teachings
Facebook
Twitter
Instagram
メール
8/20/2022
五井昌久著
天の心かく在り
著者(1916~1980)
刊行のことば
ひじりがおか
聖ヶ丘講話とは、昭和三十年代後半から昭和四十年代にかけて、千葉県市川市にあった
聖ヶ丘道場での統一会(講話と祈りの会)における五井昌久先生のお話である。
お話はたいがいは質問に応えてなさったもので、質問内容もさまざまなら、お話も多岐
にわたっていて、ごく身近の問題から、ひろく世界の平和や宇宙の問題、霊界や死後の生
活のこと、永遠の生命の覚醒、霊性開発という本質的な問題、またご自分のことなど、き
わめて親切に、判りやすくお話しくださり、人間とは何か、人間はいかに生きてゆくべき
うたゆ
かについて、倦まず弛まず説いてくださっている。
本書は、その中から主に日本と日本人の使命について説かれたものを中心に収録した。
また、祈りによる平和運動、並びに、これからの世界がどう変わってゆくかということ
に関するお話も加えた。
平成十六年四月編集部
1
亀
日本の天命2
世界中が必死に自国を守ろうとしているときに
何んと呑気な日本人
祖国の生きる道を真剣に考え
人類の平和に祖国を役立たせようとしているのは少数の人々
祖先からずっとひきつづいてこの国土に生かされながら
祖国を愛することをすっかり忘れきっている日本人
な
日本を異邦人の思想にぬりつぶして
それで世界を平和にしようなどという
世にも愚かしいことを思ってみても
それは闇夜の中の出来事
世界の光明化をはばもうとする行為にすぎない
日本には日本の天命があり日本の心がある
その心は神に帰一する素直な明るい心
神のみ心がなくては人類がここに存在しないと同じように
日本がなくては日本人は存在しない
日本は単なる島国ではない
神の大調和のみ心をこの世に実現する中心の場だ
異邦人の思想に動かされて日本を見失ってはならない
日本を真実の日本たらしめてこそ自己も救われ人類の平和も実現する
3
私たちの世界平和の祈りはその先きがけの夜明けの祈り
地球世界を守る為に
日本の存在がどんなに大事なものか
はっきり判る時が次第に近づいているのだ
4
注: -異邦人とはキリストのいう、神にそむく人々の意
(詩集『純白』より)
目次
第1章日本の進むべき道
日本と日本人の使命-
日本の進むべき道-
日本の天命は何か
日本民族とユダヤ民族-日本人の使命4
5
第2章世界の平和と個人の平和
祈りによる平和運動とは
たまちから
大調和の魂力を発揮する
まず心の平和を2
人生光明化の鍵脳
宗教精神と平和運動m
6
第3章これからの新しい世界
新しい世界を築くm
新しい波動新しい人類蜘
今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
今度は地球の完成する番斑
158
7
ブックデザイン・渡辺美知子
日本の
進むべき道
欝日本と日本人の使命
10
自国を通して人類に貢献する
私は日本を非常に愛しています。しかし、最終的な段階としては、国というものはなく
なってゆくと思います。国というものがなくならなければ、本当の意味で世界は平和にな
りません。
国を守るということになると、どうしても自分の国家の利益が先に立ちます。現在の人
間の頭では、好むと好まざるとにかかわらず、日本人は日本を守ろうとする。そういう気
持ちが湧き出てくるのです。アメリカ人はアメリカを守ろうとする。中国人は中国を守ろ
うとする。
とにかく、自分の国を守ろうということは、頭で考えて、いい悪いじゃなくて、そうし
ないではいられない、というものが湧き上がってくるものなのです。それは自分の一家を
まず守ろうとするのと同じで、だからキリストも”近きより遠きに及ぼせ” と言うわけで
すが、どうしても近いものを守ろうとする。
例えばスポーツをやっていてもそうです。日本とアメリヵが試合をやっていれば、日本
人はどうしても日本を勝たせたいと思う。ボクシングでも何でもそうですが、日本人が負
けるのを喜ばない。やっぱり相手がノックアウトされることは喜んでも、こちらがノック
アウトされると嫌になっちゃうでしょう。そういうものがあるわけですね。
身近かな者を愛する、身近かな者を守ろうとする。それは悪いんではなくて、今の人間
としてはそうなっているんです。だから現代の人間としては、日本人は日本のために働く
のが当たり前なのです。日本人は日本の国を通して、人類に貢献するわけです。
11 日本と日本人の使命
日本と日本人の使命とは
12
ひもと
それで日本の国の使命は何かというと、日本というのは日の本です。日というのは霊で
ひれいあまくだてんそんこうりんもと
すから、霊の本、霊が肉体界に天下って来た、天孫降臨といいますが、その本はやっぱり
日本なんです。そういう意味では中心の国なのです。
だいわ
日本はあくまで霊の本であり、大和の国、やまとの国といいまして、大調和の中心とな
るべき国なのです。そういう使命を持っている。
従って、大調和精神というものは、日本から世界中に振りまかれなければならないよう
な
になっているわけです。だから”世界平和の祈り
” のような大調和の祈りは、アメリカか
ら出るんでもなければ、イギリスから出るんでもなければ、中国から出るんでもなく、日
本から湧き上がって来て、そしてずーっと世界中に広がってゆく。そういう天命を日本は
いやおう
持 っている。否でも応でも、そうなるべきものを持っているんです。
そして日本人が、真実に日本のために尽くすのには、日本人一人一人が、本当の意味で、
世界を平和にしよう、世界中が平和であれ、世界人類が平和でありますように、という想
いに結集することによって、日本の使命が達成されるんですね。
だから何をおいても”世界人類が平和でありますように” ということは、日本人として
やらなければならないことなんです。日本人の一人一人が、どうしても、否でも応でも、
そうしなければならないという、そういう天命を日本が与えられているんです。
ですから世界平和の祈りというのは、日本に必然的に生まれた運動なのです。この運動
は、否でも応でも、広がらなければならないわけです。
広がらなければならないわけだけれども、焦って広げようとしてもダメなんです。
それは、神々と肉体の人間との協力、調和によって生まれてくるわけですから、こちら
としては、一生懸命、努力する。しかし焦らない。
すると、神々のほうでは、人間が努力している、目的に向かって想いを集中していると
ころへ働きかけやすいから、それで神々との調和によって、平和運動が大きくなってゆく
わけです。
13 日本と日本人の使命
、
だから、どうしても日本人というものは、日本の天命である大調和精神を発揮して、
界平和の祈りにすべて結集しなければならないようになっているのです。
どうぞ、そういうことを自覚してください。
世
14
人々の想いを平和に結集する
否とか応とかではなくて、そうなるべくしてなっているんです。アメリカにはアメリカ
の使命がある。イギリスにはイギリスの使命がある。中国には中国の使命がある。そして
あらゆる国の人々は、自分の国家を通して、人類に貢献してゆくわけなんです。
ところが今のところは、国家を通して人類に貢献していないのです。みんな自分の国家
だけを守って、人類と離れてしまっているわけです。
アメリカはアメリカで、共産主義をやっつければいい、そうすればアメリカは安泰だと
思っている。ところが、やっつけるという思想の中には、人類のためになることはないの
です。人類の調和の波を乱すことがあっても、人類の調和の波を益すことはないわけです。
つぶ
だから相手を叩き潰して平和を創ろう、なんていう思想は、絶対、日本のものではあり
ません。それを私は強く強く、いつも言うわけです。アメリカが考えることは、アメリカ
の勝手かも知れない。しかし、日本が忠告することは必要ですね。
日本は大調和の国として、その使命感に燃えて、それでもってアメリカ、中国、ソ連、
あるいはいろんな国に、それを勧告することは必要なわけです。
それだけの力を持つためには、日本の国民が全部結集して、世界平和しかないんだ、と
いうようにならなければダメなんです。
そこに結集させるためには”世界人類が平和でありますように” という、誰しもが唱え
られる、この平和の祈りを広めてゆくのが一番いいわけです。
それは日本人一人一人の責任でもあるし、日本人一人一人の天命でもあるわけなのです。
(昭和四十一年二月)
注1 世界平和の祈り……巻末参照。
15 日本と日本人の使命
働日本の進むべき道
1G
天の心は大調和の心
さだめ
「天の心しかと確め日本の運命の道を我が文にする」
という私の歌がありますが、この歌を説明すれば”天の心、いわゆる神のみ心をハッキ
リと確かめ、こういう道が本当の道なのだとハッキリ判って、天の法則というものはこう
なっているのだから、日本はこうしなければならない、日本の運命はこうでなければなら
いたず
ないと文章にしているんですよ、ただ徒らに書いているんじゃありませんよ” ということ
です。
天の心とは何かというと、大調和の心です。
宇宙の法則というものは、あらゆる部門において調和に向かって進んでいる。
例えば電流が流れるのにしても、ある金属からある金属に流れる時、仮に電子が片方に
三〇あったとする、片方は二〇だとする。三〇ある電子のほうから二〇のほうへ流れてゆ
くわけですね。それが二十五ずつキチッと合うように、両方とも同じ電子の数になるよう
に流れる、それによって電流が生じるんですね。そのように調和させてゆくわけです。同
位するわけですね。
そういうふうに、すべての働きは調和に向かって突き進んでいるのです。ところが初め
は不調和のように出来ているのです。面白いですね。不調和のように出来ていて、それが
調和に向かってゆくところに、この世界の建設が行なわれているのです。
天の心は調和しているけれども、それを形の世界、波長の違った世界に現わすためには、
やはり一遍、不調和なものが現われて来て、それがお互いに調和に向かって働きかけてゆ
くことによって、この世界が成り立っているわけです。先ほどの電流のことを一つ取り上
17 日本の進むべき道
げてもそうです。
この地球人類というものは、調和に向かって働いているけれども、調和になりきってい
ない。しかし調和になることが神様のみ心なんです。その神のみ心を確かめてみると、宇
宙の法則というものは、すべて調和に向かって働いているということなんです。
18
天の心から世界情勢を眺めると
今の世界情勢を見ていて、右が悪くて左がいい、あるいは左が悪くて右がいい、とにか
く相手を叩き潰してしまえ、というような思想があります。要するに敵を認める思想です。
それは調和から離れてゆく思想であるわけです。
例えば中国が悪くて、ソ連も悪い。アメリカは善いとします。しかし、アメリカは原爆
でもなんでも落として、共産党を抹殺してしまえ、というつもりでベトナムを爆撃してい
るわけですね。
これは天の心から眺めて、いいか悪いかすぐ判るんですよ。利害関係なしに、客観的に
眺めれば、爆撃して人を殺していることは、絶対善いことではない。そんなこと天の心を
しかと確かめていればハッキリ判ることです。
ところが何かかんか理屈をつけると判らなくなってくる。しかし、初めから天の心その
ままで見れば、いけないことがハッキリ判る。
どういう理屈をつけているかというと、もし南ベトナムで今の政権が負けたらば、北ベ
トナムが入って来て、ベトナム全土が共産主義になってしまう。さらにそれがアジア全体
に浸透し、アメリカにも浸透して、すべてが共産陣営になっちゃう。だからそれを防ぐた
めには、どんな方法をしても、爆撃しても何しても、共産主義をやっつけちゃわなければ
ならない、ということになるんです。
日本もアジアだから、日本もやっぱり共産主義に浸透され、占領されてしまう。そうし
たら大変なことになる、という理屈がつくわけなのね。
ところが大変なことになるか、大変なことにならないか、そんなこと起こってみなけれ
19一日本の進むべき道
ば判らないことです。なるかもしれないし、ならないかもしれない。それは未知のことで
きち
す。ところが爆撃すると、人が死ぬということは未知ではなく既に行なわれている既知の
ことなんです。爆撃が一回行なわれれば何百人、何千人と死ぬでしょう? 現実に人間の
生命を奪っているわけです。
人間の生命を奪って調和になったとは言えませんね。爆撃して人間を殺して、お互いが
撃ち合って、殺し合って、それで調和したということは誰も考えられないでしょう。
ところが国の利害とか、目の前の利害とかいうことになると、それが判らなくなる。不
思議なものです。
20
厳然として大調和に向かって進め
だから私は、それじゃダメだと言うのです。
いかなる事態が起ころうとも、自分に損失を招こうとも、いかなる状態になろうとも、
天の心である大調和というものを、しっかりと心に見定めて、自分の道を進んでゆかなけ
ればダメなんだ。それで天の心のままにやっていて、大調和の道を進んでいて、それで、
もし、自分が滅びるならそれでもいい。また国が滅びるなら滅びてもいいんです。それは
神様の心から見て、いらないのだから。この地球界にいらないのだから、それは滅びても
いいのです。その時は、あの世で最もいい所へ行きます。
いかなることがあっても、卑怯未練なことをして、自分の都合のよいような弁解をして、
敵をつくって、やっつけたりすることは絶対いけない、と私は言うんです。
変わりなく神のみ心だとハッキリ判ることは、お互いが喧嘩をせず仲よくする、そして
大調和に向かって進まなければならない、ということです。
だから世界中が仲よくするためには、相手をやっつけて、相手をぶん殴って、相手を懲
らしめて、それで俺は勝った、それで平和になったということは有り得ません。
例えばアメリカが原爆をもって中国をやっつけて、中国が滅びたとします。だからとい
って平和になるか? なりません。まだソ連がいます。中国をやったらソ連ともやらなけ
21 日本の進むべき道
ればいけない、また他の国ともやらなければならない。年中、戦争が繰り返される。
だけならまだしも、そんなことを繰り返しているうちに地球は滅びてしまいます。
それ
22
相手を滅ぼして平和になることはない
ところがアメリカのある一部の人、日本のある一部の人は、何でもかんでも共産党をや
っつけなくちゃならない、爆撃しても何しても絶対手を引いちゃいけない、やっつけちゃ
えと言うo
やっつけちゃえ、という心の中に、なんで愛があるものか。調和があるわけがありませ
ん。相手をよくするために叩くのじゃない、ただ相手を滅ぼしちゃうんですよ。いいです
もうたくとう
か。共産主義者はみんな悪魔じゃありません。毛沢東は悪魔じゃありません。爆撃すれば
死んじゃうんです。やっつけて、殺して、それで平和になるということは絶対ないことを、
私は断言します。それは神のみ心ではありませんから。
私は反米でもないし、反共でもない。私の立場はそんな主義がどうだとか、こうだとか
いうことではありません。
だけれど、公平に、天の心をしかと確かめてみると、何遍確かめても、天の心は大調和
です。人類は大調和に向かって進まなければならない。人を殺していいことがあるわけが
ない。叩けば叩かれる。いかに向こうが悪かろうと、相手を殺せば、自分のほうに必ずつ
けが廻ってくるんです。だから、もしアメリカが中国なら中国を爆撃して滅ぼしたとして
ごう
も、その業はやがてアメリカに廻ってくる。
カルマ
「共産主義よしと思はね武力もて叩けばかへりくる業の波は」
業の波というのは、相手が悪いか何か知りませんけれども、叩けば、やっつけて殺せば、
殺したものだけ必ず自分に返ってくる。その味方をした者にも返ってくる。日本が味方を
すれば日本にも返ってくる。目には目を、歯には歯を、という言葉があるように、必ず自
分に返ってくるんです。そういうようになっているのです。だから、天の心をしかと確か
めて、そして一つ一つの行ないをしなければダメなのです。
23 日本の進むべき道
自分に都合がいいからこうやろう、都合が悪いからこうやろう、というようなことは、
いさぎ
個人にとっても、人類にとっても、国家にとってもそれはダメなんです。滅びるときは潔
よく滅びればいい。死ぬ時は潔よく死ねばいい。
そういうふうに生きてゆかなければ、人間というものは立派にはなれません。いつもい
せんせんきょうきょう
つも、年中敵を見て、あいつがこうやったら、こっちもこうやってやろう、と戦々恐々と
して不安な想いで生きている。
そんな不安な想いで生きてゆくなら、この地球界に生きていなくてもいいんです。
24
徹底した平和の道から生まれた教え
私は徹底的な平和論者です。徹底的に平和を論じ、平和の道を進もうと思ってます。
ぱ
こから生まれたのが”消えてゆく姿で世界平和の祈り” の教えなんです。
私は本当はこういう歌を書くよりは、叙情的な、例えば
そ
うれ
「梢の雪はらりと散りて現はれし花は椿と見て過ぎにけり」
こういう歌のほうが好きなんです。きれいな歌のほうが。でも時局の歌を書かないでは
いられずに書いているんです。
「日本には日本の道ありにけり思想を超えし平和の祈り」
日本は、思想じゃないんです。イデオロギーじゃないんです。その本然の姿が、本心の
姿がそのまま現われるのが平和の祈りなんです。
だいわ
日本は大和の国なんですね。平和の国なのです。大調和の国です。だから日本には日本
の道ありにけり思想を超えし平和の祈りー。アメリカがどう騒こうと、中国がどう騒こ
うとそんなことは関係ありません。日本は日本で、まっしぐらに平和の道を進んでゆけば
いいんです。
日本の国民一人一人が、みんな想いを一つにして、平和の祈りに向かって進まなければ
ダメなんです。大調和に向かって、神のみ心に向かって、平和の祈りに向かって進むのが、
日本の天命なんです。それを私は天の心をしかと確かめて、こうやって伝えているんだ、
25 日本の進むべき道
ということです。
2G
人間は情緒を養うことも大切
それから皆さんね、やっぱり人間には情緒というものがなければいけません。
情緒というのは、調和したひびき、愛のひびき、叙情といってもいい。もののあわれを
感じる、ものの美しさを感じるとか、人の心を思いやるとか、そういう微妙な心をひっく
るめて、情緒と言うんです。人間にはそれがないといけません。
例えば宗教の話をするんでも、ただまっ向から話したって情緒がないんです。相手に嫌
われちゃいます。
愛の心、思いやりの心、みずみずしい心、潤いの心、これらが情緒なんですね。やはり
潤いある人間にならなければダメです。干からびた人間になっちゃいけませんよ。
体は七十歳、八十歳の老人になれば弱って来ます。けれど心を干からびさせてはいけま
せん。そのためには、和歌を詠むとか、俳句を詠むとか、詩を書くとか、合唱するとか、
しよ
書を書くとか、画を描くとか、自然を眺めて、自然の中の良さを見るとか、そういうのが
いいんです。
芸術というと面倒くさすぎるけれども、もののあわれを感じる、ものに対する愛情を持
つ、一本の草木に対しても愛をもって見る。ただ一つの石に対しても、その石の格好、転
がしてその転がってゆくのを見る。それでなんとなくあわれ味を感じ、愛情を感じる… … 。
そういう愛情が歌になったり、詩になったり、句になったり、言葉になったりして出る。
そういう持ち味を養うことは、ただお説教するより、ずーっと相手に感銘を与えるものな
んです。どうぞ、そのことも覚えておいてください。
(昭和四十一年二月)
注2 消えてゆく姿で世界平和の祈り… …すべての悪や過ちを責め裁く代わりに、前生の因縁の消えてゆ
く姿とみて、世界平和の祈りに託して、神の光明波動の中で消し去ろうという教え。
27 日本の進むべき道
働日本の天命は何か
Zs
神のみ心を外れたままの生き方では地球は破滅してしまう
人間が生きてゆくにおいて、どういう道をゆくのが一番いいか。それは、やっぱり神様
のみ心を現わすことなんですね。神様のみ心を現わすために、一人一人の人間も生まれて
いれば、いろいろな民族や国家もあるわけです。
だから、神様のみ心に外れた行ないをすれば、それだけ自分が人類にマイナスの影響を
及ぼすわけです。
神様のみ心に外れる行ないとは何かというと、愛に背いた行ない、それからいわゆる煩
悩と言いますか、業と言いますか、自我欲望、怒りの想い、恨みの想い、妬みの想い、恐
れる想いなどです。そういう想い、あるいはそういう行為、それが神様のみ心に外れるわ
けです。
ところが人間は、神様の想いに外れて久しく、長い間、神様のみ心に外れた行ないを、
ずーっとしつづけてきたわけですよね。それで、神様のみ心を外れた行ないが、戦争にな
ったり、天変地変になったり、何遍も、何遍も繰り返されてきているわけです。
それで今日では、核爆弾まで出来て、しかも人工衛星から、核ミサイルをどこへでも投
下できるような、宇宙から攻撃できるような兵器が、ソ連にも出来、アメリカにも出来て
いるわけです。いつの間にか、宣戦布告も何もないうちに、原爆が落っこちてくる危険性
が多分にある、そういう時代になってきた。
そうすると、これ以上、今までの神様のみ心を外れた生き方をしていたんでは、もうい
ずれ地球が破滅することは間違いないんです。このままの、今までの考え方で、自分の都
合の悪い奴は敵だ、敵は武力でやっつけなきゃならない、とそういう考えでゆくのでは、
29一日本の天命は何か
もうダメなんです。
ひつじょう
だからこのままゆけば、地球が滅びることは必定なんですね。どんどん、どんどん凄い
武器になって、それを実験するだけでも地球に悪影響を及ぼしてしまうような、そういう
時代になってきているわけですね。
実験するだけでどうしてダメになるかというと、実際に原子の灰なんかが降ってくると
いうこともありますが、それ以上に宇宙の気を乱すわけですね。調和している宇宙の気を
乱すわけです。
そういうものは争いのための道具ですから、原爆の実験をしながら、調和できますよう
にと祈っている人はいないんですよ。どれだけ効果があるか、どれだけ敵が余計に死ぬか、
そう思ってやっているわけでしょう?
