたいと念願しております。
(在ロサンゼルス)
白光四十九年九月号掲載
68
高圧線に触れた
佐々木テル子
さてこの度は、姪のむこが五井先生の霊光写真のお陰で、命拾いをすることがおこりまして、そ
のご報告かたがた、五井先生にお礼を申上げていただきたく、ペンをとりました。
それは七月二十八日の事で、事故の電話で病院に見舞に行きましたところ、むこが「叔母さん、
この度は叔母さんからいただいた五井先生の霊光写真のお陰で九死に一生を得た」と私に礼を言い
ますので、訳を聞きましたところ、七月二十八日平尾台(北九州市にありますカルスト台地)で、
電柱の故障を言ってきたので(むこは九電につとめております)、その電柱に行ってみたところ、
何かがぶらさがっているから、また蛇が高圧線にふれてぶらさがっているくらいに思って、電柱に
よじのぼったところ、蛇ではなくて高圧線そのもので、右肩に一寸ふれたのですが、そのまま四米
下に落ちました。かすかに意識はあったらしく、はってずるくと人の通る道ばたまで行ったとこ
ろで、偶然に自動車に乗った方が通りかかり、驚いて病院につれて行ってくれたそうです。69高
圧
線
に
触
れ
た
・
その時、左の胸ポケットに、電気の仕事は常に危険と隣り合せだからと、私が渡しておりました
霊光写真をいつも入れていたそうで左肩にふれれば心臓直撃で、もう生命のなかったところ、右肩
にふれたおかげで電流は右手の掌からぬけ出て、一センチ位のぬけ穴が出来たそうです。そして落
ちたところも、枯葉のじゅうたんのところに落ちたおかげで、それも生命びろいにつながり、こん
なお守りをいただいて有難うございましたと、唯々感謝致しておりました。
特別に五井先生を知っているむこ。てもなく、朝晩のお祈りをしているむこでもないのに、左胸に
霊光写真を持っていただけで、こんなにもこ守護していただき、なんとお礼の言葉もありません。
その一ヵ月前は、同じ職場の人がやはり一メートルくらいの所から落ちて、下がコンクリートだ
ったものですから即死されたそうです。又、もう一人の方は、同じく電流が右腕から中指をつきぬ
け、中指がふっとんだそうです。その中であまり大した怪我もなく微傷ですんだわけで、唯々感激
の他はありません。
姪も白光の信者ではありませんが、目の前にこれ程のお守りを受けていることを見せられて、早
速、白光誌を一年拝読したいといっております。白光五+四年+月号掲載
70
事故死まぬがれる
浜田みす
私はいつも霊光写真を有難く思っております。花屋に買物に行きました時雨降りでございまして、
長靴をはいとったもんですから、私は少し足が不自由でございますので、長靴の先がちょっと上り
段にひっかかって、八段上からまっさかさまに落ちました。いつも片手はあけておいているんです
が、その時は両方ふさがっておったんでございます。まっさかさまに落ち、目を打ちまして、これ
は眼底出血をしたんじゃなかろうかと思ってお医者に行きましたら、眼底になんにも異常はないと
いうことで、ただ少し黒くなっただけで済みました。
いつも霊光写真をいただいて肌身はなさずおるのが、こんなふうにけがもなくてよかった、有難
く思っとるもんです。
先日、支部長さんのお宅で小曽根先生から霊光写真を五枚いただきまして、店の出入りの親しい
方々に71事
故
死
ま
ぬ
が
れ
る
「あなた方いつも自動車を運転なさるからこれを肌身離さず持っていて下さいネ。私はこういう
体験がありますので、いくらかでもけがが少くて済めば有難いですから。いつも免許証と一緒に必
ず忘れんように入れておかなきゃいかんですよ」と上げました。
それから二、三日したと思います。その日は何か非常に胸騒ぎがしておかしいナ、と思いました。
私が胸騒ぎする時は何ごとかあるもんですから、非常に気にしておりましたところが、明くる日部
所に出ていましたら、お守りをあげた方が見えて
「昨日は雲仙にいって、命拾いさしてもらいました」
「どうしたの?」
と聞いたら
「雲仙から下りよったらエンジンが止まって、自動車もろとも下に落ちる所だった。しかしどう
いうわけかエンジンは止まったけれど、車の前からグルっと廻って、後向きに動いて反対側のほう
に車が廻った。幸い上からも車がこなくて道幅一杯に車が廻って、またもと通りに反対側のほうに
頭が向いて、家のほうに向うかっこうになったから、エンジンをかけてみたらかかるようになった。
あのままだったらまっさかさまに落ちるか、どこかに突当り事故になるかと思った。それなのにど
うもなかったのは、おばさんから先日もらったお守りのお蔭だった、と非常に有難く思って早速そ
72
のお礼にきました」
店にきてそんな話をして下さいました。
非常に有難く思いまして、五井先生有難うございます、と私も心からお礼を申し上げました。
白光四十九年三月号掲載
お医者もビックリ
宝珍朋子
このたびは、お茶のお稽古に来ておられます久保桂子さんのご主人様が大きな事故にあい、霊光
写真によって救っていただき、誠に有難うございました。
と申しますのは、十一月十五日に桂子さんがお稽古に来られ、とても喜んで帰られ、その一時間
後にご主人様が事故にあったとのこと、電話があり(事故がどの程度かまだ分りませんでした)す
ぐお祈りさせていただきました。
翌朝、掃除をしていても、ご主人様のことがひどく気になり桂子さん宅へ電話致しましたところ、
73お医者もビックリ
お母様より、大変な事故で重態とのこと、びっくり致し、そのまますぐに五井先生のお軸の前で教
義を写経し(ご主人様の天命が完うされますよう記入し)、霊光写真と共に病院へかけつけました。
看護婦さんは、面会謝絶ですと言われましたので、せめて桂子さんにでもと思い、呼び出していた
だきましたところ、ご主人様は歩いていたところを、かなりのスピードのある自動車に後からあて
られ、身体が木の葉のように舞い肋骨が六本も折れ、そして折れたのが肺の中に入って重態とのこ
と、でも今朝意識が回復して良かったと喜んでいられ、これが首であったら即死だし、また頭だっ
たら意識はこんなに早く回復しないだろうし、肋骨で良かったと、最悪の状態の中にいても喜んで
おられる姿に感動致し、ともに手をとり涙ながらに、絶対大丈夫だからこの霊光写真と写経をご主
人様の痛んだ肋骨の下のベッドの間に入れるよう、そして何事も五井先生、五井先生と唱えつつ看
護していただくよう、こちらからも必ずお祈りしていますからと帰って参りました。
すると、不思議なことに肺の出血が止ってしまい、酸素吸入も二日でとれてしまい、お医者様が
不思議やと申されたそうです。なぜなら肺の中のことで手のほどこしようもなく、肺の中に血液が
いっぱいになったら命がなかったからです。五井先生と霊光写真のすばらしさは、現代の医学を超
越してしまったの。てす。本当に有難うございました。
その後、桂子さんの一生懸命の看護で何事も喜んでされるものですから、回復は目をみはる程良
74
くなられ、二週間後にはご主人様が、いつ退院.てきますかと看護婦さんに聞かれたものですから
「あなた、まだ二週間しかたっていないんですよ」と言われたそうです。ご夫婦もともに喜ばれ、
明るくて病室の中はいつも笑いが絶えなかったということで、また、同室の方のなおりも早くて不
思議やねえ、と言われておりました。
桂子さんの言われるには、お茶のお稽古に来ていたお陰で、五井先生のお話が聞かれ世界平和の
お祈り、そして守護霊様守護神様のことを分らせていただき、こんな大事故に出会ったときでも喜
んでいられることが出来たのは、大きな救われであったと心から感謝しておられました。ご主人様
がこんなに大きな事故にあっても、相手の方をうらみもせず、喜んで看護にあたられ、不思議なこ
とに何事も都合よく運んでありがたいの言葉ばかりでした。桂子さんはお友達四人と一緒にお稽古
においでになっているものですから、三人一緒にお見舞に行ったところ、どんなにやつれて悲しい
顔をしているかと思っていたら、明るくて喜んでいるのには、こちらがびっくりしたと話されてお
りました。
このたびの大きな事故にもかかわらず、ご夫婦そろって喜んで最善をつくせたということは、五
井先生とお祈り、そして霊光写真のすばらしさを、身体ではっきりといただけたからだと思います。
真に有難うございました。白光五士二年四月号掲載
75お医者もビックリ
76
この身で知ったこ守護
山本渥己
毎日の生活を守護の神霊、五井先生に守って頂き心から感謝しております。
先日、そのことをハッキリと体験させて頂きましたのでご報告させて頂きます。
昨年の十二月十五日の朝のことでした。次男の晃靖(まだ三才になっていません) が五井先生の
お写真の前に置いてあった霊光写真をなぜか持ってきて私に渡してくれました。晃靖は、私がお祈
りをしていると、私の膝にきて聞いていることがしばしばあります。やはり去年の十二月でしたが、
仏壇に向って、”人間と真実の生き方”の教義を唱えていたと申します。さて、晃靖が霊光写真を
持ってきてくれた時、何か守護霊様が持ってきてくれたのではないかと思い、一枚持っていたけれ
ど、ちょっとシワになったその霊光写真を受けとりポケットに入れました。
その後で加温機(ビニ! ルハウス用) の調子がおかしくなり、何気なくつっついているうち、加
温機のスイッチを切っていたのに、そのスイッチで切れない電源。て接続されていた電線に触れたと
たんに、油で電線のゴムがむけていたらしく、ものすごい火花が走りました。右親指のほんの一セ
ンチ先の見えない部分で本当に生命拾いいたしました。後でポケットをみましたら、いつも持って
いた霊光写真はいつのまにか無くなっており、晃靖のくれた霊光写真だけがありました。何げない
行為の中にやはり守護の神霊、五井先生はお守り下さっているのだなアとつくづく感謝いたしまし
た。
人間は肉体ではないから、いつ死んでもよいようなものですけれど、やはり四人も子供をもちま
すと、この子供達に間違いなく世界平和の祈りの祈り心を体得させてあげなくては、この世に生れ
た価値がありません。五井先生の御在世中はまだ足手まといですが、いつの日にか五井先生の光明
を放つお手伝いをさせて頂ける日を念願いたしております。
次の話は子供が世話になっております宇佐乳児保育園のことです。ここには運動場が無いので困
っており、後援会長としていつも五井先生にお願いしながら、地主さん、市役所の方とお話し合い
を続けておりましたところこの度、隣の土地が坪15万円もするのに4万5千円で約束して下さり、
市役所も四月に支払ってくれるということで、いまだ一円のお金も支払ってないのに、土地も一疑
もかさ上げしてくれました。立派なフェンスもして下さり二〇七坪もの立派な運動場ができました。
77この身て知ったこ守護
地鎮祭の時、太夫さんの来るのが遅かったので、その間に14、15名の役員さんに、世界平和の祈
りは、大宇宙の大神様と私達の肉体を一つに結び、その救世の大光明によってまさに滅びんとする
地球の運命をも変える力があると云われているのです、とお話をさせて頂き、皆さんも一緒に素直
にお祈りをして下さいました。白光五+五年三月号掲載
78
おまもり
霊光写真とお産
富沢ト、、、
この度、私の長女が婚家にて三度目の出産、無事待望の男子に恵まれ、昨日お礼に参上の折、先
生より親しく、宗司、と命名頂きましたこと、厚くお礼申し上げます。
物固い田舎の慣習は、男子を望む想いは強く、上二人が女の子でございます故、おしゅうとさん
より、折にふれ事に当り、五月のぼりがあげられなくて残念だとか、人並みのことが出来ないのは、
片輪のうちだとか、辛辣な言葉が多いので、娘も今度は男であって欲しいと強く念願しておりまし
た。
妊娠を知りまして、先生にお願いしましたところ「なるほどなるほど」とおっしゃって笑ってい
らっしゃいました。娘は一心に五井先生におすがりし、霊光写真を大事に肌身につけておりました。
そうしましたところ、一度たしかに縫いつけておいた筈のが御不浄に落してしまい、それでもすぐ
気付きまして、拾い、包紙は捨て、中味のお写真だけは大切にまた腹帯につけておりました。
間もなく出産の気配があり、予定を一月間違えたらしい、との医師の忠言などございましたが、
今日か明日かと思いながらも、それ以後一月以上持ちこたえ、始めの予定日より四、五日遅れ、無
事三千四百グラムの立派な赤ちゃんが生れました。その一月間のうちに、婚家先の親戚では、出産
の方が二人も難産で赤ちゃんが死亡し、田舎の人は二度あることは三度あるなどと申し、娘に知ら
せたくないなどおっしゃっておられましたが、お通夜だ、お葬式だと、お父さんやお母さんが出か
けられますので知らずにはすみません。その上ご近所のお産婦さんが同じ病院で母子共亡くなった
り、あまりにも多く不幸の様子を見聞しますので、幾分心が動揺していました様子です。
丁度器械で産口を開き、陳痛促進の薬などのみ、いよいよ分娩室に入ろうと衣類を替えます折、
またもや霊光写真がパッタリと落ちましたそうです。ハッとして見ますと、二つにさけております
ので、娘は「ああ身二つにさせて頂けるんだ、有難いなあ、もう私は大丈夫だ」と心の底から確信
79霊光写真とお産
が出て来たそうでございまして、少しの不安もなく、二時間あまり痛みは痛みながら、神様が神の
子を生ませて下さるんだ、と只安心と感謝の気持でおられましたのも、ひとえに霊光写真が象徴的
に種々のことを教えて下さった賜物と存じます。
早産その他の難を、霊光写真が身代りとなって、恐れながら御不浄の中まで落ちてお浄め下され、
なおまた、お産に臨んでは、死産の乳児達の業想念をお浄め頂けたこと、まことにまことに有難く、
私共白光会員には当り前のこととは申せ、一応状況をご報告させて頂き、なお娘の感謝の気持を感
謝箱においれ頂きたく、筆をとらせて頂きました。
厚くお礼申し上げます。白光三+七年+ 一月号掲載
80
立派な? 事故
久留タカ
十月末日、長男の勝徳が工場の仕事(ブロック製作)を終えて、私の亡夫の叔父である工場長に、
廃物を捨てにゅくようにといわれて、工場のまわりを掃除して、ダンプカーで遠方に行って捨てた
帰りのことです。鉄道線路のガ!ド下に来た時、ものすごい音と共に車はゆれて長男は運転しなが
ら、前に倒れたのか、後に倒れたのか思い出すことが出来ないそうです。
ダンプカーの箱を高くあげたまま、車が走っていたことに気づかず、ガードに上ったままのダン
プカーの箱が激突。その反動で左眼と鼻の間、額にかすり傷。首を一針ぬっただけで、事故のわり
に傷が少く、念のためにとレントゲンをとったら、心配不要とのこと。その後仕事も一日も休まず
精出しております。
ニヵ所とも上手に急所をさけて命びろいをした、と聞かされて、私はやっぱり守られている、と
思いました。
また叔父の話では、鉄道線路の修理必要もなく、ガードには電話の本線が通っていましたが、そ
の寸前でダンプカーの箱は止り、これも奇蹟的出来事でございました。もし電話線が切れたら、何
千万円かの支払いをしなければいけないところでした。叔父は「まぬけであって、また立派な事故
だった」といっておりました。
免許証の中に入れてあったお守り霊光写真に守られたのだ。五井先生がお守り下さったのだ、と
強く感じ、法友の永田シヅエさまにお話し申上げ、有難くよろこんだ次第です。白光五+年一月号掲載
81立派な?事故
82
ぜんそくが治る
高橋玲子
私のおばあちゃん(姑の母) は八十二才になりますが、昨年の夏、霊光写真(お守りとして会員
の人は持っている)で奇蹟をいただいて、三十何年来のぜんそくがすっかりなおってしまいました。
おばあちゃんは入院したり退院したりの苦しみの連続の、ひどいぜんそくが持病でした。昨年の
お盆も例のように発作がつづきどうしで、入院してはたの見る目にもかわいそうでした。
姑は三十三才の時、目がつぶれ、医者にかかるのはいやだからと、秩父の山奥の行者さんでなお
してもらい、それ以来、ますます信仰深くなり、朝夕お天道さまを拝み、何事にも感謝ひとすじの
生活でした。
そして、私が五井先生のみ教えのことを話すとなんでもよくわかり、白光誌を読んであげますと、
胸にしみこむようによくこちらにわかります。いちばんみ教えに熱心なのは姑なのです。その姑が
いつも霊光写真を持っていましたので、入院しているおばあちゃんにあげました。
おばあちゃんは早速胸におまもりを抱きましたら、ほんとうに不思議にピタッと発作が止まって
しまったのです。その後、胸が少しは痛んでいるようでしたが、長い間の発作が止まり、そのうち
にだんだんと痛みもとれて退院して、元気にすごしております。
ぜひ五井先生にお礼申し上げたいというので、自分は伺えないから、孫嫁の私に旅費をあげるか
らかわりに行ってくれ、と申しました。老人ですから、むずかしいことはわかりませんから、ただ
平和の祈り、守護霊守護神さんへの感謝を教えましたら、熱心にしております。
主人は宇都宮支部の木曜会に伺って、熱心なメンバーにならせていただき、子供たちもみんな五
井先生が大好きです。いろいろな悩みで求めて、平和のお祈りをさせていただいて、遠いのでなか
なか五井先生のところには伺えませんが、家のなかがスッカリ明るく、平和の祈りの支えでスムー
ズにくらさせていただいております。白光四士二年三月号掲載
83ぜんそくが治る
タクシーに飛ばされ
84
清水たか
五井先生にご縁を得てまもない頃でした。
お祈りのすばらしさに水を得た魚の如く感謝の毎日でございました。それなのになんと業の深い
私なのでございましょうか。届いた白光誌の霊光写真の体験談を拝読し「そんなことってあるかし