そういう想いが地球にみなぎり、宇宙にみなぎるわけですよ。それはぶち壊す想いです。
物を壊し、人を痛める想いなんです。だから、そういう想いが、地球をぐるぐる回ってい
れば、天変地変が起こらないわけがないんですよ。
30
そういう想いが、天の気を、宇宙の気を乱すわけです。気が乱れれば、乱が起こるんで
す。それが天変地変になる。
空でも、大地でも、みんな気によって動いているんです。
大地は生きているんです。地球は生きているんです。地球はただの土じゃないんですよ。
地球霊王というのがいらして、地球とはその地球霊王の体なんです。霊の体なんですね。
霊体が中にあって、肉体があるのと同じように、霊があって、外が土のようになっている
わけですね。
それを、みんな単なる土だと思っている。何でもないと思っている。心なんかないと思
っている。
ところが、大地には心がある。だから、大地の心を乱し、気を乱してしまうわけです。
そうすれば、大地震も起きるでしょうし、天の気を乱せば、暴風雨も起こるでしょう。そ
ういうふうに、いつでも天変地変が起こり得るような状態になっている。
このまま、このような状態が続いてゆけば、戦争にまでならなくても、この地球は天変
31 日本の天命は何か
地変でダメになっちゃうかもしれない。
どう
ですから、もうこういう生き方をやめなきゃいけません。和して同じないような、各々
の天命が調和し、神のみ心に調和する。縦に神のみ心に調和し、横に人類相互が手を握り
まっと
合って、しかも自分に課せられた天命を完うしてゆく。そういう生き方をしなきゃならな
いわけなんです。
32
日本の天命とは何か
やまと
そこで、日本の天命とは何かというと、大調和精神、大和の心です。昔は、日本は大和
と言いました。大和精神、日本の日というのは霊ですからね。霊の本。自ずからそういう
天命の名前がついている。
そういうふうに、日本は元々大調和の中心の国なんですね。地球世界がいよいよ危なく
なる手前でもって、日本は太平洋戦争に負けまして、平和憲法を神様からもらいました。
アメリカが作ったとか、なんとか言うけれども、実はアメリカが作ったのでも、日本が作
ったのでもなく、天のみ心が、自然にそういうふうに作らせたわけですね。
そしてまた、天のみ心が、天皇制というものをなくさなかった。普通だったら、戦争に
負けたんだから、天皇制なんかなくなっちゃいますよね。天皇陛下もいなくなるに決まっ
ている。
それは何故かというと、天皇陛下が中心者になっていて、天皇陛下の命令でみんなやっ
てきたでしょう? 戦争も何も、みんな天皇の命令でやってきた。たとえ天皇が知らぬ、
存ぜぬと言ったにしてもーでも、言いやしないんですがね、本当は。ご自分が身を乗り
出して、ご自分が犠牲になって、人民を救ったんですから。しかし、普通だったら、帝王
とか、皇帝とかいうものは、「ワシは知らんのに、将軍たちが勝手にやった」と言うわけ
ですね。
そう言ったって、一番の中心者に責任があるのは間違いありません。だから、どこの戦
争にしても、どこの革命にしても、みんな中心者は反対派に殺されたりしてしまいます。
33 日本の天命は何か
あるいは、追放されたりして、その座にはいられなくなるのは当たり前なんです。今まで
の歴史を見ても、全部そうですよ。
ところが、日本は、戦争に負けて、無条件降伏しても、天皇だけは残された。それは、
天皇のお人柄というのもあるでしょうし、また、天の力が肉体の天皇をして、「私が一番
の責任者で誰も罪はないんだから、みんな私の責任なんだから、どうか私を処分してくだ
なヨ
さい」と、マッカーサーの所へ行ったんでしょ? そういうふうに行かせること自体が、
天の命なんですね。
しかし、マッカーサーは初めは迎えにも出なかった。天皇というのは、誰にも頭を下げ
たことがない人でしょ。それが、わざわざこっちから行ってー1負けたんだから仕方がな
いけれど、行った。ところがマッカーサーは迎えにも出なかった。
それが今度は、天皇が身を投げ出して、自分の責任だから、誰にも罪はないんだ、大臣
でも将軍でもなくて、自分がみんな命令を下したんだから、自分だけが責任を負う、とい
うふうに身を捨てた、いわゆるキリストになったわけですね。十字架に掛かったわけです。
34
そうしたら、マッカーサーが感激しちゃって、送る時は手を取って、ちゃんと玄関まで
送りに出て来たわけでしょ? それほどに、天皇に魅せられたわけですね。
ふしゃくしんみょう
それは、何に魅せられたかというと、不惜身命の覚悟で身を捨てた、キリストの状態に
はりつけ
なって、礫にかかって、自分の身を投げ出した、その天皇のみ心に感じたわけですね。
その天皇のみ心は、どこから来たかというと、天の、神のみ心がそのまま現われたんで
すね。いわゆるキリストが現われたんですね。それで天皇が、その時に本当の天皇になっ
た。
それまでの天皇は、本当の天皇じゃなかったんですね。ところが、終戦の時に本当の天
皇が現われた。日本の一番危機の時に、本当の神様のみ心が、そこに現われたんですね。
それで、天皇制がなくならなかったでしょ? 普通では考えられないことでしょう。一
番の元ですからね。負けた国の君主だから。それが、牢屋にも入れられなければ、首も斬
られなければ、何にもされないでご無事だったですね。それは、神様のみ心がそこで大き
く働いたわけです。
35 日本の天命は何か
そういうふうに、常に神様のみ心が働いて、この日本が守られているわけですね。
で神様から、天皇の存続と同時に、平和憲法というものが与えられたわけです。
それ
36
平和の想いに徹することが必要
そういうふうに神様が自然に、日本は大調和の国なんだ、大和の国なんだ、日の本の国
なんだということを、しかも日本が大調和を創る国なんだということを判らせるために、
平和憲法というものも出来ている。それがずーっとどうやっても壊れないで、今日まで来
ていますね。
細かい所は悪い所があるかもしれませんよ。しかし、根本的なものはいいですね。今の
自衛隊がいいとか悪いとか、そんなことは別問題ですよ。
いわゆる武力に頼って、国を守ろうなんていう古い考え、武力でもって国を守ろうとい
う古い考えを持っている以上は、日本の天命は発揮されないんですね。それでは日本の天
命は現われないんです。
ですから、やっぱり平和に徹するということが必要なわけですよ。そういうことは、初
めから判りきっているんですよね。
日本の国というのは、大調和を創るように出来ているので、そのために戦争に負けもし
たんだし、今日まで来ているんです。だから、日本は大調和の中心になる、平和な世界を
創る中心になる、ということは、初めから天命として判っているんですよ。
日本人が一番為さなければならないことは、一にも二にも、後にも先にも、一番最初に
しなければならないことは、みんなの心がひとつになって平和を願うということです。国
民みんなが平和を願っているんだ、唯一原爆を体験している日本なんだから、どこの国よ
りも平和を願っているんだ、誰よりも日本人は平和を願っているんだ、という、そういう
気持ちを海外に向かって、言わなければならないんですね。外国にどんどん、どんどん、
伝えなければならない。そういう役目になっているわけですね。
そこで私どもが、一生懸命、祈りによる平和運動ということで、リーフレットを配った
37 日本の天命は何か
り、パンフレットを配ったり、年中それを書いて出したりしているわけです。
38
一人一人の世界平和の祈りが未来の世界を創る礎になる
だから、一人一人の平和の祈りというものは、どれだけ未来の平和世界を創る礎になる
か、力になるかというのは、量り知れないんですよ。
気がつかないでやってらっしゃるかも知れない。あまり深く考えないでやってらっしゃ
るかも知れない。あるいは、深く考えた上でやってらつしゃるかも知れないけれども、皆
さんのやっている祈りによる平和運動というものは、今に国を動かし、世界を動かす基盤
になるんです。これは私が保証します。他にやり方がないんだから。
平和がいいんだ、戦争はいけないんだ、そう言う人はたくさんあります。
しかし、戦争が嫌だったら、戦争をしない方法を考えなければならないですね。戦争を
しないで済む方法は何かというと、国民全部が平和を願うことよりしょうがないでしょ
う? 平和を願うためには、一番最初に平和の言葉を出さなければダメですよね。「世界
人類が平和でありますように」、もう単刀直入にそういうのを出さなきゃダメなんです。
ところが今まで、世界人類が平和でありますように、とちゃんと祈り言にした人がいな
いんです。平和を願うとか、平和運動とか言っている人はある。あるけれども、願い事は
みんな違うんですね。今までの宗教的なことだとか、あるいは左翼の、いわゆるブルジョ
ア政党をやっつけうだとか、アメリカをやっつけうだとかいう、そんなんじゃありません。
私どもは祈りによって、平和の祈り一念で、平和の想い一念で、それでもってみんなの
心をひとつにしよう、という考えでしょ。
だから、祈りによる平和運動以外には、本当の平和運動はないんですよ。それを一人一
人が自覚して、一生懸命、平和の運動を進めるといいわけですね。
そうしますと、祈りによる平和運動をやっているということは、そこでは和してひとつ
になっているでしょ。神のみ心の中に、みんなそのまま入っているわけです。
しかし、お互いは、ある人は会社に勤めているかも知れない。ある人は家庭の主婦かも
39-一日本の天命は何か
知れない。あるいは会社の社長であるかも知れない。あるいはお医者さんであるかも知れ
ない。科学者であるかも知れない。法律家であるかも知れない。政治家であるかも知れな
い。みんな自分の天命を完うするため、それぞれの職場で一生懸命働いていらっしゃる。
どう
それでいて、心がひとつに結ばれている。本当に和しているんですね。しかし、同じてい
るわけじゃないんですね。
みんな、置かれた立場で一生懸命やりながら、それで平和の祈りをやっているわけです
ね。ひとつに入っていながらも、しかも同じていないんですね。みんな、各々の個性を発
揮してやっているわけです。それを”和して同ぜず” と言うんですよ。
そういうふうにやってゆくことが大事なわけですね。自分の職場で、自分の置かれた環
境で一生懸命、平和運動をやればいいんです。
しかもそれは、平和を戦い取る、なんていう闘争的な平和運動じゃないんですね。祈り
の心によって、自然に平和にしてゆく。そういう運動です。
だから、今のところは、祈りによる平和運動の、この運動以上に、本当に平和を創る運
40
動はありませんですよね。それを一人一人が、よく自覚していただければいいですね。
(昭和四十二年十二月)
注3 マッカーサー… … アメリカ陸軍元師。第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官として日本占領に当
たった。
41 日本の天命は何か
衛日本民族とユダヤ民族
日本人の使命
42
縦の民族、横の民族
ユダヤ民族というのは、随分歴史の古い民族です。日本民族も同様に古いですね。日本
やまといん
民族(大和民族)を陽の民族、縦の民族とすれば、ユダヤ民族は横の民族、陰の民族で、お
互い似通っているところがあるのです。
何が似通っているかというと、日本では神々が天下ってきた天孫降臨民族と言いますね。
ユダヤ民族は神の選民と言っています。神から選ばれた民族なんだと、固く信じています。
ただ選ばれた民族だから、うんと鍛えられて、たくさん迫害に遭うそ、とも思っているん
ですね。だからその通りに、ユダヤ民族は、長い間自分たちの国を持ったためしがなく、
いつもいつも他国家、他民族によって侵されて来ていたわけです。
第二次世界大戦が終わってから、エルサレムのあるところに、ユダヤ民族が集まって、
とうとう一つの国に住めるようになりました。やっと自分たちの国が出来たわけです。
ユダヤ民族は、自分たちは神に選ばれた民族だ、という強い自覚があるものだから、そ
の自覚というものが素晴らしい力を発揮させる。魂的な力が非常に強いわけです。
人間というものは、自覚を持って、自分は大した者だ、自分は何でもやれるんだ、とい
う信念を持てば、非常に力が出てくるものなのです。
野球なんかでもそうです。自分は調子が悪い、なんて思っていたら打てやしません。自
分は絶好調だ! 打てる、と思って打ちはじめたら、どんどん打てるでしょ。そういうふ
うに、自分が信念を持ち、自信を持つと非常に力が出ます。
それと同じように、ユダヤの人々は、先祖代々からの強い信仰により、神様に選ばれた
民だ、というので非常に自信を持ち、力を持っているわけね。それでユダヤの人々は流浪
43 日本民族とユダヤ民族一日本人の使命
の民で、世界各地に分散し、アメリカにも、イギリスにも、ソ連にも、世界中どこにでも
いるわけです。
でもみんな自覚と信念を持っているから、人の上に立つ立場になったり、商売をすれば
金持ちになる。科学者になればノーベル賞をもらうような人が出てくる。非常にたくまし
く、さまざまな分野で力を持った。そこで各国の民族たちが非常にユダヤ民族を恐れたわ
けです。ドイツなどは特に恐れたわけです。
そこで、各国でユダヤ人排撃運動が起こった。このまま放っておくと、ユダヤ人に全部
ひざまず
占領されてしまう、ユダヤの民にみんな脆かなければならない、と思ったわけですね。そ
れでユダヤ民族の排撃運動が起こったわけですね。
もう一つは、ユダヤ人が同じユダヤ人であるイエス・キリストを迫害したでしょ、傑に
しました。そういうこともあって、キリスト教国であるヨーロッパの人々は、皆ユダヤ人
を排撃した。
しかしそれらを押しきってイスラエル国をつくり、今とても栄えています。恐るべき底
猛
力のある、自分の民族に確信をもった民族です。今後も非常に影響力が大きいでしょう。
かんだいわ
これと対比して、日本民族というのは、神ながらの国、大和の国、大調和の国で、のど
かなんです。本質が非常にのどかで、のんびりしたものを持っている。そして自分たちは
選ばれた民だなどと、胸を張るような、威張ったものがない。
しかし戦争中には威張っていました。戦争中は、日本は神国だ、とやった。それで負け
た。結局、力がないのに威張ったからです。日本民族はユダヤ民族のように、根っから選
ばれた民だ、と自覚を持っている民族じゃないんです。
神ながらの国というのは、柔かい感じで、自然とスーッと流れているような感じです。
それは魂の素質なんです。だから、自分たちは神に選ばれた国だから、各国各民族から反
逆されたり、ひどい目に遭うという意識もない。ただ、素直にスーッと流れているだけで
す。
それでいて本質は、神の中心の国だ、大調和の国だという心が中にあるんです。それで
自然に神に守られている感じを強く持っているわけ。ただ選ばれた民族だなどという、意
45 1ヨ本民族とユダヤ民族一日本人の使命
気ばるものがありません。素直なんです。
ユダヤ民族は自覚を持って生き、日本民族は素直にスーッと流されている。形としては
違うけれど、中身としては非常に似通ったものがあるんです。神の中心の国であり、民族
であるというものを、両民族とも持っているわけです。
陽の日本の魂と、陰のユダヤの魂と、東西二つの民族。さあこれからどうなるかは、今
に判ってきます。
ユダヤ民族と日本民族の天命
ユダヤ民族というのは凄いですよ。ユダヤ民族が本当の世界平和のために、本当の意味
で働きはじめたら、これは真実、世界平和のためになると思います。
だいわ
また日本人は、大和の国、大調和の国という天命を持っているわけです。この地球世界
に大調和世界を築くための中心の国。否でも応でも、そういう天命を日本民族は持って生
4G
まれて来ているんです。
だから、日本民族は武器を持ったり、あいつは敵だからやっつけなければならない、と
いうような立場で立つ時は、天命に反するから必ずダメになる。あくまでも大調和精神で
平和にするんだ、という深い強い信念を持たないと、日本は立ってゆかない。それを神様
が私に教えてくださったんです。
そこで私は、あくまでも、右も左もなく、すべて平和のためを思い、どうしたら日本が
平和になるか、どうしたら世界が平和になるか、そればっかり考えています。
祈りがない運動をしたら、必ず対抗意識が出てくる。これはアメリカとも結んで、こう
しなければならないとか、右でなければならないとか、左でなければならないとか、いろ
いろありますと、右と左の対抗が生まれてしまいますね。共産党を叩きつぶせ、といえば
共産党の敵になりますね。
そういう形を一切とらないでー場合によっては片方どっちかにつくこともあります
よ。この現象世界では二人の立候補で一人を選挙するんだったら、右なり左なりにしなけ
47 日本民族とユダヤ民族一日本人の使命
ればならないから、どっちかにします。
そういうことはあったとしても、根本的には右も左も、縦も横も全部総合して、祈りに
よってみんなを調和させる、という運動であるわけです。
祈りによる平和運動は、あくまで世界平和の祈りが根本になっているんです。そして置
かれた立場にあって、十二分にその立場を生かす、そういう運動をしているわけです。そ
れが日本の天命なんですよ。
日本の国は、右を叩き左を叩き、そんなのじゃないんです。あくまで大調和の中心であ
る平和を創る、中心の国である、ということです。
これをいくら高々と叫んだっていいんですよ。平和の中心だ1 と叫んでおこる人はな
い。「おれは一番強いんだ」これはいけないけれど。戦争中はそれを間違ってしまった。
はっこういちう
八紘一宇という言葉があります。天の下は一家である。宇宙は一つだということそれ
を間違ってとって、日本は一番強いんだ、日本は力でもってみんなを下に従えるんだ、と
いうように考えた軍部があったわけです。ところがそれで日本は負けました。
48
これからは、あくまでも宇宙は一つであるけれども、日本は天命として、平和のため、
平和をつくる先駆けとなって働く民族なんだ、ということを、日本人一人一人が深く自覚
しないといけませんね。
そうしないとあのユダヤ民族の素晴らしい選民意識に圧倒されます。イスラエルをみて
も判りますね。アラブ諸国のほうが人口は多いんですよ。それをわずかな人数で、自分の
何倍もいる敵を撃破して、いつも戦争に勝ってきた。あれは選ばれた民だ、という強い誇
りがあるからです。
ところが日本人には、実は魂の底にはあるけれど、表面的には、選ばれた民族どころで
だいわ
はない、大調和の民族、平和の民族、大和の民族という意識もない。今、なんにもないん
です。
ただその日その日をエンジョイして、遊んで暮らして、うまく自分の生活を守っていけ
ばいいーそう思っている人が大半なんですね。しかし一方ではゲバ棒を持って、日本を
改革するんだ、今の政府を叩き潰して左翼の政権にすればいい、というようなことを考え
49-一一日本民族とユダヤ民族一日本人の使命
ている人たちもある。
左翼でも右翼でも、どちらでもダメですよね。そんなものはみんな消えてゆく姿で、大
調和世界が生まれること以外に、この地球世界を救うことは出来ないんです。大調和を生
もとい
むための日本人の働きは、祈りによる世界平和運動を基にして始まっているのです。
ねさ
皆さんはその先駆けとして、寝ても覚めても唱名念佛すべきものなり、というように、
「世界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように、私たちの天命が完う
されますように」という祈り心を、いつも神様に感謝の想いと共に捧げてゆかなければな
りません。
そうすることが、皆さんがこの世に生まれて来た大きな天命なんです。
50
㊥世界の平和と
個入の平和
箏祈りによる平和運動とは
52
家庭を守りつつ外に働きかける
私たちの祈りによる平和運動は、家庭を蔑しろにして、妻や夫をほっといてただ平和、
平和とやるのではありません。第一、そういう地に足が付いていないものでは、長く続き
ません。でも、家庭を守りながらでも外に働きかける運動は出来るわけです。
しやくぶく
家庭を放り出して、布教だ、折伏だ、という団体は、それだけ家庭がおろそかになって
いますから、家庭不和が随分あるわけです。宗教団体に入ると家庭がめちゃくちゃになっ
てしまう、という例もたくさんあります。
それを私は好ましく思わないのです。家庭にいらっしゃるご婦人方、奥さん方は、あく
までも家庭を主にして、家庭の仕事をちゃんとして、それで余った時間を外に向けて働き
かけることに使って欲しいと思います。