ら… … あまり調子が良すぎるわ」と思ってはならないことをふと思いつつ、半信半疑で霊光写真の
お守りさまをお財布に納め床に就いたのでした。
翌日、いつもの通り自転車のペダルを踏みながら〈世界人類が平和でありますように〉とお祈り
をくり返しながら晴れ晴れとした気持で仕事に出かけたのです。
途中道路を渡ろうと自転車を降り、左右の安全をたしかめて走り出したその時、たしかに車の姿
などどこにもなかったはずなのに、あっ、と思った瞬間ズドーン!とタクシ!に飛ばされてしまっ
たのです。
それがまあなんと不思議、自転車だけが衝突の瞬間手から離れ荷物を積んだまま五、六屏先まで
飛んでますのに体は何んの衝撃もなく棒立ちになったままなのです。一瞬の差で大事故になってい
たのです。守護霊様の大きな愛念のはからいによって私は助けられたのです。思わず「守護霊、守
護神さま有難うございます、疑ったりしてごめんなさい」と心の中でさけび続けました。
大勢の人が集ってきます。通りは私の不注意のため車の列がつづきます。「申訳ない、早く道を
通さなければ」その時のなんと落着いている私、日頃の自分とは全く違っているのです。今までの
私でしたらきっとあわてふためき、オロオロしていたことでしょう。守護霊さまは本当に守ってい
て下さったのです。なんと有難いことでございましょうか。タクシーにもなんの傷もないのにも驚
きました。
霊光写真の偉大なお力、有難さに涙がこぼれると共に、運転手さんとのご縁によってこのような
形で過去世のものを大きく消していただいたことに感謝いたしながら、一生懸命お祈りをつづけま
した。白光五+年+月号掲載
85タクシーに飛ばされ・
夢の中。て長男の事故を消して頂く
86
矢沢惟資子
五井先生のみ教えにつながらせて頂きましたのは、二年程前に父が書店で買求めた「神と人間」
の一冊の本がご縁でした。それ迄いろくな信仰をしておりましたものの、心の中に不満があり、
神様とはこんなものではない、もっと心の中にピンとひびくものがある筈なのにと悩んでいた時で
したので、五井先生、諸先生方のご本をむさぼるように拝読させて頂きました。そして素晴しいみ
教えに涙がポロくとめどなく流れ、声を挙げて泣いて了いました。
昨年十月末に名古屋におります長男が車の事故をした時のことです。今その時のことを思います
ればその時も守護霊様守護神様、五井先生に助けて頂いたのでした。と申しますのは、少々身体の
具合が悪くても店には必ず出勤しますのですが、この日洗濯しようと洗剤の箱を持ち上げただけな
のに急に肋間と左腕に激痛を覚え、息をするにも痛く上半身を動かすことができずに困り果て、車
で十五分くらいの整骨院にゆきましたが全然治りません。岐阜市のかかりつけの整骨院に電話で申
し込みこの日は早々床につきました。
その日なぜか名古屋の長男の所にゆきたくて、フッくと心に長男の顔が浮かぶのです。虫のし
らせと申しましょうか、でも年老いた父をひとりにするのもしのびなく十時頃眠りに入りました。
そしたら大変な夢をみました。うつぶせに寝ている私の足先から灰色のような雲が体を包み込ん
でくるのです。包みこまれたら大変と手足をバタくさせ追い払うのですが腰の辺り迄きたので、
思わず、五井先生、守護霊様守護神様助けて下さいと叫びました。すると私の右手が上り、エイっ
とすごい気合がかかり目が覚めほっとしました。何時頃かと時計をみると午前一時五十分でした。
後でわかりましたがその頃長男がガードレールにぶつかった頃でした。車とガードレールは大破し
たけれど長男と嫁はカスリ傷一つなく無事であったとのことでした。車の中にご霊光写真が入って
おりましたので命拾いをしたのです。その日私が身体を激痛のまま身動きできぬようになり、早く
眠りにつけて夢の中で業の波を消して下さいましたのは、五井先生、守護霊様、守護神様のお守り
下さったことでした。心から感謝致しました。本当に有難うございました。
五井先生の尊いみ教えにつながらせて頂きまして深くく感謝の毎日でございます。
白光五十五年五月号掲載
87夢の中で長男の事故を消して頂く
車は大破したが、かすり傷なく
88
鈴木千代松
私は入信以来四ケ年余りになりますが、お陰を賜り運命が好転して一昨年五十坪余りの家が新築
でき、数々の奇蹟を賜り感謝しています。
一昨年頃友人にご霊光写真を差上げておきましたところ、去る五月、その友人が夫婦で仕事にき
ています婦人を午後五時半頃自宅に送る途中、乗用車とも六メートル余りの崖下に落ちました。車
は大破しましたが三名ともかすり傷もなく無事でありました。五井先生に救って頂きましたと喜ん
で拙宅まできまして、早速誌友会員に申込まれました次第でございます。
私も今年七十八才、高令でございます体も至極健康にさせて頂き、毎日を五井先生、昌美先生に
感謝して暮しています。厚くく御礼申し上げ、今後とも御加護賜りたく宜しくご指導の程をお願
い申し上げます。ご霊光写真の奇蹟についてご報告申し上げます。合掌白光五+七年+月号掲載
安心と積極性を得る
遠藤枝美子
今から四年前でした。函南にお住いの野村先生に子供がピアノを習いたいので伺ったところ、玄
関にまたお部屋の中に「世界人類が平和でありますように」のポスターが目に止りました。それか
ら白光誌を頂き、お祈りやその他お話を伺うことが出来ました。
私もリハビリテイションの指導員として、身障者のお相手をして、人間の肉体というものに限界
を感じていますし、他の信仰と違い、自己を知るよい機会を与えられましたのがこの白光誌でした。
精神的にも安定、積極性を養われる想いです。
先日も野村先生から何か困った時は「五井先生」とお願いしてごらんなさい、と申され、重い荷
物を持った拍子にぎっくり腰をしてしまいまして、大そう痛みました。翌日の区民祭には組長とし
て出席せねばならず、夜は湿布をしたり、腰のポケットに霊光写真を入れ一生懸命に「五井先生」
をお呼びしてお祈りをいたしました。そうしましたら、翌日はすっかり痛みも取れ、何事もなく区
89安心と積極性を得る
民祭の役を果すことが出来たのです。ほんとに不思議でたまりませんが、これも五井先生のお蔭と
只々感謝でいっぱいです。
また八月末、台風が全国をおそった時でした。家の周囲が低く、雨がひどいと山の水が床下まで
入るところです。小さいほうの娘(四才)が可愛い声で「世界人類が平和でありますように」と一
生懸命にとなえた途端、数分で水がひいたのです。その時もほんとに驚きました。
私が疲れて頭痛がひどい時も、娘が枕元に来て、白光誌をおいてお祈りをしてくれます。子供心
に自然と浸透していることを知らされます。
今後、自分の生活の中で、一歩一歩努力しながら、白光誌を愛読し、自分の生きる指針ともして、
五井先生に感謝しつつ生きて参りたいと思っております。白光五+七年一月号掲載
90
安らかな往生
藤本富美
お祈りの不思議さ有難さをご報告申上げます。徳島の六十二歳になる男の方です。肺癌により去
年の二月より入院致しており、家族は白光誌を少し読んだぐらいの信の方ですが、でも病人が危険
な状態になりましたら私を思い出し、京都まで電話があり祈ってほしいとのことでした。本部まで
お願いする時間がありませんでしたので、テープをかけ祈らせて頂きますと、病人が持ち直したと
のことで、身近かな方が祈るのが一番と講師の方に教えて頂いた通り伝えました。
翌日慌しく祈って欲しいとの電話、そしてその翌日他界致しました。肺の機能が十分の一とかに
て、息苦しいあまり病人は、殺してくれ、といっていたそうですが、祈るようになったら穏やかに
なり、身内を集めて一人くに、世話になった、皆仲良く暮すように、またあとに残る奥さんには、
向うに行ったら必ず守ってやるから悲しんでくれるな等々、静かなく往生であったとのこと。ま
たその顔は生前より血色が良く、ほんのり頬に赤みを帯び唇は紅をさしたようだったとのこと。ド
ライアイスを入れ、友引に当るとて三日後に出棺致したのこと。ドライアイスにて衣服が焼けたの
で別の着物に着替えさせた時、体が柔らかくさながら生きているようだったとのこと。そして五井
先生の霊光写真を在徳中に渡してありましたので手に握らせ、もう一枚を頭の下へ入れてあげたと
のことです。
この不思議な現象をみて、藤本さんの話が本当であった。これからは祈り続けますとの報告があ91安
ら
か
な
往
生
りました。
五井先生は、一度でも平和の祈りを祈った人達は救世のみ光によって浄められる、とお教え下さ
いますが、本当に信じられず、何かあると藤本さん!といっていた人でも、五井先生に素晴しいみ
救いを頂けるのだと、今更ながら有難く御礼申上げる言葉もございません。有難うございました。
今後共何卒よろしく御指導下さいますよう。私達の天命が完うされますように。
白光五十三年一月号掲載
92
み光の奇蹟!