近頃は何事も便利になって、昔に比べると奥さん方の労働時間が非常に短縮されている
わけです。その短縮された分を、外に向けて働きかけてくださればいいんです。それをぜ
ひしていただきたいと思うのです。
ソ連にしろ、北朝鮮にしろ、日本というものは得難い宝のような土地なのです。この日
本が自分たちの自由になれば、世界を制覇できる、と言えるほど日本は重要な国なのです。
アメリカも同様で、日本と手を結ばないとアジアの安定が保てない、アジアの安定が保
てなければ、従ってアメリカの安定も保てない、というわけです。どの国も世界の指導権
を握りたいのです。
自分一国だけが安泰であればいい、というだけではなくて、自分一国が安泰になるため
には、世界の指導権を自分が握っていないと安泰にならない、という考えをアメリカもソ
53 祈りによる平和運動とは
連も中国も持っているわけです。
そこで日本に影響力を及ぼそうとしているわけなのですが、その日本の内部はどうなっ
ているかというと、一つにまとまっていない。右に左にいろいろと分裂しているわけです。
54
思想で分裂していては、日本は真の姿を失う
左も分裂して、日共系と反日共系、中共系とソ連系、もっと細かく分裂していて支離滅
裂です。右は武力をもって日本を守ろうとする。そうこうするうちに、勢力は分散してし
まって、次第に日本は真の姿を失ってしまうことになるのです。最近、右翼の人たちは軍
備を拡張して、原爆でもなんでも持って日本を自分たちの力で守らなければならないと思
っています。政界、財界にも軍事力で日本を守ろうという考えの人は随分あります。
それが間違いかと言うと、あながち一言で間違いだ、というわけにもいかないのです。
どうしてかと言いますと、武力が弱いとその隙をうかがって、他国が侵略してくる可能性
だほ
があるわけです。また北の海で漁船が掌捕されて、ひどい目にあったりもしています。
例えばお隣りの家の人が、自分の家の垣根をかまわず破って侵入して来て、花を取りに
きたり、草を取りに来たりすれば、なんだこのヤロウ、と喧嘩になりますよね。
それと同じようなことを日本のまわりの国はしています。ただこちらは戦う武力を持っ
ていないから手を出さなかった。それが幸いして今まで戦争にならなかったわけです。
だから無事だったわけですけれど、しかし、戦争にならないことだけがいいんではなく
て、常に日本がやられてもやられても手を出させないでいると、民族心というものがあり
ますから、日本を守りたいという心には「何、なめられてまたるか、ソ連になめられてた
せっしやく
まるか、中国に、アメリカになめられてたまるか」という想いも出てくるわけで、切歯掘
わん
腕の想いが出てくる。
くやしい想いがありながら、だんだん、だんだん侵略されるというか、押されてゆくと
するならば、民族的な意識というものは黙っていません。腹が立って仕方がない。そうい
うものが積もり積もってゆきますと、今度は大きな爆発を引き起こすことにもなります。
55 祈りによる平和運動とは
そういう考え方からすれば、自主独立の軍備を持たなければいけないということになり
ます。来たらはね返すものを持っていれば、向こうは攻めて来ない、という考えを持つわ
けです。
ところが一方では、軍備を持ったら、いざとなれば戦争になってしまう、という恐れが
あります。いずれも一長一短で、そんなことは全然くだらないことだ、と一言にして言え
ないものがあるわけです。
すうせい
のっぴきならない時代の趨勢
近頃は、いよいよ日本自体が軍備を強化して守らなければならないような動きがハッキ
リして来ています。アメリカもそうですし、中国もそうだし、韓国やフィリピンなども日
本に軍備を持たせようと働きかけています。
日本はアメリカと安全保障条約を結んでいます。国民の大半は、これがそのまま継続さ
5G
れたほうがいいと思っているようです。
しかし、安保を継続したほうがいいと思う中にも二通りあります。一つはアメリカの力
だけを頼って、日本は軍備も何もしないで、平和産業だけやっていって、アメリカにおん
ぶにだっこで守ってもらおうという形と、もう一つは、徐々に自衛力を増して、だんだん
軍隊のようにして強くし、強くなった時には、アメリカに手を引いてもらって、自分だけ
で独立しよう、という二通りです。
また安保などいらない、アメリカは帰ってくれという主張もあるわけです。これにも二
通りありまして、一つは初めからアメリカに頼らないで、一遍に軍備を増強し自分の力で
守ろう、という考え方と、もう一つは、アメリカをとにかく追っぱらって、日本を全部丸
腰にしておいて、ソ連とか中国とかの支配下におこうという左翼的な考え方もあるようで
す。
丸腰がいい、という主張の中にも二つありまして、一つは日本を共産主義に売り渡し、
ソ連や中国の支配下におくために軍備はいらない、という形と、本当の意味で、もう戦争
57 祈りによる平和運動とは
はコリゴリだ、戦争は絶対にいけない、あらゆる争いはいけないんだ、だから丸腰でなけ
ればいけない、という考えを持っている人もあるわけです。
丸腰でやる場合、全然軍備がない、自衛隊もなんにもないとします。警察だけしかない
とします。そうするとどうなるでしょう。警察だけだとすると、全学連だけでも全部が蜂
起すれば、警察は本当に手がまわらないくらい忙しいでしょう。他の犯罪もありますから
ね。
そうして混乱が起こったところで、大人の共産主義者などが表面に出てくるでしょう。
爆弾など簡単に作ってしまうでしょう。あるいは中国やソ連からもらってくることも出来
る。
そうすると、立ちどころに日本は占領されるでしょう。今の内閣など一遍に潰され、革
命内閣が出来るわけです。そういう野望を持って、隙をうかがって平和運動と称している
人たちもいるのです。
だから全然丸腰になって、なんにもいらないということは出来ないわけです。
58
別の次元で働く大調和主義
我々の平和運動はどういうものかというと、左翼でもなければ、右翼でもありません。
大調和主義です。自衛隊の廃止とか、軍備増強とか、そういうことにかかわるのではない
のです。今のあり方は、政府なら政府にまかせておいて、政治にまかせておいて、我々は、
政治とは無関係に、全然別個な次元において、別個な立場において、日本人は平和を欲し
ているんだ、という熱烈な気持ちを一つにまとめていって、だんだん、だんだん熱烈な気
持ちの人を増やしていこうという運動なのです。
例えば放送局がいろいろあって、戦争だ戦争だという放送局もあれば、軍備をしなけれ
ばダメだという放送局もあれば、丸腰でなければダメだという放送局もある。
それとは全然別な放送局をつくって、あらゆる争いごとをなくして、世界を平和にする
のだ、ということだけを放送するのです。あらゆる戦争、あらゆる争いをなくし、家庭か
らも、職場からも、あらゆるところから争いをなくして、平和だけにしようという放送局
59-一一祈りによる平和運動とは
■
なのです。
世界人類が平和でなければならない、みんなが仲良くならなければならない。争いの想
いがあってはならない、と天のほうから放送されてくる。それをキャッチして流してゆく
さんがい
のです。軍備だ、軍備じゃない、共産主義だ自由主義だ、右翼だ左翼だというのは、三界
(欲界、色界、無色界)の業の想いです。業の想いではない、天からの放送局の波長を受け
て放送している放送局、それが祈りによる平和運動なのです。
軍備はいけない、と表立って反対するのでもなければ、軍備をしなければダメだ、とい
うのでもない。それはこの世のことです。この世だけの波です。天とは関係ない。人間だ
けの想いなのです。人間だけの想いでぐるぐるまわっているだけです。
我々の運動というのは”世界が平和でなければダメだ。みんなが平和でなければならな
い、みんな兄弟姉妹なのだ、みんな神様の生命をもらった兄弟姉妹なのだ” という天のひ
びき、神のみ心をじかに受けて、この世に流していこうというのです。
家庭の主婦として、夫として、子供として、いくらでもこの運動は出来るわけです。世
GO
界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように、私どもの天命が完うされ
ますように、守護霊様、守護神様有難うございます、と常に常に、天の放送局のひびきに
合わせて、神様のみ心の中へどんどん入ってゆく。そうすると自分の中に光がいっぱい入
って来て、自分の家庭もよくなってくる。病気の人はだんだんよくなってくるし、貧乏の
人もだんだん立ち直ってくる。
うちの教えに入れば病気は全部治る、うちの教えに入れば全部貧乏が治る、そんな邪教
の宣伝みたいなくだらないことは言いません。そんな安直に現世利益を説いてはいけませ
んよ。
しかし世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、世界が平和になるのです。世界が平和に
なるということは、自分が平和になるということです。自分が平和にならなければ世界が
平和にならないでしょう。まず自分が平和になることです。
61 祈りによる平和運動とは
やり続けさえすれば必ず平和になる
G2
世界平和の祈りをしつづければ、自分も平和になってゆく。必ず調和してゆきます。
それにはやり続けなくちゃダメです。途中で止めてしまえばダメになるかもしれません。
でも、それはもう神様のほうの知ったことではありませんよ。神様の外へ出ちゃうんだか
らね。神様のみ心の中に常に入って、いつも平和の祈りをしていれば、必ず自分も家庭も
整ってくる。同時に国も整ってゆき、世界も整ってくるんです。
何故整ってくるかというと、平和の祈りというのは神様の大調和のみ心だからです。世
界平和の祈りをすると、大調和のみ心が太陽が光を放つようにパーッと出てくるのです。
今までは、軍備だ、丸腰だ、こっちのほうが強いんだ、なんだかんだとやって、争いの
想いでもって雲を厚くしてしまって、太陽の光が入って来なかった。
それを私どもは、雲の上に出て、じかに太陽の光、神様の光を直接に受けて、光を地上
に流しこんでゆく。それも一人一人の体を通して流しこんでいるわけです。
皆さんが平和の祈りをすれば、雲がどんどん破れてゆく。そして三界の想いでなんだか
んだと言っている所に、パッーと光が流れて入ってゆくわけです。
一人が二人、二人が十人、十人が百人、千人が万人、万人が一億というように増えてゆ
けば増えてゆくほど、光はこの地上界を照らすわけです。そうすると戦争をしようという
想いも、あいつが憎いという想いも、だんだん、だんだん消されてゆくんです。
神様のみ心の中には対立がないんですから、み心が現われてくると、喧嘩しようと思っ
や
ても自然に止めてしまう。ああつまらない、そんなことしていちゃダメだ、というふうに
なってくるのです。
そういう人を一人でも多くつくれば、自ずと軍隊がどうとか、安保がどうとかいう必要
がなくなってくるわけです。光がいっぱい入って、みんなが平和を祈るようになる。世界
人類が平和でありますように、というポスターが日本中に貼り出され、日本中の人が世界
が平和でなければいけない、と世界平和の祈り言葉を思い、唱えていますと、みんな自然
に仲良くなってくるでしょう。
63 祈りによる平和運動とは
国や人種を超えて手を握り合える祈り
G4
平和の祈りをしている人はみな同志です。お互いに「あなたも平和の祈りをしています
か」「あなたもですか」というふうに世界平和を祈る人を見れば、なつかしい感じがしま
す。人種を超え、国家を超え、言葉を超えて、みんなが手を握り合えるわけです。
ですから私などはアメリカ人とも知り合いだし、インドの人とも知り合いだし、パキス
タンの人も知り合い、みんな知り合いです。そうなると国籍など関係ありません。世界平
和の祈りを通して天から光がさして来て、国も人種も、民族も言葉の違いも超えて、みん
なが手をつなげるようになるわけです。
この祈りは誰も彼もが反対できない祈りなのです。世界人類が平和でありますように、
という言葉に反対する人は誰もありません。何故かというと、神様のみ心から出ているか
らです。みんな神の子だから、神様のみ心が判らないわけがない。
ところが軍備だ、いや軍備はダメだ、丸腰にならなければダメだ、というのは神様のみ
心ではなく、人間の勝手な心だから、世界中には広まらないのです。必ずセクショナリズ
ムな考えになって、反対が出てくるわけです。
しかし、我々の祈りによる平和運動には反対が有り得ない。
その運動をみなさんがやっていてくださっているのです。青年も直感的に感じて、熱心
にやってくれているわけですね。家庭の主婦は、おかずが高くなった、お肉が高くなった、
お魚が高くなった、家計をやりくりしなければ、とそればかり考えていますから、平和運
動ばかりやっているわけにはいかないんです。青年や学生諸君はそんなに食う心配はない
んだし、他のことを考えないでよいから、学問と、国をよくしよう、社会をよくしよう、
というのを熱烈に思っていけるわけです。
だからどうしても青年や学生が先頭になるわけね。一家の主人とか、一家の奥さんとい
うのは、そのあとから続いて、それでみんなを応援するわけです。
ですから青年、学生諸君が一生懸命やるためにも、家庭を守りながらでも、無理をせず
応援して、この祈りによる平和運動が世界中に広まるよう、協力していただければと思い
65 祈りによる平和運動とは
ます。
もう一度言いますが、祈りによる平和運動は大調和運動です。相手をやっつけちゃえ、
とか、相手を叩き潰せというのではないのです。祈りによってみんなが仲よくしていこう、
世界中みんなが手を取り合って祈っていこうというのですから、敵が一つもないわけです。
6G
轟》大調和の獲を発揮する
G8
自分と人類を貫く平和の祈り
世界中に世界平和の祈りが広まって、祈ってくれる人が千万人ぐらいになったならば、
本当に軍隊はいらない。自衛隊も何にもいらないというふうになります。
本当に何にもいらなくなると思います。千万の平和の祈りの人がいれば、それほど平和
にする力が強くなるわけです。ですから根本的には軍備や何かは、本当は必要なくなるん
です。必要ないほうがいいわけです。
しかし現在の段階にあっては、実際問題そんなこと言えないんです。何故かって言うと、
未だ生命を神様にお返ししている、神様のみ心のままに生きている人が少ないからです。
すべてをお返しして、平和の祈りをしている人が少ないからです。
しかし、そういう人が多くなれば、軍備も何もいらなくなるんです。もし日本がそうな
きょ つとへつ
ったら、世界が驚倒しますよ。ああ日本っていうのは素晴らしい国なんだな、素晴らしい
国民なんだな、と。私たちも見習おうって。平和を望んでいない国はないんですから。儲
かるから戦争してる人たちは別として、ほとんどの人々は平和を願ってますからね。
だから日本が例えば千万、千万と言わず百万でもいいですよ、百万の人が神様に生命を
お返しして一生懸命平和の祈りをしていれば、外国はみんなついて来ます。それはもう必
ずついて来ます。私は断言しますよ。
何故かっていうと、日本人はあんなに国民の心が一つになって平和を願ってる、素晴ら
しいなあ、と必ずそのひびきに感じて、世界中で平和運動が広がるからです。だから、ま
ず日本が平和の祈りを通して、平和運動の中心にならなければならないと思うんです。そ
のためには軍備がなんだとかいうことはひとまずおいて、平和の祈りに徹して、すべて神
69-一ヴ大調和の魂力を発揮する
様にお返しして平和の祈りをする、という運動にしていかなきゃいけません。
それにはやっぱり、皆さんがはっきり心の中で、神のみ心なくしては私たちは生きてい
られないんだ。神様のみ心なくして、人間が生きていることは出来ない、ということを自
覚することです。
神様の恩寵によって、守護霊、守護神の恩愛によって私たちは生かされているんですね。
だからそのお礼に、どうしても世界平和の祈りを続けなきゃいけない。私たちが生かされ
てるのは神様の恩なんです。
その神様は何を願っていらっしゃるかって言えば、世界が平和になることを願っていら
っしゃる。私たちも本当はみな世界平和を願ってる。だからこそ、世界平和を心を込めて
祈らなきゃならないと、そういうふうになるわけですね。
だから神様へのお礼のためにも、人類すべてへのお礼のためにも、世界人類が平和であ
りますように、と祈らなきゃいけませんよね。それはもう人間としての義務です。そうい
う意味で、先にこの平和の祈りを知った人が心を固めてやれば、自然と他の人もついてき
70
ます。もう、そういう時期が来ています。ですから、どんどん活発にこの祈りを広げてい
ただきたいと思います。
まあ、私が見てますと、中国では青年たちが必死になって国を思っていることが判りま
す。中国は自分たちがつくっていかなきゃいけないんだ。中国のために、国のために、自
分たちは生命も何にもいらない。もう遊びも自分の享楽も、そういうものを全部捨てて、
国を興そうとしてやってるわけです。
あれを見ると胸が痛いですね、素晴らしい。そのやり方は必ずしもよくないこともある
けれども、心の中にあるものは、本当に国を愛する心なんですね。
だけど日本人は今、国を愛する心がなくなっちゃったんです。少なくなっちゃった。国
なんてのをあまり考えないんです。自分の生活、自分の享楽、自分自分って、自分の立場
さえ立てられればいいわけです。
ところがね、自分の立場っていうのは、国の安否が重大な鍵になる。国が安全でなけれ
ば自分の立場は成り立たないし、国が安全であるってことは、そもそも世界が安全でなけ
71 大調和の魂力を発揮する
ればならないわけです。
だから自分の立場を立てるためには、国の安全を計らなきゃならないし、世界の安全を
計るためにも国の安全を計んなきゃならない。
どっちにしても、国家を通してでなければ働けないんです。国家、社会を通して同胞と
して、みんなが力を合わせてやらなきゃいけないわけです。そういう運動が、私共がして
いる運動なんです。
自分のことを全然思わないなんて人はありませんですよね。いったん戦争になって、攻
めて来られたりしたら、もう自分の立場どころじゃないけれども、平和の時には、やっぱ
り自分の立場を思うんです。
だから自分の立場を思って悪いとは、私はちっとも言わないわけです。自分の立場を思
い、自分の生活を思いながら、しかもそれを世界平和の中に入れてしまいなさい、とこう
言うわけです。
世界平和の祈りの中で自分の立場を改めて頂き直すんだと、こういう言い方をしてるわ
72
けです。だから自分と社会、国家、
れが平和の祈りの運動なんですよ。
人類というものをひとつに貫いて平和にしてゆく、そ
宇宙神の中心の働きの現われ
宇宙の中心の神様は、宇宙神です。その宇宙神は、人間の姿として現われることもあり
ますが、ただ宇宙神の全部の力が現われるわけじゃありません。宇宙神の力が全部現われ
るってことはありません。
何故かと言うと、宇宙神というのは、地球だけを見てるだけではないですからね。地球
だけに働いているわけではない。あらゆる何億、何兆ってある星を全部動かしているのが
宇宙神の原動力ですから、それが全部一人の人間に現われるってことはありません。
けれども宇宙神の力が現われて、地球なら地球の中心となるとか、そういう形で現われ
るのです。
73 大調和の魂力を発揮する
本当は日本の天皇というのは宇宙神の中心の働きなのです。宇宙神の中心の働きが、地
球界に天皇を下ろしてるわけです。本当の意味ではそうなんです。そういうことになって
るわけです。
だから本当に世界が平和になる時は、いわゆる天皇という形で神様が天下って中心にな
るか、あるいは違う形になるか、これはまだ判りませんけれども、本当に世界が平和にな
る時には、神様の宇宙神の中心の力が地球界に働いて、中心の人間が必ず一人出来るわけ
です。
それで腕になる神様の働きもあるでしょう。足になる神様の働きもあるでしょう。それ
で私がいつも言うように、円形のピラミッドになって神権政治が出来るようになっている。
それは必ず出来るようになります。神権政治が行なわれなければ、この世界は滅びてし
まうんです。必ずそれが出来ますし、もう既に神界には出来てるんです。地球にはこうい
うものが現われるというものが出来ていて、待機してるわけです。神々が自分の役目を待
機して待ってるわけです。
74
今も働いているんです。黙って待っているわけじゃない。働きながら待ってるわけです。
そして、やがては一番宇宙神の力の中心の力を持った人- 神人ですね、それが中心にな
すえ