小川育子
十月十三日の鎌倉の集会で、奇蹟とも申しましょうか、不思議な現象を見せられました。この日
の講師の先生は戸川先生でした。
私の知人の奥宮さんの息子さんのことです。奥宮さんの息子さんは、仕事中七メートル上の電柱
から落ちてケガをしました。その後、退院、再入院と病院生活が長く続きました。ケガも良くなり、
日一日と元気を取り戻してきたら、今度は左の目が見えなくなり、何人かの医師に治療を受け、検
査をして頂きましたが、「眼は元に戻りません」と言われ、不安な毎日だったそうです。
それを聞き、私は、眼が見えなくて真暗でも、気持だけでも楽になれたらと思い、鎌倉の集会に
出て浄めて頂けば、奥宮さん親子にも明るい光が輝く日は来るでしょうと思い、お誘いしましたら、
本当にそのようになりました。
また、私の甥が自動車の免許を取りましたので、「霊光写真を免許証の中に入れて置くと、何か
あった時は守ってもらえるから」と言って持たせましたら、これも不思議としか思えないあり方で、
救って頂きました。
甥は十九才です。車が大好きで、レーサーになりたいなどというくらい。てす。
真夜中にアパートに帰る途中、百二十キロのスピードを出して走っていました。対向車が見えた
と思ったら左にハンドルを取られ、三回転したところへ、相手の車もスピードを出していたので、
もろに衝突しました。両方の車はメチャくになりました。でも乗っていた人には双方ともケガも
なく、本当に、不幸中の幸いとはこのことではないでしょうか。
甥も、不思議だね、不思議だねと口にしています。私は、自分の身近にいる人達が救われ、五井
先生の素晴しさに感謝が増すばかりです。白光五+五年二月号掲載93み
光
の
奇
蹟
.
ノ
霊光写真の功徳
94
野口常雄
私の職場に七十歳近い職員の方がおられ、その方のお嬢さんが去年の秋結婚されるというお話し
からご懇意にしていただき、結婚式が済むと自分は胃潰瘍で胃を切るようになるかもしれない、と
いうことでした。
その方はお酒も飲まず煙草も少しぐらいで暴飲暴食などしない。真面目な方で「病気の原因とい
うのは自分の想いにある」と話しておられ、特に信仰の道につながっているようでもないのに、自
分の人生を通じてこういうふうに会得されて、と驚きました。
「本当にそうなんです。病気というのはあなたのおっしゃる通り想いが固まってできるんでしょ
うから、あなたのようにスイスイと想いを止めないように絶えず流してゆけば、病気もやがて消え
ちゃうんじゃないでしょうか」
「本当に野口さんのおっしゃる通りです。私は固まりがあるから取り除くしかないのですので、
年もいっているし医者を信頼して切っていただきましょう」
と訴えられました。私はいつも霊光写真を何枚か持っていますので、一枚差し上げて、
「これをお持ちになって病院へ行かれ、枕の下へお入れになるといいですよ。書いてあるのをお
読みになって下さい」
「大事に持っています。このおまもりに私の体を託して手術を受けます」
とすっかり安心されたご様子でした。
一昨年暮の十日ごろ入院し、十日間検査でレントゲンの断層写真を何枚もとったり、いろいろ検
査の結果、今手術しないと今度再発の場合には高年令になり、快復が困難になるからと、手術する
ことになりました。
大塚の癌研で手術の当日は同じ症状で同年配の方が三人同時に手術され、その方は二時間、他の
方は四時間と六時間とかかりました。各人各様病気の症状がまちまちでしょうから手術時間も予後
も違うのでしょうが、輸血も用意しただけでされず、快復までの経過は本当に不思議なくらい順調
でした。
勿論現代医学のめざましい進歩の故もありますが、それ以外にプラスアルファの偉大なお力があ
ったことと思います。手術後四時間たって自分で歩いて用を足し、医者もびっくりされたそうです。
95霊光写真の功徳
体は四十キロそこそこの方ですのに大手術によく耐え、十日足らずでその年の暮には退院し、正月
は自宅で迎え年始休暇を終えて普通に出勤されました。
現在では、この人がそんな大手術をしたのかと思うほど元気で、印刷物や書類が届くと若い人と
同じように持ち運びもされています。こういう体験があったことを発表させていただくことは本当
に喜びに存じます。白光昭和五+年一月号掲載
96
不思議なことばかり
ー伊藤なかさんの体験
“信ずる者は幸いなり
” の言葉のように、伊藤なかさんは素直に世界平和の祈りを祈りつづけ、
人にもすすめてきている。浅草の行商時代のころからおとくいさんでも誰でも病気の人があると、
五井先生につなげ一緒に平和の祈りを祈った。
「霊光写真とご本では”如是我聞”がお値段がお安いものですから、道場に伺うたびに頂いては
お知り合いの方に差し上げていますと、それはいろいろと奇蹟があるんです。
先日も知り合いの方のご主人が信じなかったんですが、奥さんがいつもご主人の守護霊さまにお
祈りしては背広のポケットに霊光写真を入れておられたそうです。ある時ご主人がストーブのそば
近くに立っていて、気がついたらズボンが焼けて大きな穴があいてしまい、アラアラと思ってみる
と当然焼けているべき筈の霊光写真が一寸も焦げ目さえつかずに下にポトリと落ちていたそうです。
どうしてポケットの内側ま。てやけてしまっているのにそういうことになったか不思議で、それから
すっかり信じるようになったそうです。
それから私の息子が吉原の大通りをトラックでとばしていてあやうく電柱と正面衝突しようとす
るところ、車ごとひっくり返り、車のタイヤが上になってしまったのに息子はなんのけが一つせず
に小さいコブが一つ出来ただけでした。
息子の友人がバイクに乗っていてトラックと正面衝突しそうになり、自分はバイクをほうりっぱ
なしで転んだそうです。バイクに血がついていたのに自分はなんともなく、不思議くといってい
たそうです。みんな霊光写真をポケットに入れておいたので五井先生のお光のお陰ですね」
白光四十六年十一月号掲載
97不思議なことばかり
灰の中から出て来たお守りとお金
98
西田政男さんの体験
西田政男さんは丸亀でマーケットを経営しています。西田さんの朝の日課は、見はらしのよい所
へ車で出かけ、日の出を拝みます。曇でも雨でもその時間にその場所に立ち、もう六百何十日もつ
づけています。
白光の教えにふれてから後は”人間と真実の生き方”を唱え、統一テープをかけて日の出を拝み
ます。それが終ると今度は、祖先の墓のある墓地に車をかえして、世界平和の祈りを唱えておまい
りします。
店には毎日、不要の紙箱などが相当出来るので、これを墓地の片すみの空地で焼却するのも日課
の一つです。
ところが五月二十八日の朝、この日はとくに紙箱などの焼却物が多くて、車の後の荷台に山積し
ていました。そしていつもの焼却の場所に、これらを積み上げて火をつけました。
火が充分ついたところで、西田さんはご先祖の墓の前へ行って、毎日のことだから、きれいにな
っているが、それでも簡単に掃除をし”世界平和の祈り
“を唱えて、お祈りをしました。
そうして、しばらく時がたった後、持っていたかばんがないことに気づきました。西田さんは急
いで燃やした所へ行ってみると、もう遅すぎて灰がうず高くつもっていました。
それでも灰をかきわけてみると、驚いたことに、かばんの中に入れておいた、輪ゴムで一緒にま
とめておいた財布と、プラスチックの定期入れにはめておいたこ霊光写真とが、灰の中から、ほと
んど無きずで出て来ました。
かばんも灰になり、かばんの中に入れてあった硬貨入れも灰になり、ただ硬貨だけが残っていた
状態であったのに!
輪ゴムは少し黒ずんでいたが、ゴムの弾力は充分残っていました。財布の中の大切な書類と、財
布の下にちょうど、親鳥の羽根の下に守られたひなどりのようになっていた三万何千円の紙幣も大
丈夫でした。まわりがこげていた程度だったので、銀行での換金が可能でした。
私たちは業生の中を生きて行かねばなりません。平和の祈りを唱え唱えしながら生きて行くのは
勿論ですが、一挙に業因縁を越えることは出来ません。しかし”いつでもかくの如く守っているか
ら、安心して祈りを行ぜよ”と、黙して語らないご霊光写真は、雷のような声なき声となって、西
99灰の中から出て来たお守りとお金
田さんの心を打ちました。
“有難うございます
“驚きは感動に変り、感動は感謝の気持となってこみ上げて来ました。
“有難うございます、有難うございます、世界人類が平和でありますように… …
” 西田さんは、
まだ手に幾分のぬくもりを感じる、煙のにおいのしみこんだこ霊光写真と財布をもって、じっと立
っていました。白光四+八年七月号掲載
100
古井戸の奇蹟
-1 斉藤秀雄さんの体験
これは斉藤秀雄先生からおききした話。
或る地方に出張した時、古井戸のお浄めを頼まれました。自殺者が二、三度あったという因縁つ
きの古井戸でした。斉藤先生は井戸の前に立ち、世界平和の祈りをし、柏手を打ちました。
昔風の服装した人が出てくるのを霊視しました。その人は庄屋で、代官という藩役人が公金を横
領し、それが発覚しそうになって、どうしても埋めなきゃならなくなった。そこで庄屋をよび、金
を工面するようにいいつけた。しかし庄屋は気骨ある人でがえんじず、とうとう役人は庄屋をいび
り殺して井戸に投げこんでしまった。そういう事件がいくつもあって斉藤先生の前に次々と現われ
てくるのでした。さすがの斉藤先生も古井戸の中へ吸いこまれるような感じがしたので、ハッと気
づき、たまたま持ち合わせた霊光写真を井戸の中に投げ入れました。途端に、底から、石油がふき
出すように”白光”がパーッと吹き上り、その中にもろもろの汚れカルマが一瞬のうちに浄まり、
黒竜が天に昇っていくのをみたのでした。
その時、斉藤先生は霊光写真の力の偉大さに今更ながら全く感嘆したのでした。それからは、井
戸のお浄めを頼まれると、霊光写真を投じて、五井先生にお願いすることにしているとのことでし
た。
昔からの信仰で、魔よけなどに御符など門口や玄関にはったことは、あながち、そうした霊的現
象から見れば只迷信だ、とだけで片づけるべきものではなさそうです。人間なんて弱いものです。
恐怖心のくせのついている人など、なかなかそれはとれないものです。しかし、この斉藤先生の体
験をきけば、どんなことがあっても、霊光写真をもっていれば、霊光写真が守ってくれるし、霊光
写真が浄めてくれる、とわかって安心してもらえると思います。白光四+年三月号掲載
101古井戸の奇績
異常な便秘たちまち解消
102
種吉長吉
七月二十一日私は森田源一さんを目覚町のご自宅に訪問しました。はからずも森田さんの最近の
体験談を承り感激したままをご報告申し上げます。
数日前の事だったそうです。森田さんは、異常な便秘に悩まされ、数度に亘る洗腸もテンデ効果
無く、果ては烈しい腹痛を起し、油汗が流れて立つことも歩くことも出来ぬという大事の境まで踏
み込んでしまい、平素は他人の病気を神秘的に治療し、最近では支部の例会等にも無料治療をして
多くの人々を感謝と喜びに浸らせる程の技術を持ちながら、今度ばかりは殆んどお手上げの状態に
追い込まれ、これは大変だと思ったトタンに「アア五井先生のこ霊光写真があった」と気付き早速
奥様に持って来させて腹の上に当てて暫く撫でまわしていたら不思議(実は不思議ではないでしょ
うが)にも忽ちにして痛みも止り便通も快く、まるで今迄の苦しみはウソだったように、ケロリと
なおりました。霊光写真の神秘力の偉大さを、しみじみ感謝していますと語られました。森田さん
はその後ずっと支部例会の日には無料診療をして下さることになっています。
白光四十二年十一月号掲載
身代りになって下さった霊光写真
楠三恵子
『梅雨晴れの六月二十六日、私の孫、楠久美子八歳は、九段の白百合学園小学一年生で、通学の
帰途、午後一時頃、地下鉄を出て深川木場四丁目からワンマンバスへのりましょうと片足をあげた
時、後から男の子が先へのりこみ、バスは久美子の片足をドアではさんだまま発車して、引きづら
れ、その泣き声、叫ぶ声に運転手も気がつきました。停留場の前にあるタイヤ屋さんにつれて行か
れ、電話をかけて知らされた両親が車でかけつけましたが、一寸足にかすり傷ぐらいはあったそう
ですが、別に痛むところもなく、洋服にもあまり土もついていなかった由です。
まず五井先生のおかげ、霊光写真のおかげと感謝いたしました。103身
代
り
と
な
っ
て
下
さ
っ
た
霊
光
写
真
その翌日、久美子は学校へ行くと申し、定期入れ(お守りも入っています)をこすっているのを
みてみますと、泥にまみれているのだそうで、洋服にもあまりついていなかったのに、とまたびっ
くりいたし「久美子の身代りになって下さったのです」と母親が電話で申して感謝いたしてまいり
ました。五井先生ありがとうございます』
お孫さんが霊光写真(お守り)をつけていたおかげで、バスにひきずられるところを大したこと
もなく、無事にすんだという体験です。
104
大難小難と化す
下村亮子
増岡様の坊やが、去年五月の下旬頃でしたか、私の家の前でスピードを出して走ってきました自
転車に衝突してしまいました。その時自転車に乗っていた人の話と、子供さんの様子で大丈夫と判
断し、守護の神霊様に感謝しながらお家にお返ししました。
その後電話で様子をお伺いましたらいつもの元気がなく、食事もせずぼんやりとしていると申さ
れますので、私もとても心配になりまして夜も遅かったのですが、救急病院を手配しタクシーで病
院へ行って頂きました。
幸いたいしたことはなくショック状態らしゅうございました。明朝はケロっとして起きて「僕も
うなおったよ!」と、普通どおり元気に起きて、その後は全く心配ない状態になりました。
奥様が不思議だとおっしゃったことは、この事件の起こる数週間前、平和の塔の立っている私の
家の前で、その子供さんが亡くなられた夢を見ていらっしゃって、そのことが頭から離れずとても
心配で仕方がなかった、とおっしゃったことでございます。
それ以来、奥様も子供さんのことを一生懸命お祈りなさったとおっしゃっていらっしゃいました。
また夢を見られた前後、子供さんのほうから「五井先生のお守りをつけたい」とおっしゃったそう
で、早速奥様は子供さんの願い通り布で霊光写真をくるみ、紐をつけて首にさげておあげになさっ
たそう。てす。
確かにその事件の日もそのお守りをさげていらっしゃって、そのお守りが外側に飛び出ていたの
を私も鮮やかに記憶しております。そして「五井先生のお守りをつけていたから怪我しなくて済ん