って、また神々の商が全部集まって、それで円形のピラミッドになって世界が平和になっ
てゆくんです。
それが早く来るか、遅く来るか。要するに損害が多くて来るか、損害が少なくて来るか。
それには皆さんの平和の祈りの力が、非常に大きくかかわっているんですよ。
皆さんは、自分たちが平和の祈りをしても大した働きがないって思っているかもしれま
せん。ところが一人が祈る平和の祈りというのは、素晴らしい力を持っているんです。
キリストも言ったでしょう。一人の人が動けって言えば、岩も動くんだ。嵐よ、静まれ
って言えば、嵐も静まるんだ。それくらいに本当に信じれば力があるわけです。
だから自分の平和の祈りも神様がやっていらっしゃるんだ、守護霊、守護神が自分の身
体を使って平和の祈りをしていてくださるんだと、そういう感じで平和の祈りをしてもい
いわけです。そうすると非常に勇気が湧いて来ます。
75 大調和の魂力を発揮する
魂力の出る一番の根源は平和の祈り
7G
まあ今の日本人は、みんなが呑気にやっていますでしょ。日本は呑気にしていられるの
が有り難いんですが。
昨日もある学生が、アメリカは自由な国だから一遍行って、アメリカの自由さを味わっ
てみたい、とかいろんなことを言ってましたけどもね、今一番自由なのは日本です。アメ
リカは自由じゃありませんよ、特に若い人なんか。
何故かって徴兵で戦争に引っ張って行かれますもの。軍隊がありますから、軍隊に徴兵
されるからちっとも自由じゃありません。やっぱり縛られてます。
今、日本の若者ほど自由な者はない。若者もお年寄りもそうですけど、日本ほど自由な
国はないんです。こんなに自由な有り難い国なんだから、この国を潰しちゃ大変ですよ。
潰さないうちに、守らなきゃならない。
守るってことは軍備をして守るのではなくて、心の中で守らなきゃならない。心で守る
力は何かって言うと、さっきも言ったように神様の力でもって守る。これ以外に守れっこ
ないんです。肉体の力じゃ守れない。
日本人には武器もないんだし、アメリカにもソ連にもかないっこないんです。中国にさ
えかないません。中国は原爆を持ってるし、武力じゃ、逆立ちしたって防ぐことは出来や
しません。だから武力では、日本はとても世界にかないっこない。
何で勝るかって言うと、魂力、魂の力です。魂の力においては日本に勝る国はないんで
だいわ
すよ。日本はそういうふうに出来てるんです。日本は大和の大調和の国の、大和の中心に
なるように、もう昔から神様が肉体人間を創った時から決まってるわけです。
だからそれを、魂力というものを使わなきゃいけません。魂の力は何かって言うと、そ
れは祈り心です。祈り心によって魂の力がつくんです。守護霊、守護神とピタッと一体と
なって、神様と一つになることによって、今まで力が弱かった人が凄く強い人になるわけ
です。
実際、私自身がそうなんだから。三十前までは普通の青年だったんです。それが神様に
77 大調和の魂力を発揮する
生命を投げ出しちゃって、生命を捨てた。そして本当の生命を得た。
本当の生命を得てから素晴らしい力が出てきた。その素晴らしい力が出ると、ああこの
人は力があるって、人がついてくるわけです。それで今の私になってるわけです。
だから皆さんだって、いつ力が出るか判りゃしませんよ。だからいつもいつも守護霊、
守護神につながって平和の祈り一念にしてればね、今まで気の弱い人がきっぱり気が強く
なるんですーそれで人をいじめちゃ困りますよ。祈りをしたら気が強くなって、人をい
じめるようじゃダメだけど、調和した力、調和の力、人のためになる力が出てくるわけで
す。猛烈に出てくるんです。それを信じなきゃいけません。
何故ならば、もともと人間は神様の子なんだから。神様の生命、神様の魂を、霊魂をそ
わけみたま
のままもらって、分け生命として分霊としてここにいるんだから。もともと力があるに決
まっているんです。
力がないように見えるのは何でかって言うと、自分に力がないと思ってる、そういう想
いが力をなくしてるんです。自分はダメなんだ。自分はこれだけの人間だって思ってるも
78
んだから、これだけ以上の力が出やしませんよね。
ところが火事や何かになったりすると、うんと力が出て、日頃持てもしないくらいの重
たいものを持てたりして、慌てるとバケツでも何でも持って行っちゃうけど、そういうふ
うに急に力が出ることってありますよね。
それと同じで年中、日頃から守護霊、守護神につながっていて、自分の想いから離れて
いれば、いざっていう時に凄い力が出るんです。
そして、一番力の出る、魂力の出る、一番の根源は祈りなんです。祈りの中でも平和の
祈りが一番力が出るんです。
だからそれを弛みなくやっていらっしゃれば、皆さん自身が立派になるに決まってます。
皆さん自身が立派になることは日本を立派にし、世界を立派にする。これはもうイコール。
日本を立派にし、世界を立派にする、そして自分が立派になる、それは同じことなんですよ。
自分に自信を持つことは大事です。自分に自信を持つには、やっぱり自分は肉体の人間
なんだって思うのはダメなんですよ。自分は神様から来ているんだ。神の子なんだ。守護
79-一一一大調和の魂力を発揮する
霊、守護神に守られて生きている自分なんだ。だから自分がここに生まれて来たことは、
天命があって生まれて来たんだから、その天命を果たさなきゃ死ぬことはないんだ。
だからどうぞ私どもの天命を完うせしめたまえ、守護霊さん、守護神さん有り難うござ
います、と世界平和の祈りを祈ればいい。それを続けていれば、知らないうちに力がうん
と湧き上がってきます。
そういうことなんですよ。すべて自分の想いが決定するんですからね。
想いが弱かったら本当に弱くなっちゃう。ジメジメしたら、ジメジメしちゃう。ダメだ
ダメだって思えばダメになっちゃう。
だからわざわざ俺は偉いんだ、俺は偉いんだってやったんじゃ困るから、すべてを神様
へお任せしてゆく。
神様の中へ入ってしまえば、神様の力が全部出て来るんだから、否でも応でも強くなり
ます。立派になります。そういうことです。
(昭和四十二年九月)
80
轡まず心の平和を
82
平和でない状態が充満している現代社会
最近、精神異常とかノイローゼとか、精神系統の病気の人が、突然に狂暴性を発揮して、
人を殺したりする事件が多くなっています。困った問題です。
一番問題なのは精神状態が平和でないということです。精神状態ばかりではなく、すべ
てにおいて平和でない状態がこの地球世界に充満している。
それは、幼稚園の時から大人になって就職するまで、ずーっと圧迫されているわけです
ね。勉強しなければならないとか、試験を受けなければならないという圧迫、社会に出て
は、また社会からの圧迫が続く。
それに、この世の中が騒がしすぎる。落ち着いたことが一つもない。ジェット機はうる
さく飛んでいるし、自動車もたくさん走っているし、都会はあらゆるものが騒音で掻き立
てられています。常に神経がいらだつような、平和にならないような状態が山積している
わけです。
こういう状態が先に直らないと、病人を病院へ入れたってなかなか治らない。精神病者
が増えるということは、一面には社会状態が悪いからなんですね。
言い換えると、個人というか人類というか、人間の潜在意識に埋没されている、抑圧さ
れ詰めこまれていた想いが、今生でもって非常に活発に表面に浮き出しているんです。
いわゆる地獄が、現象界の表面に現われてきているという状態なんです。隠れていたも
のが、善いものも悪いものも全部外へ出てくるという状態です。そういうように宇宙の運
行がなっている。
だから好むと好まざるとにかかわらず、精神病になる原因のもの、癌になるような原因
83 まず心の平和を
のもの、あらゆる病気の原因、不幸、悪の原因という、内に潜んでいたものが全部吹き出
してきているんです。だから現われの状態を処置しただけではどうにもならない。根本か
ら直さなければならないんです。
そこで、自分の心を平静にして、精神状態を安定するようにしてゆくことが、まず第一
です。
現在は、いいかげんな応急的なつぎはぎではなくて、根本から直さなければならないよ
うな時代に人類全部が追いこまれている。個人も人類も、あらゆるものを根本的にきれい
に浄化して、清らかな魂にならなければこれから先は生きていけない、というような地球
世界になって来ているのです。
その一つの現われとして、精神病のような形で殺傷事件がたくさん現われてきているわ
けです。それを防ぐためにも自分たちがまず心の平和を得る、自分たちの心が平和になる
という運動が一番大事なんです。
戦争だけを防いでも、みんなが訳の判らない病気になったらしょうがないんですから、
84
何をおいてもまずなさねばならないことは、心の平安ということなんです。自分の心が平
和になる、みんなの心を平和にするということです。ところがそれがなかなか簡単に出来
ないんですね。
今こそ真実の宗教運動が必要
何故、平和にならないかというと、自分の想いのせいなんですよ。現われている想いも
潜在意識も含めて、自分の想いが平和でないわけです。
しかし、顕在意識も潜在意識も同時に、全部平和な心にしなければならない。表面だけ
ニコニコしてみたって、表面だけうまくきれいごとを言ってみても、飾ってみても、根本
的に平安になったのでもなければ、治ったのでもない。
医者が精神病者に注射を打って眠らせてみても、ショックを与えても、その時は静まる
かもしれないけれど、それは治ったのじゃなくて、実は内に抑圧された想いが一杯残って
85 まず心の平和を
いるわけです。それがあるうちは治ったということにならない。
病気に限らず何事でも、表面の意識、潜在意識を共に含めて、自分の心が平安になると
いう方向にもってゆかなければ、問題は解決しません。
だから、今こそ本当の宗教が必要なんですよ。ただ単に病気を治す、貧乏を直すという
ような、現われている物事だけを扱うのじゃなくて、根本である本心と、潜在意識と、表
われている意識とが一つになるような、そういう宗教運動がどうしても必要なんです。そ
れを私は力説しているのです。
現われてくるものは、病気でも不幸でも嫌なことでも、なんでもかんでもこれはすべて
消えてゆく姿なんだ、消えてゆくに従って本心が現われてくるんだ、と説いているのです。
本心を一日も早く現わすためにどうしたらいいか、というと、たとえ人をとがめるよう
な心、自分を痛める心が出て来ようと、不幸な事態が現われようと、不都合な状態が出現
して来ようとも、それはすべて”消えてゆく姿” であると思い、続いてその想いを”世界
人類が平和でありますように” という大救世主の大光明の中に入れてしまう。
8G
常に大光明の神のみ心の中に自分の想いを入れ切っていれば、現われるべきものは現わ
れてくるけれども、あまり自分にも人にも苦しみなく現われて、消えていって、やがて消
え切ってしまえば本心が現われて、心が平安になるんだ、と説いているわけです。
“消えてゆく姿で世界平和の祈り”というような、想いを換えてしまう、潜在意識にた
まっている想いも、現われている想いも、不平不満の想いも、全部神様に委ねて、神様の
大光明波動で浄めてもらう。そうしない限りは、人間は幸福になりません。それどころか、
世界は滅びてしまいます。どんどん地獄の姿が現われてくるんですから。
幽界の姿、潜在意識にあるあらゆる抑圧され、押し詰められた想い、恐れる想い、憎し
みの想い、暗い想い等、一杯たまっている想いが、宇宙の運行と共に外に追い出されて来
て、表面の意識に昇ってくる。体に現われてくるという時代なんです。だからいろんな病
気も、いろんな不幸も現われてくるんです。
現われてくるものを現われてくると同時に、それを全部消し去って本心開発、魂の開発
のために役立たせなければいけない。
87 まず心の平和を
そこで私は、あらゆるものは消えてゆく姿なんだ、消えてゆくに従って本心が現われる
んだ。しかしその消えてゆく姿をどこへやったらいいか判らないだろうから、人類の本当
の目的であり、人類が悲願し熱望している想いの中に入れればいい。それは何かというと、
世界が平和になることです。そこで”世界人類が平和でありますように” という祈り言の
中に、あらゆる想いを消えてゆく姿として入れてしまいなさい、と教えているんです。
“世界人類が平和でありますように、私共の天命が完うされますように、守護霊さん、
守護神さん有難うございます”と常に常にそれを繰り返していれば、いつの間にか顕在意
識の想いから潜在意識の幽界、霊界まで、すべて世界人類が平和であれという、人類愛の
神のみ心の光がそのまま入ってしまって、自分は光一元になってしまう。そうすると自分
は平和になりますね。
88
まず自分が平和になること
自分が平和になるということは、周囲も明るく照らします。周囲を照らせば、だんだん
社会も平和になってゆく。そういうように連関的に光明波動が世界中に広まってゆくのだ、
といつもそればかり説いているわけです。
これは簡単に見えるけれども、実践しなければ出来ない。しかし先を急ぐと難しい。だ
から、その場その場で、そのままやっていればいいんだ、そのまま”消えてゆく姿で世界
平和の祈り”さえやっていれば救われるんだ、大丈夫なんだ、という簡単な想いで毎日弛
まずやっていれば、知らない間に本心が開発されてゆくのです。
現われてくるものはみんな消えてゆく姿です。何故かというと、この世の中というのは
ぎょくせきこんこう
玉石混渚で、神様のみ心の光と、人間の勝手な想いとが入りまじって出来ている世界だか
らです。
では人間とは一体どういうものであるかというと、実は神の子であって、この世の中は
89-一一まず心の平和を
神のみ心しかないのです。神様のみ心は完全円満なのだから、完全円満でないあらゆるも
のは、実在するものじゃないんです。だから消えてゆく姿に違いないんです。
本当にあるものじゃない、といっても、実際に現われているんだから、現われているも
のは否でも応でも一旦は認めなければいけません。悪入のいることも事実だし、弱肉強食
の姿も事実だし、そんなものは本当はないといったって、現にあるわけです。
そこで私は、ないのではなく、現われているものは現われているものなんだ。しかしそ
れは実在ではなく、いつかは消えてしまうんだから、ああそれは消えてゆく姿だ、嫌なも
のはみんな消えてゆく姿だと思って、それを世界平和の祈りの中に入れてしまって、大光
明波動と嫌な業想念と取り替えてしまえばいい。
そうやってどんどん取り替えていれば、いつの間にか潜在意識はきれいになり、世界中
の潜在意識がきれいになって、世界が平和になるんだから、一生懸命、倦まず弛まず世界
平和の祈りを祈りなさい、と言うんです。一生、二生、三生かけてもやらなければダメです
よ。
90
もっともその気持ちならば、一生のうちにすっかりきれいになります。しかも自分がこ
の世に存在しているということが、地球人類のためになるような、そういう菩薩的な人間
に、知らない間になってしまうのです。
だから精神病ばかりでなく、あらゆる病気、あらゆる苦悩、悲しみ、憎悪、闘争をすっ
かりなくすためには、自分の心をまず平和にし、人々の心に平和の光を与えるという運動
がなされなければいけません。私たちは現在それをやっているのです。
根本的な生き方を見失わないように
現世の人間の考えというのは片寄っています。でも、右へ行きすぎても困るし、左へ行
きすぎても困るんです。
例えば日本にしても、日米安保条約というのがあります。そして切り換えの時期が迫っ
ている。そういう条約があったほうがいいのか、ないほうがいいのか。いろんな問題があ
91 まず心の平和を
り、いろんな議論がある。
条約などないほうがいい、あるからこそアメリカに拘束されてしまって、隣国の中国と
も仲よく出来ない、敵対視されるんだ、という説もあれば、あるからこそ中国やソビエト
が攻めて来ないんだ、という説もあり、いろいろです。
また、軍備にしてもそうです。憲法を改正して再軍備しなければいけない。そうすれば
中国や北朝鮮から入って来られない、という説もあれば、アメリカに協力して基地などを
おいているから、いざアメリカと中国が戦争になれば、日本の基地はまず叩かれるだろう。
そうすると被害を蒙るのは我々だから、軍備などないほうがいいんだ、という人もいる。
両方ともこもつともです。人間の頭ではどっちがどっちか判らない。
現象に現われている、変化している姿を見ると、どっちが良くてどっちが悪いのか判ら
ないのですよ。そこで私共は、そういう枝葉の動きとは関係なく「私共はそういうことは
判らないから、世界人類が平和であることを念願することしかありません。それより私共
は方法を知らないんです」と言って世界平和の祈りを宣布すればいいのです。
92
みんないろいろなことを言いますよ。中国が核実験して核爆弾を持った、それを防備す
るにはどうしたらいいか? やっぱり日本も核爆弾を持って防備しなければダメだ、とい
うようなことを言う宗教家もいる。
そういう人に問い詰めてみたらいい。核爆弾を持った後はどうなるのか、再軍備した後
はどうなるのか。徴兵の問題、軍事費の問題、それらは直接生活にひびいて来ます。核戦
争がもしあったらどうするか、そんなことはありっこない、と言う人はそういうことの先
を考えていない人です。
私共は核爆弾を持つとか持たないとか、軍備するとかしないとか、そういうことは関係
ありません。そんなことよりも先に、まずみんなの心が、世界人類が平和にならなければ
いけないんだ、みんな平和だけを願っているのだから、みんなで力を合わせて世界平和を
築き上げようじゃないか、そのためにはまず世界平和を本当に念願する人たちを、一人で
も多く集めようじゃないか。それには何か目標がなければならない。そこで”世界人類が
平和でありますように”という祈り言葉を目標にして、そこに全部結集させようじゃない
93 まず心の平和を
か。それでみんなの心を平和にして、戦争の脅威を人々の想いから取り除いて、平和な心
で生きるような、そういう地盤を作ろう、というのが私共の世界平和の祈りの運動の始ま
りなのです。
世界平和の祈りに神々がみんな結集してきて、救世の大光明になり、世界平和の祈りを
する人のところへ光が流れてゆくのです。その光が横に広がって地球を浄めているわけで
す。
“世界人類が平和でありますように
” と皆さんが祈る時には、皆さんの体を通して光が
流れてゆくことは確かなのです。この運動はそういう神々の指揮したもう運動になってき
ているのです。ですから皆さんは、世界平和の祈りは素晴らしいんだ、ということを会う
人ごとに言ってもいいんです。
94
平和運動の拡大は身近なところから
「私は世界平和の祈りをしていましてね、なんでも世界が平和にならなきゃ、このまま
ではどうにもなりませんものね」というようなことを、家庭の主婦が口にするようになれ
ば、なんとなく世界平和というのが広まってゆきますね。実は誰でも本当にそうだなと思
っているんですから。ただ忙しさに紛れて、それがどこかにいっちゃっているだけです。
そういう人たちの心の中から、世界が平和にならなければいけないから、みんなでもつ
て世界平和を念願しましょう、という気持ちを引き出してさえやればいのです。その時、
言葉で押しつけがましく言ったりすると反抗したりする。妻が夫に言えば、夫は、何を言
っているんだ、訳も判らぬくせに、というかも知れない。
だから本を見せたり、リーフレットなんかを配ったりして、少しでも多くの人が世界平
和の祈りを祈るようになってもらいたい、ということを私は念願しているわけです。
どうやったら平和の祈りが広まるか、ということを考えながら生きていると、楽しいと
95 まず心の平和を
思うんですよ。自分たちが世界平和を創るんだという気分が盛り上がります。盛り上がっ
てゆくと、自分の家庭のことにあんまり把われがなくなってくるのです。「私は世界平和
のために、目立たないけれど役立っているんだ」というプライドというか、そういう自尊
たか
心が昂まってくる。自分は世界平和のために働いているんだ、という意識があると、後の
小さいことはどっちでもいいと思えるようになるから、心に余裕が出てきます。すると向
こうの言うことをハイハイと聞けるようになります。
自分の想いをあんまり家庭にしばりつけていると、全部の目的がその中に入ってしまう。
家庭、家庭と心が小さく萎縮してしまう。
そして、自分の家庭や、自分に都合が悪いことが出てくると、すぐ腹がたってきたり、
夫が自分の言う通りにしてくれないと腹がたってきたりするんです。それは心が狭くなる
からです。家庭にしばられた心だと、家庭内のことだけが重大に見えるんです。
ところが世界から見れば夫が小言を言おうと、子供がどうしようと、微々たるものでし
ょう。だから世界が平和にならなければ自分たちは生きていても張り合いがないんだし、
9G
この世の中はダメになってしまうんだから、世界平和がまず第一なんだ、という大きい想
いの中で生きていると、子供が文句言おうと、夫や妻がチョコチョコ言おうと、ハイハイ
と聞きながら、この人たちの天命が完うしますように、もっと広い心になりますように、
と祈れるようになる。そうすると余裕が出て来て、家庭もうまくいくのです。
あまり一つのことを、これでなければいけない、あれでなければいけない、と決めつけ
ていると、それに心が片寄ってしまって、心が自由にならなくなる。
夫が自分の思う通りにしてくれないと夫が憎らしくなってくる。夫、妻、子供、家庭と
いうものに心がくっついてしまっているから、ちょっとでも自分の言うことをきかないと、
腹がたってしょうがない。
しかし、くっついている心を離そうとして、離せなかったら、離せないままでいいから、
そのまま世界平和の祈りの中に入れてしまう。そうすると心に余裕が出来て、世界情勢の
危険な有様、ベトナムの戦争がちょっとしたことで大戦争になりかねないことが判ってく
る。
97 まず心の平和を
そうすると、自分のことばかり思ってはいられないなと思う。「どうか世界が平和にな
りますように、アメリカの心が静まりますように、中国の心も平和でありますように、み
んなが平和でありますように」と祈らずにはいられなくなるんですよ。
そうすると、自分の家庭の小さなことばかり思っていて申し訳ないな、なんて私は心の
狭い女だろう、男だろうということになるでしょう。
98
心の平和を一番乱すものは何か
心が広がり、万事に余裕が出てくると、自分以外のことを思える心になってくるんです
よ。家庭でも友達でも、仲が悪くなるのはどうしてかというと、自分の要求を通そうとす
るからです。自分の想いを通してくれないと相手がシャクにさわる。まして愛し合ってい
る場合、近しい場合には想いが通らないと余計にシャクにさわってくる。
ですから人間の心を一番乱すものは何かというと、自分の想いを通そうとすることなの
です。夫に、妻に自分の想いを通そうとする。子供に通そうとする。それで通らないとイ
ライラしてシャクにさわってくる。だから通そうなんて思わないことです。
自分には世界平和を祈るという重大な役目があるんだ、自分の心からの願いは世界平和
を成就することだし、それが本当の願目なんだ。そう思えるようになると、夫や妻への要
求も、子供への要求もなくなってくる。そうすると大らかな、にこやかな妻になり、夫に
なり、父になり、母になる、ということになるんです。
そういう具合になると、うちの夫は、妻はよくなったな、お父さん、お母さんはよくな
ったな、立派になったな、というふうになるんですよ。そうすると、今度はそんなに強く
要求しようとしなくても、向こうが要求を通してくれるのです。すべてそうです。こちら
の要求のみを通そう、通そうとしている間は相手は言うことを聞いてくれません。しかし、
向こうの要求を聞いてやろうと思うと、そうすると相手がこちらの要求を自然に聞いてく
れるものなのです。
げざ
だから、まず大きい心のほうが下座について、向こうの要求を通してやることです。そ
99-一一一まず心の平和を
うするとすべてがうまくゆくんです。
それは何も家庭だけのことではありません。アメリカと中国の場合でもそうです。お互
いが通そう、通そうとし合っているから、とうそう(闘争)になるんでしょ。語呂合わせみ
たいだけれど(笑)。
まず相手の要求を容れるようにしてやれば、相手も、あれだけ容れてもらったんだから、
悪いからこっちも聞いてあげよう、というように、人間はみんな神様の子なんだから、ど
んなに悪そうに見えたって、しかも大国を支配しているような人は頭の悪い人たちじゃな
いんですから、人間が愛情を容れ合えば、お互いが通じ合うと私は思うのです。
100
互いに祈り合い、相手の神性を輝かそう
ところが反共の人たちは共産党は鬼畜だと思っている。こっちが譲ったら大変だ、譲っ
たらどんどん侵略されるに違いないと思いこんでいる。日本がかつて鬼畜米英だ、だから
もし占領されたら皆、殺されたり乱暴されてしまうと思った。
ところがそうじゃなかった。やはりアメリカ人もイギリス人も人間だった。それと同じ
ように、ソ連人も中国人も、どこの国の人もみな人間です。人間というのは神様の光が入
っているんだから、特別な狂人以外は平和、調和を愛さない人間はいないのです。だから
祈り合って、相手の神性を拝み出すということが大事だと思うんです。
それにはまず日本人が実際の行為で示さなければいけません。日本人がまず、世界人類
の平和を祈って、”みんな神の子なんだ、守護霊さん、守護神さんお願いします、世界が
平和でありますように” と祈ることです。
そう祈る心は愛の心です。愛は光ですから、その光明がひびいていかないわけがない。
必ずアメリカ人の心にも、中国人の心にも、ソ連人の心にも入ってゆく。
そこで、私共は、世界人類が平和でありますように、という一念で生きようと思ってい
るのです。そうすると、アメリカ、中国に影響する力も大きい。と同時に自分の家庭にも
影響する力が大きいのです。
101 まず心の平和を
どうじじょうどう
自分の家庭もよくなり、世界人類もよくなるという、個人人類同時成道というのが、私
たちの平和の祈りなのです。
世界平和の祈りのひびきというのは、宇宙運行の正しい法則に乗っているひびきなので
す。だから正しい宇宙の法則に乗りさえすれば、世界は平和になるんだから、その法則に
乗る人が増えてくればいいのです。それをみんなでやってゆきましょう。
(昭和四十年二月)
102
轡人生光明化の鍵
104
人間の二つの生き方
いんねんしょう
人間の生き方には、神の子としての人間と、因縁生としての人間と、この二通りが考え
つか
られます。またそこで、因縁生を掴まえて生きてゆくか、神の子の自分を掴まえて生きて
ゆくか、あるいはそれをうまくミックスして生きてゆくか、といういろいろな生き方があ
るわけです。
わけみたま
普通の場合、神の子人間といいますと、宇宙神の分け生命であり、分霊であるのが自分
しんとう
であるという考え方なのです。神道でもそういう考え方なのですが、私は、宇宙神の分霊
であると同時に、さらに守護霊、守護神とつながっていて、大きな神の光を持っているも
のなのだ、というように説明しているわけです。
ちょくれい
人間は宇宙神から直霊が出来て、その直霊から分かれた分霊である。直霊が神様ですか
ら、分霊は神の子であるわけです。
であるのに、この肉体の世界で何生も生まれ変わっているうちに、霊体である自分とい
うものを忘れ果ててしまい、肉体が自分なんだ、人間なんだ、という観念に把われてしま
ったんです。そうしますと、肉体観念と霊波動との間に大きな差が出来てしまうわけです
よ。
あら
霊波動というのは非常に微妙な波動だし、肉体波動は粗雑い波動ですから、両方がスッ
キリとつながらないのです。その隙間にカルマ(業)というものが生まれ、神様から離れた
想いが生まれて、肉体人間というものと神様とが離ればなれになってしまった。
そこで宗教信仰というものが生まれてくるわけです。人間の元の姿、自分の本当の姿を
知らなければダメだ、自分のものにしなければ本当の幸せがこない、というので宗教が生
105 人生光明化の鍵
まれたわけです。
中には守護霊、守護神のことを言っている宗教もありますが、私共が説いておりますよ
うな、自分にピッタリとついている、自分専属の神様としてついている守護霊、守護神と
いうものを教えている宗教はあまりありません。
ただ守護霊、守護神がいるという形であって、寝ている時も起きている時も、四六時中、
瞬時といえども離れず自分についていて守ってくれている、個人専属の守護神、守護霊と
ふげんぼさつ
いう感じを誰も持っていないわけです。観音様とか普賢菩薩とかお不動様とかというよう
に、大きな形だけであって自分に直接関係ないように教えられています。
私は自分の体験からして、守護霊というものは、先祖の悟った霊がきちんと子孫を守る
ためについているんだ、その上に守護神というものがついていてくださる。そういう四六
時中、加護してくださる守護霊、守護神のお陰があって、自分たちは安楽に暮らしていら
れるのだ、と説いているのです。
それを守護霊、守護神なしに、ただ神の子だから完全円満なんで、業もない、病気もな
10G
いんだ、という説き方ですと人間は本当には救われません。
まいた種は苅りとることになる
どうしてかそれは過去世からの業因縁というものがあるからです。
欲望といいますか、まず自分を守りたい、お金が欲しい、地位が欲しい、いろんなもの
が欲しいと思う。自分に都合の悪い人があったら憎んでしまう、しまいには死んじまえば
いい、殺してしまいたい、そんなような気持ちも随分人間の中にはあるわけです。それは
みんな業ですね。そういうものが過去世の因縁によって自然に浮かび出てくるわけ。
自分が思おうとするのではないけれども、誰かに会うと、ああ嫌だな、あの人は嫌だな
と、前生の因縁のからみあいでもって嫌な人、とても好きな人、行って気持のいい所と気
持の悪い所、というように自然に湧き上がるように、いろいろな想いが出て来ます。
それはどうしてかというと、過去世から今日に至るまでの業想念が、人を嫌がったり、
107 人生光明化の鍵
憎んだり、恨んだり、自分をかばったり、いろいろと神様のみ心に合わない想いや、行為
になって現われてくるからです。わざわざ自分でそうやるのではなく、自然に風があちら
からこちらへ吹くように、どうしようもないことなのです。過去世から今日に至るまでの
想念行為と自分の運命が一緒になっている。つまり、自分の想念行為が自分の運命を決定
しているわけです。
だから今日、非常に貧乏している、あるいはいくら努力しても地位が上がらない、いく
ら人に尽くしても人に恨まれる、子供に邪険にされるとか、姑に邪険にされるとか、いろ
いろありますね。
そういうものも今の自分が作ったものでなくて、過去世において、自分がたとえば姑の
立場になって嫁をいじめていたとすると、今度は生まれ変わってきて、自分がお嫁さんに
なって姑にいじめられる、という形に現われてくるわけです。
自分にお金があったのにケチケチして、自分だけが楽しんで誰にも施しもしなかった、
そういう因縁が現われて来て、今生では自分が貧乏で貧乏で、いつも貧乏して苦しんでい
1′
る、という形になる。
その逆に、今そんなに働かず、いいことをしているように見えないけども、お金がたま
ってたまってしょうがない、贅沢でもなんでも出来るという立場に、自然になっている人
たちもあります。そういうのはみんな過去世の善因善果、悪因悪果、いい因縁悪い因縁の
現われが、ここに、現在に結果として現われてきているんです。だから今、現われている
運命というものは、過去世の因縁が現われて創っているわけです。
才能なんかもそうです。すべてそうやって現われてきているわけ。だから今生のことは
やっぱり過去世の因縁に支配されている。しかし、未来の運命は現在創っているのです。
だからひとまず過去世のことは仕方がないとあきらめ、それはどうしようもないから一
応あきらめます。それで、未来をよくするためにはどうしたらいいかというと、今いい想
いを出し、いい行ない、神のみ心に合った行ないをすることです。いかに今、金持ちでい
い地位があって威張って、いい立場にあるように見えようとも、施しもせず、いい行ない
ちょうらく
もしなければ、必ず未来で地位も崩れるし凋落してゆきます。絶対によくなりません。
10卜一一人生光明化の鍵
今、地位があって威張っている、自分のことばかり思って人をいじめている、まるで人
を蔑ろにしている、というような人は未来においては必ず凋落するのです。そのようにな
っているのです。
日本の天命を生かす
だから私はよく言うのです。アメリカがベトナムを爆撃していますが、ベトナムは随分
アメリカを恨んでいます。
アメリカは一方ではいいことをしているように見えながら、その結果として非常に悪い
ものが生まれてくるわけです。他にもアメリカに憎悪の感情を持っている国々がある。そ
ういう想いがかかってきて、このままの状態でアメリカがゆくならば、決してよいことは
ありません。
日本が太平洋戦争で負けたのは、それまでに中国を痛めつけ、中国の権利を奪ったり、
110
日露戦争でロシアを負かし、第一次大戦ではドイツを負かしたり、人や国を痛めて勝って
驕りたかぶっていたからです。そういう想念感情がはねかえって来て負けたわけです。
日本は一旦それで苦しんだけれど、負けたので裸になって、みんなが苦しみをなめて、
平和でなければいけないと、一生懸命生きてきたわけです。
ところが今の日本は、まだまだ本当に自由な世界でなくて、首相にしても日本独自の政
策をなかなか行なえないんです。いちいちアメリカの指図を受けるわけでもないけれども、
アメリカの機嫌を損なわないようにしなければならない形になっているわけです。まだま
だ日本の本質が現われていません。
過去の歴史でいろいろ行なったこと、思ったことの集積が現われて、今日の日本の姿に
なっている。だけどそれは本当のものではない。
本当の日本の姿を現わすためにはどうしたらいいかというと、本当の日本人の心に帰ら
なければいけないのです。
本当の日本人の心というのはどういうものかというと、愛と調和、誰とも彼とも仲よく
111 人生光明化の鍵
出来る大調和の心です。正しいものは正しいように現われ、邪しまなものは自然に消えて
ひもと
ゆくという形。日本は日の本の国ですから日の本というのは霊の元の国、霊の根本、
根源の国ということであり、それが日本の天命なのです。
日本は、霊の根源の国であり、大調和の国であるという実体を現わさない限りは、本当
には幸せにならない。日本が幸せにならないということは、世界人類が幸せにならないと
いうことなのです。何故かというと、日本は大調和を創る、霊の根源の国であり、そうい
う天命を持っているのだから、日本が大調和しなければ世界は調和しないわけです。
そこでよくよく見てみますと、今の日本はまだまだ、調和してはいません。右だ左だ、
なんだかんだ、と四分五裂して騒いでいるわけです。だから、一人一人が集まって本当に
調和の姿を現わしてゆく必要があるわけです。そこに生まれたのが世界平和の祈りなので
す。
多くの人が前生の因縁因果のままに巻きこまれていて、神様のみ心そのままに生きてい
ないのです。みんな業想念波動の中に巻きこまれて今日まで来ているわけです。けれども、
112
その業想念波動のままに巻きこまれていったんでは、いつまでたっても個人にも人類にも
幸せはこないんです。
そこで守護霊、守護神さんの力を借りて、守護霊さん、守護神さんお願いします、神の
み心を現わし得ますように、どうか大調和した日本が生まれますように、どうか平和な日
本が生まれますように、という願いをもって生まれ出たのが”世界人類が平和であります
ように、日本が平和でありますように、私たちの天命が完うされますように”という、守
護霊、守護神さんに感謝の祈りを捧げる祈り言葉なんです。だから必然的に、自然に世界
平和の祈りが生まれたわけです。
因縁因果を超える道
この世の中は因縁因果で流れています。過去世の因縁因果によって貧乏もするし、金持
ちにもなるし、変な想いの癖も持つし、不幸な境涯にもなるし、姑さんにいじめられたり、
113 人生光明化の鍵
お嫁さんにいじめられたり、いろいろな不幸とか、災難とかつまらないことが起こるわけ
です。ですから因縁のままに動いたのではダメなのです。
いい行ないをしようと思っても、自分の中から湧き出てくる変なものがあって、なかな
かいい行ないが出来ない。人を恨むまいと思っても、そう出来ない想いが湧き出てくる。
虚栄心を持つまいと思っても、スーッと虚栄心が出てきてしまう。
そこで私はそういう因縁因果の想いというもの、あるいは行ないというものは、みんな
過去世の因縁の消えてゆく姿として現われてくるんだから、その消えてゆく姿をどこかへ
消してしまわなければならない、と教えているんです。消すためにはどうすればいいかと
いうと、世界平和の祈りの中に、自分のあらゆる想いを入れてしまえば世界平和の祈
りは神様のみ心ですから、み心と全く合体した祈りだから、そういう祈りを祈ると、神様
のみ心がそこに現われてくるわけです。
神様のみ心というのは大調和であり、大光明でもあるのだから、その中に守護霊、守護
神さんへの感謝と共に入って行くと、今までの過去世からズーッと流れてくる因縁因果の
114
波がどんどん消されてゆく。消されていって潜在意識に残っているものは何かというと、
世界人類が平和であれ、という大調和の想いだけが残ってゆくわけです。それをやってゆ
くと、知らない間に日本人本来の、調和した想いだけがそこに残るわけです。
そうなってしまうと個人も立派になるし、日本全体も立派になるわけです。けれどその
原理を知っている人が少ない。しかし、世界平和の祈りを祈る人は知っていて、それを
徐々に行なっているわけですが、それが広まってゆけば、否でも応でも日本に本当の姿が
現われてくるんです。
日本に本当の大調和の姿が現われれば、世界は必ず大調和してゆくーそういうことに
なっているんです。日本人すべてが全部調和した心になってゆけば、それはすごい大光明
波動になって世界中を包むわけです。
だから一人でも多く平和の祈りをする人が増えれば、それだけ日本はよくなるし、世界
の戦争は防げるし、世界の天変地変は防げるわけなのです。天変地変も、戦争も、みんな
過去世からの業因縁からの波が地球に、人類に覆いかぶさってきて現われてくるのです。
11s 人生光明化の鍵
だから、世界中に大災害として、大戦争としてそれが現われてくる前に、私共の世界平
和の祈りの大光明でそれを消してしまおうと、一生懸命やっているわけです。
だから皆さんも自分の不幸や災難があっても、どんなことがあってもそれはみんな消え
てゆく姿として、どんどん平和の祈りの中へ入れてしまって、自分が幸せになると同時に
日本を幸せにし、世界を幸せにするように、日々生きてゆくことが大事だと思うのです。
そうやっていますと、病気の方でもなんとなく心が明るくなって、病気に把われなくな
るような、そういう心境になってくるのです。だから因縁因果の法則というものを判って、
因縁因果を超えてゆく、平和の祈りの中に入ってゆくことが大事なのです。
それは万巻の書物を読むよりも、どんな知識を得るよりも、まず最初にやらなければな
らないことなのです。それで世界平和の祈りをやりながら、仕事なら仕事をし、勉強をし、
いろんな努力をし、家庭の主婦は家庭をよくしていくことです。
11G
今からよい種をまくこと
仏教では善因善果、悪因悪果といって因縁因果というものを説きますが、やはり因縁因
果の法則というものを知ることが大事です。
自分が貧乏していて、オレがいくら働いても貧乏なのは、世間が悪いんだ、社会が悪い
んだ、と言う人がいるけれども、実は社会が悪い、世間が悪いんじゃなくて、自分の貧乏
の原因は、過去世の自分にあるのです。過去世といわなくても、今生にもありますが、過
去世からずーっと伝わってきた因縁によって、貧乏をし、あるいは病弱に生まれ、才能が
なく生まれるんです。
また、なんら偉くもないのに金持ちで威張っている、という人があるかもしれない。し
かしお金持ちになるにはお金持ちになるように、地位が高くなるには地位が高くなるよう
に、過去世において一生懸命やっているわけです。そういう種をまいているわけです。
まかない種は絶対に芽を出さないのですから、富んでいる人は富むべき種をまいたのだ
117 人生光明化の鍵
し、貧乏しているのは貧乏すべき種をまいたわけです。だから人のせいにしないで、みん
な自分の過去世の因縁なんだな、と思うことです。そうすると一応そこで割り切れるわけ
ね。しかしそれだけでは進歩がありません。ただのあきらめになってしまいます。
そこで、これは自分が作ったものなのだから、自分が改めて作り直せば必ずいいものに
なるんだ、とそう信じて、今までの貧乏の種である想念というものは、どういうものか自
分では判らないでしょうから、ああ、これは過去世の因縁が現われているんだから、みん
な世界平和の祈りの中にお返ししよう、と神様の中へ全部自分の想いを入れてしまって、