だわね」と子供さんに言ったら「うん!」と大きくうなずきました。
105大難小難と化す
なんと有難いこと、私自身その時深く五井先生、守護の神霊様方に感謝いたしました。そのよう
なことで奥様のおっしゃることには「大難が小難で済ませて頂けたことを本当に有難く思います」
と、涙を流して話されました。そしてその後しばらくしまして、家族全員の入会手続きをおとりに
なりました。大変純粋な素晴しい奥様で私自身もいろくとお力になって頂いております。
白光五十三年二月号掲載
106
禍転じて福となる
9
大橋タカ
昨年四月の事でした。子供の転入学などで毎日せわしい時でした。お茶でも入れようと台所へ行
ったところ、何かにつまづき、足に焼火箸を突然あてられたような感じで、板の間にころんでしま
ったのです。思わず「五井先生!」と大きな声を出してしまいました。私は持っていた「霊光写真」
をすぐ足の上に乗せて一生懸命五井先生を念じました。熱はないようなのですが、だんく腫上っ
て来ますので、お写真がおどっているようなのです。明日これで先生の所へ伺えるかしらと心配に
なりました。歩けなかったら這ってでも伺おうとその時思いました。ともかく道場に電話を、と思
って、早速かけました。
「大橋さん、大丈夫ですよ」柔かい先生のお声が受話器を伝わって、直接胸にしみ込んで来て
「あ\大丈夫だ」と大安心しました。それから足は風船のふくらむようにふくれ上り、足指が紫色
にすきまなく腫れてしまいましたが”これも一つ一つの業の消えゆく姿。なんて有難いことでしょ
う”と素直に感謝出来ました。
三日目には一人歩きが出来るようになり、それに今迄時々足のすじがつれていましたが、その時
からまるきりそんな痛い不自由な想いはしなくもよいようになりました。
常々、五井先生がおっしゃっていらっしゃる”禍を転じて福となす”と云うことは、私の小さな
体験からですけれど、こう云うことではないかと、有難くてなりません。毎日毎日安心して暮して
おられますことを厚く感謝しています。白光三+年五月号掲載
107禍転じて福となる
暴風にたえた林檎の木
108
伊藤イク
白光で皆さんの体験談を読みながらいつも感謝しています。私も入会して平和のお祈りをするよ
うになってからいろいろ有難いことがございます。その中の一つ、霊光写真についての体験を申し
上げます。
私はさくらんぼの木を十本植えました。植える時に、立派に成木するようにこの木をお守り下さ
いと祈りながら霊光写真を埋めました。木はよく成長しました。
去る九月のこの地方としては珍らしい暴風がありました。柿の木も林檎の木もさくらんぼの木も
大分倒されました。殊にさくらんぼの木は根が浅いのでどこの家のも折れたり倒れたりしました。
ところが私のさくらんぼの木は一本も損害を受けませんでした。みんな不思議に思って居ます。私
は霊光写真のおかげであるとわかって居りますから「ほんとに有難うございます」と感謝して居り
ます。白光四+七年+二月号掲載
お守りさんありがとう
塩釜市の小学一年生になる女の子。道を横切ろうとして、思わず足を一歩出した時、ものすごい
スピードでトラックがやって来て、誰もが「やられた! 」と思った。ところがその女の子はなんで
もない。あとでその子にきいてみると、誰かが私のランドセルをうしろに引張ったので、前に出ら
れなかった、というのである。しかし、その時その子のうしろには誰もいなかったし、誰もランド
セルを引張りもしなかった。じゃあ誰が、ということで、その子はランドセルにお守りをいつもつ
けていたの。て、お守りさんが危いところを、サッとうしろへ引張ってくれたのだろう、という親た
ちと会員の人たちの結論になった。白光四+七年卜月号掲載
109お守りさんありがとう
iio
霊光写真から五井先生
名倉さんという方が警視庁鑑識課につとめる知人に”霊光写真”を見せたところ、これは二重写
しでインチキじゃないかというのでした。それでこの人は事実を確かめようと霊光写真に薬をかけ
て、洗いに洗っていると、ヒゲの生えた人の顔が出て来たというのです。どうも不思議だ、と名倉
さんに話したところ、それは五井先生に違いないといわれたので、先日、名倉さんと一緒に道場に
見えました。そして五井先生のお顔を見て、ヒゲの生えた顔の人というのは、やはり五井先生だっ
た、とわかりおどろいていたそうであります。
その実物の写真を見たいと思ったのですが、残念なことに、このお方は大阪方面に転勤になって
しまったとかで、それを見ることが出来ませんでした。どういう薬品で洗ったのかも不明です。が
ともかく、霊光写真が作りものではなかった、ということが科学的にも証明されたことになるわけ
です。白光三+六年+月号掲載
父の信仰愛児を癒せり
秋田に住む0さんは、まだ一度も五井先生に会ったことはないが畏敬するSさんからその力の偉
大さをよくきかされていた。
突然0さんは不幸に見舞われた。愛児が急性エキリにかかったのである。急ぎ入院させたが、医
者は首をひねるばかり。死を宣告されていた。
五井先生を呼べ、というひびきがひらめくように心にひらめいた。会ってみたことはない、けれ
どSさんがあんなに信じている。他に頼るものはない、絶体絶命だ、0さんは必死の想いで五井先
生を呼んだ。
「五井先生、たすけてくれ! 五井先生、たすけてくれ!… … 」
先生の霊光写真をかざして、愛児の枕元で、0さんは呼びに呼んだ。心が燃えつきようとした時、
パッと白光にあたりはつつまれてしまった。その瞬間0さんは大いなる安らぎを憶えたそうである。
111父の信仰愛児を癒せり
不思議にもその日から、愛児の病状は快方にむかい、日ましによくなっていった。そして医者達の
驚きの内に全快退院したのである。
治ったというのが珍しいので、病状の変遷をくわしく書いたものが、病院に今も大事に保存され
ているそう.てある。
112
体験記集おわり
研究会
霊光写真とはいかなるものか
出席者ゲスト五井
伊藤顕
金子一子
斉藤秀雄
佐久間筆八
昌久先生
島田重光
高橋英雄
中川正二
西沢道允
村田正雄
山崎茂
横関実
〈アイウエオ順〉
敬称略
霊光写真への種々の考察
高橋今日は五井先生を写したら光の珠になった霊光写真についてお伺いしたいと思います。
霊光写真といって、皆さんがお守りにしている心霊写真は一体何なのか。これには科学的説明と
信仰対象としての説明と二つあると思うのですが、始めに、この写真をおとりになった島田さんに、
科学的な説明をお願いしたいのです。
島田私は大分検討しましたが、科学的説明が成り立たないのです。
光学的立場から検討しますと、
113
① 前から光がレンズを通して来た場合、カメラのレンズの焦点距離は七・五センチ、被写体との
距離が約三メートルなのですね。するとフイルムに写ったその光の珠の直径は実にニメートル前後
なければこのように写らないのです。ところが光の珠ではなく、私の家の玄関の前に立たれた五井
先生の上半身を写したのです。.