世界平和の祈り一念で日常茶飯事のことを一生懸命やるのです。そうすると心が晴れ晴れ
として、心がのびのびとして生きることが出来るのです。すると、運命が変わってゆくの
です。
何よりも観の転換をして、生き方を変えてゆかなければいけません。けれど、ただ単に
生き方を変えるといってもなかなか出来ないから、祈りによって自然に、知らないうちに
変わってゆくことが大事なのです。
118
一番卑怯な生き方は、自分の不遇な立場を人のせいにすることです。私がこうなったの
はあいつのせいだ、私の悪いのは親のせいだ、とか、人のせいにするけれど、人のせいな
んか何もない。みんな自分のせいなのです。自分から生まれて自分に返ってくることなの
です。たとえ自分がいいことをして人に殴られたにしても、それは自分の過去世の因縁が
現われてきてるんです。自分自身の消えてゆく姿なんです。自分の中にないものは絶対に
現われないんです。
そういう因縁因果の法則が判って、それでああこれはすべて消えてゆく姿なんだ、と平
和の祈りの中に入れて、祈り心の中から改めて一生懸命努力すればいいんです。
無心に生きよう
今までのように、何も判らないで不平不満を言いながら一生懸命やるのと、不平不満を
消えてゆく姿として神様のほうにまかせて一生懸命やるのとでは、全然違ってきます。
119 人生光明化の鍵
マラソンをするのにしても、心の中にモタモタしたものがあって走っていたのでは、う
まく走れません。でも無心の状態でやっていると力が出てくる。スポーツを見ていると一
番よく判ります。野球なんかでも、打たなきゃ、打たなきゃと思うと、力んでしまって打
てなくなってしまう。無心でバットを出すとどんどん当たる。そういうように、無心にな
ることがいいのです。
無心になるためには、祈り言葉の中に、祈りの中に入っていればいいんです。無心の中
には神様のみ心があります。神様そのままの、生命を下さって人間を生んでくださったも
との心は無心の中にあるわけです。無心ということは自分の心がないということ、想念が
ないということです。
しかし、想念がなくなるわけにはいきませんから、神様の中に入れてしまって、神様の
み心とすり換えてしまえばいいわけです。そこに日頃の修練が生きるわけです。いくら日
頃修練していても、例えば野球の練習をしたって、試合で打てやしないんじゃないか、ど
うしようなんて頭の中でガタガタしていたのでは、打てやしません。何も思わない時には
120
成績がよくあがる。それはスポーツばかりでなくて、すべてがそうなのです。
むいな
そこで老子は、無為にして為せ、コチョコチョ小智才覚で思うのではないのだ、みんな
おまかせして神のみ心のままに行け、と言うんですね。
それには、やっぱり祈り心、祈り言葉というものがないと、なかなか出来るものではな
い。そこで世界平和の祈りというものが生まれているのです。
だから祈りに住して祈りに把われず、祈りながらしかもそれに把われないで、日常茶飯
事のことを一生懸命やる。祈っているから私は何もしない、なんてただボンヤリしていた
って、それではどうしようもない。
祈り心で、しかも家庭の主婦は一生懸命家庭の仕事をし、学生は一生懸命勉強をし、サ
ラリーマンは会社で一生懸命働く。そうすると祈りの心がそこに生きて来て、すべてがう
まくゆくわけです。
神様におまかせしていると、自然に気力が充実してきて、自然に動いて何かしなければ
いられなくなる、それでいい仕事が出来るようになるのです。
tai 人生光明化の鍵
蕪》宗教精神と平和運動
122
時の権力や政治に利用される科学では
神様のみ心の中では、すでに世界平和は出来ているんです。そういう姿が、すでに金星
だとか火星だとかに現われて、完全円満ないい世界が出来ているわけです。それはどうい
うふうにしてなったかというと、やっぱり初めは宗教的な運動があり、宗教と科学が結ば
なヰ
れて宇宙科学のような形が出来まして、それで平和になっているわけです。
その平和のひびきと世界平和を祈る皆さんの祈りとが交流し、あちらからこの地球界に、
宇宙科学を教えてくれているわけです。やがて宇宙科学をこちらが受けついで、火星とか
金星とかいう先輩星と同じような大調和世界が、この地球界にも出来てくるんですよ。
最後に救われるのは科学によるのです。といって戦争になるような不調和な科学じゃな
いんです。
ジェット機ならジェット機が飛びます。速くて便利です。けれども基地の近所の人はと
ても騒がしくてかなわない。子供が病気でも寝ていられない、病気がますます悪化してし
まう、というように、科学が発達すると同時に被害が出る。一方ではいいことになるけれ
ども、一方じゃ悪いことになる。
それは本当の科学ではない。だから悪にも使えれば善にも使えるような科学では、想い
が悪ければどうしても悪いほうに使ってしまうわけです。
原子力そのものも悪いわけじゃありません。原子が核反応したり、核融合したりしてエ
ネルギーが出るわけです。そのエネルギーそのものが悪いんじゃないんですね。
エネルギーというものを悪く使うか、よく使うかは人間の想いによるのです。いわゆる
宗教精神が徹底していれば悪いようには使わないわけです。ところが今の地球界では、宗
123-一一デ宗教精神と平和運動
教精神は徹底していない。徹底するには、やっぱり科学の力を借りないと出来ない。
宗教精神だけで徹底するものなら、この世の中は心配ないんですけれども、宗教団体そ
のものが、もう争いを生じているような形ですね。マホメット教とヒンズー教とが争うと
か、仏教とキリスト教とが争うとか、東南アジアなどを見ているとよく判ります。
宗教というものがあるばっかりに、かえって宗教の固まった想いが争いを起こすような
ことになる。宗教精神というものは宗教団体だけにあるものではありません。キリスト教
はキリスト教だけがいい、仏教は仏教だけがいい、とみんな自分たちの宗教団体だけがい
いと思っているわけですね。
そういう想いが既に争いの種をまいている。それは宗教精神じゃないのです。だから宗
教精神から生まれた本当の科学でなければ、やっぱり争いの種がどこかに出てくるわけで
す。
原爆が出来たのは戦争中ですね。原子エネルギーを使えばすごい破壊力を持った爆弾が
出来る、という考えが非常に多くあったわけです。その研究に軍事費を使ってやったので
124
すね。人工衛星でもそうです。空を制すれば、世界を制することが出来る、という権力欲
の争いでもって、軍事費を使ってやっている。アメリカでもソ連でも、宇宙を本当に開発
し、月や金星へ行こうという考え方よりも、宇宙空間を利用して、他の国を圧迫しようと
いう、他の国を抑えつけようという、力を誇示するための研究なわけです。
だから研究意図が、世界を本当に平和にしようというのでなくて、世界を自分の権力下
に置こうとするための科学の発展なんですね。それではダメなのです。
宗教精神は宗教団体だけにあるのではない
そこでこれからは、科学の在り方が根本的に変わらなければならない。宗教精神から生
まれた科学でなければ本当の科学にならないんです。ところが今の世の中は、宗教精神と
いうものはどっかへ行っちゃってる。宗教精神というとまず宗教団体にあると思うんです
ね。宗教の一つの集まりが宗教精神が集まったところだと思っていると、さにあらず。
125-一一デ宗教精神と平和運動
宗教精神というのは、みんなが愛し合って、みんなが慈しみ合って、力を借し合って、
みんなが平和になりますように、というのが根本であって、自分が病気になりたくない、
貧乏になりたくない、と思うことじゃない。そういうことは誰だって思う。それは宗教精
神ではなくて、自分を守る想いです。
誰だって自分が悪くなりたいなんて人はいないんだから、自分もよくなる代わりに、人
類もよくしたい。みんなが仲良くやってゆきたい、みんなが幸せの世界を作りたい。病気
がなくなって、貧乏がなくなって、争いがなくなって、そういうすべての悪い想い、悪い
事柄がなくなりますように、どうかみんなが平和でありますように、みんなが仲良くなり
ますように、というのが本当の宗教精神なんです。
だから宗教精神というものは宗教団体だけにあるわけじゃありません。宗教団体に入ら
なくたって、宗教精神に燃えている人があります。それを間違えて、宗教団体だけがいい
なんて思い上がったらダメですね。
ですから宗教精神から生まれた科学なら、いい科学に違いないんです。はじめに医学が
12G
出来た時は、医者が病気を治したい、ああかわいそうだ、あんなに苦しんでいるものを治
してあげたい、といって薬なども出来たわけですね。それが逆に自分の権力を誇示するよ
うな科学になってきたら、世界を滅ぼしてしまうようなものを作ってしまう。科学が悪い
のではなく、その使い方が悪いわけです。
大いなる祈りの力の効果
科学の使い方をよくするためにはどうしたらいいかというと、エネルギーの根源の世界
に入りこんで、神様のみ心と一緒になって科学を発展させてゆくことです。そうしなけれ
ば、世界を救う科学にはならない。
私共のやっている宇宙科学というのは、世界平和の祈りで神様のみ心の中に入ってしま
って、向こうから伝わってくるものを、そのまま素直に現わしているわけです。ですから
ふため
この科学が出来る時には、不調和なみんなに不為になるようなことはないのです。そうい
127-一宗教精神と平和運動
う科学が生まれてくるんです。
しかし、それもまだすぐ生まれるわけじゃありません。それまでに、まず戦争を防がな
ければならない。争いの想いを防がなきゃならない。業というものは生易しいもんじゃな
い。厚い壁ですから跳ね返されてしまう。
そこで、その争いの想いを防ぐには、そういう表面からゆかないで、奥からゆくのです。
人間には本心がありまして、そのまわりに業想念が取り巻いているわけです。
だから本心のほうに光を与えて、幽体、幽界(潜在意識層)にある業想念をきれいに浄め
てしまえば、知らないうちに「ああこれは悪いことだな」「うん、これは勇気を出して止
めなきゃいけない」とかいうふうに自然に思ってくるわけですね。そういうのが祈りの効
果なんです。
私共が世界平和の祈りを祈っていますと、神様の愛の光が世界中にふりまかれるわけで
す。幽界に争いの想い、自分勝手な想いが一杯たまっているんだから、そこへ光が神様の
ほうから流れてゆく。そうすると幽体・幽界がきれいになりますね。
128
すると本心が目覚めて来て「ああこんな原爆なんか作っちゃだめだ、原子爆弾の実験な
んかいけないんだ」とか「争っちゃいけないんだ、なんとしても争いをなくさなきゃいけ
ない」というふうに各国が思いはじめるわけです。そうなって、やがて調和して本当に仲
よくなるんだけれども、一朝一夕で出来るものじゃない。しかし、少なくとも戦争になる
のを防ぐことは出来るわけです。それが世界平和の祈りの功徳なんです。
みなさん、おじいさんでも、あばあさんでも、子供でも”世界人類が平和でありますよ
うに”と思う時には、その人の体を通して光が地球界に流れてゆくんです。それで地球界
の争いの想いを浄めているわけです。その浄めによって戦争や天変地変が防げているので
す。
だから祈る人を一人でも多く作れば、それだけ戦争は起こりにくい、ということになる
んですよ。でも何もしないで「各国が原爆を持てば、お互いに牽制し合って原爆を使わな
いから、戦争は起こらないよ」なんてのん気なことを言ったって、原爆じゃなくても戦争
は出来るんですから。細菌を使うことだって出来る。いくらでも人間というのは悪知恵を
129-一^’宗教精神と平和運動
しぼって、悪いものを作り上げますからね。原爆がなくても戦争はいくらでも出来るわけ
です。
だから、戦争をする、という想いを根底からなくさなきゃならない。そのためには世界
平和の祈りをみんなが続けて、さらに多くの人がやるようになれば、それだけ戦争の危機
は遠のいてゆくわけです。
そのうちに宇宙科学も完成します。すると科学力でもって、否でも応でも戦争が出来な
くなってしまう。原爆を使おうと思っても使えなくなってしまう、という時代が来るわけ
です。そうしなければ世界は平和になりません。
祈りというのは、みんなの争いの想い、憎悪の想いを消し去ってしまう地ならしです。
その祈りの上にたって科学力が実ってくるわけです。それで宗教と科学が渾然一体になっ
て、世界が救われてゆくのです。
やっぱりこの現象世界の救いのキーポイントは科学なんです。そのために私共は平和の
祈りをしながら、宇宙科学を完成させようと一生懸命やっているわけです。
130
日本の使命と平和運動
中国が核爆弾を持ち、実験をしたりすると痛切にそれを感じます。隣の国ですからね。今
日だって放射能の雨が降っているんですよ。中国がこれからしばしば実験をしてごらんな
さい。放射能がまたまた降ってきます。日本という国は面白い国でして、アメリカのほう
で実験をやっても、ソ連でやっても、イギリスがやっても、中国でやっても、みな放射能
の灰が日本の上空に降ってくるんです。地理的にもそうなっているんだからしようがない。
また、東の智恵も西の智恵も入って来て、混和されて、いい智恵にする。東の悪いこと
も西の悪いことも流れこんで来て、日本で浄めるようになっている。そういう国になって
いるんです。
それはどういうことかというと、日本の天命はあらゆる国で発せられた業想念を浄める
ことなんです。世界平和を創る、大調和を創るための中心の国なんだ、ということなんで
す。武力を持って勝つなんていうことじゃない。もともと、武力はどこの国が持ってもい
131-一宗教精神と平和運動
けないんです。どんなに理屈を言ったって、武力は武力です。
ほこ
“武
” という字の本当の意味は、文を止める、つまり兵火を止める、ということで、調
和なんです。だから、戦争をして自分の国が勝って、平和にしようなんていうのは本当に
馬鹿な話。自分は正義で相手は不義だから、悪い国が攻めて来た場合に正義の国が負けち
ゃならない。だから軍の力で、武器の力で相手を叩きつぶして、平和を創るなんていう、
そんな平和があるわけがない。人殺しをして平和になる、なんていう馬鹿なことがありっ
こない。
武力をもって世界を征服する、という時代はもうとっくに過ぎているのです。今まで、
何千年来、それを繰り返し、繰り返しつづけて、戦いに戦いを続けて、今日、いよいよ原
爆、水爆を持つという最悪の時代になって来たわけですよ。
人間の馬鹿さ加減というのは、最後の最後の瀬戸際まで来ないと、本当に武器を持っち
ゃいけないんだな、本当に力と力じゃダメなんだなということが判らないんですよ。
ところがそれに理屈をつけている。「攻めて来たらどうするのか、滅ぼされちゃうじや
132
ないか。だから武器を持たなければいけない」一理あります。
しかし武力を持っても持たなくても滅びる時は滅びます。「攻められて滅びるよりも、
戦って全部死んだほうがいい」と言うかもしれない。これは立派で勇ましそうだけれども、
そんなに生命をもったいなく使っちゃいけない。
いざどうにもならない時には、武器を持たなくたって戦えます。日本の国民が本当に平
和の気持ちになって、立ち上がってごらんなさい。相手は爆撃できないでしょう。銃撃も
出来ないでしょう。その時は神々が守ってくれるんです。
もし爆撃され、銃撃されて死ぬのなら、それでも結構。全部が全部平和の心になって、
敵対心もなく、平和を守って死にましょうという気になって、それでも滅びるならば、肉
体なんかなくてもいい。肉体界よりずーっといい所へいく。そこまで思わなきゃ本当の平
和運動は出来ないんです。
攻めて来たら困るから、守って撃退しなければならない。だから軍備がいるじゃないか。
なんて馬鹿なことを言う。それならばいつまでたったって、平和なんか出来っこないですよ。
133宗教精神と平和運動
ですから世界平和の祈りの運動というのは、世界平和の祈りを中心にして、日本を平和
の中心国にする。そして平和のひびきで世界を引っ張っていくのです。日本国民が総結集
して平和運動を推進しているんだ、というところへもってゆくための先駆けとして、皆さ
んが平和の祈りをしているわけなのです。
だから一人一人の平和の祈りは非常に大きな働きなのです。世界を平和に導く原動力な
んですよ。それを、神々がやらせてくださっているというわけです。その大きな天命を果
たしつつあるんです。
134
ぶつぼさつ
皆さんは仏菩薩です
皆さんは本当に胸の中で「ああ私たちは平和のための先駆けなんだな、世界を平和にす
るために私も役に立っているんだな。自分が平和の祈りをすることによって、世界が平和
になるんだな」というふうに、一人一人が思ってください。
「自分が”世界人類が平和でありますように” と祈ることによって、自分の体を通して
光が地球に流れ、戦争を防いでいるんだな、平和にだんだん近づいているんだな」「自分
が一言平和の祈りをすれば、それだけ平和世界が近づいてくるんだな、世界が平和になる
んだな」そういうふうに思ってください。
そうすると、自分の中にある諸々の嫌な想いも消えてしまうし、息子や娘との不和も消
えてゆくし、やがてすべてが平和になってゆくんです。だから、自分の身のまわりのこと
を思うより、まず平和の祈りをただひたすらにすれば、身のまわりのこともよくなってく
るんですね。
そういうふうに逆に考えておやりになると、うんと自分の力がつきます。病気を治した
い、不幸を直したい、ということを先に思っていると、なかなか直りません。それを平和
の祈りの中へ入れてしまえばいいんです。
皆さんは肉体界にいて、一般大衆のような顔をしていらつしゃるけれども、実は皆さん
の本心というのは、仏菩薩なんです。天使なんです。ですから平和の祈りをすることによ
135-一一一宗教精神と平和運動
って、菩薩の本体が現われ、天使の本体が現われる。
“世界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように” という時にはその
まま菩薩であり、天使なんです。皆さんはそういう方々なのです。だから、いつもいつも
心の中で平和の祈りを続けていてください。そうすると、神界にある姿がこの世に映って
くるんです。
といって、固くなって祈るという意味じゃありませんよ。のん気でいいんです。明るく、
冗談を言ったり、家のことをしたってかまやしません。そんなことはどうでもいい。日常
茶飯事のことを当たり前にしていればいいんですから。
それで心の中ではいつも”世界人類が平和でありますように” という祈りがひびいてい
る、という人間にみんながなれば、それだけ早く世界が平和になります。
(昭和三十九年十月)
注4 宇宙科学……後出の宇宙子科学、宇宙子波動生命物理学に同じ。昭和三十七年から宇宙天使の指導
のもとに始められた調和の科学。
136
㊥これからの
新しい世界
働新しい世界を築く
138
古い世界のままではいけない
これからの世界というものは、古い世界がそのままの姿でよくなってゆくのではないの
です。古い世界の習慣の想いがそのまま引き継がれて、少しずつよくなってゆくというこ
とではないんです。新しい力こそが、新しい世界を築き上げるのです。
ですが、国家や人類を見ていますと、とても難しいように思います。
それは何故かというと、過去からずーっと続いてきた人類の生き方のままでゆけば、こ
の世界はもうどうにもこうにもならないところまで迫ってきているからです。
そのどうにもならない世界を正すためにはどうしたらいいかというと、改めて新しい世
界を築き直さなければダメなんですね。新しい世界を創るのです。古い世界がよくなって
ゆくのではなくて、新しい世界が現われる必要があるんです。
舞台の幕が少しずつ上がって、上がりきると、新しい劇が始まっているのと同じように、
新しい世界を開くんです。
ということは、今の考え方のままでいたのでは、いっこうに平和にならない、というこ
とになりますね。
軍事力に頼るという考えは
国際関係でも、今までの考え方からすれば、武力の強い国が勝つわけです。軍事力の強
い国が絶対的に勝利を得ている。それは、日本の戦国時代でもそうだったし、歴史を遡っ
てみても、武力の強い国が世界を支配していたことに間違いありません。
139一新しい世界を築く
しかし、軍事力を増強しさえすれば、その国が世界の権力を握れるという考えを、昔の
ままに持っているとするならば、世界は滅亡してしまうんです。
何故かと言いますと、アメリカはアメリカで、世界中で一番武力を強くしようとする。
ソ連はソ連で、一番強い国になろうとして、そうやってお互いが軍備を増強します。
そして、軍備を増強するということは、原爆や水爆を持つことに他なりません。今や原
爆や水爆を持たない軍事力なんていうものは、もう軍事力のうちに入りません。
ということは、いつか世界中の多くの国が、原水爆を持つことになります。
ですから、このままゆけば、国同士の小競り合いが、たちまち原水爆戦争になってしま
うんです。
各国が軍備を増強しようとし、軍事力の強い国が一番強いんだという今までの古い考え
が、そのまま踏襲されていったならば、この世界はやがて滅亡することは、もう常識の世
界でもはっきり判っていることなんですね。
軍備を拡張するということは、滅亡までの時間を延ばしているに過ぎません。地球世界
140
の滅亡を、ほんの一瞬だけ、先に延ばしているだけなんですよ。
けば地球の未来はない、ということになります。
そうすると、このままゆ
古い考え方を捨てて、
神様のみ心の中から智慧を頂き直す
それではいけないというんで、神様が世界平和の祈りを私共に下さったのです。それが
広まると、知らないうちに、戦争をしようとし、敵をやっつけようとする想いが次第にな
くなってゆくのです。光の波で、業生の黒雲を消し去ってゆく。
それを全世界に広めようと神様がおっしゃるので、私の体を通して皆さんに伝えている
わけですね。そしてそれが、だんだん広まってきているわけです。
でも、人類の頭の中には、今までの古い考え方が染み込んでしまっているんです。それ
を根底から拭い去らないことには、世界が平和にならないのだし、それには今までの考え
141 新しい世界を築く
方をすべて捨てなければならないわけです。
今までの考え方を捨てるためにはどうしたらいいかというと、それにはやはり祈りが必
要なんです。
神様のみ心の中に、今までの考え方のすべてを捨てきって、世界平和の祈り一念になっ
て、世界人類が平和でありますように、みんなが平和でありますように、各国も、個人も
みんな平和で、天命が完うされますように、という祈り心の中に、すべての想いを入れき
らないことには、個人も世界も変わらないわけですよ。そうしないと旧態依然としたまま
で、滅びの門に至ってしまうだけなのです。
どんなに地球界で頭がいいと言われる人であっても、それは神様のみ心から見れば、小
さな智慧でしかないんですね。そういう小さな智慧でいくら考えたって、やっぱり滅びの
門に至るだけ。少し時間を延ばすだけに過ぎない。
そうすると、その小さな智慧のすべてを、世界平和の祈りを通して、神様のみ心に返し
てしまって、神様のみ心の中から大きな智慧、能力を頂き直さなければいけません。それ
142
が、消えてゆく姿で世界平和の祈りなんですね。
世界平和の祈り一念で生きよう
ですから、私共の運動というものは、軍備をしてはいけない、安保条約がどうとかこう
とか、そういうことではないんです。それは、時代によって、なるようにしかならないし、
決まるものは決まる、決まらないものは決まらない。そういうふうになっているわけね。
そういう業生の世界とは関係ありません。それはそのままにしておいて、私共のやるこ
とは何かというと、神様と人間とをつなげる、天と地をつないで、天の光を素直に、まっ
すぐに、この地球界に天降す、ということだけなんですね。
そのための世界平和の祈りなんです。実在の世界の、完全円満な大調和した光の世界を、
この地球界に導き降ろそうとするための、世界平和の祈りなんですよ。
だから、軍備をするとかしないとか、安保条約がどうとかこうとか、そんなこととはま
143 新しい世界を築く
ったく関係なく、日常茶飯事の自分の行ないや想いのすべてをひっくるめて、世界平和の
ゆうゆう
祈りの中に入れきってしまう。そして、自分は悠々と好きなことをしていればいいんです
ね。
テレビを見たい時は、テレビを見ればいい。映画を見たい時は見てもいい。しかし、そ
の心の中では常に世界平和の祈りが鳴りひびいてるような、そういう生活をしていればい
いわけなんです。そうすると、やがて自分の体が、世界平和の祈りの大光明で満ち満ちて
きます。
そして、その光が他へ影響してゆくわけね。自分の体が常に光に満ちて、世界平和の祈
りに満ちていれば、その光が地球界を浄めていることになるわけです。それは、映画を見
ていようと、ご飯を食べていようと、そんなことは関係ないんです。
それは、肉体の想いがするんじゃないんですからね。自分の体に満ちた大光明波動が、
法則のとおりに働くだけなんですから。
そういうふうに、自分が世界平和の祈り一念で生きていれば、何をしていたって、そん
144
なことは関係ありません。
ただ、世界平和の祈りが自分の心に満ち満ちて、いつも世界平和の祈りが鳴りひびいて
いるように、祈りに始まって祈りに終わるような生活が根本になってないとダメなわけで
す。
ですから、すべてを世界平和の祈りの中に入れてしまって、自分自身が世界平和の祈り
で光り輝いているような人間になれば、それが世界平和を実現する大きな力になるわけで
す。それをみなさんがやってくださればいいわけですね。
そういう人が一人でも多くなればなるほど、世界は早く平和になるんです。
一にも二にも、祈りに始まって祈りに終わるように、何をしていても、世界平和の祈り
が鳴りひびいているような人間が一人でも多くなるように、まず皆さんが努めることなん
ですね。
145 新しい世界を築く
自然に、気張らず、のんびりと、
たゆ
しかも弛みなく祈ることが大事
14G
そして、祈りというものは、のんびりと、自然に流れるようにならなければいけません。
あんまり気張ったらダメなんですよ。
初めは判らないから気張って祈るかもしれない。でも、だんだん慣れてくると、生活の
中で自然に世界平和の祈りが出てくるようになるわけです。
そういう自然な世界平和の祈りになってくると、しめたものです。そうすると、世界平
和の祈りに合うような、愛に満ちた行ないだけになる。見た目も柔和で明るくなってくる。
それは世界平和の祈りばかりではなく、あらゆる芸術にも、あらゆるスポーツにも当て
はまります。力んではいけません。力まないで自然にやる。これはあらゆるものの原則で
す。世界人類が平和でありますように… … 、と自然にでてくるわけ。それはテレビのスイ
ッチと同じことです。ただスイッチを入れれば映りますね。それを、力一杯やると壊れち
やうでしょ。
ほが
それでは続かないんです。自然でいいんです。自然に、伸びやかに、朗らかに、明るく、
世界平和の祈りをする、そういうことなんですね。しかも弛みなくやることが大事です。
そうしているうちに、愛を行じなければいられなくなります。この祈りを広めずにはい
られなくなります。ただ、どうぞ気張らないで、リラックスしてやってください。
(昭和四十一年四月)
147 新しい世界を築く
働新しい波動新しい人類
148
地球と人類が大変貌する時がくる
しんぱん
キリスト教では、最後の審判ということをよく言います。キリスト教ばかりでなく、地
球の最後ということはあらゆる宗教で言っています。それはどういうことかというと、今
までの地球人類の在り方が変わるということです。
こヤつ
仏教では劫といいますが、一つの周期がありまして、その最後の劫にお釈迦様やイエス
さんが生まれた頃もみな入っているわけで、その劫の終わりにかけて、地球と人類が大変
貌するという時期があるわけです。それを最後の審判という。その後に新しい人類が誕生
する。
といっても、今までの人類が全部死んじゃって、全然形の変わったのが出るというので
はなくて、今までの地球人類の考え方、人生観、宇宙観というものがまるっきり変わって
しまう。もっと言い換えれば、肉体波動が霊妙な波動に変わるという、そういう時代が来
るのです。必ず来るのです。
来る手前に、どうしても一つの関門を通らなければならない。それには古い皮を脱皮し
なければならない。今までの生き方を変えなければならない。そういう時期が今なんです。
最後の審判として、三分の二滅びて、残った者だけが立派な人類になるか、半分だけ残
つて半分が滅びるか、あるいは三分の一が滅びて三分の二が残るか。あるいは十分の一が
滅びて、十分の九が残るのか。あるいは滅びなくて済むのか。それはこれからの人間の生
き方によって決まるわけです。
最後の審判というものを、大過なく、災い少なく、人類の痛み少なく乗りきってゆこう
というために、神々はいろんな人を天下しているのです。お釈迦様もそうだし、イエスさ
149-一一一一新しい波動新しい人類
んもそうなんだし、いろんな聖者が出ています。私には、”消えてゆく姿で世界平和の祈
り” という方法と、宇宙子波動生命物理学という科学を神様が授けてくれているわけです。
その運動を続け、その科学を完成することによって、地球人類が苦しみ少なく乗り越え
て、新しい人類として生まれ変わってゆく、新しい人類に成長してゆく、新しい波動の世
界に住み慣れてゆく、ということになるわけだし、そうさせなければならない、と思って
いるわけです。
最後の審判と祈りによる世界平和運動
ですから私どもの提唱している祈りによる世界平和運動というものは、最後の審判を、
願わくば無傷で、誰も苦しませないで越えてゆきたい、そうしなければならない、という
運動なのです。
皆さんの一人一人の使命、天命というのは大変に重要なわけです。ところがなかなか重
150
要というように考えられない。日常生活のゴタゴタ、目の前に迫っている枝葉のことが大
事なような気がして、永遠の生命を体得する、いわゆる新しい優れた人類に生まれ変わる
というようなことは、頭にはないわけです。大体がこの世の中の、現われている出来事を
うまく処理できればいい、というような考えで宗教に入る、あるいはこの世界平和運動に
入る、というくらいなんですね。
そしてだんだん判って来た人や、熱心な人が本当に身を挺して、祈りによる世界平和運
動をやっている、という形なんですね。私はそれでもいいと思うのです。
一般の人が家庭をそのままやっていて、現われてくる小さい細かい出来事のことを、う
まく処理するために祈りをしている、ということでもいいと思うのです。祈りの筋は同じ
ですから。やっぱり”世界人類が平和でありますように”、という時には、救世の大光明
に入ったことになります。
151 新しい波動新しい人類
ー
やがては本当のことが判ってくる
152
どういう祈り方をしても、どういう想いで祈ってもいいけれど、やがてそれが慣れてき
て、本当のことが判ってくると、”ああ自分はこの世にとって大事な者なんだな、自分は
つまらなそうな人間に見えるけれども、実はつまらない人間ではなくて、世界を本当に平
和にするための菩薩の一人なんだ、天使の一人だったんだ” ということが自覚されてくる
わけなのです。
肉体人間としての自分は菩薩でないかも知れない、だけれども、世界平和の祈りをする
ぽんぷ
こ とによって、凡夫が、一般の大衆が菩薩に変わってゆく。天使に変貌してゆくわけです。
もっと言い換えれば、菩薩や天使と合体して、この地球人類を救う大きな役目を、自分が
担っているということになるのです。
だから皆さんが何気なく、
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様、守護神様有難うございます
といっている祈り言は、知らない間に、自分を高い高い波動の世界に運びこんでいるの
です。皆さんが気がつかなくても、そうなんですよ。
常に祈りをすること
一番大事なことは、常に祈りをする。常に祈りに始まって祈りに終わる。日常茶飯事が
全部、世界平和の祈りを根底にしてやってゆく。その中で消えてゆく姿のような悪い感情
が出たり、あるいは人を憎む想いが出たり、自分をダメだという想いが出たり、間違った
ことをしてしまったりしたら、「ああこれはいけないことだな、こんなことではいけない、
これは消えてゆきますように、どうか神様、一日も早くこういう悪いものを消してくださ
153 新しい波動新しい人類
い。もう再びいたしませんから、どうぞお願いします」といって、その想いもこめて、そ
の想いを消えてゆく姿として、世界人類が平和でありますように、という大光明の中に入
れていると、弛みなく、常に入れていると、知らない間に、自分の体が光明燦然たる肉体
になるわけです。肉体がそのまま霊体のような、光明燦然と光を放つ体になるんです。
世界平和の祈りが本当に軌道に乗ってくると、自分の体から光がパーッと出てゆくわけ
です。救世の大光明に合体して、自分の本心の光も出てゆくわけです。
そうすると、自分が言葉でとやかくお説教するんじゃなくても、自分が気がつかなくて
も、相手が浄化されてゆく、浄まってゆく、相手が立派になってゆくということになりま
す。
声の言葉で相手を立派にするというよりも、人格そのものが、その人がそこにいること
によって、周りが浄まってゆく、知らない間に柔和な、いい人々に生まれ変わってくる、
というそういう人間に、皆さんの一人一人がなることが一番大事なんです。
154
言葉以前の光の人に
声の説教というのには嫌がる人も随分あるわけです。しかし、柔和な、温かい、親切な
人柄に接すると、その人柄から発する光によって、口をきかなくても、ああなんて善い人
だろうな、とか好意を持つ場合が随分あります。それは唯物論者とか信仰者とかいうのと
は関係ありません。人間と人間、生命と生命が触れ合ってゆくという関係になってくるの
です。
だから宗教を説教しなければダメだというものではありません。宗教の説教が判らない
から、あいつはダメだ、ということもないのです。
言葉以前の光、想念が光になっている。言葉以前の自分の人格というものが、光り輝い
ているようになれば”あなた、こうしなければダメですよ” なんて言わなくても、光が向
こうに伝わっていって、向こうは同化されてくる。そういう人間に一人一人がなることが
大事だと思うのです。
155 新しい波動新しい人類
弛みない”消えてゆく姿で世界平和の祈り”を
15G
そのためには、弛みなく、”消えてゆく姿で世界平和の祈り” をする。消えてゆく姿と
いうのは反省のことです。これはいけないな、と反省してそれを世界平和の祈りの中に入
れてしまう。そして日常茶飯事を続けていれば、いつの間にか、自分でなんとも思わない
うちに、知らない間に、自分の魂は立派になっているし、自分の行ないは立派になってゆ
くのです。
消えてゆく姿で世界平和の祈りをやっていて、その行ないが立派にならないとすれば、
その人のやり方がどこか違っているのです。例えば反省がないとか、思い上がってしまつ
たとか、ということであって、常に謙虚な気持ちで、どんな時にも、消えてゆく姿で世界
平和の祈りをやってゆかなければいけません。
最後の審判といっても何も恐れることはありません。消えてゆく姿で世界平和の祈りを
続けていれば、その人にとって恐れることは一つもない。その周囲の人にとっても恐れる
ことはないんです。
そういう人が多くなればなるほど、この地球人類は怪我少なく、損害が少なく、新しい
波動に合わせて、新しい世界を創ってゆける。地球人類の天国を創ってゆけるわけなんで
すよ。
(昭和四十一年二月)
157 新しい波動新しい人類
欝今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
158
人間は肉体だけではない
人間というものは、実際に見えている肉体がありますから、どうしても肉体が人間だと
思ってしまいます。それで肉体世界の楽しみだけを追っているわけです。多くの人は、肉
ポデで
体の他に体があるとは知りません。人間の体というのは肉体だけしかないと思っています。
目に見える世界だけしかないと思っています。霊界とか神界は知らないでしょうし、人間
の体がいくつもあるなんて知らないわけです。
知らないということは無知だということです。地球人類というのは無知な人が九十九パ
ーセント、残りの僅かな人だけが目覚めているというか、自分の体はこの肉体ではないん
だな、ああ本当に神のみ心の現われた体なんだな、ということが判っている。しかし、ほ
とんどの人が判らないんです。
頭で判ってもダメなんです。頭で判るということだけでは、判ったうちに入らない。自
分の行ないに現われなければ、判ったことにならない。
行ないに現われる、ということはどういうことか? そこが難しいところなのです。そ
こで私は九十九パーセント判ってないというのです。
ふつう宗教的に求めているのは神様です。神というものは全知全能で、完全円満で少し
も欠けるところがない、とそのように思っています。実際そうであるわけです。
神様がそういうものなら、自分もそういうものになりたい。神様に少しでも近づきたい、
神のみ心に少しでも近くなりたいl l青年の頃、私もそう思ってました。
私が青年の頃は霊魂というものも知りませんし、霊魂が存在するなどという、そんなこ
とはどうでもよいと思った。けれど自分が肉体に生きている間、少しでも神様のみ心、完
今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
卜
15
全なるみ心に近くなりたい。少しでも愛の深い人間になりたい、少しでも良い立派な行な
いの出来る人間になりたい、人格を高めたい、人のためになりたい、そればかり思ってい
ました。
1GO
神を讃える宗教的な心
この生きている間に、生命というものを粗末にしないで、生きている生命を何かのため
に捧げたい、生命を生かしたい、とそればっかり思っていました。
それで生命を生かすために神のことを想うわけです。神を想うと、神は完全円満で、す
べてを創り、森羅万象すべてを調和させている。そういう神のみ心、神の力というものに
驚嘆するわけです。
花を見れば、なんて美しい花だろう、こんな立派に咲いている。ああ空はなんて深いん
だろう、青い空はなんていい気持ちだろう、ああ海の色はなんてきれいなんだ、広いなあ
どこまで広いんだ、ああ宇宙って広大無辺で、なんと生命が満ち満ちて、光り輝いている
ものなんだろう、そのように理屈なく思うわけです。
このようなものをすべて現わし、すべてを生かしている神の大愛というものに、近くな
りたいな、肉体を持っている人間は神そのものになれない、けれどなんとかして神様のみ
心の愛を顕わしたいな。すべてのために働くという神は、すべてのために捧げているわけ
ですからね。だから神のようにすべてのために捧げたいな、自分の肉体の生命のすべてを
捧げて、神様のために尽したいな、ああ立派な人間になりたいな、そればっかり思ってい
たわけですよ。
それで今日、こういうようになった。だから霊魂があるとかないとか、死後の世界はど
うだとかこうだとか、そんなことは私はいつでも考えになかった。そんなことを全然考え
ないで、ただ肉体の生活をする、ここにいる人間しかないと思っていたんですから。
肉体人間の生活の中で、一生懸命人のために尽くしたい、要するに霊的知識もなんにも
ない、純粋ないわゆる宗教的な心だけだったのです。
1G1 今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
微妙な波動の世界を知る
皆さんはそれで結構なんですよ。だけど私の場合には、それだけじゃ済まない。みんな
にいろいろなことを教えなければならない立場にあるものだから、霊界も知らされたり、
神界も知らされたりしました。
しかも神界でも、霊界でも、幽界でもいろいろ階層があって、神界なら神界が一つの段
階だけじゃなくて、神界の中もたくさんの段階に分かれている。霊界もたくさんの段階に
分かれている。幽界も同じです。
肉体の現われというものは、一番鈍重なんです。感じが鈍いのが肉体なのです。幽体、
霊体、神体になると、だんだん感じが微妙になり、素晴らしいスピードで、そして敏感な
わけです。
その中で神界が非常に敏感で、いわゆる大神様、宇宙神ですね。宇宙神というのは、と
っても微妙な波動なわけです。どれだけ微妙かというと”無限
“という言葉を使うより仕
1G2
方がない。肉体のほうから考えたら判りませんからね。無限なる愛とか、無限なる力とか、
無限なる能力とか、無限なる速さとか、そういうような表現を使うわけです。そういう無
限の能力を持っているわけです。
無限なる能力を持っているものから七つの直霊に分かれて、またそこから分かれた分霊
になる。分霊になってくるとだんだん肉体界に近づいてくる。
近づいてくるといっても、その本体そのままではない。AならAという人の本体がその