② ヵメラ機械に欠陥があったのではないか、という疑問なのですが、故障していて、うしろから
光が入ってしまったのか、もしそうだとすれば、フイルムの一コマだけに感光して、前後のコマに
感光していないということはないわけです。全部がもれ入って来た光に感光しているわけです。し
かし前後のコマには、ちゃんと、五井先生が写っているのですから、この疑問も否定されてしまう
のです。
③ フイルムはベスト版を使用したのですが、裏側に紙がはってあって、そこに番号が印刷してあ
ります。一、二、とコマを送ってゆくのがわかるのですが、それを見る小さな穴があるのです。そ
れはほんのわずかな光の珠の二十分の一にも当らないものなのです。ですからそこから光が入った
としても、写った光の珠のように大きくはならないのです。
④ 現像操作中に不必要な光が入ったか、という疑問です。しかし現像中、レンズて焦点を合わせ
なけれは、丸く光にならないのです。それに、カブリの現象もないのです。(カブルというのは、露
出過度のことで陰画には真黒に写り、焼付けて、普通の手にする写真になると、真白になる) また
114
その他の点から種々検討したのですがどうして写ったか科学的説明が出来ないわけです。
佐久間光の珠が写った、と偽造することも出来るのではないですか。
島田出来得ることですね。
佐久間というのは、ある人が講演にいった時、写真をとってもらったら、写真屋が背光を画いて
持って来たのてすね。ですからそういう種類の写真があると、全部それは偽造だと、こう断定して
しまうのですよ。
島田警察で巧妙なモンタージ.一写真を作っていますが、光の場合もやろうと思えば出来ると思い
ます。
西沢その場合見分ける方法はないもんでしょうか。
島田ないようですね。現在は非常に塗装の技術が発達していまして、ガラスに塗って、ガラスの
向うから写すのですね。それを何辺も写し変えていますと、それが塗料で作ったものとは見えない
位になります。
斉藤だから写真技術で心霊現象の写真を偽造出来るのですね。島田さんが正直にありのままを話
してくれましたが、心霊現象にも客観的現象と主観的現象がありますが、厳密にいって科学性がな
いのです。
厳密なる科学的立証が必要ならば、立会人が必要なのですね。写す時、現像焼付する時にですね、
115
カメラも他人のを使う。そして、いつでも写せるということが必要なのです。
肉体の目というのは不正確なもので、光の速度を超えるともう見えないのですね。ですから、先
生が、パッと光体に還元し、そして次の瞬間、肉体にかわっていると、肉眼では依然として五井先
生の体がそこにずうっとあるとしか見えない、カメラのレンズはそれをキャッチ出来るわけです。
西沢さんが自分が消えてしまった写真をとった時も、隣りに奥さんが坐っていて、たとえ手を握
っていたとしても、隣りに西沢さんがいるのだと想っていますから、一瞬間消えてもそこにいるの
だという想念で、手の暖みも、いることも感じているわけです。
レンズはちゃんと消えたのを写したわけです。ですから肉体の眼が立証出来なくとも、レンズと
いう機械が写したことは事実なわけです。
横関霊側から姿を現わそうとして写ったのが霊光写真ではないですか。
西沢私が消えてしまった写真をうつすまでそんなことはあり得ないことだ、と思っていました。
横関科学の発達によって、たとえば電子顕微鏡などてすね:::
島田霊写真が写ったのは科学やレンズの進歩ではないと思うのです。霊とレンズのもつ物質の波
長が違うのですから。
横関感光材料が進歩して波長が感応し合うものが出来たとすれば写るでしょう。
五井先生霊側から写させようとすれば、今のままでも写せるのです。光りの細かい波長をブイル
116
ムに感光出来るまでに粗くすることも自由に出来るわけです。
高橋一体この写真には何が写ったのてしょうか。
斉藤五井先生の直霊ですね。
なおひ
五井先生そうです。直毘、私の本体が写ったわけてすね。人間の本体というものは、みんなこう
いう光り輝いたものなのです。
斉藤私も今迄沢山の霊写真を見ていますが、このような心霊写真は見たことがない。幽体が写っ
ている写真は多いのです。波長が粗く次元が肉体に近いから感光しやすいのですね。高い次元のも
のが写るということはありませんでしたね。ですからとても貴重な写真てすよ。
中川大きな光の珠でなければ、このように写りませんね。
伊藤それにこれだけの光源ですとブイルターをつけなければ駄目なのではないですか。
斉藤直霊に対して、霊的にブイルターをかけてとらせたのでしょう。
島田私はシャッターを切ったから写ったのてもなく、レンズを通したから写ったのでもないと思
うのです。レンズを通さなくとも写ると思います。あの時もレンズを通さなかったのじゃないかと
思っています。ですからレンズはあってもなくてもいいじゃないかと思うのですね。
五井先生どんどん数多く霊写真をとっておくことてすね。霊写真がとれても、見て信ずる人は信
ずるし、信じない人はいくら見せても信じないでしょうね。
117
実際に心霊現象を目の前に見せられても、信じない人は、いやあの時は自分の頭がどうかして錯
覚していたのだ、そんなのは嘘だと否定するでしょうね。ある心理学者のようにね。ですから私達
は、多く霊写真をとってゆき、見て信ずる同志を沢山つくってゆくことが必要ですね。
客観的な実証が必要な時は、その人にその場でいつても見せられるようにしてあげることですね。
霊側からは、こちらが見えるのです。こちらからは霊が見えないのですね。ここに立っているの
が見えない、だから見えない方がおかしいことになって来るのですね。
キリストも確かにここにいるのです。けれど普通の人には見えないだけなのです。てすから写真
にうつるのは当然なのです。
だから写せるのだと想いこむ、そしてその想いを一度すっかり忘れてしまって、写すことですね。
島田私、始めお山の統一の写真をとる時、私一人だけ立って写真をとるのが、何か皆に悪いよう
な気がして中々立てなかったのですが、先生から「自分が写すのではなく、救世の大光明の霊団の
人が写すのですよ」と教えられ、大分気が楽になり、構えてとる想いが段々なくなって来ました。
五井先生統一というのも型にとらわれては駄目です。型はどうでもよいのです。あぐらをかいて
座っていてもまた歩いていてもいいのです。自分の一番やりいい恰好でやっていいのです。私の統
一の指導法は、まず心を楽にしてやることから始めるのです。
西沢型にどうしてもとらわれますね。118
五井先生ふわ!と坐って、ふわ!と統一すればよいのですよ。
村田島田さんも写真をとっていながら、だんだん統一が進歩して来ましたね。
斉藤私が画をかくのも、とらわれをとるための練習ですよ。
島田統一というのは形ではないのですね。私は写真をとることに統一出来るようになりました。
村田特別なものではなく、普通のありふれた生活の姿の中に、統一というのはあるのです。
斉藤本心は常に統一しているのてすね。ただ統一していないという想念があるだけ、統一してい
ないわけです。
五井先生そうするとあたりまえて常に統一していることになるのです。何が来ても泰然としてい
る。例えば前方に危機があるとすれば、それを自然によけて通ってゆく。誰がなぐろうとしても、
急に危険が襲って来ても、自然に体をかわしているようになれるのです。
村田その統一てすと、少しも固くならないですみますね。
ヘヘへ
島田私の場合も自分が写しているのではなく、霊団の霊人が写すのだ、ただ自分はそのうつわ、
道具になればよいのだと思っています。
五井先生そういうのが空なのです。その大確信が自然に出来る、そしてその確信も消えて、確信
もなにもない、ふわーとしている、というようになるといいのです。
119
霊光写真の力
120
伊藤話は別になりますが、この霊光写真はお守りだと信じている人と、それを信じないで持って
いる人とでは、効果に違いがありますか。
五井先生信じている信じていないは関係ありません。これは昔、法然上人が、私の念仏も信者の
唱える念仏も変りない、といったのと同じなのです。他力なのです。
金子知っている知っていないにかかわらず神様は守っていて下さるのですものね。
斉藤ただ信じてこれは力があり、守っていて下さるのだと知っていた方が、人間側からいえばと
くですね。けれど力を知らない人でも、不思議なことを体験し救われて、はじめてこの写真を信ず
るようになるのですね。
横関力を知らないて、家の人などにそっと持たされて旅行していた人が、災難を逃れたという体
験は沢山あります。
山崎堀田和成君の体験なのですが、霊光写真ではなく、先生が両手をひろげている写真がありま
すね。あれが家に飾ってあるのだそうてす。堀田さんの子供は、外へ出かける時は必ず、写真にむ
かって「五井先生いってきます」といって遊びにゆくそうです。ある日そうして三輪車にのって外
へ出ていったら、向うから来た自動車にぶつかってしまったのてす。見ていた人はもう駄目だと思
ったらしいのですね。三輪車はぐちゃぐちゃになる、子供はと見ると、自動車の下から、チョコチ
ョコ出て来たのだそうです。カスリ傷もなく、内出血もなかったというのです。近所の人が不思議
だ不思議だというのだそうてす。その場所は魔の場所で何人もひかれたところなのだそうです。
五井先生私を写した場合は、霊光写真も普通の写真も同じですね。それからバッヂでも力があり
ますよ。
斉藤私の知人で矢野という人が、泥棒に入られたのですね。財布の入った洋服を盗まれてしまっ
たのですね。それで家の廻わりを見ると、垣根にその洋服がお金も盗まれないままてかかっていた
のだそうです。不思議だなあと思って洋服を見たら、バッヂがついていたのて、ああこれのお陰だ
なあと思ったそうです。とても感謝していました。
泥棒はバッヂから出る光りにこわくなったのてしょうね。
村田田舎の親類の子がいたずら坊主で、柿の実をとろうと思って、屋根に登ったのですね。ちょ
っと足をすべらせて、真逆様に落ちてしまった。両足がといにひっかかった時もう駄目だと思った
のだそうです。それに下に石が置いてあったのだそうてすが、なんともなく無事だったそうてす。
この子は霊光写真をお守りとして持っていたそうて、家の者も不思議に思ったり感謝したりしてい
ました。
文責高橋英雄白光三十三年九月号掲載
izi
霊光写真の光明波動科学的に確認さる
五井先生の霊光写真は多くの人々にお守りとして持たれていますが、そのお蔭てラクラク出産出来
た、あるいは、自動車事故に遭ったが、奇蹟的に怪我一つしなかった等の報告がたくさん寄せられて
います。
また霊光写真は、土地の浄め、地球浄化のために、日本中の縁ある土地に埋められ、海中にも投下
されています。さらに、海外に出掛ける人々によって、世界各地にもたらされています。
聖ヶ丘統一会のこ法話の中で、昌美先生は、会員の皆さまのお蔭で世界中に運ばれた霊光写真が、
神さまの働く場として、これからいよいよ大きな力を発揮する、とおっしゃいました。
この霊光写真についての興味深い論文が、サイ科学(第6巻2号、日本PS 学会発行) という雑誌
に掲載されました。発表者の瀬戸氏はS大学医学部研究生(当時)現歯学部に籍を置かれる学究の方で
す。
霊光写真の光明波動を科学的に確認した貴重な資料てあると思われますのて、瀬戸氏およびP S学
会の許可を得て、以下、論文の霊光写真に関する主要部分を抜粋し、転載させて頂きます。
122
論文
光明波動により地球の業波動を
対消滅させるサイ実験系の開発(抜粋)
瀬戸明
X線フィルムによる放射性光明波動発生体の発見
サイ科学の発達においてまず必要とされる条件は、サイ波動がどこても誰ても簡単に手にはいることてあり、
かつそれが実用上安全てあり、その放射出力も充分大きいものてなければならないということてある。
ヨガの行をすれば、高出力の波動を発生てきるかもしれないが、どこても誰てもというわけにはいかず、安全
性の面ても一人てやるには問題がある。また人間の出す念力を使うのてあるから、特に長期にわたる実験の場合、
波動の品質管理の面から問題が残るわけである。
実験で発生させたいサイ波動というのも、どのサイ波動でもよいというものてはなく、地球が今日危機的状態
におかれていることを考えるならは、少なくともわずかても地球の波動状態をよくする波動を最優先て発生させ
なければならない。サイ科学の研究が完成してから地球を救済するのては遅すぎるのてあり、ちょっとしたサイ
123
たわむ
研究て使用する波動が即、地球の浄化・補正のために使われるような波動でなければ、サイ研究て戯れているう
ちに、地球界は亡んでしまうところまで我々の地球はきているのである。
そういった今日的情勢をふまえた上で、コストの面でも、入手性の面でも、安全性の面でも申し分なく、かつ大
量のパワーが得られ、たとえそれを使って研究が成功しなくとも、それはそれて地球浄化のために貢献するだろ
うと思われる放射性光明波動発生体が存在することを最近発見したのて、まずここに報告する。
写真1は通常霊光写真と呼ばれているものであり、3 ×4 ㎝ のコダックペ
ーパーを使用した単なる白黒写真である。希望者には誰でも入手出来る写真
である。これは1 980年8月17日に亡くなられた宗教家「五井昌久氏」を
師の弟子である島田重光氏が昭和23年なにげなく写されたものであり、師の
写真1 霊光写真
肉体は写らず、霊光体だけ写ったという一種の神霊写真である。(入手先は白
光真宏会まで、千葉県市川市中国分5- 261 27)
それが事実であるかどうかは判らないが、この霊光写真の効力については
色々言われており、筆者も早々X線フィルムを用いて、霊光写真から放射さ
れているといわれている光をキャッチしようと試みてみた。すると意外にも、
写真2にあるような霊光がX線フィルム上に見事に捕獲されたのである。こ
の時使用したX線フィルムは写真3のものであり、超低感度仕上げのもので、
通常胸部レントゲン用に用いられるものの10分のーの感度しかもたないもの124
写真2 霊光写真より放射された
光明波動1(X線フィルムによる)
矢印部分に「五井先生を写した」
と焼きついている
写真3 使用したX線フィルム
である。そのフィルムの名称はフジソフテックスFG フィルムという。この
実験ては霊光写真は、それと共に配布されている薄い紙に印刷された由来書
きによって包まれて使用され、これをX線フィルム上にのせて、二重暗室中
て一晩放置したのである。
翌朝暗室中でX線フィルムを取り出し、フジソフドール20℃ 3分と型どお
り現像定着処理をして、写真2の像を得た。
写真の矢印の部分に文字がはっきり焼き出されており、「五井先生を写した」
とプリントされているが、これは霊光写真を包んでいる由来書きの文字のあ
る部分だけ焼きついたものである。(写真4)
それにしても何行もある文字のうち、「五井先生を写した」というところだ
け焼きついたというのだから、霊光写真という放射性光明波動というのは、
実に芸が細かいものだといえる。
同じ条件て何も処理しなかった同じケースのフィルムを、コントロールと
して現像したところ、何の画像も現われなかった。写真5 ・6 は、別の霊光
写真を用い、その霊光写真をむき出しのまま何の紙にも包まずX線フィルム
上にのせたものであるが、やはり霊光がはっきり検出されている。
3 ㎜ 厚の鉛板にはさんても感光し(写真7V、この程度の遮蔽は何なく通過125
彫医■
写真4 写真2の矢印部分の拡大
写真「五井先生を写した」と見える
写真5 捕獲された光明波動2
(X線フィルムによる)
し、それでいて電離箱にほとんどひっかかってこない線質というのは、やは
りサイ波動の部類に入れられなければならないものであろう。囑
このようにサイ波動というのは、紙一枚からも放射されえるものであるか
ら、従来の電磁気論に把われて研究を進めることは考えものである。むしろ
紙一枚にすぎない「単純性」こそ、良好な振動共鳴条件を成立させているの
かもしれない。
この地球上.て紙一枚で発生できる高次元光明波動はそうあるものてはなく、
霊光写真という放射性光明波動発生体の発見確認は、サイ波動科学の発展に
多大な貢献をするものといえよう。
放射性光明波動発生体の放射理論
また単なる紙きれが、かくも大量のエネルギーを放射し続けるということ
は、単独ではありえないのだから、その背後に、この紙きれに大量の波動を
供給し続ける莫大な供給源があるに違いないのである。この供給源を仮にX
波動界と呼ぶと、その波動界は、当然霊光写真と波長が合っているはずだか
ら、その供給源であるX波動界も、何らかの要素で五井先生の霊的振動条件
と合致していなければならないということになる。
写真6 捕獲された光明波動3
(X線フィルムによる)
写真7 鉛板を通過した光明波動
反転画像(X線フィルムによる)
以上いずれも一九八一年八月撮影
ではその五井先生の霊的振動条件とは何ぞやということになるが、筆者も
五井先生に会ったことはなく、五井先生の創設した白光とも直接の縁はない
ので、唯一師の書籍を読んで考えてみるに、「世界人類が平和てありますよう
に、竃〉く勺国》O国℃菊国<>F OZ 国〉力日=」の祈り言にある光明波動とい
う振動条件に、師の霊的振動条件は尽きているようである。五井先生の霊的
振動条件は「光明振動」であるなら、逆に、霊光写真に波動を供給し続ける
あのX波動界というのは、その源てあるところの「大光明波動界」というこ
とになり、それが筆者のような一介の人間にも光として到達し、誰かれの区
別なく、カルマがあろうがなかろうが、遮蔽されようがされまいが、光を放
射し続ける特性を有していることから、このX波動界というのは、「救世の大
光明波動界」だといえるのである。
おわりに
本実験の大きな意義は、筆者のような非超能力者が行った実験であるとい
うことに尽きる。筆者のように平凡な人間でさえ、本稿にあるような基本的
実験系を組みさえすれば、地球の業を解くために常に待機している救世の大
光明の働きにふれることが出来るのである。なお筆者は白光真宏会の会員で
127
も何でもなく、サイ科学誌上でP Rをするために取り上げたのではないことを最後に申し述べておきたい。本研
究は、たまたま筆者が、霊光写真の放射エネルギーをX線フィルムに捕獲したところから始まった研究であり、
その後、続々と円盤や霊写真が撮れたという事実を本稿で報告したに過ぎず、その事実を元に、最も蓋然性のあ
る結論を出したに過ぎないのである。(サイ科学第6巻2号より)
its
以上、論文のうち、霊光写真に関する主要部分を抜粋させて頂きました。
本会会員で、かつてPS学会の会合に出席していた鈴木俊幸さん(千葉県船橋市在住)は瀬戸氏の論文を通読
して、次のような感想を述べています。
「論文に示されている実験結果の価値ある点は、やはり筆者もいってるように、白光の会員でもない非超能力者
によって、光明波動、神霊、円盤の存在が確められたということだと思います。地球人類をとりまいている状況
が、さらに厳しく困難になり、その対応に人類ひとりひとりが、本当に知恵をしぼり、力を出して行かなければ、
押し寄せる数々の問題の波を乗り切れないのてはないか、という気持を強める昨今、また平和運動もにわかに広
がりを見せる中で、白光の活動も新しい段階に入りつつあるのではないかと思われます。
そういった時期にかねてから、客観的に科学的に証明されるのが待たれていた光明波動、神霊、円盤の存在が
第三者によって私達の目に見える形で確かめられ、なおかつ、P S学会という公の場て発表されたということは、
とても意義のあることだと思います。み教えへの信を新たにし、益々、世界平和の祈りを祈りつづけて行きたい
と思います」白光五十七年七月号掲載
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