ままズバリ来るわけではないんです。光が分かれてくるわけです。光がどんどん分かれて
分かれてくる。ずーっと上を仰げば、自分の本体は直霊の中、宇宙神の中にいるわけです
よ。いるわけだけど、それが肉体の自分には判らない。
わけみたまこんばく
どうして判らないかというと、小さいほうの分御霊の中の、また分御霊の、さらに魂醜
はく
になっている、またその醜の中の、肉体波動の中に入りこんじゃっているからです。そし
ていつも肉体のことばかり、肉体世界の快楽、肉体世界の欲望、面白さ、そういうものだ
けに把われているわけです。
163 今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
ー
だから肉体生活の面白いものをエンジョイする、ということになる。
1G4
今は宇宙の運行が変わるとき
しかし、音楽を聴くのもよいでしょう、映画を観るのもよいでしょう。なにするのもよ
いけれど、それはあくまでも生命を生かすためです。神からきている生命、自分の本体を
生かすために楽しむのはいいと思います。
かて
楽しんでそれが生命の糧になって、それでまた生命を生かす。人のために働く。自分の
本体のため、神のみ心のため、本心のために働くという働き方が出来るように、その働き
方がますます楽に出来るように、疲れた体をお風呂に入って磨く。食物も食べるし、音楽
も聴くし、映画も観るし、というように楽しむのはいいわけです。
ところが世の中をみてますと、ふつうの人たちは、バカンス、バカンスとやっているで
しょう。でもそれは、生命を生かすためではなくて、生命を汚すために、わざわざ疲れに
ゆくためのようなものです。
要するに今の人たちにとっては肉体世界だけがすべてになっている。しかし肉体という
のはやがてなくなってしまいます。
今の肉体は全部変わります。もう否でも応でも、なんでもかんでも、肉体生活の肉体の
波動というのは、全部変わるのです。変わらなきゃいられない、変わるようになっている。
何故変わるかというと、宇宙の法則が変わる、宇宙の運行が変わってゆくからです。例
えば今まである星が主になって地球に光を投げていた。それが他の星に移るのです。その
時どうしても主導権が変わってゆく。例えば資本主義だったものが社会主義になれば、否
でも応でも変わる。資本主義が社会主義にでもなったら、今までの貨幣価値が全部変わり、
今まで上にいた者が下になり、下の者が上になったりして変わるでしょう。それと同じよ
うに、宇宙の星の運行が変わるにつれて、主導権が変わると地球世界も変わってゆくわけ
です。
そして最後に、神とか宗教とかをぬきにして、宗教とか神とか思ったって、思わなくた
165 今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
ー
って、否も応もなく変わらされるんです。
そういうことが多くの人々には判らないんですね。しかし、皆さんは幸いにして世界平
和の祈りの中に入っていて、知らないうちに変わらされてゆくわけです。そうしているう
ちには風邪もひいたりするかもしれませんし、下痢もするかもしれません。いろんなこと
があります。
ありますけれど知らないうちに、徐々に徐々に、自然に変わらされてゆくわけです。
神々が変えてゆくわけです。自然に宇宙の運行に合わせてゆくわけです。否とか応とかで
はなくて、合わせられるんですよ。
今合わせるのが嫌で、ジタバタしたとします。しかしジタバタしたって、何したって、
神々のほうで守護神のほうでは嫌でも変えてしまう。嫌だったら他の方法でやります。A
が嫌だったらB の方法でやります。B の方法が嫌ならC の方法でやります。否でも応でも、
どうやっても変わらなければ生きていけない。生命が壊れちゃうんだからね。生命が壊れ
ると、その人の個性というものも壊れちゃうわけですよ。だからどうしても変わらないわ
1GG
けにはいかない、という状態になっているわけです。
人類は目覚めなければならない
らいう
ところがみんなこの世の中の先のことは少しも判らないわけです。昨日あった雷雨では
ないけれど、昨日、雷雨があるなんて、少し前までは知らないです。あんなすごい雷雨が
あるとは知らない。
あれが雷雨ぐらいですんでいるからいいですよ。いつ天変地変があるか判りませんよ。
今は無事だから、無事だという顔をしているだけです。今、無事だから天下泰平だ、ああ
いい天気だってやっているだけです。
でも、明日のことさえ判らない。いつどんな天変地変が待ち受けているのか、どんな戦
争が待ち受けているのか、みんな知りゃしないんですよ。
昨日の雷雨よりすごいのが二日も三日も続いてごらんなさい。一週間も続いてごらんな
1G7 今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
ー
さい、どうなりますか? ずーっと続いたと考えてごらんなさい。バカンスがどうのこう
の、夫がどうの妻がどうの、私は音楽を聴かなきゃいられません、私は遊びたいんです、
そんなこと言っちゃいられませんよ。今どうしたいという自分のやりたいことだけを主張
していて、どうしますか。
宇宙の法則はどんどん変わってゆく。その変化を追いかけて、否でも応でも波動を合わ
さなければならない。ところが波動を合わせなければならない肉体のほうは、その場、そ
の場を楽しみたいとばかり思っている。
もう目の前に暗黒の雲が迫って来ている。地球を滅ぼそうとするのではないのだけれど、
宇宙の法則が変わるから地球が変動する。それにはずれて動けば落ちてしまうでしょう。
全部が一緒に動かなきゃならない。そうするためには、肉体の波動も変えなきゃならない。
どうしても、嫌でも変えなきや。
168
刻々と進化している宇宙
何か悪いものを食べれば下痢をして出しちゃうでしょう。吐いたり熱を出したりして、
外に出しちゃうわけです。出すことによって正常に戻るわけですよ。そういうふうに、出
るべきものを出すのは嫌だと、出さないようにする人もいる。そんなことをしたら詰まっ
ちゃって死んじゃいます。それと同じように、出るべきものは出さなきゃならない。そう
いうようになっています。それを何も判らない。
地球の運命とはどういうものか、宇宙とはどうなっているのか。宇宙というのは永遠の
生命の流れだから、どんどんどんどん変わってゆく。
いつも星の話をするけれど、今、輝いている星はもう実際にはないかもしれないんです。
光として見ている星は、もう実際にはなくなっている場合がある。太陽の何千倍か光る星
があるとする。それが、よりものすごい光を放った時には、もうその星が消滅する時なん
です。消滅する時にはすごい光を放つ、太陽の何万倍かわからないような光を最後に放射
1G9 今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
するのです。そしてその星は消えてゆくわけです。
ういてんぺん
そのように有為転変というか、どんどん、どんどん変わってゆくわけですね。それを変
わろうとしないのは、地球の人類だけですよ。
地球の表面にくっついて、この日が無事ならいい、今日楽しめればいい、とやっている。
ところが神様のほうでは、否でも応でもピッと振り放して、否でも応でも直させるのです。
雷が…嫌だとか、地震が嫌だとか言いますけれど、どうして雷が鳴るかというと、この地
はらりゅうじん
球界の中には一杯汚れた波が出る、その汚れを祓うために竜神が光を投げかけると、雷雨
になったりして、きれいに洗われてゆく。きれいに浄める作用、一つの浄化作用なんです。
浄化されたあとで空気がきれいになるでしょう。目に見えない有益なことがあるわけです。
地震はどうして起こるかというと、地軸がズレてくるから、それを直すために地震があ
るわけです。人間の体の中でも同じですよ。中のものを直すために病気になったりするん
です。
心の問題でもそうです。中のズレを直すために起こるのです。いわゆる波動調整なんで
170
す。
地球世界はすべて生まれ変わる
全部、波動調整しなければならない。ならないけれど、大きな被害があっては大変でし
ょう。それで神々が守護神が、皆さんの守護神は救世の大光明に入っていますから、その
救世の大光明とともに、少しずつ、少しずつ宇宙の運行に合わせてゆこうというのです。
世界平和の祈りをしていると、知らない間に下痢をしたり、風邪をひいたりしながら、少
しずつ治っていって、知らない間に立派な体になり、新しい地球世界の姿に合わせてくれ
るわけです。
地球は生まれ変わるのです。地球世界は全部生まれ変わって、旧態依然とした生き方と
いうのは出来なくなるんですよ。そういう世界が来ているわけです。それはどういうこと
かというと、神界がそのまま地球界に現われる、霊界が地球界にそのまま現われるように
171 今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
なるのです。
金星人とか宇宙人とか言っていますが、この人たちは目に見える肉体があるわけではあ
りません。肉体よりもっと微妙な波動の霊体のようなもので生活しているわけです。だか
ら凄い。
あちらから見れば、こちらなんかまるで子供みたいなもんですよ。すべてが子供みたい
に見えるくらいな、幼き愚かなる弟、妹たちなんです。向こうから見れば愚かなる弟よ、
妹よ、ということなんです。地球界の人間はとても幼く見えます。そういう星の人たちは、
守護神や宇宙人と同じレベルだからです。
そうすると、否でも応でも宇宙人の世界まで、宇宙人ぐらいの高さまで、地球人がなら
ないわけにはいかない。ならなければこの世は滅亡してしまうんだから。そのために守護
神がどれだけ働いているか。みんなを苦しませないで、なるたけ苦しみが少ないように、
みんなが楽になるように、と一生懸命にやっています。
そこで私は、世界平和の祈りの中には、守護霊さん有難うございます、守護神さん有難
172
うございます、といつでも感謝を捧げるような言葉を入れているんです。
守護の神霊の絶大なる守り
私の教えというのは、守護神、守護霊へ感謝しなさい、というのに尽きるかもしれない。
守護霊様、守護神様に守られているんだから、守護霊、守護神に想いを合わせて、守護霊
さん1 守護神さん! って守護霊、守護神の波に波長を合わせておきさえすれば、その
人は苦しみ少なく、これからの新しい地球の波に合わせてゆけるわけです。
それに加えて”世界人類が平和でありますように”というような、世界人類の平和を願
う広い広い想いの中にすべてを入れてしまいなさい、と教えているわけです。そうすると、
自分がこの肉体界にいながら、守護霊の世界、守護神の世界へそのまま一直線につながれ
るわけです。守護神と一つになれるわけです。
守護霊、守護神と一つになれば、苦しみはなくなって来ます。苦しいかもしれないけれ
173 今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
ど、苦しい想いはなくなります。そういう人間にみんながなれば、世界平和は自ら出来る
んです心
もう人ごとじゃないんです。自分が守護霊、守護神と一つになるのです。一つになると
どんなことになるかというと、日常の当たり前の生活をしながら、しかも特別に人のため
にしようと思ってするのではなく、人類のためにしようと思ってするのではないけれど、
自分の一挙手一投足が知らないうちに、人のためになり、人類のためになるような働きに
なるわけです。
じねんほうに
そうすると老子ではないけど、無為にして為す、自然法爾、ひとりでに善いことをして
いる。しようと思ってするんではないけれど、その人の行ないは自然と善い行ないになっ
ている、というようになるわけですよ。それには守護霊、守護神につながらなければダメ
です。
過去世の因縁で、守護霊、守護神のことを想わなくても、スッとつながって科学者にな
って大きな功績を残したり、実業家になったり、自然にそういうことをやっている人もあ
174
るかもしれない。それは過去世でさんざん修行した人なんです。
何も宗教のことを思わなくたって、あの人は立派な人だ、と思える人もあります。それ
は過去世の因縁がとてもいいんです。しかし、心の中には宗教心があると思います。自分
ではいつも物事に謙虚に感謝している、という感謝の想いがある人だと思いますよ。全然
感謝のない人だったら、必ず最後にはうまくゆきません。そういうふうになっている。そ
れが法則なんです。
175 今、地球は宇宙の法則に乗ろうとしている
17G
働今度は地球の完成する番
宇宙の中の地球
今ここに、地球という星があります。ところがこの大宇宙には、地球の他にも数知れな
いほどの星があります。
そして、ある星はずーっと何億万年も前に完成し、またある星は何万年前に完成してい
ます。そういうふうに、次々と神様のみ心を完成してゆくわけなんです。
それで、今度は地球の番なんですよ。神様のみ心をハッキリと、完全に現わす番になっ
てきているわけです。
しかし、よく考え違いをしてしまって、この大宇宙の星がたくさんある中で、地球だけ
に人類がいて、特別な待遇になっていると、こう思っている人があります。地球以外は、
みんな死んだ星のように思っているんですね。ところが、星というのはみんな生きている
わけです。
よく考えてみてください。この小さな地球のために、何億万、無限億万という星が、飾
り物みたいに輝いているわけがないでしょう?・
宇宙には、太陽よりももっと大きな星もたくさんあります。普通に考えたら、そういう
大きな星が、こんな小さな地球のためだけに輝いて、飾り物になっているなんてことがあ
るわけがないでしょ。ところが唯物論者というのは、そう考えているんです。
神様というのは、大智慧、大能力ですね。こんな凄い力をもってして、自然をこんなに
立派に創り上げるような、大きな智慧を持った神様が、地球のような小さな星のためだけ
に、大きな星を、何億何千万と、ただ飾っておくわけがありません。
177 今度は地球の完成する番
物質科学から精神科学の時代へ
178
そして、さっきも言ったように、星が次々と完成してゆくわけです。いわゆる世界平和
が、いろんな星に出来上がってゆくわけです。ということは、神様のみ心がすっかり現わ
れるということですね。そして、今度は地球の番が来ています。
ところが、現実の地球世界を見渡しますと、いわゆる唯物の思想、物質が絶対であると
いうふうになってしまった。そういう、物質を主にした科学の力が限界にきて、最後には
原水爆、核兵器までもが出来てしまって、もうこれ以上はどうにもならないところまでき
てしまったんです。
今の科学は発展するに従い、プラスになるものと、マイナスになるものが出てきます。
ためになるものと、ためにならないものが、どうしても出てきてしまいます。
そして人類は、自らの科学が発達するに従って、だんだん追い詰められて、自分の首を
絞めてゆくような形になってきてしまった。もう限界なんですね。
さあ、もうこのへんで、否でも応でも物質科学、唯物の科学を、精神科学というか、霊
科学に変えなければならない時が迫ってきています。
そこで、いろんな宗教家や、聖者、賢者が現われて、そういうことを提唱しているわけ
ですよ。欧米では、盛んに霊科学を実証しようとしているわけです。日本にもそれがだん
かく
だん伝わってきていますが、未だ確たるものがありません。
ところが現代は、霊科学、いわゆる精神科学と言いますか、深い、深い、物質を超えた
科学がどうしても必要なんです。それで、我々は宇宙子科学というものを、やっているわ
けですね。
我々は宇宙神と交流し、宇宙子科学がだんだん、だんだん、進んできています。それに
は、いろんな苦労もあるんだけれども、確かに進んでいます。
179-一一一一今度は地球の完成する番
神々の計画の中では、
すでに平和な世界が出来上がっている
180
そういうふうにして神々は、地球の人類が何と思うと、完全な世界を、平和な世界を創
ろうとしていらっしゃるんです。
そして、すでに神様のみ心の中、神々の計画の中では、平和な世界がすっかり出来上が
っているんですよ。完全な模型が出来ているわけです。それが、まっすぐ地球に降りてく
れば、地球には平和な世界が出来るんです。
ところが、肉体の人間が持っている想い、神様を離れた唯物的な考えだけで進んでゆく
と、いずれ地球は滅亡してしまいます。やがて原爆戦争になったり、細菌戦争になったり、
いろんな科学戦争になる様相が現われてきています。
神様の世界では、完全に平和になった世界が出来ている。一方、幽界では、大戦争にな
って人類がめちゃめちゃになっている姿が出来ている。どっちをこの地球の肉体界に現わ
すのか?
天と地をつなぐ者たち、それは真の宗教者や真の優れた科学者、また真理に目覚めた者
たちですね。そういう人たちが力を発揮しなければ、幽界のほうが肉体界に近いですから、
幽界そのものがそのまま現われて、この地球の世界は終わりになってしまいます。
そこで、神様は、この地球世界を一挙に平和にしようと思って、一生懸命働いておられ
るんですよ。それはもう、大変なお働きです。
平和の祈りが、私たちの地球を救う
それで、皆さんがやっている世界平和の祈りは、そういう神々の働きや、我々をも助け
る、非常に大きな力になっているんですよ。
皆さんが、たとえ七十歳でも、九十歳でも、その皆さんが唱えている世界平和の祈りと
いうのは、とても大きな役目をしているということを、よく自覚し、多くの人にも話して
181 今度は地球の完成する番
ください。
皆さんの世界平和の祈りが、本当に世界を助けるんだ、私たちの地球を救うんだ、とい
う信念を本当に強く持つべきだと思うんですよ。
笑いたい者には笑わせておけばいいんです。どうせそういう人は、何にもしないんだか
ら。何にもしないで、そんなもので何になる、祈りなんかで何になる、とただ笑いたい者
は笑っていればいいんです。何にもしないで、ただ笑っているだけなんですから。
自分たちの地球が滅びるのを、ただ、祈りなんかで何にも変わりはしない、何だあんな
もの、とそういうふうに思っている人は随分いるんですよ。それでいて、自分では何一つ
しない。そういうのは、業のほうの味方ですよね。
だからたとえ、これが嘘であろうと、本当であろうと、いいことならばやってみよう、
まこと
という気持ちになって、祈ってくれる人は、やっぱり善なる人、真の人です。
ところが、世界平和の祈りというのは、如実に大きな効果を上げています。だからそれ
を信じて、どうぞ一生懸命平和の祈りをしていただければと思います。
182
神々は常に見守っています。守護霊さんも見守っています。守護神さんも見守っていま
す。それから、人類を救おうとしている神様も見守っています。
はら
その上に、宇宙神と多くの神々も見守っているんですから、どうぞそれをしっかり肚に
据えて、信念を持って世界平和の祈りを祈りつづけてまいりましょう。
(昭和四十八年十月)
183 今度は地球の完成する番
主の参招…
」
■ 世界平和の祈り
18G
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
まつと
私達の天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます
■ 入間と真実の生き方
わけみたまごうしょう
人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られ
ているものである。
かこせ
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運
命と現われて消えてゆく時に起る姿であある。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという
強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、
ゆるまこと
自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとと
もに、守護霊守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、
個人も人類も真の救いを体得出来るものである。
187 注の参照
前へ
次へ
コメントを残す
コメントをキャンセル
メールアドレスが公開されることはありません。
※
が付いている欄は必須項目です
コメント
※
名前
※
メール
※
サイト
コメントを残す